農業を成長産業に…農研機構理事長が語る「ソサエティー5.0」実践の成果|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

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農業を成長産業に…農研機構理事長が語る「ソサエティー5.0」実践の成果

農業を成長産業に…農研機構理事長が語る「ソサエティー5.0」実践の成果

農業・食品産業技術総合研究機構・久間和生理事長

農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の久間和生理事長は内閣府総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)で超スマート社会「ソサエティー5・0」を提唱し、農研機構で実践してきた。ソサエティー5・0ではサイバー(仮想)とフィジカル(現実)を融合させ技術を高度化する。農業は自然を相手とするためフィジカル側が最も複雑な分野の一つだ。当初はやりきれるのかと不安視されたが研究者たちは結果を出した。

—就任時から農業を成長産業にすると掲げてきました。
 「まず強調しておきたいのは農業・食品産業はイノベーションの宝庫であることだ。農林水産業と食品製造の生産額は2021年で約49兆円と自動車産業の56兆円に匹敵する。だが輸出は2%の1・2兆円。自動車は26%の15兆円だ。自動車並みにとは言わないが大きな伸びしろがある。政府目標は2030年に5兆円を目指している。日本の温室効果ガス(GHG)排出量では農業関係は約4%と少ないが、世界のGHG排出量では約22%が農業関係から排出されている。牛のゲップや農地の土壌、水田からメタンが出る。これも削減余地が大きい。そして生命科学分野では次々と新しい技術や知見が生まれている。科学技術のフロンティアだ。非常に面白く、また伸びている。この農業・食品産業の可能性を見過ごすのはおかしくはないか、投資して強化すべきではないかと繰り返し言い続けてきた」

「同時に農業・食品産業を取り巻く環境には課題が多い。世界人口が増え農地面積は増えない中で、2050年には2010年の1・7倍の食料が必要と試算されている。日本の食料自給率は21年で38%と低い。政府は30年までに45%を目指している。そして農業従事者の高齢化が進み、2022年の基幹的農業従事者の平均年齢は68歳、70歳以上の層が最多だ。誰が日本の農業を背負うのか。私はいずれ無人化を目指さなければいけないと考える。まずは省力化に取り組み、その先に植物工場のような無人生産システムが必要になるだろう。現在も、どの作物も生産額に占める人件費が問題になっている。利益を出すためにもスマート化や省力化、そして無人化は避けて通れなくなるだろう。そのためには農業を支える周辺インフラをしっかりと整えることが重要だ。農業の強いオランダと日本の差はここにあるのではないか。収量の多い品種や栽培法の開発は重要だ。だが、それを支える基盤にも投資が必要だ。半導体産業を例に挙げると、半導体の製造装置や部材は競争できている。周辺産業が強いから日本の半導体も強かった。農業も周辺を鍛えることで本丸の品種や栽培技術の強みが生きる。ただ、化学肥料は原料のほぼ全量を輸入に依存しており、輸入価格の高騰が農家を直撃している。小麦や大豆、トウモロコシなどの輸入穀物価格も高騰している。飼料価格の上昇が畜産農家を苦しめる。国産肥料の開発と肥料輸入元の分散化、肥料使用量の削減、穀物生産力の抜本強化が必要になっている」

—地球規模の課題が山積みです。農研機構の技術で解けますか。
 「18年に理事長に就任し組織目標を掲げた。一つ目は農産物・食料の安定供給と自給率向上だ。一言でいうと食料安全保障だ。二つ目は農業・食品産業のグローバル競争力の強化で、日本の経済成長への貢献と輸出拡大が目標だ。三つ目が農業の生産性向上と地球環境保全の両立だ。これらの目標は政府の方針と一致している。この目標は一貫していて変えていない。目標をどう実現するか。ソサエティー5・0のコンセプトを活用する。サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合して新たな価値を創出する。人工知能(AI)やロボティクス、ビッグデータ、通信ネットワークなどのエマージングテクノロジーと農業を融合させる。ソサエティー5・0のコンセプトは16年の第5期科学技術基本計画で提唱したものだ。農業に限らず、あらゆる分野に広がるよう提示した。実際にAIはあらゆる分野に浸透している。AIを活用するためにデータベースを整え、データを集めるインフラとしてIoT(モノのインターネット)のセンサー網、作業を実行する身体としてロボットがある。こうした基盤技術を介して交通や医療、エネルギーなどのサービスがつながる。農業や食品もその一つだ」

