プロとして、納得のいく仕事をしたい。
そう思ったとき、心がけるべきことはなんでしょう。
カメラマン・写真家の矢野拓実(やの たくみ)さんは、「いい仕事をするためには、いい仕事道具を持つこと」だと言います。
もともと、趣味でカメラを始めた矢野さん。
23歳で独立し、写真家として活動するようになってからは、クライアント先のニーズに合わせてカメラを購入したり、メインカメラを50万円のものにして48回払いにしたりしたのだそう。
矢野さんは現在、カメラマンとして企業や個人撮影を行いながら、「Salon de Photo」という100名規模のサロンを運営しています。
写真家としてのアーティスト活動にも力を注ぐ矢野さんは、海外にも頻繁に旅に出て、作品撮りをしています。
私は、矢野さんの代表作のひとつ「青とニューヨーク」を初めて見たとき、ニューヨークに行きたい!と心から思いました。
そんな矢野さんは、どんなステップで趣味だった写真を仕事にしていったのでしょう? カメラの機材は高額だけど、何か節約はしているのでしょうか?
「プロになるためのステップとお金の使い方」を、ご本人にお話を伺ってみました。
矢野拓実さんインタビュー
インタビューした日:2019年2月6日(月)
テーマを持ってシャッターを切る。ルーツは、子どもの頃テレビで見たカメラマン
── 自己紹介をお願いします。
矢野拓実(以下、矢野):
フリーランスのカメラマン・写真家です。
出身は宮崎県都城市。高校は長崎の高校に進学し、その後に長崎大学へ入学。大学在学中はパリのビジネススクールに留学していました。
帰国後は東京のITベンチャーに就職したのですが、写真を仕事にしたくて1年目に退職。2017年に独立し、今に至ります。
── 矢野さんが写真を撮ることを好きになったきっかけは?
矢野:
7歳くらいの頃でしょうか。
当時TBSでやっていたテレビ番組『どうぶつ奇想天外!』を見て、動物を撮っているカメラマンに憧れて「カメラがほしい」と母親に言ったんです。
機能としては、ギリギリパソコンにつなげる、そんなに高くないカメラを買ってもらいました。
── 子供時代からカメラが好きだったのですね。
矢野:
好きでした。中学生の頃ケータイを買ってもらったのですけど、それがCASIOのデジタルカメラ「エクシリウム」が搭載されたものだったり。
── どんなものを撮っていましたか?
矢野:
子ども時代に撮っていたもの・・・。
全くアートではないですが、小学3年生の頃の自由研究の課題を、写真に撮って提出したときにとても褒められたことがすごく記憶に残っています。
「コーラで骨が溶けるから飲み過ぎは良くない」と、よく言われるなぁと思っていて。それを検証するためにコンビニでチキンを買って、骨を炭酸水の中に入れてみる実験をしたんです。
── 問いを立てていくスタンスが小学生の頃から備わっていた。
矢野:
ま、子どもなんで全部が全部そうじゃないですけど(笑)。
だけど、問いやテーマを持って写真を撮ることは、今も一貫しています。
僕は仕事や作品撮りで海外に行くことも多いのですが、行く先々の場所に対して、テーマを持つようにしていますね。
大学時代カメラは趣味。旅するように働きたいと思うように
── 子供の頃から写真好きな矢野さんですが、幼い頃からカメラマンになりたいと思っていたのですか?
矢野:
いえ、全くです。
写真はずっと趣味で続けていました。けれどそれを仕事にしようと思えたのは、じつは社会人になってから。
大学時代は、海外で活躍したい気持ちの方が、ずっと大きかったです。
── 海外で活躍したい、と思ったのは何かきっかけがあるのでしょうか。
矢野:
短期留学も合わせると、大学時代はベネツィア、タイ、パリの順番で留学に行っていたんです。
そこで現地の学生たちの学ぶ意識の高さに感化されたんですよね。そのときくらいから、「旅するように働きたい」という思いをほんのり持つようになりました。
── 留学に行ったのは、どんな理由から?
