浮世離れの世迷言・続:2016年09月

2016年09月

2016年09月18日

別の話

ワタシは間抜けなので、広重の近江八景と聞いて大津絵を思い浮かべたのだけれど、もちろん全く違うものである。
大津絵と言うとそもそも本来の絵柄よりも、歌舞伎の踊りや、あるいは古今亭志ん生が歌う俗曲の大津絵・冬の夜が思い浮かぶ。まあ、情けないくらいずぼらな頭だ。

その近江八景の中6枚が展示されていた。
 堅田落雁
 比良暮雪
 瀬田夕照
 唐崎夜雨
 石山秋月
 三井晩鐘
で、無いのは
 矢橋帰帆
 粟津晴嵐
というわけだ。

まあ、近つ淡海と言えば飛鳥時代天平時代からの有名観光地だろうから膾炙した名所ばかりでワタシのような田舎者でも知っているけれど、とりわけ、瀬田夕照の隅に石山寺の舞台が描かれているのを見つけて喜んだ。

石山寺と言えば、ワタシの友達の倅が関西の学校に入り、しかも体育会カヌー部に入って仰天したのだけれど、その合宿と大会が瀬田であったので、夫婦して応援に行ったついでに石山寺に参詣してきたと言っていた。
たしかに瀬田の唐橋の辺りをぶらぶらしているとたくさんのボートが浮かんで練習している。あれは全部ボートだと思っていたけれど、きっとカヌーもあったのだろう。
歌劇の街に住んでマルーン色の電車を乗り継いで瀬田に出向いてカヌーを漕ぎ、たぶん夜は京の街で脂粉にまみれて夜船を漕ぐのに違いない。
ワタシどもの牛糞にまみれるかのごとき学生生活とはまさに雲泥の差で、とても羨ましい。

羨ましいが、
ボートやカヌーを漕ぐなら、なにも琵琶湖じゃなくって、うちのそばの荒川や戸田のボートコースで良いじゃんな―、
と思ったという話は、しません、そんなこと思いません。


それで、八景中好きなのは比良暮雪と堅田落雁で、好いものを観て満足して暑い暑い往来を歩き始めた。
坂を下りるだけなのに、すぐに汗が出る。雪の絵を観たばかりだからなおさら暑い。

人体と言うものは一定の水分が必要なので、汗を出したら補ってやるのが道理。
稼ぐに追い着く貧乏無しと言うけれど、ワタシの場合は貧乏だけれど、せめて体にだけは満足のいく水分を補給してやりたい。
 


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恵比寿ガーデンプレイスは昔のサッポロビールの恵比寿工場で、ワタシが学生の頃はまだ工場が残っていたから、なんとなく場末のようでもあった。
恵比寿駅の先には工場への引き込み線もあったし、おーそーだ、山手線際に列車が並んでビヤホールになっていたこともあったっけ。

ワタシどもの住む川口もサッポロビールの工場がつい先年まであって、と言ってももう閉鎖され再開発されて15年にもなるけれど、引き込み線だってあったし、つまり川口と恵比寿はほとんど兄弟だが、そう思ってるのはワタシどもだけであろう。



まあ、いいです。


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平場で喉を潤してお腹にものも入ったけれど、やっぱりあすこは一人じゃ間が持たないので切り上げて、丘の上で100人エールを飲みながら歌を聴いた。
スイスかチロルかドイツの音楽なのだろう。あとでアルプホルンの演奏もあったのだから、スイスかチロルのような気がするが、よく識らない。


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これはしかし、酔っぱらっては吹けない楽器である。
なんでこんなに大きいのか不思議だけれど、あっちの人は頑丈だからへっちゃらなのかもしれない。

もっとステージが長い時間あればいいのにと思った。
テーブルは少ないけれど、みんな周りの階段に腰かけて飲んでいる。
そういう飲み方は、とても楽しい。



周りを見ると、ご同輩も赤い顔をしている。
ワタシだってきっと赤いだろう。
もう帰ろうと思った。

このまましばらく飲み続けて、それで帰る頃に赤い顔をしているのなら平気だけれど、それまで一人で飲んでいるのは詰まらない。
でも、今帰れば赤い顔で電車に乗る。
電車の中ではおそらく赤い顔をしているのはワタシ一人に違いない。

