浮世離れの世迷言・続:2011年04月

2011年04月

2011年04月25日

大石の思い斯くやあるらん

結局のところ母は両腕骨折、ギプスが取れるまで2週間を要することになった。

昨日、倒れたその場で救急車を呼んでもらっていれば良かったのだろう。
年寄りとはいえほぼ一日経っているのだから固まっていたのだろうか、正しい位置に矯正するのにとても痛い思いをしたと言っている。

ギプスを嵌めた帰りに医者が湿布薬を出そうとしたらしい。

「両腕ギプスで、どうやって湿布薬を貼るってぇのよ」

と啖呵を切ったらしいが、なるほど、それは当然だ。誰か助けたところで、ギプスの下には湿布できめぇ。
いったい、ゼニカネ勘定ばかり先に立って道理が引っ込むようなことばかりでイヤになる。


年寄り相手だと思っていろいろなところがいろいろなことをやっているようだが、母も知らぬうちに傷害保険(だと思って加入した)保険が何種類かある。
まあ、何かの足しにと思って調べたら、いずれも、散歩している犬のリードを引っ掛けられて骨折し、ギプスだけで治療して入院もしない場合は対象外であった。

保険の約款というのは厳密なもので、それを今この時点になって文句を言っても始まらない、くらいのその業界に対する知識はある。
しかし、問題は募集の方法、募集時の言い方話し方にあるわけで、知識の乏しいばあさんなんぞはいとも簡単に「勘違い」する。

ま、世は全て自己責任だから泣き寝入りしとく。

だが、この際だからワタシの保険も含めて全部見直ししよう。
無駄な金は払うべからず、だな。

保険と言えば、そろそろ発表されるワタシの重大疾病罹患で余生の過ごし方の計画を立てていたけれど、もしかしたら画餅に帰す惧れがある。
急いで調べないといかん。


そういうわけで、なれぬ家事などを少しはやらねばならない。
今日は既に洗濯をした。
明日からは平常勤務だから準備がたいへんである。
相応の覚悟をしなければならん。


それにつけても、人の親の脚に犬のリードを絡ませて転ばせた挙句、両の腕を折らせ、しかもこのワタシに洗濯やお遣いをさせているくせに今日は普通に生活しているであろう、名前も知らない

青木北小学校辺りの犬の飼い主

には少々腹が立っている。


なにしろ討ち入りのしようが無いではないか。


2011年04月24日

平成「元禄」

藤久留米 もも花蘇芳 はなみずき 椿小手鞠 桜山吹

さっき、修繕に出していた革靴を取りに行った、その往き帰りに観た花々である。

久留米は久留米つつじ別名霧島つつじ、桜は八重の関山、遅い桃は枝垂れ、山吹は一重八重、花蘇芳は濃い桃色で、椿は藪椿に乙女に白に紅白。

他に大紫つつじに満点星つつじ、山法師みたいな花、遅いマグノリア(木蓮)、バラ、水木がそこここに。
かなめもちも紅くなってきた。


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そろそろ鉄線も咲き出すなぁ。ハリエニシダや大手鞠、それにリラ、そして牡丹に芍薬。
おお、そうだ、初夏の花の王様、石楠花も咲いてるだろう。


あのころ、やることが無いので花ばかり追いかけていたけれど、忙しくなるに連れ、気にかけてはいるけれど観ないままに季節を遣り過ごしてしまっていた。

たまの休みに歩いてみると、まったく以って目の保養になって結構。
そういえば、商店街の電柱についているスピーカーから音楽が流れていて、そんなこともすっかり忘れていた。

たまにはぶらぶら歩きも良いものだ。



犬を散歩させている人の不注意で投票所から出てきた母の脚にリードが絡んで転倒、思わずついた腕が痛いとて臥せっている。
一時はほとんどショック状態であった。救急車を呼ぼうかと思ったほどである。

いつの間にやら、お犬様の方が人間よりも偉くなっているらしい。


ここは一番、大石内蔵助になりたいものだ。


noonuki at 19:14|PermalinkComments(0)雪月花鳥風月 

2011年04月23日

ろごす ハ ぱとす ニマケナイダロウカ?

「政治」ってのは大ッ嫌いだけど、戦後民主主義教育の申し子世代としては、弾圧だとか制限だとか監視とか予備なんという言葉にはピリピリと反応するし、場合によっては過剰に拒絶反応が出る。

選挙の宣伝車が発する異様なノイズには生理的嫌悪感拒絶反応を抱くけれど、それは仕方無いと我慢する意欲は満々である。
インターネットだとかデジタルテレビ放送とか、いろいろな政策宣伝の代替手段が提案されているけれど、大声が一番簡単な立候補者名と政策宣伝の手段だろうから、少しばかりうるさくても我慢しなければならない。
そう考える。
一部の、手段を持っている人だけに解る「方法」というのがどれほど胡散臭いものであるかを識ることを繰り返してきたので、そういう遣り方に決定的な嫌悪感があるからうるさくても宣伝車がガーピー言う方が良い。
それは譲れない。