「農研機構は育種から生産、加工・流通、消費までのバリューチェーンをスマート化する。新品種を開発してきた育種分野では超多収大豆や高栄養飼料作物。栽培法などを開発してきた生産分野では生産現場の無人化、環境保全と生産性の両立。加工・流通分野ではフードロスの削減。消費分野では輸出拡大や健康維持につながる食を実現する。そこで組織改革を行い四つのセグメントに研究所を集約した。それまでは約20の研究所がばらばらに動いてきたが、セグメントごとに理事を配置して連携を進めている。そして4セグメントに共通する基盤技術を強化するために基盤技術研究本部を設置した。AIやデータ、ロボティクス、遺伝資源、高度分析を担う。さらにセグメント横断で取り組むNAROプロジェクトを走らせている」

「ポイントは徹底的な連携強化だ。従来は研究者の独立性が高かった。1人で自由に考え探究する。こうした研究も必要だ。ただ1人で出せる成果は限られている。何人かで知恵を出し合って初めていい仕事ができる。そのためチーム研究を進めてくれとトップダウンで指示した。5―10人のチームを作り、チーム長はメンバーをフォローし研究状況を把握する。例えば研究者が大学などに転籍した時に、その研究について分かる研究者がいなくなるようでは困る。もちろんアカデミアでは研究者個人が研究テーマと成果を持って組織を移動していく。それを否定するつもりはない。人材の流動性は重要だ。ただ大学と国研では求められている役割が異なる。国研は国にとって重要な戦略研究を担っている。研究者個人のアイデアを生かした研究を含め、組織的に動けるように改革している」

—同じような組織改革に取り組んだ国研は少なくありません。ですが成功した国研は限られます。理事長のかけ声だけで研究者が動きますか。
 「セグメントを担当する理事がよく動いてくれている。企業における役員や事業本部長のような役割だ。仕事量が多く、日々研究者たちと議論し、指示している。18年の4月に理事長に就任して1年後の19年4月に企画戦略本部を設置した。経営企画部や研究統括部などが各理事を支え、司令塔としての機能を発揮している。またマネジメント業務の一部は農研機構の外からきた人たちがしている。例えば農林水産省出身者は事業開発部やシンクタンクのマネージャーとして活躍している。企業からきた人たちも産業界・農業界との連携や知財・標準化分野などでリーダーシップを発揮している。農研機構の内部で適任者がいなければ外から人材を獲得する。同時に研究現場では農研機構の生え抜きがリーダーとしてがんばっている。人材の多様化がうまく進み始めている」

—研究の成果は。
 「アグリ・フードビジネスのセグメントでは、機能性農産物を使⽤した『NAROスタイル』弁当を開発し、民間企業から販売されている。内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)で、内臓脂肪の減少効果などを評価している。また牛のゲップに含まれるメタンを減らす細菌を発見した。餌に混ぜて胃の中に多く定着させればメタン排出量を抑えられる可能性がある。メタンになって放出されていた栄養分を牛が摂取できるため、飼料効率もよくなる。これは大きなビジネスになると見込んでいる」

「スマート生産システムのセグメントでは水稲の乾田直播(ちょくはん)栽培が広がっている。水田に水を張らないため田植えの景色が一変する。育苗を省くことで、生産コストの4割、労働時間の5割を削減できる。また日本では夏のタマネギ産地がなかった。春期収穫は西日本、初夏は関東、秋は北海道のタマネギが出荷されている。だが、夏は輸入に頼っていた。それならば東北地方で夏にタマネギを栽培しようと農研機構の技術を導入し、22年に東北タマネギプラットフォームを立ち上げた。双日NTTアグリテクノロジー、みらい共創ファーム秋田をコアメンバーに、東北6県、公設試験研究機関などと連携して普及を進めている。成功すれば、国産周年供給が実現する」

「アグリバイオシステムのセグメントでは収穫しやすいリンゴの新品種『紅つるぎ』を開発した。枝が横に伸びにくく、円筒形のカラムナーという樹姿になる。収穫しやすく、作業の機械化にも適している。海外にこのカラムナー性をもつ品種はあったが、味が日本人の好みに合わなかった。紅つるぎは食味と栽培のしやすさを両立した。この品種開発に約30年をかけている。ほかにもゲノム編集で日持ちのいいメロンやウイルス抵抗性のトマトを開発した。また生育・収量予測ツールを開発している。センサーで温度や日射、二酸化炭素(CO2)濃度などを測り、収量を予測する。トマトの生産性と収益性の向上につながった」