聞くところによれば、常磐線の電車の中ではみんな酒盛りをしているそうで、それであればみんな顔が赤いだろう。
木は森に隠せと言う。
赤い顔は常磐線に隠せ、か。

ワタシは埼京線と京浜東北線なのでそうもいかない。
しかたがないから、赤い顔を載せて帰った。
日はまだ充分に高い。


noonuki at 15:52|PermalinkComments(0)口果報 

2016年09月17日

春信とか写楽とか広重とか

山種美術館は今、

 開館50周年記念特別展 山種コレクション名品選Ⅱ

という展覧会をやっている。

なにしろ入場切符が2枚あるので、先週に引き続いて今週も観に行った。
よほど楽しみだったのか、せっかくの休みの土曜日なのに、早くに目覚めてもったいない。

もっとも、先週見落とした、と言うのはしっかり見なかったという意味だけれど、それをあらためてじっくり観る楽しみももちろんあるけれど、その後のビールに期待が高まったのかもしれないが、それはまた別の話だ。



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最近の展覧会は、何枚か撮影可の絵がある。
春の、渋谷の bunkamura ザ・ミュージアムの国芳国貞展でも最後の一室は全部撮影可だった。知らなかったのでカメラを持って入らなかったけど。
SNSなどで掲載して宣伝になればいいという心なのだろう。

近代美術館は、特別展は撮影不可だけれど、常設展と言うのだろうか、いつでも観られるものは撮影可だ。
国立博物館は、撮影してはダメなものが指定されているだけで、基本的には撮影可だ。

でも、こないだのギリシャ展はダメだったし、国立博物館で不可解なのは改装を終えた表慶館が館内撮影不可なことがたいへん残念だけれど、
独立行政法人にオレサマごときが何を言ってもごまめの歯ぎしりなので、言わない。



山種美術館のこの展覧会は、写楽の、
 三代目坂田半五郎の藤川水右衛門
 二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉
が撮影可だ。

先週は無荷物で見物したけれど、今回はカメラを持って入った。


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刷り物だから、同じ意匠でも差が現れてそれがまた各作品の特徴になっているという。

それが判る絵が広重の東海道五十三驛の江戸出立・日本橋だ、と展示物に説明書きが添えてあった。
日本橋の左上の空に、雲が刷られているのが初期のもの、雲が削られて暈しだけになっているのがそれ以後のものだという。
山種美術館の日本橋はその初期のもので、国立博物館の日本橋は以後のものだということになる。

隣の空き地に囲いができたってねえ…

それを知ったおかげで、さあ気になって仕方がない。
品川から京師まで残りの54枚、全て空をチェックした。
たいへん専門的な見方をしたわけで、もはや見物ではなくて研究であろう。

どうりで疲れたわけだ。
ヒールが旨いに違いない。

が、それはまだまだ別の話である。


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ちなみに、知ったふりをして五十三驛と書いたのは、絵の無い、文字だけの表紙も展示してあり、それに五十三驛と書いてあったからだ。


そうして、勝川春章の四代目岩井半四郎のおかるをじっくり鑑賞し、
んー、鑑賞なんてもんじゃないね、やっぱり、見物だねー、
それで鈴木春信の梅の枝折りも好いけれど、それよりも春信の色子と伴がとても好かった。
伴が、というこの場合の伴ってのは、おそらく箱屋のことで、箱屋と言えば、
 浮いた浮いたと浜町河岸に 浮かれ柳の恥ずかしさ
花井お梅の明治一代女、そのお梅の箱屋の峯吉の、その箱屋のことである。

そんなん知るか、って話だろう。

その箱屋らしき伴の表情と足取りがとてもモダンで、芝居町の横丁を歩いている二人が鶯茶の幕を背景にした彩もよろしく、展示の中いちばんの好みであった。


が、絵葉書は無く、図録の中での扱いも小さい。
残念でならない。
写楽より、こっちを写させてほしかった。


と言うわけで、先週観そこねた感じがあった絵もたっぷり観て、結構な時間だった。

もちろんビールがたいへん美味しかった。



noonuki at 23:45|PermalinkComments(0)眼福 

2016年09月14日

さざなみの

埼玉の岡部町を国道17号線で走っていると、普済寺という交叉点がある。
むかし、その辺りにお客さんがあったので何度か通過した。
寺の名前が交叉点の名前だったり、字の名だったり、店舗の名になったり、きっと由緒があるのだろうなと思ってはいた。

まさか岡部六弥太忠澄の墓所とは知らなかった。


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通し狂言「一谷嫰軍記」の第一部・初段と二段目は、初めに熊谷次郎直実も岡部六弥太忠澄も出てくるけれど、ほとんどが熊谷と敦盛の話で、二段目の最後だけ六弥太と忠度の話になる。
先週観た第二部の三段目が全編熊谷の話で、今度の通しではやらない四段目五段目が六弥太の話になるのだけれど、どうして四段目五段目を通しなのにやらないかと言うと、作者並木宗輔が書いたのが三段目までで、そこで死んでしまったから四段目五段目は作者群が書いたということなので、宗輔の書いたところだけを通しでやる、と言うことらしい。