矢野:
宮崎という狭い世界でいきていたからこそ、テレビでみる海外には行きたいとずっと思っていました。
一回目のチャンスが、高校時代にありました。
僕は宮崎の私立高校に通ってたのですが、修学旅行はアメリカ、ハワイ、沖縄を選べたんです。クラスには、お医者さんの子どもや社長の子どもなどいわゆるお金持ちの子がすごく多くて、クラスの大半はアメリカに。うちはアメリカなんて家計的に行けないから僕は沖縄を選びました。それがすごく悔しかったんです。
ずっと憧れていた海外だけれど、お金が理由でいけないことがあると知った瞬間でした。
矢野:
けれど大学1年生のある日、再び海外に行くチャンスがやってきた。
大学自体がはじめてのプログラムとして海外短期研修を発表したんです。
高校ほど高くもなかったので、「これならバイトを頑張れば行ける」と思い応募しました。
一番最初の留学でベネツィアに行ったときは、高校の修学旅行のときに「カメラだけなら」とお母さんに買ってもらった、ソニーのデジタルカメラ「サイバーショット」を持っていきました。
── 大学生活は留学や勉強がメインでしたか?
矢野:
そんなこともないです。
僕、父親が大学1年生の頃に、母親が大学4年生の頃に亡くなっているんです。だから、大学時代は生活費のためにたくさんバイトを掛け持ちしました。母は僕にいつも「好きなことをやりなさい」と言ってくれる人で、その言葉に背中を押されて留学も行けたという感じ。
僕自身も好きな写真を撮るためのカメラが欲しかったし、それと当時軽音サークルに入っていて機材を揃えたかった。生活を守りながら好きなこともしたい、そのためにバイトを最大5つ掛け持ちしていた時期もありました(笑)。
ただ、勉強は結構やったほうだと思います。
私立の大学の制度はわからないですが、国立って、成績次第で授業料免除の制度があります。成績が良ければほとんど半額免除か全額免除してもらえたので、できるだけ勉強は頑張りました。
いまフリーランスで活動するにしても、あのとき勉強した会計や経営の基礎がいきていると思います。
撮りたいものを撮り続けていたら仕事になっていた
── 写真を撮ることが、趣味から仕事に変わったのはどうしてでしょう。
矢野:
カメラを仕事にしたいと思ったのは、TABIPPOが企画する旅の野外フェス「旅祭」に参加したことがきっかけでした。
友人からたまたま「旅祭」のチケットをもらい、旅人の人たちの集合写真を撮りました。
僕は会社員になってすぐ安藤美冬さんのオンラインサロンに入っていたのですけど、安藤さんをはじめ、旅や写真を軸に活躍する人たちがその写真をSNSでシェアしてくれて、それが拡散されたんです。
自分が撮った写真に反応をたくさんもらえたとき、こんなに人に喜ばれて、写真に写っている人以外からも「いいね」と言ってもらえるのはすごく幸せなことだ、と思いました。
そこからやっと写真を仕事にしようと思えたんです。
── 今では、JALや朝日新聞など、企業の広告写真や宣伝写真を撮られていますが。お仕事は、どのようにつくられていったのですか?
矢野:
まず写真を仕事にしようと思って最初に起こしたアクションが、同じサロンのメンバーのポートレート撮影を自分から申し出ることでした。
僕が旅祭に行った2016年頃は「好きなことを仕事にする」「個人が活躍する」という風潮が表れてきていました。ですが、そのためのプロフィール写真の質が追いついていない印象を持っていました。
なので、「ランチを食べながら撮影しませんか?」とサロンのメンバーに声をかけて撮影することをひたすらやっていきました。それが口コミやSNSを通して広がっていき、すこしずつ「いくらで撮ってもらえますか?」なんて声も聞こえてくるように。
── はじめは自分から提案していたものが、だんだん求められるようになっていったんですね。
矢野:
その後、会社を辞めてから作品取撮りのためにジンバブエとパリ、ロンドンに行きました。
ジンバブエは大学時代の友だちが海外協力隊として現地にいたことがきっかけで。
パリはもともと半年間留学していたけれど、帰国後にシャルリーエブド事件が起きて、そのあとに街がどう変わったのか見たかったから。ロンドンもEU離脱した後のロンドンに興味があったから行きました。
── 撮った写真はどうしていたのですか?