「ロバスト農業システムのセグメントでは、サツマイモ基腐病への対応を進めてきた。基腐病は南九州を中心に広がり、株が立ち枯れ、イモが腐敗する病気だ。1年目の発病はわずかでも、何も対策をとらずにいれば数年後に収穫がなくなる恐れがある。基本対策は、持ち込まない、増やさない、残さないの三つだ。21年に農研機構内に緊急支援プロジェクトチームを作り、地域と徹底的に連携して対応してきた。23年は延べ人数で598人の職員が現地で農家や公設試を支援している。鹿児島県における発生面積は半分に抑えられた。緊急支援プロジェクトの設置は三菱電機時代の経験が生きた。不具合などで業績が悪化した製作所を対象に緊急支援プロジェクトを立ち上げ研究所から研究者等を送り、原因を分析して3年程度で解決する。類似した方法で、農研機構の複数の研究所が一体となって支援する。チームを率いた植物防疫研究部門の眞岡哲夫所長(現・総括執行役)のリーダーシップは見事だった。また世界の穀物収量の予測技術を開発している。気象データや収量データから、収穫の3—6カ月前にトウモロコシや小麦、大豆などの収量を予測する。地政学的な問題が顕在化し、グローバルサプライチェーンをいかに最適化するかが重要になっている」

—AIやロボティクスなどの基盤技術は。
 「運営費交付金でAIスパコン『紫峰』を導入した。農業データ連携基盤『WAGRI』を開発・整備し、有料会員は105社になった。データ活用のAPI(応用プログラムインターフェース)は2024年3月で176まで増えた。法人化を検討している。主体となっている農業情報研究センターは理事長就任の半年後に開設した。AI研究者を招聘(しょうへい)し、農研機構の各部門の研究者と二人三脚で研究を実施する研究開発モデルを構築した。また、現在までに1700人の研究職員のうち、400人がAIを扱えるようになっている。そして徹底的にアプリケーション指向のAI研究を進めた。例えばミカンの糖度予測やバレイショの異常株検出など、農業分野でAIを使う研究成果が出てきた。イネウンカ類の自動カウントシステムは、24年度から国の発生予察事業で実用化される見込みだ。同事業では、全国3000カ所で粘着板についた虫を、顕微鏡で人が数えている。ウンカの種類や雄雌、幼虫か成虫かを分類する。発生状況を把握し、ときには生産者に向けて注意報や警報を出す重要な仕事だ。ただ専門家が数えても1枚の調査板に1時間以上かかることもある。これをAIで3—4分に短縮した。大幅な負荷軽減ができ、ウンカの判別精度も高く均一になる」

—グローバルサウスの途上国と連携し、支援できそうですね。
 「方法論を展開できればウンカだけでなく、病害虫の発生状況を検出するシステムとしても活用できるだろう。日本国内に広がる前にいかに早く見つけて退治するかが重要だ。ウンカの自動カウントシステムではAIの学習データを専門家が見て分類しているから精度を担保できる。国の事業として実用化するには学習データの履歴管理なども重要になる。別件だが、NTTグループと遠隔営農支援システムを開発している。東北タマネギプラットフォームで実証中だ。専門家が1対1で現地に通って支援していると、専門家数も不足するしコストも高くなる。遠隔で支援できれば、例えば1対10で支援できるのでローコストで支援する農家を増やせる。同時に海外にも展開できる。遠隔営農支援では栽培技術や病害虫の防除法などを教えるサービスを想定している。政府開発援助(ODA)と組み合わせれば日本の強みを展開できるだろう」

—日本国内の業務をデジタル変革(DX)で効率化すると同時にリモートを前提として作り変えれば、国内にも海外にも恩恵があります。
 「日本の農業が世界に出ていくにはどうすればいいか。農業の専門家は果物や野菜など、おいしく安全な農作物を輸出して食べてもらおうと考える。私は日本の農業を支えている仕組み自体が、世界の農業に貢献できると考えている。食料安全保障は日本だけでなく、世界の課題だ。また日本の農業には専門家による手作業があちこちにある。いい意味で人が支えているのが日本の農業だ。この知恵やノウハウを世界に展開できれば貢献は大きいだろう」

「同時に研究者には視野を広げてほしいと思っている。農研機構では研究者に論文を書くことが目的化していないかと問うている。開発した品種や栽培法が社会実装されないと課題は解決できない。そこで成果の普及を進めるために標準作業手順書(SOP)を作成するようにした。新品種などを栽培する際に、この条件で栽培すれば成果を約束できるという手順をまとめる。2024年4月末で128編が作成された。以前は農家が試してうまくいかなくても、手順が悪いのか、気候などの条件が外れているのか、判別が難しかった。またSOPを作ることで研究者が農家と直接対話する機会も増えた。現実には『こんなの分からん』『そんな手順を守る余裕はない』などとSOPへの意見が返ってくる。こうしたフィードバックを受けてSOPを修正する。また栽培法を見直すこともある。成功例を挙げると、大果で日持ちのいいイチゴの『恋みのり』はSOPを作成し技術指導し、販売額が2・5倍に増えている。暑さに強いイネ品種『にじのきらめき』は6県で奨励品種、16県で産地品種銘柄に認定され生産量が急増した。2020年は663トンだったが、23年は3万トンになるだろう」

