今日も愛していたよ - 夜も眠れない

今日も愛していたよ

今週のお題「2020年上半期」

 

 今年の始め、上司から「今年の目標は?」と聞かれた。仕事のことでなにか適当に答えたと思うが、覚えていない。その後、同じ課の先輩に「で、ほんとうの目標は?」と聞かれたので、「彼氏を作ること」と正直に答えた。

 上半期も終わり。こんな状況でなくとも、この目標ははじめから、達成できなかっただろうな、と思う今日このごろだ。

 

 緊急事態宣言が明けて、5月半ばに久しぶりに美容院に行った。自粛中の話をしていたら、担当の美容師から「浅井さんのことだから、真面目に自粛してたんでしょ(笑)」と言われた。笑われるようなことなのか、あまりよくわからなかったが、真面目に自粛していたのは事実なので特に否定もしなかった。

 24時間監視してもらってかまわないくらい、ほんとうに真面目に自粛していた。それは今も同じだ。家にいて配信を観たり、ゲームしたり、映画を観たり。かねて組んであった飲み会やランチの予定は、ことごとく断っている。売上げが伸び悩む飲食店や、予約してくれた友人にはほんとうに申し訳ない。それでも、罹患するリスクを減らせるだけ減らすとなると、密になりかねない場所にそもそも行かないというのが一番効果的な対策なのは自明の理だろう。

 こんなことを言ってると一生どこも行けないのでは、と思う。そうかもしれない。自粛したからといって、感染させるリスクは低減できても、出勤で3密の電車に乗っている以上、罹患しない保証は、当然ながらない。自粛したところで誰も褒めてはくれないし。都民ではないので、不要不急の外出だって、別に控えろとは言われていないし、比較的安全に外出する方法だって、考えてみたらあるのかもしれない。

 

 それでも、まったくその気にならない。むしろ、罹患しないように躍起にさえなっている。

 なぜだろうか。自分でもはじめはわけがわからず、罹患するのが怖いからと思ってやっていたが、何ヶ月も自分を冷静に見つめ直して、だんだんと腑に落ちてきたことがある。

 

 わたし自身、深刻になるほど仕事や給与に困ってはいないが、職場ではそんなに必要とされていない。そこまで職場に貢献していないし、必要とされるような仕事を任されていない。職場は仕事をしに行く場所なので、会社にとってあまり必要な人材ではないのだろう。罹患してもせいぜい、業務が多少滞ってお荷物扱いされるくらいだと思う。それが正当だと思うので、あまり悲しくもない。

 趣味や娯楽は山ほどあるが、そもそも他人に理解されたいという気持ちがあまりない。自分が好きなものは自分が好きでさえいればいいし、考えていることは自分の中で明確であればいい。同じ情熱で共感してもらえなかったときの地獄を考えたら、最初から理解しようとされないほうがいい。

 彼氏は欲しいが、愛されるよりも愛したいので、好きになっていただいても応えることができないケースが多い。好きになったらなったで、相手はたいがいわたしのような中身のない人間に興味がない。興味がないのが、「そりゃそうだよね」と腑に落ちて、さらに好きになる。理解されるかどうかは関係がない。

 総括すると、無能なうえに自己完結しているので、ひとりで生きていくべきなのだが、そんなことできるのだろうか。おそらくこの先変わらないだろう給与も、変わっていく世の中や周りの人間関係も、どれも受け入れて、それでもひとりで生きていく自信がない。

 

 だから、大変無根拠なことに、この禍を罹患せずひとりで乗り越えることができたら、ほんとうの意味で、ひとりで生きていく自信がつくのではないか? と思っている。

 「彼氏を作る」なんて言ってみたものの、よくよく考えたら土台無理だった。諦められない自分を口に出したことで自覚しただけだった。そんな素質がはじめからないのに、半分冗談にしてもキツいやつだった。

 諦めることにはいつだって、心が焦げついて、内臓がひっくり返って、全身がむせび泣くようなしんどさがある。だが冷静になって、人がいてくれることをちゃんと諦めて、ひとりで大丈夫だと信じられるようになったら、それはたぶん、この先ひとりで生きていくための自信になる。だから躍起になってでも、この禍を乗り越えないといけない。誰もわたしを支える義務がなく、わたしはひとりでいるしかないのだ。

 

 だからどうかわたしになにごともなく、この禍が収束するように、黙って静かに過ごしたい。半年前、未来がこうなると思わなかったように、下半期になすべきことなんていまはよくわからない。でも自分を守ることもしなくなったら、最後は死ぬしかない。

 かわいそうだと思っていただいてかまわない。だからいまは静かに、好きなように諦める準備だけしていたい。