そりゃあねえ、並木宗輔と言えば、菅原伝授手習鑑も義経千本桜も仮名手本忠臣蔵も、全部書いた人だもの、面白さも格別というわけだろう。
ワタシは四段目五段目を観たことも読んだことも無いのだけれど、たぶん三段目までよりも詰まらないのだろうと推量する。


へへーん、偉そうに書いちゃったね。


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まあ、それで。

初段で使われる忠度の歌が、

 ささなみや しかのみやこはあれにしを むかしながらの やまざくらかな

で、誰だってそれは忠度の歌だと知っているけれど、平氏一門勅勘の身なれば詠み人知らずとして勅撰和歌集に載せるという例の平家物語の中の話に繋がるわけだ。

忠度と言うと、浅学なワタシは、唱歌青葉の笛の二番に出てくる、

 行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の 主ならまし

であってほしいと思うのだけれど、それはたまたまその歌をあの歌で憶えていたからに過ぎない。

それにしても、お芝居の平氏の者たちはみな美しい。
敗者は、ただひたすらに美しいのだろう。


ワタシだって立派な敗者なんだけどねー。
残念だ。


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蓑助が、最後の林住家の段で、忠度の想い人菊の前で登場する。
これが、もう思い切り色眼鏡で見ていることは白状して言うのだけれど、

もう、息を呑むほど素晴らしい。

一番前の席だもの、遣い手の視線の先まで見えているけれど、でも菊の前しかいないとしか思えない。

何人か、この人と同じ時代を生きることができて幸せだった、という人がいるけれど、間違いなく蓑助と同じ時代に呼吸している幸せがある。

それだけで充分に幸せな見物だった。

この林住家の段は、ほかに、乳母林が和生、忠度が玉男、六弥太が玉志、と勢揃い。
その前、組討の段は直実が勘十郎、敦盛と小次郎直家が和生の二役と、これも見せ場。
そういえば、朝、楽屋入りする吉田和生と擦れ違った。
とても得した気分になって、国立劇場の大屋根の下で雨の跳ね返りをよけながらなおも歩くと、技芸員が何人か出勤するところと擦れ違う。

ああ、ほとんどの人がワタシみたいなラフな格好なんだな、そりゃそうだよな。
でも、吉田和生はきちんとしているところがさすがだな、と思いもしたり。


太夫と三味線は、調子の良し悪しがすぐに解ってしまうのがたいへんだと、何人かの声や音を聴いて思った。



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楽しみにしていた文楽も観てしまった。

さ、この後は来月からの忠臣蔵、それに12月の文楽でも忠臣蔵、を待って一所懸命頑張るのこころだー!


小沢昭一か(笑)


noonuki at 23:57|PermalinkComments(0)演芸・芸能 

2016年09月07日

青葉の笛

以前にも書いたけれど、源平で言えば平家は好きで源氏は嫌いである。
平氏の赤は好きだけれど源家の白が嫌いだ。

ラグビーで赤と言えばウェールズで、もちろんワタシはウェールズが好きだ。
セカンド母国くらいな気持ちである。
ラグビーで白と言えばイングランドで、もちろんワタシにはイングランドは敵である。

サッカーで赤と言えばリブプールで、いっつも勝てないリブプールなんか嫌いになるつもりだけれど、なかなかそう割り切ることもできない。
サッカーで白と言えばトッテンハムだけれど、ガレスベイルのいないトッテンハムなんて興味が無いのでどうでも良い。

つまり、そのくらい源平の好き嫌いが鮮明な性格なのだから仕方がない。


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半日休みを取って、熊谷陣屋を観に行った。
国立劇場開場五十周年記念人形浄瑠璃文楽九月公演とは長い公演名だけれど、通し狂言一谷嫩軍記が演目で、その三段目を、幕開きに国立劇場五十周年寿式三番叟でことほいだ後観ることができる第二部なのであった。

公演名も長いけど、この文も長いね。


しつこいけれど、ワタシはお燗の太夫おつもりや薩摩の守タダ乗りが好きなので、
もとい、
青葉の笛の無冠の太夫敦盛や、箙に結びつけた花や今宵の主ならましの忠度の話が好きなので、であった、だから、
一谷嫩軍記が好きである。
三段目の切場の熊谷陣屋は、ワタシども埼玉県民にとって唯一有名な武将である熊谷次郎直実が主人公なのでなおさら思いが深く、いまだにJR熊谷駅で降りて熊谷直実の銅像を観ると、つい、
 十六キロも肥りすぎ、
と詠嘆して己の腹を観て、播磨屋ばりに泣いて見せるのだ。


