浮世離れの世迷言・続:2009年03月

2009年03月

2009年03月31日

そういえばと 不思議を語る 日記かな(笑)

今日は二つほど愚痴入る。
ひらにご容赦つかまつる。

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昨日、宇都宮に住む友人に会ってきた。
彼の休みの日に合わせたら昨日だったのね。

仕事半分遊び半分。

嘘。
仕事2割遊び8割(笑)。

彼の専門分野の視点でアドバイスしてもらい、そのうえ名物(笑)餃子をごちそうになった。
つまり、私の一人勝ち、というわけだ。

シソ餃子ってのが美味かったな。
東京から出張って来た仕事帰りの人たちがたくさんいたけど、あれ、帰りの新幹線や東北本線で、かなり臭いんだろうな。

私もそうだったろうけど。

しかし、アルコール無しで(やつが車だったから)餃子をやっつけるのは味気ない(笑)。

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身体も心もしんどい。
逃げたいわ。

というのが愚痴その1ね。

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何かあったときのためにメモしとく。

ほら、あとで、なんだかそんな雰囲気がした、とか、あれは挨拶だったんだろな、とか、予感でもしたのかね、なんて話題になったときのために。

予感はしていないよ。
でも、やっぱり不思議な力が働いていたのかもしれない、という事後推量の好材料ではあるかも(笑)。

まず、昨日会ったのは4年ぶりに会った学生時代のおちこぼれ仲間。
先週金曜日の晩に大宮で飲んだのは、やっと目通り適った浦和の殿様と、まるまる2年ぶりに会った二人の友人。
その前の週には先のエントリーで書いたように、何年ぶりかわからないほどずいぶん久しぶりに会った竹馬の友ならぬプールの友。


立て続けでしょ。

これだけ続くと、もうそろそろかな、という気持ちになるな。

と書いておけば、予感あった説と予感無かった説ががっぷり四つになりそうだわ(笑)。

さあ、どーするどーする。

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それにしても、売り手市場なのか、ある会社にいまどき珍しい対応をされてビクーリ。
買い手が下手に出てガマンするというのも珍しいだろうなあ。
お客様は神様だというつもりはさらさら無いけれど…。

というのが愚痴その2なのであった。


noonuki at 10:46|PermalinkComments(0)うつ病 

2009年03月26日

ガタが来た

ペギラが来た、じゃない。

ガタが来た、というと、まあちょいと自嘲的ながらも、なにほどかの救いがあるように聞こえる。

ような気がするだけか(笑)。

でも、別の言葉で置き換えると、たとえば、老いぼれ、なんだよなあ。
がっかりだ。

はつかりだ、とは通じないオウルドギャグだし。
峠も列車もなくなっちまって、味無い味無い。


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▲ 今朝はすごかった。箱根外輪山の尾根がくっきり。私の顔には隈がくっきり。役者なみだ。

先の土曜の磐田への出張、じゃない(笑)、遠足で、睡眠時間が大幅にずれた。
ま、それはフットボール観戦で遠くに行けばよくあること。

今回は、悪いことに、期待の秘密兵器だと思って買ったインバーターで、移動する車の中でPCが使えると思ったら、なんと、出力電力が正常ではないようで、PCのバックライトが突然消えてしまった。

液晶というのはバックライトがあるから画像が見えるのであって、いちいち携帯電話をカメラモードにしてライトを点灯して読み取るようでは、何をしているのか判らない。

いや、実際はそれほどのバカじゃないので、携帯のライトを使ってPCの液晶画面の情報を読み取ろうとしているのである、ということは解っているからね、まだダイジョブだから。


過電流なのか電圧降下なのか判らないが、過電流ならインバーターのヒューズがとぶはずだし、でも中村修三の首は飛ばなかったが、電圧降下だとしても、PCのバッテリーがバッファーになって面倒は起きないはずなのに。
あーあ、永井が移籍しなければこんなことにはならなかったろうなあ。


とくに根拠は無いけれど。


インバーターのパイロットランプが点滅していたから、バッテリーがへたっているというよりは、オルタネーターの出力異常かもしれないなぁ。

いずれにしても、それで仕事が遅れ、しかも復旧に時間を要したため、自分で立てた予定がずれ込んだ。

そのうえに、だ、集まったデータがむちゃくちゃ酷くて、根を詰めた作業を強いられた。
結局二晩徹夜し、ようやく目鼻が立った昨晩は9時過ぎに蒲団に入ったのだけれど、なにしろドラッグで起きていたので、今度はなかなか寝付けない(笑)。