矢野:
とにかくSNSに載せ続けていました。
そうしているうちに、FacebookやInstagramなどのSNSを通じて、知人やまだ出会ったことのない経営者様からも仕事をいただけるようになったんです。
オンラインだけじゃなく、オフラインから仕事をもらうこともあります。
たとえばイベントにチケットを買って参加し、主催者さんに「写真撮っていいですか」と聞き許可をもらいます。そこで写真をクオリティを高くして、かつ早く提供する。そうすることで、その次の撮影につながったりすることはよくあります。
機材代やフリーランスの経費が、「ニューヨークまでの航空券」に!
── プロのカメラマン・写真家として活動していくにあたって、使う機材も変わっていきましたか?
矢野:
変わりました。
レンズも趣味でやっていたときから格段と増えました。大手外車メーカーからの撮影の依頼の時はイメージに合わせてレンズを購入したりしました。
プロのカメラマンとしてやっていくとなったとき、一番心がけないといけないのは相手のニーズに応えること。作品撮りのときは、「何を撮るか」の部分から独断で決められるけど、カメラマンワークとなるとそうじゃないかなと僕は思います。
たとえばインタビュー撮影は時間が限られているので、スピードや確実性がとてもだいじになってきます。
そのために一番最新の機材を使ったりしますが、その方が自分もお客さんも安心ですよね。そしてなにより、仕事道具にこだわった方がよりいい仕事ができるから。
── プロとしていい作品をつくるためにはお金がかかるのですね。
矢野:
エントリー機から使っているからこそやっぱりいい仕事道具を使うって、大切だと思います。
もちろんエントリー機でもいい写真は撮れます。けれど何事も「形から入る」ことで全然ちがう世界が見えたり、やる気が上がったりしますから。
会社員なりたての頃に初任給でカメラ(PENTAXK-SⅡ)を買ったんです。卒業旅行に行ったドバイで砂漠の砂が入って、持っていたカメラ(PENTAXK-30)が壊れてしまったので。
でもその買ったカメラ(K-S2)、一月後に売っちゃったんです。
── 買ったばかりなのに?
矢野:
カメラを買いに行ったタイミングで、FUJIFILMのミラーレス一眼「X-T10」というモデルと35ミリの単焦点レンズを店員さんにおすすめされたんです。
その時だと、トータルで15万円くらいかな。高いなと思ったし、「まだPENTAXの機材があるから」と思ったので一旦見送りました。(K-SⅡは6万円くらい)
でもずっと忘れられなくて、諦められなくてそれを一月後に売って、X-T10と35ミリレンズを買ったんです。
── 出費が多いお仕事ですが、何か節約はしていますか?
矢野:
機材などをネットで購入するとき、支払いはJALカードにしています。
細かい話でいうと、日常の買い物、交通費(新幹線や飛行機)、Suicaのチャージなど、ほとんどJALカードで済ませています。
JALカード以外に使っているのはJMB WAONカード。この2枚をとにかくお金を払うタイミングどこでも使っているんです。
── 生活はほとんどクレカ決済で。
矢野:
クレジットカードを使う意識が芽生えたのは、大学時代でした。僕は三菱UFJ銀行を使っていたんですけど、長崎には三菱UFJ銀行のATMが一つしかないんです。
そこに毎日行ってお金を降ろすのが本当に心労でした(笑)。でも行かないでコンビニで降ろすと手数料220円取られるし。
そんなときに偶然、SKYナビの営業を受けてつくったのがJMB WAONカード。
JMB WAONカードで支払うと、JALマイルが貯まるんですよ。また、ファミリーマートや紀伊国屋書店などの特約店は、JMB WAONまたはJALカードで支払うと2倍ポイントがつくんです。
なので学生の時は現金をこのカードにチャージしてWAON払いしてました。ファミリーマートはWAON、紀伊国屋はJALカードみたいな感じです。
── 学生時代からカード払いを徹底されていて。たぶんすごくマイルが貯まりましたよね。
矢野:
そのマイルで、『青とニューヨーク』をつくるために行ったニューヨークへの航空券と交換できました。
たぶんふつうにチケットを購入したら十数万円はしたと思うので、地道に貯めていてよかったです。その空いたお金を、展示での印刷費に回せたと思います。
受けた恩を返していきたい
── 今、誰でも好きなことを発信できる時代になりました。好きなことを仕事にするために、矢野さんが大切だと思うことはなんでしょう?