オレが死んだあとのことは知らないが、生きている間にそんなふざけた遣り口がまかり通るのだけはごめんだ。
その一点を投票の基準にしても良いとさえ思っている。



でも、本当のことを言うと、うるさくてたまらん。
オレはうるさいのが嫌いだから、どんな主張であろうとスピーカーでがなりたてるのは本当に粟肌が立つほどにイヤである。

昼間はこの家にいないから気にならないけれど、ビルの中層階というのは地面の音の直接攻勢を受けるので、心臓が飛び出すほどの音に包まれる。
どうしてあんなにボリュームを上げているのかしらと思う。
女声だとキンキンして余計にうるさい。
男女差別は論外だけれど、うるさいものはうるさいし、癇に障るものは癇に障る。
カレーでもないものをカレーだと強弁することはできないのである。


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あぁ、理性が感情に負けてしまいそうである。

でも、その我慢もあと2時間を切った。
もうちょいだ。


戦後民主主義教育の成果は、辛いものでもある。



なにしろ、こんなブログですら一部気を遣って表現してるもんな(笑)。


2011年04月22日

意外な共通点

風呂で音楽を聴く。

最近はラジオが多くなったけれど、世を拗ねていた頃は音楽をよく聴いた。
だから、防滴CDラジオを持っている。


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こないだの大きな揺れで、風呂の蓋がずれてしまい、蓋に載せてあったこいつが浴槽の中に落ちてしまった。
すぐに引き上げたらしいが、会社に泊まって次の昼に帰宅したときにはまだびしゃびしゃ音がしていた。
すぐにベランダに出して、そのまま3週間も放っておいた。


これは私だけが使う物ではなくなっていて、母親も使い大音量で音楽を聴いている。
家の中にいて風呂場から音楽が聞こえてくるぶんにはどうでもいいが、会社から戻ってエレベーターホールを出て通路を歩き始めると間抜けな音が聞こえてくるときは脱力する。
なにしろ年中風呂の窓を開けて入るらしく、うるさい。
しかも大音量である。

エルビス=プレスリーでも流れていればまだマシだが、イツァーク=パールマン弾くところのツィゴイネルワイゼンだったり、ミュンシュ・ボストンのドボルザークの交響曲第八番だったりすると、そんなCDをやらなければ良かったと反省するばかりだ。


そんなだから、このカシオのCDラジオが使えなくなったときのパニックといったら無かった。
あの計画停電と物不足をものともせずに有楽町に行って代替品を誂えてきたのである。
そこいらのヤマダ電機にいくのすら面倒くさがる私とはえらい違いである。


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これはもう、帰宅してブツを見るや否や私が苦虫を噛み潰したような顔をしたので、

「あんたはすぐそういう顔をするが、風呂にはいっているときに揺れて情報が無いと不安だから聴ければいいのよ、たとえすぐ壊れるメーカーの品物だってなんだって良いじゃないの」

というフォローがすかさず入った。
年寄りでもこの会社の製品の酷さ対応の悪さをよく理解しているようでたいへん結構である。


もう2週も以前になろうか、初めに載せたカシオのCDラジオに電池を入れてみたら、ラジオも聞こえるし、CDも音がする。
一度水を被ったものだから長持ちはしないだろうが、たいへん嬉しい。


そのカシオのCDラジオで、風呂に入りながらキャンディーズのゴールデンベストというCDをよく聴いた。
今日も聴いたみた。
あの頃の鬱屈した思いが生々しく浮かんでくる。

毎晩これを聴いて、だんだんと気持ちが柔らかくなったこともついでに思い出す。
幾つかある、very thanks discs の一枚に入るのであって、つまりそれは葬送曲候補だということかな。


まだ若いのに、ということもある。
ひどかったときに聴いた、ということもある。
昔の記憶が蘇る、ということもある。

だんだん同年輩の訃報が増えてきたよ、ということだってある。


趣味がそれぞれ異なる私の友人たちも、このことでは一様に残念がっていた。
実に意外な感じがした。

しかし、それはつまり、私たち世代にとってはそういう思いを持つに足る人であったということだ。



ちゅらさんのお母さん、良いお母さんだったなぁ。


noonuki at 16:54|PermalinkComments(0)懐かしいこと 

2011年04月20日

ちょうど20年前

うひゃぁぁ、ギャビン=ヘイスティングスにジェレミー=ガスコット!

なんだこりゃ?…、……、うほほっ、1991年、第2回ワールドカップのセミファイナル、スコットランド対イングランドではないか。

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第2回というとあれだ、オレたちの吉田義人がジンバブエ相手に左隅に叩きつけて猛攻の口火を切ったあの大会だ。
52対8の夢のような勝利の、あの大会だ。
宿澤広朗監督率いるこのチームは、ウェールズを追い詰めたオレたちの松尾雄治キャプテンの日本代表と双璧をなす、じつに魅力に溢れるチームだった。

その大会のセミファイナルか。
ということは、デビッド=キャンピージがワラビーズにいたんだな。


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あの頃はなぁ、たぶん生中継は観られなかったんじゃなかったかな?

そうかぁ…、こんな試合だったんだ。

明らかに今の方が強いんだろうけど、なんか、20年前の方がラグビースピリッツが満ち満ちているように感じる。

そもそもジャージーがカッコいい、コンプレッションじゃないコットンの、襟付きの、ね。


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あーあ、おやじの繰言なんだろうな(^_^;)ゞ


そーか、そういえばフィリップ=セラもこの大会だったなぁ…。




飯島均が退任した元三洋電機ワイルドナイツのジャージーは何色になるんだろうか…。

青は勘弁してくれよ。