ようやく眠ったと思ったら、といっても眠っているときは眠っているのだとは思っていないので、これはあくまでも起きてから振り返って語る、事実に極めて近い虚である。

それにしても、試合の日と身体が勘違いしたのかな、3時に目が覚めてしまった(笑)。
朝には仕事の続きをするつもりだったので良いのだけれど、吐き気と眩暈が連携してパスをつなげてくると、切ない。

フィンケの野郎、私があんまり悪口を書くもんだから、吐き気と眩暈に、交感神経もニューロンも動くブレインワークをトレーニングしやがった。
肚の腐ったジジイである。けっ。


こりゃあ、病気になったときよりも、もっと酷いようである。
あのときはギドだったから、あっという間にゴール前まで病気を運ばれたものだ。

余計なパス回しなんかすると、病気に響く。
落語の夏の医者じゃないが、浦和のパスは身体に悪い。

うーーん。
どこがサゲだかわからん(笑)。
あとでこじつけよう。

まあ、いいです。
牛しし(笑)。


noonuki at 14:40|PermalinkComments(0)うつ病 

2009年03月23日

最下位 じゃなくて 再会

IMEの変換候補の最上位に最下位があるって、どうよ?

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春分の日というのは、1948年7月20日に公布・即日施行された国民の祝日に関する法律に依る国民の祝日である。

同法第二条には、春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ と記載されている。

みなさん。

自然を讃えましたか?
生物を慈しみましたか?

してない?

んじゃああれだ、牛を慈しんで来なさい。埼スタとか大原にいるらしいから。


あ゛、そーか。
だから二十日の試合でコールが多かったのか。

いま気付いたわ。

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小学校入学式以来の友人という、場合によっては結婚でもしていたかもしれない関係なのだが、男同士だったのでそうはならなかったという友人で、私は直ぐに判ったのだが、彼の目の前で手を振っても彼は気付かない。

そんなに変わったかと訊ねたら、あまりに変わりすぎて、なぜ高倉健が俺に手を振っているか解らなかった、と










は言わなかった。
小学校時代から知っている人間が白髪に塗れているはずがないという思いが強かったようである。


しかし。
五十年という歳月は、戦後民主主義の解放感を打ち消し、かつうは己の歩む道の先にこそ明るい未来はあらめ、という精神の高揚をも追い遣り、高揚の代わりに人生の紅葉、つまりは

白頭掻けば更に短く 渾て簪に勝えざらんと欲すと私をしてかくせしめたのだ。

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彼は浦和に住み銀座に通う。
私は川口に住み本所に通う。

ついでに言えば、
殿は浦和に住み浦和に通う。
元は川口に住み蕨に通う。

彼は峠を攻める。
私は藤口を責める。
殿は人は責めない。
元も人は責めない。が、たぶん責められるのは好き、だとにらんでいる。

彼は私より少し背が高い。
私は私と同じくらいである。
殿は私より少し背が高い。
元は私よりちょっとだけ低い。

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彼はマニュアル車に乗っている。
私はマニュアル車は面倒だ。
殿はそのような下々の細事には頓着しない。
元はせっかく追い銭をして選んだナンバーのモチーフが先のダイヤ改定で無くなってしまった(笑)。

彼は私と同じ小学校である。
私も私と同じ小学校である。
殿も畏れ多いが私と同じ小学校である。
元は私と同じ小学校ではない。

彼はたぶん玲子さんが好きであった。
私は間違いなく玲子さんが好きであった。
殿は別の人が好きな振りをしていたが、たぶん玲子さんが好きであった。
元はそういうことには興味がない振りをしていたが、実は今でも玲子さんが好きである。
玲子さんは、間違いなく私たちの誰をも好きではない。

やんなっちまうな、人生ってのは

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浦和市民が、「今日は天気が好いからちょいと散歩しようよ」というと行く先は間違いなく別所沼である。白幡沼ではないと思う。常磐公園でもないだろう。

私は子供が生まれてからしばらくは、わざわざ上尾から別所沼まで車で遊びに連れてきた。
もっとも、上尾の方がよほど良い公園があることに気付いてからは、そういう馬鹿なことはしなくなったが、その時点で、子供は浦和市民に必要な魂を放棄することになる。

里見八犬伝のようなものである。






どういう意味だろう?