—農林水産省のスマート農業政策の進捗(しんちょく)は。
 「スマート農業実証プロジェクトは、19年から全国217箇所の農場で進めてきた。自動運転田植機やドローン散布などの有効性を実証してきた。24年度からは農研機構に整備する圃場等を供用施設として提供を始める。スタートアップや農業法人などに貸付けや共同研究の形で使ってもらう」

—スタートアップにとっては開発拠点から近い畑が便利です。わざわざ借りますか。
 「農研機構のデータ基盤や専門家の支援を提供できる。圃場はスマート農業を前提とした実証フィールドだ。気温などのセンサー類もそろっている。また北海道から九州まで全国の気候・条件で検証できる利点もある。スタートアップは自分の畑だけでなく、全国で試して技術の有効性を示し、気候など地域条件に合わせて技術を磨くことができる。従来は施設の供用はできなかった。このために法律が改正された。スマート農業の本格普及に向けて推進していきたい」

—社会実装で重要になるのが知財管理と標準化です。
 「知的財産部は理事長就任の半年後に設置した。住友化学から担当理事を招聘した。十倉雅和経団連会長に頼み込んだのを覚えている。この松田敦郎理事(現・非常勤顧問)が住友化学から知財の専門家を連れてきて、いいチームを作ってくれた。標準化は産業技術総合研究所と三菱電機からスペシャリストを招聘した。それまでは、農研機構には素地はまったくなかった。特許は出願数が300件を超えてから質を重視して件数は絞り込んでいる。大学・研究機関の他社牽制力のランキングでは上位10位に入るようになった。また育成者権の獲得とグローバル展開を進めるために協議会を立ち上げた。松田前理事に総括担当をしてもらっている。育成者権の管理や保護、国内外で侵害の監視などを進めている。国際標準化では、ISOの技術報告書で、抹茶の定義を明確にしている。海外で抹茶と銘打って安価な製品が供給されることに対応するためだ。ISOで標準化して日本産抹茶の差別化を図る」

—CSTIで科技政策を作り、農研機構で実践してきました。もともとは個々に独立していた20近い研究所を高いレベルでまとめ、トップマネジメントで新機軸の施策を次々と導入しているのは、久間理事長が初めてと言われています。
 「国研のミッションを明確にし、連携を徹底した。農研機構にいない人材は外から獲得してきた。そして卓越した研究者が研究者として評価され処遇される仕組みを整えている。例えば以前は世界をリードする研究者でも管理職にならないと待遇が上がらなかった。いまは違う。エグゼクティブリサーチャーという職位を設け、研究者でも所長と同じ待遇、または、所長以上の待遇になる。以前は個人研究が多かったが、チームで進めるようになっている。AIやデータの研究手法が広がってきた」

「また一般的に、自分の経験のない分野のマネジメントは難しい。研究者の話が分からなければ、計画や結果に対して何も言えなくなる。マネージャーになる前に複数の分野を経験すべきだ。マネジメントができる人材は、どの国研も非常に少なく苦労している。そこでトップダウンで育成を始めている。10人ほどの若手に複数の専門性を身に付けてもらう。そして事業化を経験してもらう。リーダー教育を受けて、2年程度かけてマネジメントやイノベーションリーダーになるためのキャリアを積んでもらう。民間企業に出向したり、官公庁で政策立案に携わる経験も積んでもらう。トップダウンでサポートするからこそ経験できるキャリアがある。これは私の経験に基づいている。半導体の物性物理で博士号を取り、就職してからカリフォルニア工科大学に留学して光ニューラルネットワークや人工網膜チップなどのデバイスやコンピューターサイエンスに進んだ。異分野に挑戦すると非常に苦労する。研究のやり方がまったく違う分野で格闘した経験は、マネジメントや成果の社会実装を進める際に役に立つ。一方でまったく足がかりのない分野に挑戦すると人材がつぶれてしまうリスクもある。トップダウンだからサポートできるキャリアがある。そうした挑戦を後押ししていきたい」

日刊工業新聞 2024年08月14日記事に加筆
小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
現場の研究者からは「(実用化などの)研究者が嫌がることも一貫して言い続けている」「アウトサイダーによる改革で研究が面白くなった」などと評価されている。経営も現場も格闘の日々と推察される。成果が積み上がり、組織は変わった。国内だけでなく世界に貢献する道も開けた。成長に向けて、投資が増えるか注目される。

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