矢野:
仕事につながっていくのは、やっぱり撮る量と知識の深さだと思います。
写真は撮れば撮ったぶんだけ上達すると、実感しています。量は質につながるんです。あとは自分が運営している「Salon de Photo」のメンバーによく言っているのが、いい写真を見まくること。
僕は写真家の瀧本幹也さんや市橋織江さんといった写真家の方を尊敬しています。尊敬する方々の写真や他にもSNSで人気だったり話題になっている写真はいつも見ています。
そうやって研究していくうちに、自分の中で「こういう写真が撮りたい」とイメージが固まっていく。そして実際にシャッターを切ったらイメージした写真ができる。
どうしても天才ではないので、こういったやり方にはなります。自分の内側に芸術性は最初からないかもしれない。それを認めた上で人の視点を外からできるだけ吸収していっています。絵画やデザイン、文章も近いところはあるのかな。
── 撮りたい世界観は、知識の上でできあがっていくんですね。矢野さんは今後、カメラマン・写真家としてどのように活動していきたいですか?
矢野:
ずっと海外に関心を持って各国を飛び回って写真を撮ってきたけれど、今は国内での活動も力を入れていきたいなと思っています。
── 国内でどんな仕事をしたいですか?
矢野:
写真を撮る、という形ではもっと日本を知って、写真という形で伝えていきたいと思っています。海外を何度か行ってやっぱり自分はまだまだ日本のことわかっていないと思っていました。
そう思っていたフリーランス二年目に、ありがたいことに北海道や岡山、鹿児島での撮影が増えてきて、より一層この気持が強くなりました。
また、写真というものを離れた視点でも考えることはたくさんあります。
両親が亡くなっていよいよ生きるのがハードだなと実感しました。それでも「人はいつ死ぬかわからないから、やりたいことをやれるように」と思って今に至ってきて。この過程には本当にたくさんの人に救われてきました。
いまやっとお仕事としての写真に向き合える環境になって、もっと広い視野で周りの人への意識を向けたいと思います。
僕を助けてくれた方々への恩返し、そして同じように夢へ向かう人の後押しをできる存在に積極的になりたい。その一つがSalon de Photoです。
インタビューした感想
「大学時代からのJALマイルが溜まって、ニューヨーク行きの航空券がタダになった」というお話。とても驚きました。
矢野さんのすごさは、節約も含めた「コツコツやる姿勢」だと私は思います。
「好きなことを仕事に」。この言葉を聞くようになってからずいぶん経ちました。けれど、趣味の領域を超え仕事にするのは思ったよりも難しく、仕事になってからもステップアップに悩む人も少なくありません。
そんなときに、ポートレート撮影を自ら申し出る行動力や、尊敬する写真家を研究する姿勢は、私の胸を打ちました。自分は本当にコツコツ積み上げているかな?怠惰や惰性はないかな?
お話を聞いているうちに、背筋が伸びるような気持ちになったのです。
今の矢野さんは、フリーランスになって2年間コツコツ積み上げてきた賜物です。矢野さんにインタビューしたことをきっかけに、今、好きを仕事にして第一線で活躍する人たちの話をもっと聞いてみたくなりました。