1925-1932 デッサウ – NIPPON BAUHAUS SOCIETY
NIPPON BAUHAUS SOCIETY
1925-1932 DESSAU
デッサウ
ワイマールからデッサウへ
1924年2月10日のチューリンゲン地方選挙の結果、新しい首相となったリヒャルト・ロイトホイサーは、1924年9月18日、グロピウスに対して1925年3月31日付での解雇を通知した。それまでバウハウスに認められていた予算も半分に減額した。グロピウスは政府と様々な交渉を尽くしたが、最終的に、ワイマールのマイスターたちは辞意を表明し、バウハウスは閉鎖を待つばかりとなった。しかしバウハウスはワイマールの6年間に新しい教育方法の成果をあげて、バウハウス・スタイルは20年代のデザイン指針とまでなっていた。バウハウスにはこのような評判から複数の町から受け入れの引き合いが来た。その中からマイスター組合は社会民主党の政権下にあり、かつ市長のフリッツ・ヘッセが個人的にバウハウスを支援していたデッサウ市への移転を決定した。こうしてバウハウスは、それまでの国立学校から市立の教育機関になった。
グロピウスは1925年3月から1928年3月までの3年間にわたって、デッサウ・バウハウスの学長職を務めた。
この時期にバウハウスは、その発展史上新たな頂点を迎えたのであった。グロピウスによって建てられた新校舎と教職員のためのマイスター宿舎は、ドイツの近代建築の代名詞となった。バウハウスは一種の巡礼地となり、国内の見学者は毎月数百を数え、のみならず外国からも増え続けるようになった。グロピウスはデッサウ市から委託されたテルテン団地の設計で初めて建築の工業化の実例を示すことに成功し、またデッサウ市の職業安定所(1927~29年)は彼の手になる最も美しい機能主義建築となった。1926年12月4日と5日の2日間にわたって、バウハウス館は盛大な落成式を祝った。
アトリエ、講堂、食堂、工房の家具調度はすべて、ブロイヤーの指導の下、指物工房が制作した。最も話題を呼んだのは、スチールパイプの家具だった。マルセル・ブロイヤーは自転車のハンドルからヒントを得、地元のユンカース製作所と協同でスチールパイプを曲げ、座面と背面とひじ掛けには布を張った。照明器具の多くは、マックス・クラィエフスキーとマリアンネ・ブラントのデザインで金属工房が制作した。そして標識は印刷工房が製作した。すべての芸術が建築に結集するというバウハウスの理想が、ここに実現したのである。
(参考文献 マグダレーナ・ドロステ著『バウハウス』2011年、TASCHN)
バウハウス校舎
Bauhausgebäude
1925-1926
住所 Gropiusallee 38, 06846 Dessau, Germany
設計 Walter Gropius
ガラスのカーテンウォールを用いたモダニズム建築の校舎は、ファグス靴型工場からのさらなる進化が感じられる。建築学校棟と工房棟を結ぶ2階建ての空中の渡り廊下に管理棟と校長室がある。5階建てのバルコニー付きプレラーハウスには、学生とヤングマイスターとなった卒業生が住んだ。照明器具は金属工房、室内装飾は壁画工房、家具は家具工房が手掛けるなど、開校初年度はすべての工房が校舎やマイスターハウスの設営に専念した。
Photograph credit:
© Yuki Sugihara and Toshihiko Suzuki, “NICHE”, Atelier OPA.
マイスター宿舎
Meisterhaus
1925-1926
住所 Ebertallee 57-63 , 06846 Dessau-Roßlau
設計 Walter Gropius
校舎と同様にデッサウ市の資金でグロピウスが建てた4軒の教職員住宅。プレファブリケーションによるモジュール原理で構成した。グロピウスは自身の住居にブロイヤーのパイプ椅子や家具を置き、来客にバウハウスの成果を宣伝するモデルハウスとして用いた。第二次世界大戦で壊され、1950年に片流れ屋根の家に変わったが、2014年にBruno Fioretti Marquez アーキテクツの再解釈で新しいグロピウス邸が完成した。他の3軒はそこに住んだ教員の名を取り、モホリ=ナギとファイニンガーの家(Haus Moholy-Nagy / Feininger)、ムッヘとシュレンマーの家(Haus Muche / Schlemmer)、カンディンスキーとクレーの家(Haus Kandinsky / Klee)と呼ばれる。フロアプランを回転させた二軒建てである。カンディンスキーとクレーは室内を微妙に異なる170色に塗り分けた。後に、ミースやマイヤーなど学長と、アルフレート・アルントなど教員が住んだ。エーバートアレー通りの東端に、ミース・ファン・デル・ローエの1932年設計のキオスク(Trinkhalle)がある。
Photograph credit:
© Yuki Sugihara and Toshihiko Suzuki, “NICHE”, Atelier OPA.
