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「木村拓哉になりたくて300万円使った」モノマネ芸人の“キムタク愛”。「70歳になっても続けたい」

元・SMAPのメンバーであり“平成を抱いた男”として、今なお日本を代表するトップ俳優に君臨する木村拓哉。 そんなキムタクのモノマネをしながらトンデモ料理を作る動画がSNSでバズりまくり、インスタグラムのフォロワーが17万人超え。ついには香港でのCM出演も果たしノリに乗るモノマネ芸人・元木敦士(41歳)。 そんな彼がキムタクのモノマネを始めたきっかけから異常なまでのキムタク愛まで、“ぶっちゃけ”トークを語ってくれた。

芸人になったがスベリ続きの日々

元木敦士

元木敦士

――そもそも、元木さんが芸人になった当初はどういうネタをされていたのでしょうか? 元木敦士(以下、元木):元々お笑いが好きで、高校を卒業後に友達と芸人を目指す約束をしていたんです。でも、友達は大学に行くと言い出して、一人で上京するはめになって……。 東京で相方を見つけようとしたんですが、数年間見つからなくて一念発起してピンでやることを決断しました。そのときは「ぬいぐるみプロレスコント」をやっていましたね。 ――気になります(笑)。どんな芸だったんですか? 元木:自分と同じ身長180センチぐらいのぬいぐるみを作って、プロレス技をかけるネタです。フリーライブで何度もやっていたんですけど、ライブのアンケートに「今年イチ面白くない」って書かれてました(笑)。シュールすぎたのかな。 ――それまでキムタクのモノマネは? 元木:ライブではやってないです。もちろん、木村拓哉さんが男子の憧れだった世代なので、ただただ大好きな存在ではありました。なので出演しているドラマを見たり、ファッションをマネしていたりはしていました。 ――「顔が似ている」と言われたことは? 元木:高校に入ってモテたい気持ちが生まれて、髪を伸ばして木村さんの髪型っぽくしてたんですが、周りに「似てるね」とは言われた事はなく、寂しかったので自分から『俺はキムタクだ!』って言い張ってました。イタイ奴だったと思います(笑)。 でも、あくまで憧れているだけなので、それを芸人のネタにしようっていう考えは一切なかったですね!

キムタクモノマネとの出会い

研究した“キムタク流”のハンバーガーの持ち方

研究した“キムタク流”ハンバーガーの持ち方

――そこからキムタクモノマネを始めるに至った経緯は? 元木:芸人として全く売れていないときに『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』の番組オーディションの機会をいただいたんです。そのときに「これは大好きなキムタクをやるしかない!」と思い立ったんです。 キムタクの格好でオーディション会場に入った瞬間、審査員が爆笑して「これはいけるかも」と思いました。それでいざモノマネを始めたら、声が信じられないぐらい似ていなくて、めちゃくちゃ驚かれましたね(笑)。 でも審査員さんはそのギャップを面白がってくれたみたいでテレビ出演が決まったんです。それから僕の運命が変わり始めましたね。 ――それが転機だったんですね。そこから本格的にキムタクモノマネをネタに? 元木:そうですね。キムタクのショートモノマネをライブでもやり始めたらウケるようになって、ようやく芸人として手ごたえを感じられるようになった感じです。
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本物のキムタクの前でネタを披露したが…
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