浮世離れの世迷言・続:年越して変わるものあり <思い違いを訂正><<再訂正(^^ゞ>>
これほどの差のあるや、疑うらくは吾がめしいでありしをハクナマタータ

2010年01月14日

年越して変わるものあり <思い違いを訂正><<再訂正(^^ゞ>>

私は伝統的なものが好きである。

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が、伝統と新興という言葉を、優劣上下軽重を含意する形容語として使う「精神」と出遭うと、それなりの対応を執らせていただく。

古いことに価値があるのならグリーンランドに移住したらよい。
あすこの地質は日本なんぞよりよっぽど古い。


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日本大学ラグビー選手権大会の決勝が、優勝未経験大学同士で戦われたことは初回を除いて初めてだ。
45回目にして初のどちらが勝っても初優勝対決である。

しかも、去年の決勝で伝統の早稲田大学に負けた新興勢力帝京大に対するは去年準決勝で伝統の早稲田大学に負けた新興勢力東海大学という組み合わせである、愉快で痛快で奇奇怪怪である。

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こんな話を聴いた。

「帝京大も東海大も、どちらも外国人選手が二人ずついる。そんなトップリーグと同じ目先勝利最優先主義は、日本ラグビーを支えてやっている大学ラグビーをダメにしている。伝統校よ(と一応は伝統校全体に呼びかけているように見せかけてそのじつ早稲田だけを言っている)この際奮起して、そんな学校どもを捻り潰してしまえ」と。


あほ。ばか。たわけ。うつけ。ぼんくら。とんま。唐変木。牛。エジミウソン。フィンケ。


一体なにを観てラグビーを語っているのだ。
外国人を交えたトップリーグが、人気が低迷する中でも頑張っているから日本のラグビーの水準が辛うじて維持されているのではないか。そればかりではない、ますます強さが際立って2ndグループをぐんぐんと引き離してしまうトップ8にどうにかこうにか照準を合わせ続けることができるのじゃないか。

ホームネーションズや南半球に挑まなくて、何の国際スポーツ・ラグビーなのだ?
何のために選手たちは痛い思いをして練習しているのだ?

トップリーグの勉強をしなおして、顔ぉ洗って出直して来い。


それから。

世の中には、伝統校様に照準を合わせて戦いを挑み、叩き潰し踏みにじり、もっともっと高い処に登ろうとしている奴等がたぁんといるんだ。
そういう連中のためにIRBローがあって、テストマッチやワールドカップが用意されているんだよ。

そんなに伝統校様の枠に嵌まって楽しむことだけを考えたいのならラグビーなんて観るのをやめちまえ。
ラグビーの替わりに大日本伝統闘球でも作ってもらって闘球道でも追求し、それをチマチマ観てシコシコして白眼剥いてろ。

おととい来やがれってんだぁ、すっとこどっこいめ。

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せっかくの初優勝に水を差す無粋な野郎がいやがるから、みなさんさだめてご不快でしたでしょう。
あっしが懲らしめてやりましたんで、まあ、穏便に済ましてやってください。

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しかし、帝京大も東海大も、去年末のトーナメント2回戦までのチームと同じなのかね、という疑問が湧いたほどであった。

なにしろ正月の準決勝は 家中某重大事件 のためにテレビの中継も視ていない。だから、年越しをして変わったのか、ここ数日の間に変わったのか、それはまったく判らない。
はっきりいえるのは、さすがに帝大対東大の試合だな、という思いが身を包んだということである。


去年末までの帝大の印象はこうだ。

フォワードは強引に強いが、横に揺さぶられると脆い。
バックスは切れ味も能く走り強いが、バックスを活かす手段が少ない。
コンタクトは真面目だけれど、全体に持久力に難あり。
嵌まれば強いだろうが、かわされるところりとなる恐れがあるのではないか、と。


同じく東大の印象はこうだ。

フォワードは重いけれど、押し切れるほどの磐石な強さではない。
全体に能く走るが、とくに決定力があるようには観えない。
真面目なときと不真面目なときの差が大きいのが難点だが、タックルは低く強い。
でも何とはなしに、のらりくらりと勝ってきた感じがしてならないのである。


注目していた選手は、帝大はフルバックの船津光選手とエイトの野口真寛選手とフッカーの森大志選手、そしてスタンドオフの森田佳寿選手。
東大はもちろん「ジャパン」スコッドにしてフランカーのマイケル=リーチ選手とエイトのジョシュア=マウ選手、FBの豊島翔平選手である。
まあ、理由はいろいろあるので書かない(笑)。

だが、帝大フッカーは、三洋電機ワイルドナイツで活躍している堀江翔太を観るにつけ、彼の後輩はどんな選手なのだろうと気にならざるべからざるものがあるのだ。

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強い北風が角筈歌舞伎町から麻布霞町に向かって吹く。
一方で、冬らしい低い、しかしその割には強い日差しが、港区の上に輝き、ついでに新宿区をも照らしている。もちろん、目に突き刺さる、あたかも くがたら のような邪な心を射竦める光である。

トス(だかじゃんけんだか知らんが)で勝った東大は、風下にして逆光を選んだ。光を背負った前半勝負、後半は守り切る、という肚とみた。
その決定には敵である船津光は参画できていないはずである。


