2016年11月
2016年11月27日
麹町貝坂に元結屋の店を出しまして…
噺を聴いて、めえりやした。
と言ってもいつもの寄席ではなく、定席は定席でやすが、名人会てえやつで、ですからまぁ寄席とは違うものでしょう。
行ったのは三宅坂の国立演芸場でげす。
国立演芸場の緞帳は北せーのげー風けー晴だ。
北せーと言えば、22日、本所の割下水にすみだ北せー美術館がオープンしたばかり。
月刊誌の和楽も最新号は北せー特集で、付録は2017年北せーカレンダーである。
なにしろ今北せーばやりだが、これは演芸場会場三十年を記念して2009年に架け替えられたものだというから、そうか、じゃあ既に目にしちゃあいるんだな。
なにしろそれ以前の、歌川しろ重の東けえ道五十三次のうち箱根湖水図の記憶が強い。
そういやまだ暑い頃に、しろ尾の山種美術館で五十三次を全部観たけれど、その時、へえってすぐの展示がげー風けー晴だった。
春に八王子の夢美術館で、漫画家のますむらひろし描く北せー展を観た際も、やっぱりげー風けー晴が目玉だった。
今年はずいぶん縁があるねえ。
さて、今日はトリが三遊亭遊三の文ひち元結。
……
…
いんや、もうやめとくべえ。
しっかし読みにくいねー(笑)
書くこっちも面倒だし。
あらためて。
第402回 国立名人会
顔触れと、名人会だからネタが予めわかっていて、
開口一番は前座の春風亭朝太郎、一朝の弟子で、雑排を。
ネタも古典新作取り混ぜのうえにふだん寄席では見られない二協会同席の顔合わせ。
でも満員の観客は温まりが良く、それでいてあちこちの寄席で気になる素っ頓狂な笑い声を立てる人や煩く中手を打つ人もいない、とてもほんわかとしていて楽しく聴けた。
たぶん、上述のような理由で、追っかけだとか強烈なマニヤが少ないからなのだろうかと推量したのだけれど、このくらいが好もしい。
結構な午後だった。
きれいなうめ吉姐さんの素敵な三味線も聴けたしね。
それは良いのだが、お昼を食べる店が無くてたいそう困った。
なにしろ開いているのは中華料理とラーメンとカレーの店ばかり。
原因不明の頭痛と高血圧症で食事を制限されているワタシには禁じられたものばかりで、昔の記憶に思い浮かぶ食べてもよさそうな店はどこも休みである。
ま、あのあたりで日曜日に店が開いてることを期待する方が間違ってるって話だ。
だから有楽町から行こうと思ったじゃないか、と自分に怒ってみても始まらない。
うろうろしたけれど結局コンビニでおにぎりを買って済ませた。
他の寄席は盛り場にあるけれど、ここは他に何もないからね、とまくらで話していたけれど、そうなんだよねー、大劇場小劇場なら食堂があって温かいものもあるけれど、演芸場はそれほどの施設は無い。
仕方ない。
顔触れがたいへん気に入って切符を買ったくらいだから、楽しくないわけがない。
なかでも初めて聴く「東急駅長会議」は、期待どおり。
二子玉川園駅が二子玉川駅になったり、多摩川園駅が多摩川駅になったり、二子新地前駅が二子新地駅になったり、なんというか、誰がそんなこと知ってんねん、でも知ってるオレは一体何なんだろう?と言った感じの共感の笑い?がさざ波のように押し寄せて、おもしろかったー。
多摩川駅・田園調布駅・自由が丘駅を普通電車が通過するところなんておかしくてたまらんかった。
親子がしっかり抱き合って嬉し涙にくれたと申します。
このお久と文七とが一緒になりまして、麹町貝坂で元結屋の店を開きました。
文七元結の一席でございます。
その貝坂とは国立劇場からほど近い、JA共済ビルや砂防会館の前の坂だ。
地下鉄永田町の駅から表に出るとすぐである。
と言っても、出口がいっぱいあるから本当に「すぐ」になるかどうか、そいつは運次第だけど。
この坂のどこに文七元結の店があったのかはわからない。
まあしかし、国立演芸場でやるネタとしては極上のご当地ものではあるね。
60分時間があった方が良かったんじゃないの?と思った。
雪消えて麗らかな空まだ小春
雪が融けると春だ。
しかも陽射しは麗らかである。春に違いない。
2016年11月26日は旧暦10月27日。
雪が融けて麗らかな陽射しでも、まだ小春であった。
春はまだまだまだまだ遥か遠くだ。
何でも彼でも百点満点にたとえて考えてはいけないけれど、紅葉は青空あっての絵柄で、青空の紅葉が百点だとすれば曇天の紅葉は25点で、赤点である。
こないだの降雪の紅葉は意外に80点を獲得したけれど、曇天は赤点だ。
仕方ない。
金曜日の仕事が気分よく進行したおかげで、思いのほか気持ち好い週末を迎えることができた。
そうして起きたら結構な日和、青空に誘われてまたまた六義園に行った。
そんなに六義園ばかり行って飽きるのではないか心配だけれど、年間入場券を買ってあるので気楽に行けるのだから多少飽きても仕方ない。
春秋のライトアップの頃はたいへんな混雑で、切符を買う列ができるほどだけれど、年間入場券があると並ばずに入ることができるのでたいへん気分が好い。
もっとも、たいていの人たちは並ぶ時間すら嬉しいひと時みたいなので、かえってすいすい入るのでは味気ないかもしれない。
そういう人たちに混じって寂しく並んでいるのは剣呑だから、とっとと入ってしまうに限る。
生活の知恵みたいなものである。
空は青く、陽射しはしっかりしているので、ついうっかり薄着で出てしまった。