コルンハウス
Kornhaus
1929-1930
住所 Kornhausstr. 146 Dessau
設計 Carl Fieger
エルベ川沿いに建つ半円形のテラスが印象的なレストラン。名前の由来はかつて建っていた穀物倉庫による。ベーレンスの事務所で働き、後にグロピウスの事務所で片腕となり、バウハウスでも講師として建築を教えたカール・フィーガーが設計した。鉄筋コンクリート構造にれんが壁を用いており、キッチンを含む四角い地階と、ダンスホールとレストランのある上階から成る。現在もレストランとして営業している。
Photograph credit:
© Yuki Sugihara and Toshihiko Suzuki, “NICHE 04”, Atelier OPA.
公共職業安定所
Städtisches Arbeitsamt
1928-1929
住所 Gropiusallee 38, 06846 Dessau-Roßlau
設計 Walter Gropius
フリッツ・ヘッセ市長はグロピウスとマックス・タウトとヒューゴ・へリングの三者指名コンペを実施し、グロピウスが選ばれた。内部はガラス天井からの採光で明るい。求職者は性別や仕事の種類によって6つの入口から中に入り面接を受けた。職が無い場合はホール中央の部屋で失業手当てを受給した。各部屋と廊下のオリジナルの照明は金属工房のマリアンネ・ブラントが製作した。
Photograph credit:
© Yuki Sugihara and Toshihiko Suzuki, “NICHE 04”, Atelier OPA.
テルテン集合住宅
Bauhaussiedlung Dessau-Törten
1926-1930
住所 Törten, 06849 Dessau-Roßlau
設計 Walter Gropius
デッサウ市では人口の増加にともない低所得者層向けの住宅が不足していた。グロピウスは家庭菜園や家畜の飼育が可能な庭付きの57~75平米のテルテン集合住宅(Siedlung Dessau- Törten)を設計した。建設方法の工業化と規格化を試み、家具はバウハウスの工房で製作した。1926年設計のポンプステーション(Pumpstation)から着手して第一期60戸、1927年に第2期100戸、1928年にハウス・アーント(Haus Arndt)やハウス・アントン(Haus Anton)、ペンション・アイヒホルン(Pension eichhorn)、ハウスシュヌレ(Haus Schnurre)、5階建てのコンサムビル(Konsumgebäude besucherzentru)など156戸を竣工した。1926-1927年ゲオルク・ムッヘとリチャード・ポーリック設計で大量生産を想定してプレファブリケ―ション工法で製作したスチールハウス(Stahlhaus)は実験住宅である。また、付近には1930-1931年のポーリック設計のドイツ住宅供給株式会社の集合住宅(DEWOG-Häuser)がある。
Photograph credit:
© Yuki Sugihara and Toshihiko Suzuki, “NICHE 04”, Atelier OPA.
外廊下型集合住宅
Laubenganghaus
1929-1930
住所 Törten, 06849 Dessau-Roßlau, Germany
設計 Hannes Meyer
1928年に第2代校長に就任したハンネス・マイヤーはテルテン集合住宅の第三期拡張計画を引き継いだ。前年より建築学部を立ち上げ、環境工学の照度計算や「光、空気、太陽」という近代建築理論を教え、その実践として設計や工事に学生と取り組んだ。東西に延びる2本の道路に沿って3階建て低層住宅1棟につき18戸、5棟で計90戸を建設した。北側に階段棟と住民の憩いの場となる共用廊下、南側に庭に面した大きな窓があり、47平米の各戸には床暖房、キッチン、バスルームがある。グロピウスの戸建ての集合住宅とは異なるコミュニティ空間を実現した。
Photograph credit:
© Yuki Sugihara and Toshihiko Suzuki, “NICHE 04”, Atelier OPA.
バウハウス・ミュージアム・デッサウ
Bauhaus Museum Dessau
2019
住所 Mies-van-der-Rohe-Platz 1, 06844, Dessau-Roßlau
設計 addenda architects (González Hinz Zabala)
バウハウス100周年を祝し、バウハウスミュージアムデッサウは2019年9月8日にオープンした。831件の応募の中からスペインのバルセロナの建築家、ゴンザレス・ヒンツ・ザバラの案が選ばれた。オープニングにはクラウディア・ペレン博士(バウハウスデッサウ財団理事)、アンジェラ・メルケル首相、ライナー・ハセロフ氏(ザクセン・アンハルト州首相)、ピーター・クラス氏(デッサウ市長)が集った。バウハウスデッサウ財団が誇る約49,000作品を展示する。ベルリンのバウハウスアーカイブに次いで、世界で2番目に大きいコレクションである。
Photo Credit:
The opening day of Bauhaus Museum Dessau
The Street of Bauhaus Museum Dessau was decorated for Chiristimas on December 2019
Dessau, opening of the Bauhaus Museum on September 8, 2019 with Dr. Claudia Perren (director and director of the Bauhaus Dessau Foundation), Chancellor Angela Merkel, Reiner Haseloff (Prime Minister of the State of Saxony-Anhalt) and Peter Kuras (Mayor of the City of Dessau-Roßlau).
© M H.DE/ Wikimedia Commons / CC BY-SA 4
文章および写真はOpa Press『NICHE 04』より転載、加筆したものである。
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