東海大が太陽を背負った気持ちは判らないではない。
東大の強さはリーチとマウと主将荒木達也のサードローと、存外強いハーフ団に由来する。
だから、前半をどれだけ帝大陣地で戦えるか、日差しで見えにくく判断が甘くなる帝大をどう揺さぶるか、という戦略に尽きるのであって、密集戦を制して帝大を帝大陣内に釘付けにしたいはずだ。

これはある程度奏効し、跳ね返そうとする帝大のキックが伸びすぎる。調整しても伸びすぎる。
だから、あるていどプラン通りに戦えた、と観るべきだろう。
先行されたものの想定どおり真ん中5人の奮戦にFB豊島翔平のロングランが絡んで、思わず声が出る攻撃を見せてくれたのだが、帝大の防御は半端ではない。これが帝大側の「化けた」点であった。あまりミスをしないのである。
だから、としか言いようが無い。東大の踏ん張りは同点まで。引き離せなかった。思えばこれが明暗を分けた。

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後半、予定していた点差をつけるというプランを軌道に乗せるべく風上から猛ラッシュをかけた東大がPGを二つとって6点差として、やややや、これは例ののらりくらり戦術炸裂か、と思ったところが素人の赤坂。
どうしてどうして、帝大はここから思いもよらずソリッドな連続攻撃を仕掛けるのである。

帝大は先述したように、剛だが脆い、というような気配があるチームだった。
しかし、どうも違う。コンタクトでの凡ミスは無く、密集への集まりも速い。しかもリーチの長い腕に優るとも劣らないティモシー=ボンドの長い腕。
巨大蛸テンタクルズの卵取り合戦のような緊迫したモール戦を、ことごとく帝大が奪取してボールを支配する。
しかもタックルは強く低く、東大のお株を奪うかのようだ。

リーチにボールを集めて敵陣で連続密集戦に挑んでミスを誘い、アドバンテージをもらいながら攻め続ける東大のイメージは、接点の強さと切れない肉体的精神的タフネスで攻め続ける帝大によってだんだんと後退させられていく。

それにしても、どちらのターンオーバーもぼんやりによるものではなく、激しいコンタクトを厭わぬ厳しいせめぎあいからのもので、骨惜しみしない基本に忠実で勇敢な戦いとはこういうものである、と、己がカラーに忠実であろうとする学生ラグビーの醍醐味を味わった。

学生はこれでいいのだ。


状況は帝大が1トライ1ゴールで逆転し、しかもそれでも1点差という緊迫感は、帝京大対関東学院大の、結果的には平林レフェリーの判断が正しかった(謝)試合以来のもので、これは観戦料というミクロ経済学的視点で評価すれば、ちょーーーーーーーーーお得なのでもあった。


大量に席を空けた伝統校応援の皆さんは、何年に一度というせっかくの マーヴェラスゲーム だったのに、かわいそうであることよ(笑)。

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ちょっと東海大がフィットネスが甘かった、というか、消耗させられたかもしれない。
それは帝京大のプランに嵌まったということもあるだろうし、リーグ戦グループではあまり類例が無いタフなフォワード戦を挑まれたことによる消耗だったかも知らん。

だが、リーチやマウ、ボンドやツイという、外国人のフランカーとエイトあるいはロックのコンビの強さは並々ならぬもので、見応えがある。それはたぶん骨格・筋繊維の違いで仕方ない。だが、その連中に対して果敢にタックルを惜しまない両校のハーフやセンターからは一人一殺の気迫が感じられて、学生さんってのも大したもんだなぁ、と思ったのであった。

同じことは、高速バックスを自在に走らせるというスタイルが少ない対抗戦グループの帝大は、もっともっとバックスリーを使った速い展開を挑まれたらどうなっていたろうか。

やはり、変なくせを持つトーナメント(原語の意味に忠実に使わせていただく。ラウンドロビントーナメント=日本で言うリーグ戦も含めた)リーグマッチは弊害だらけであろう。
選手権のノックアウトトーナメントでしか異質な戦術に当たらないというのは、伸び盛りにして日本ラグビーのジーンプールである大学生の試合としてもったいなさ過ぎる。



それにしても、帝京バックスの接近戦の巧さはどうだ。
強いのは知っていたけれど、あんなに巧いとは思わなかったぞ。

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詰まるところ、この大学決勝戦が、今季観た学生さんの試合の中でもっとも迫力があり、凄まじいものであり、魅力溢れるものだった。
繰り返すが、ロースコアの試合になるとは予想していたが、こんなにスキルフルでパワフルで、引き締まった試合になるとは思ってはいなかった。

やはり、決勝で戦うという意味を、優勝を勝ち取るために戦うという意味を、競技スポーツの本質を見失わずに一年間練習してきたという意味を、しっかりと理解している指導者と選手がいるチームはそれだけで価値があるのだ、ということを見せ付けられたのであった。
そしてそれは、ひとえに負けた悔しさという土台があってこその性根であろう。

負けて悔しかった、だから辛い練習に耐えたし、そして勝てた。
インタビューで帝京の野口主将は大意そう語った。



何百回も耳もとで繰り返し聞かせてやりたい奴がわんさかいるわ。

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優勝ってのは好いもんだな。


noonuki at 04:21│Comments(0)ラグビーユニオン 

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