セーターみたいな保温衣類は着ず、あるいはダウンジャケットも暑かろうと忌避してジャンパーにしたら、木蔭を歩いているとだんだん寒くなってきた。
小春と言ったところで11月も終わり、寒くて当たり前だ。周り中皆暖かそうな装束である。間抜けな話だと思ったが、これは六義園を出てネックウォーマーと手袋を買ってまあまあ解決した。
なにしろ首の周りを涼しくするのは、比喩でも現実でも避けたいものだ。
ワタシは実はその件については大発見をしたばかりである。
この秋は急に寒くなったので掛け布団を入れ替えるのが面倒で、成り行きでそのまま寝ていたところ、ちょっと前に本当に寒い晩があって、起きたら少々喉が痛かった朝があった。
痛みは直に収まったけれど、その晩、喉が痛いのだからネックウォーマーをして温めて寝ることを思いついて、それでやってみたらこれが案外快適で、薄物のままで寒くない。
たまたまその晩だけ暖かかったのかもしれないと思ったので続けてみたら、毎晩寒くない。
この分では真冬に「お湯を使わない湯たんぽ」を使わないで済むかもしれない。
頭寒足熱と言うが、首暖即寝るだな。
首は大切にすべきもののようだ。ゆめ冷やしたり斬ったりしてはいけない。
庭園内をうろうろして、お昼になればお腹がすく。
空腹は爽快な快感であるという境地にはなかなか到達できないが、ともかく満腹に食べてはいけないときつく言われているので、一日中お腹が空いている感じがしている。
たいへん情けないけれど、ともかくしばらくは仕方ない。
外食は塩分が濃いし、脂も多いので、なるべくそうならないように選ベと言うこともあるので、面倒だからこの3週間、お昼は毎日そばである。
そばは好きだから苦にならないけれど、とは言いながら、庭園を出ればあれこれ食べたいものが思い浮かぶというのに、それらを全て振り切ってそばというのも切ないもので、こうまでして健康になりたいか?
と自問するが、本格的の食事制限でもないのに何を大袈裟に言っているのかとも思う。
いやしいだけであろう。
それでも、落語の時蕎麦じゃないけれど、冷えた身体に熱いそばはたいへん美味しいし、それはそれで結構なものだ。
だからやっぱりそばが困るのではなく、すぐ脇で売っている季節のケーキなんてものが目に入ったり、好きなビヤホールに寄って好きなビールを飲んで好きな揚げ物を食べることができないとか、そういうことが辛いのだということは知っている。
でも、まあ、そばを食べればそれで気分も好くなって、そうして食後のウォーキングを兼ねて次の庭園に向かって歩くことにした。
意外に健康第一の人生にハマっているらしい。
2016年11月26日
2016年11月25日
六義園の雪
関東は時ならぬ積雪で、電車で動くことにした。
なにしろ11月の降雪は54年ぶりの珍事とか、そういやまだよちよち歩きの頃に庭の満天星が真っ白になったのを思い出した。
なーんて、もちろん嘘だけど、しかし、生まれる前のことだからねえ、などとは半世紀も以前のことなのに言えなくなってしまったわけで、
泣いて馬謖を斬る、じゃなくて、
泣いて馬齢を嗤う、である。
思いもかけぬことで、つい白い六義園の紅葉を観ようと、昼時に行った。
幸いまだ雪は降っていて、なるほど街中が墨絵の風情である。
池のキンクロも雪が相手じゃ黙って浮いているしかないようで、ほぼモノクロームの世界にある白黒の鳥という格好の画の題材だが、まあそれは表現できる技量がある人にとっての話。
マガモだって画になるかもしれない。
彼は、と言うのはこれがたぶんオスだからだけれど、水には入らず、ずっと岩の上にいる。
メスたちは水面を漕いで採餌しているけれど、オスは意気地が無いのだろうか?
やはりハゼノキはだいぶ葉を落としてしまった。本当に足が速い。
水に浮かべば水くくる「とは」となり、
地に落ちて苔を彩る葉もある。
雪が降って、そこは懐かしい林檎のうさぎみたいだ。
まだ頑張っている樹もあるけれど、週末までは持たないだろう。
まったくハゼノキほど気の早いものは無い。
本当に寒かったようで、水面から蒸気霧が立ち上る。
まさか東京で、昼間に、ましてこんな時期に観る「とは」。
しかも画面が雪で真っ白になるほど降る「とは」。
さっきからやたらに「とは」と「とは」をカッコで括りたがるのは、こないだ寄席で千早ぶるを聴いたから。
その日は一目上がりはかからなかったけれど、洒落で軸めいたものを。
水墨画みたい。
そんなことは無い?
まあ、いいです。
2016年11月24日
オレのキャプテン
MLSに行った時点で踏ん切りをつけることができていたように思う。
ついこないだLAギャラクシーを退団するというニュースもあったし、刻々と近付いているのかなと思うくらいの冷静さはあった。
もっとも、ミルナーが8番を背負っちゃってるし、あー、フラナガンが出張で空いた38番を付けるってのも、それは含意があって結構だね、くらいな妄想は抱いたけれど。
LAに行くことで、ファンの心にクッションを敷いてくれたのかも知れない。
しかも向こうの、半年ずれているシーズンを終えての引退。
ショックがとても小さくなるようにしてくれたのだろう。
それでも、だ。
しばらくフットボールを観なくてもいいかな、という気分である。
こんな気分って、大将が辞めたとき以来だね。
彼のリバプールでの最後の試合の録画を、明日の晩は、禁酒の禁をほどいて視ることにしようか。