それにしても、敦盛を討った、と言っても狂言の中では売ったことにして実ハ自分の愛息を身代わりにして首を落としたのであるが、史実とされているところの敦盛を討ったのは熊谷直実で、忠度を売ったのは岡部六弥太で、

横浜川崎品川新橋東京上野尾久赤羽浦和さいたま新都心大宮宮原上尾北上尾桶川北本鴻巣北鴻巣吹上行田と走ってくる上野東京ラインの高崎線の熊谷駅を出ると次がワタシの友人が住んでいる籠原で、その次がシダックスのある深谷、そしてその次が岡部で、その岡部が岡部の六弥太の昔の関わりがある土地なのだろう、つまりワタシが好きな平家の公達を殺したのは埼玉県民で、

うーん、そうか、そうであったか。



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人形の寿式三番叟というのは初めて観た。
長唄連中みたいに太夫三味線が奥に並んでいるので仰天した。
翁と千歳が主役なんだろうが、三番叟の二人?の驚くべき足芸におおいに笑いもし感心もした。
たいへんな大汗役であろうね。


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そうして、直実の奥さん相模の、老女方の頭に、とっても惚れました。
藤の方の頭も老女方なんだけど、こちらは古典的な杏仁形の眼で、相模の眼はいま風なのかも知れない。

熊谷桜の段の靖太夫の浄瑠璃がとても判りやすくて、美声だし結構でした。
靖太夫の時だけ、床本を取り出さなかったのだけれど、
と言うのは今回は奮発して一番前で観たのは頸が疲れたけど(笑)、
詞章を表示するLEDパネルが上すぎて全然見えないので本を取り出した。


まああれだ、そもそも、太夫の語りを聞き取れないで文字を観るなんて野暮だろ、浄瑠璃くらい頭に入れておけよ、って話なんだろうが、

いやあ、無理、無理っす。


今日は何度も、唱歌の青葉の笛を聴いた。

平家があのまま幅を利かせていてくれたらよかったのに、って思うが、
それでも今は今だったろうけどね。

倍賞千恵子の唄がとても素敵なのであった。


noonuki at 22:01|PermalinkComments(0)演芸・芸能 

2016年09月01日

四角い部屋を丸く掃く

四角い部屋を丸く掃く、と聞くと、ワタシなどは、

おぉ、なんと立派な生活者であろうか、

と大いに感心する。

というのは、ワタシは部屋を掃くことなんぞないからで、最近はそう言えば飲み過ぎて吐くこともなくなった。

立派な歳の取り方だと思っている。


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今日はたいへんに精神の調子がいいので、頭にすらすらと言葉が浮かんでくる。

佐原に紙の便り無し

佐原に学校時代の友人が住んでいるのだけれど、仕事の途中に佐原に寄ってもあっちも仕事だから声は掛けず、手紙なんてえものも今や年賀状くらいしか書かなくなった、という話なのだ。

もちろんさわらぬ神に祟りなしなんだけれど、香取神宮のお膝元でそれを言うところに味わいがある。




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川口市の市民病院は、今は医療センターと名を変えて山の方に移転して立派になったけれど、以前は街のど真ん中に円筒形の姿で建っていた。

娘が小さい頃、川口に遊びに来て熱を出したことがあって、夜、市民病院に連れて行ったら廊下が薄暗くてたいへん怖かった。
なにしろベンチは緑色のビニル張りである。それだけでも怖い。
さて、その廊下が円形だから先が見えない。
先が見えないというのはワタシの今の人生だけれど、その当時は先が見えていたので先が見えない廊下が怖かった。
今は先が見えなくてもへっちゃらで、実に立派な歳の取り方をしていると、くどいようだが、思う。


でも、たぶんあの病院が今でもあったら、充分怖い。



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だから、というその理屈っぽい書き方が良くないのだけれど、佐原の街の裏に入ったところの、澄ました顔つきでは無い四角い街角の本当の角に鉄柵などがしつらえてあるのを観て、この町の人の運転は粗いのかしら、と思いもしたけれど、どうやらそうでは無いようだ。


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四角いところを丸く造ってるところが、とても素敵なのだった。


noonuki at 21:56|PermalinkComments(0)旅日記