だから、二人で別所沼公園に行った。

別所沼公園はちょうど良い程度の頭数であった。
ベンチに座って話し込んだけれど、それにしてもあまりに木を植えすぎて、昔のように西側の芝生に寝転んで愛を囁くということはできないようになっている。

むろん私は愛を囁くということ自体がいけないことだと思っている。
そういうことをするから浦和が迷走するのだ。

愛は、叫ぶものだ

もっとも、いまも芝生が広がっていたとしても、彼と愛は囁かなかったと思う。

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それでやじろべえに行った。

やはりこの店は浦和の人間のセブンスターの場所である。
憩いの場所、と言いたいわけだけど、かましたくなるんだ、オヤジギャグを。うん。


たぶん前にも書いたはずだが、わたしはいつも平家を飲む。
若い頃は源氏が飲めたのだが、最近はもっぱら平家だ。
それで良い。

だいたい私は世間の源氏好きが昔っから不快である。
おら、馬に乗って弓を射るよりも、女官と歌留多遊びをしている方がよほど楽しい。
できれば十二単がどんな色の重ねになっているのかをじっくりと研究したいと思っている。
もしも裳裾と身頃あたりの染が違うとしたら大問題だから、当然そのあたりはきちんと確認しなければならない。

学究肌なんだな。
好みはもち肌かもな。



そもそも、ストイックなんてのは嫌いで、女の子がいる店に行って女の子が出てくるのは構わないが、野菜スティックが出てくるといらいらする。
とりわけニンジンなんてぇのは、怒りを通り越して気を失いそうになる。

ストイックだったな。
株式で儲けようなんてのはたれた話で、汗水流しておあしを稼いで、それでビールを飲んで汗を滝のように流すのが正しい。

ストイックだよな。
おらエピキュリアンだでね、そーゆーかったるいのは好かんずら。

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だいたい平家は赤旗、源氏は白旗。
端から勝負はついているのだ。

おら、平清盛の素行を知るにつけ、ああ、なんというスケベオヤジと感心し、しかし嫉妬し、そして絶望する。
だからと言って、その反動で源氏贔屓になんぞならん。


義経なんつーのは野暮の窮み、義仲はがさつ者の極み、頼朝も単なる色事師、おらそんなのぃやんだ。

だから、やじろべえじゃ、やっぱり平家なのだ。

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彼は、リコーのGRというデジタルカメラを持っている。

GRというシリーズは、フィルム時代からプロカメラマンに高い評価を受けていたカメラで、デジタルも同様に評判が好い。

知り合いのカメラマンたちが、これは良いよと太鼓腹をさする、ではなくて太鼓判を押すのだが、価格がちと高い。
私はほとんど使い捨て感覚の安いカメラをしばきたおすので、まあ憧れるだけなのである。

だけど、写してもらうのはたいへん結構だ。

というわけで、やじろべえの、あの民芸風のむき出しの柱が区画する空間を背景に写ってみた(笑)。
そうしたら、やっぱり良いのな。

ご返杯、というわけではないが、NikonのCOOLPIX購入価格1万円もそれなりに頑張ってくれたけれど、まあ仕方ない(笑)。

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ということで、話すことあり聞くことあり、なのだけれども、まだその話題の山が崩れないうちに時間が経ってしまったので、再会を約して別れた。

帰りしな、携帯のメールアドレスを赤外線で送ってもらったのだが、そんなことができるなんてことは知らんかった。

浦和の人は違うな、と思った。


牛しし(笑)。






殿様はできないと思う。たぶん。


noonuki at 15:21|PermalinkComments(0)好きなお店 

2009年03月22日

おら浦和さ行ぐだ

おら浦和さ行ぐだ


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はぁ

自覚も無ぇ 気概も無ぇ

選手もそれほど走って無ぇ

誇りも無ぇ 意地も無ぇ

横パス毎日ぐーるぐる

朝起きでぇ 牛連れでぇ

二時間ばかりは歌ばかり

策も無ぇ ファイトも無え

シュートは一日一度来る

おらこんな監督いやだぁ おらこんな監督いやだぁ

浦和へ出ぇるぅだぁ

浦和へ出だぁならぁ 銭こぁ貯めでぇ

サイスタでべこ飼うだぁ~ぃ

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▲おかげさまで芝刈り要らず






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noonuki at 04:06|PermalinkComments(0) 

2009年03月18日

四日市までは、まずは近鉄に乗って

鉄道で刈谷とか大府から四日市に出ると、新快速や快速あるいは近鉄の急行を乗り継いでも、小一時間ほどはかかるようだ。

しかし、伊勢湾岸道路という高規格な高速道路に乗って名港中央というインターチェンジを通過して走ると30分もかからない。

鉄道が名古屋駅を頂点とした三角形の二辺を通るのに、高速は、残る一辺、それもずいぶん短い一辺を通るのでたいへん早く着く。

だから私は鉄道で行った。

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お決まりの富士山を載せなければ、東海道を下っている気分にならない。

いつも書いていることだが、N700系にこだわるのは、AC100V電源が欲しいからで、それはPCをいじりたいからだが、なにしろ私のDELLのノートは、バッテリー管理にもんのすごく気を遣っていても今はせいぜい一時間しかもたない。

