2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧
2012年3月11日2時46分 私は3本の光の御柱を建てるため 約束の”あの場所”にいました。 神様の言葉を聴いてお仕えしていた霊能者の祖母の最後の仕事は 愚かな行為をして神様を怒らせてしまった海の民の依頼で お詫びをすることでした。
昨年11月 東京で開かれた 鹿折中学校25回生・関東支部の同級会に参加したときの お宝グッツ便がやっと届きました。 オーロラのときも今回も いつもお世話になっている 同級会の名幹事役で信頼する藤村氏から 電話が入ったのが3月11日。
気仙沼へ帰省前、給料日後の娘に誘われて オープン(3/4)したばかりの有名なラーメン屋さんに行ってきました。 私が頼んだのは一番人気の「チャシュー味噌ラーメンは 見た目よりあっさり味。 娘は 定番の醤油ラーメンのお味は しっかりお味でまずまず。
今回の震災1周年の気仙沼帰省には 高齢の父が独りで「あの日」を迎えたら 色々思い出して可哀想だな。の娘の想いもありました。 近くに駐在所も、復興マルシェもできた父は「この先も気仙沼にずっと住む」と言い 体力も経済も低下した娘の心境は複雑です。
震災直後は マスコミに中々登場しなかった私の故郷が 震災1周年を迎えて「気仙沼・気仙沼」と騒がれて登場しています。 午後2時には 津波で打ち上げられた「共徳丸」付近の国道が テレビ局と素人・玄人のカメラマンの車で渋滞する程でした。
霜が降った鹿折地区の寒い朝です。 近くには被災した鹿折地区にあった商店が集まり「復幸マルシェ」をオープンしました。
地震と津波後、内湾が炎上し、三日三晩炎に包まれた鹿折地区。 震災から1年後、ライトアップされた「第十八共徳丸」が、闇の中に静かに浮かび上がります。
昨年津波が気仙沼を襲った同時刻の大島行きフェリーは、本日無事内湾を出航しました。
東日本大震災から1年後の朝、淡雪が舞い降りた
少しでも気仙沼へ帰省する 手荷物を軽くするため 実家に送る分の荷物の準備をしていると、早速近寄ってきたのが 我が家の2番目の箱入り娘 黒猫りぃちゃん(6歳♀) 当たり前のように 箱に入って寝ています。 「もし・もし~」と起こしたいけど 可愛い寝た猫…
3月11日、未曾有の東日本大震災で壊滅した気仙沼の内湾に 若手が中心となり 鎮魂の想いを込めた「光の柱」を ムービングライトで 夕刻より夜半まで三本建てる。と新聞に載ってました。
東日本大地震で 私が生まれ育った気仙沼・鹿折地区は5年間 家を建てることができない指定区域になりました。 鹿折地区で被災した友人達から 「気仙沼を離れる」とか、「住民票を移した」とかの連絡が入ります。 「故郷・気仙沼が好き」で 今まで頑張ってき…