浮世離れの世迷言・続:さざなみの
青葉の笛春信とか写楽とか広重とか

2016年09月14日

さざなみの

埼玉の岡部町を国道17号線で走っていると、普済寺という交叉点がある。
むかし、その辺りにお客さんがあったので何度か通過した。
寺の名前が交叉点の名前だったり、字の名だったり、店舗の名になったり、きっと由緒があるのだろうなと思ってはいた。

まさか岡部六弥太忠澄の墓所とは知らなかった。


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通し狂言「一谷嫰軍記」の第一部・初段と二段目は、初めに熊谷次郎直実も岡部六弥太忠澄も出てくるけれど、ほとんどが熊谷と敦盛の話で、二段目の最後だけ六弥太と忠度の話になる。
先週観た第二部の三段目が全編熊谷の話で、今度の通しではやらない四段目五段目が六弥太の話になるのだけれど、どうして四段目五段目を通しなのにやらないかと言うと、作者並木宗輔が書いたのが三段目までで、そこで死んでしまったから四段目五段目は作者群が書いたということなので、宗輔の書いたところだけを通しでやる、と言うことらしい。

そりゃあねえ、並木宗輔と言えば、菅原伝授手習鑑も義経千本桜も仮名手本忠臣蔵も、全部書いた人だもの、面白さも格別というわけだろう。
ワタシは四段目五段目を観たことも読んだことも無いのだけれど、たぶん三段目までよりも詰まらないのだろうと推量する。


へへーん、偉そうに書いちゃったね。


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まあ、それで。

初段で使われる忠度の歌が、

 ささなみや しかのみやこはあれにしを むかしながらの やまざくらかな

で、誰だってそれは忠度の歌だと知っているけれど、平氏一門勅勘の身なれば詠み人知らずとして勅撰和歌集に載せるという例の平家物語の中の話に繋がるわけだ。

忠度と言うと、浅学なワタシは、唱歌青葉の笛の二番に出てくる、

 行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の 主ならまし

であってほしいと思うのだけれど、それはたまたまその歌をあの歌で憶えていたからに過ぎない。

それにしても、お芝居の平氏の者たちはみな美しい。
敗者は、ただひたすらに美しいのだろう。


ワタシだって立派な敗者なんだけどねー。
残念だ。


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蓑助が、最後の林住家の段で、忠度の想い人菊の前で登場する。
これが、もう思い切り色眼鏡で見ていることは白状して言うのだけれど、

もう、息を呑むほど素晴らしい。

一番前の席だもの、遣い手の視線の先まで見えているけれど、でも菊の前しかいないとしか思えない。

何人か、この人と同じ時代を生きることができて幸せだった、という人がいるけれど、間違いなく蓑助と同じ時代に呼吸している幸せがある。

それだけで充分に幸せな見物だった。

この林住家の段は、ほかに、乳母林が和生、忠度が玉男、六弥太が玉志、と勢揃い。
その前、組討の段は直実が勘十郎、敦盛と小次郎直家が和生の二役と、これも見せ場。
そういえば、朝、楽屋入りする吉田和生と擦れ違った。
とても得した気分になって、国立劇場の大屋根の下で雨の跳ね返りをよけながらなおも歩くと、技芸員が何人か出勤するところと擦れ違う。

ああ、ほとんどの人がワタシみたいなラフな格好なんだな、そりゃそうだよな。
でも、吉田和生はきちんとしているところがさすがだな、と思いもしたり。


太夫と三味線は、調子の良し悪しがすぐに解ってしまうのがたいへんだと、何人かの声や音を聴いて思った。



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楽しみにしていた文楽も観てしまった。

さ、この後は来月からの忠臣蔵、それに12月の文楽でも忠臣蔵、を待って一所懸命頑張るのこころだー!


小沢昭一か(笑)


noonuki at 23:57│Comments(0)演芸・芸能 

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