ただ、この日は思うところあって、ちょっとだけ使ってPCは閉じ、後は読書をした。


新横を過ぎても私の隣は無人。最近こういうことが多い。

果たしてどんなコノテーションがあるのか考える必要があるかも知れぬ。

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▲眷族を従えて、今日も日本一の不尽が鎮座まします。

鹿児島中央寄りの4号車だったので、普通に降りると西よりの連絡通路になるけれど、やはり近鉄に乗るのは一番札幌寄りの細い連絡通路を通りたい。

だから、目の前の階段を遣り過ごして函館寄りの階段を降りて、楽しいけれど寂しい近鉄名鉄連絡地下通路を歩き、突き当たる前の近鉄改札口への階段を降りた。

降りたら出札と乗り換え改札で、ここはSuicaは支払いでしか使えない。
つまり、JRからの出場清算だけ、ということである。
近鉄はダメ。前回書いたように名鉄もダメ。

いよいよアナザーワールドに迷い込んじまったことを実感する。

Pitapaという大阪の私鉄のカードはダイジョビだ。
が、そんなものは持っていない。いつも大阪に行ったら買ってしまおうかな、と思うけれど。
はやくSuicaがデファクトスタンダードになってくれないものか、とも思う。
東京帝国主義なのだ、ワハハハハ。

仕方ない、切符を買うべ。
切符を買うということがこんなに面倒であることを、どこにしまったか解らなくなってしまう小銭入れをいらいらして探していると、あらためて階級的矛盾として認識させられる。






とまあ、自分のだらしなさを棚上げするにはとても好い機会であるのだ(笑)。


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目の前の特急ホームには、脚長蜂が出発を待っていた。

ACEカーという愛称の22000系で、近鉄特急専用車初のVVVFインバーター制御車両だという。
インバーター電車は走り出しにウーワーーーーンと唸るので、その唸り声が蜂に似ているから顔も蜂に似せた、というのは誤り。

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急行・準急・普通列車が発着するホームには、普通白塚行き2050系の不動産会社ラッピング電車が、それに準急富吉行き1000系の1111。

1000系は、Wikipediaによれば、あの名車2200系のモーターを使った吊り掛け車だったが、その後カルダン車に改造。

そうか。
2200系は書物の中だけの、記録の中だけの存在だと思っていたら、なんとその欠片に接することができた。幸運である。でもモーターは取り替えられているんだな。

婿養子に入ったのに、配偶者である跡取り娘が亡くなってしまったようなものか…。

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この連絡改札は、しかしずっと気付かなかったなあ。

近鉄はたいてい特急しか乗らないし、名鉄近鉄の相互乗換えという経験は無いので判らなかったけれど、いやはや一本取られた、って感じ。

ちょうど名鉄岐阜方面ホームには、パノラマースーパーが到着したところである。

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おやおや、特急ホームに、難波からのアーバンライナーが到着した。
たぶん向こうからの一番列車だろう。
ずいぶんたくさんの人が降りた。

顔先だけ見ていると、なんだか、なにかを思い出しそうな雰囲気なのだが…。
はて…。



ああそうだ…、たぶんそうだろう、うーーんと、

ウルトラマンに登場した二次元怪獣ガバドンのいたずら書き時代だ、な…、たぶん。

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古い地下駅でもあるし、断面積を少しでも小さく、という合理的なことでもあるわけだけれど、剛体架線はこんなに低い、

新幹線のTパンタはこんな低さに対応できるのだろうか?
無理だろうな。

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直に私のお召し列車、急行伊勢中川行きが入選した。

おっとぉ、こいつはびっくりだぞぉ。
5200系の5211系で、ボディは同じ、5211系は、なにぃ、ガクブルガクブル…、ボルスタレス台車を履いているのだと。
くわばらくわばら。

ボルスタレスなんて今やあたりまえだけれど、あれは命と引き換えの技術だというと、それって原子力発電所は危ないって言ってブームになったなんたらいう小説家みたいなものだろうか?
それはそれで気色悪い。



車内の吊り広告は、近鉄発行のものは竹下景子ばかり。
名古屋生まれだったと思ったけれど、近鉄のキャラクターなのね。

急行長距離用車両という位置づけなので転換クロスシートの両脇扉でロングシートは無し、ふかふかなのかへたっているのか微妙に悩むほどの軟らかさのシートに沈んで、ゆっくりと車窓を眺められた。

さすがに、遠路中川まで行くのはちょっと特別な列車のようである。

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先頭車は少ない乗客でゆったりしていた。
米野検車区を写したいと思ったけれど、しまった、あれは右側車窓なのだった。

左側からは国鉄名古屋運転所とあおなみ線と高速道路が見える。

あれはJR東海の制御振子車、333系特急しなのだろう。


noonuki at 00:56|PermalinkComments(0)鉄道