ゴーン・日産16年目の理想と現実~ルノーとのいびつな企業統治(前編)
2006年に掲載した連載「日産とNISSAN」を振り返る。本質的な課題は何も変わっていない!
日産自動車は23日、2014年度の国内生産台数が前期比13・0%減の87万608台になったと発表。100万台を割り込むのは1967年度以来実に47年ぶり。同日、取締役会を開き、資本提携先の仏ルノーが同国政府による経営関与強化に反対していることについて、ルノーを全面的に支持することを決めた。仏政府がルノーに対する関与を強めれば、日産にも間接的に影響が及ぶ可能性があるからだ。日産とルノーのトップを兼務するカルロス・ゴーン社長。今の体制になってちょうど10年目になる。この間、2社は一蓮托生(いちれんたくしょう)路線をより深化させて来た。
今から9年前の2006年。日刊工業新聞では5回に渡り「日産とNISSAN~ゴーン流8年の理想と現実」と題した連載を掲載。当時から“いびつな企業統治”は日産の成長の足かせになっていた。今回の国内生産の低迷についても、本質的な問題は連載当時から何も変わっていない。ゴーン社長は依然頂点に君臨するが、彼の周りから去っていった人間も多くいる。連載を2回に渡って再掲し、ゴーン流16年目の現実を考えるきっかけにしたい。
「日産とNISSAN~ゴーン流8年の理想と現実(1)」
日産自動車はどこへ向かおうとしているのか―。米ゼネラル・モーターズ(GM)と提携し、世界一の自動車グループを目指そうとする「NISSAN」。一方、国内に目を移すと、不振にあえぐ新車販売や旧系列の部品会社が苦悩する「日産」の現実が見えてくる。1999年、経営再建を使命に来日したカルロス・ゴーンは、瞬く間にスター経営者になった。そのカリスマ性が放つ光がまぶしいほど、コントラストも鮮明になる。
日産とルノーの社長を兼務するようになった昨年春以降、ゴーンは毎月の第3週を日本で過ごし、残りはフランスのルノー本社や全世界の生産・販売拠点をプライベートジェット機で飛び回るのが日常になった。
9月27日。パリで行われたGM会長、リック・ワゴナーとの2回目のトップ会談。交渉不調が伝えられる中、ゴーンは「3社の提携は自動車業界にとって正しい方向だ」と依然、強い意欲をにじませた。
2日前にさかのぼる。日本では日産が保有する日産ディーゼル工業の全株式をスウェーデンのボルボに売却すると発表した。ボルボは今年3月、日産ディ株13%分を取得。その時の会見でゴーンは「99年当時、(日産ディを)売ろうにも相手に金銭の支払いを求められた」と振り返った。
資産価値を高め売却益を手にするゴーン改革の真骨頂だ。しかし日産主導で進んだ提携話に、日産ディ社長の仲村巌に笑顔はなかった。それでもゴーンは「日産はトラックメーカーになるつもりはない」と意に介さない。
ゴーンは結果を得るためなら困難な決断もためらわない。100万台の増販を目標にした「日産180」(2005年9月末終了)。同計画策定に深くかかわった日産の元幹部は「80万台程度が今の実力。反動が出る」と進言したが、ゴーンは取り合わなかったという。計画はやり遂げた。そこからは彼の飽くなき“成長への渇望”が感じられる。
GMとの交渉が決裂した場合、次は米フォードモーターが相手になるとの観測も浮上する。ゴーンは合理主義者として知られるが、「巨大提携に動くゴーンさんの真意を日本人の幹部は測りかねている」(日産関係者)という声も聞こえる。
「1億台。この数字に歴史の重みを感じている」―。9月13日。横浜工場内で開かれたグローバル生産1億台の記念式典で、最高執行責任者(COO)の志賀俊之は歴代の名車「ダットサン」のパレードをみながらいつになく上機嫌だった。式典には多くのサプライヤーも参加。協力会「日翔会」の会長を務めるニッパツ社長の天木武彦は「いろんなことがあったが、ウイン―ウインの関係を築きたい」とエールを送った。
8月は恒例の都市対抗野球の季節。宿敵トヨタ自動車との対戦では、日翔会の専用席に、志賀と共同会長の小枝至が並んで座り応援する光景がみられた。点が入るごとに大声援が沸き起こる風景からは、古き良き日産の姿も残る。
しかし“日産”の現実はそう甘くはない。日本プラストなど旧日産系部品メーカーの他社系列入りが相次いでいる。トリム専業の河西工業は、資本関係はなくなったがまだ日産向けの仕事が6割ある。遅々と進まない日産のタイの増産計画に投資を迷っていたが、このほど進出を決断した。社長の渡邊邦幸は、日産の労務担当常務からの転出組だが、「今後はトヨタやホンダの仕事を増やしたい」と話す。
国内販売はより悲壮感が漂う。ある有力販社の社長は今年に入って日産本社に駆け込み、小枝らに直談判した。「表層だけの数字で評価しないで欲しい。現場はもっとウェットな世界だ」―。
今年の株主総会でのこと。ゴーン社長の経営手腕をたたえる意見が大半を占める中、「日本の経営陣の顔が見えない」という厳しい質問も飛んだ。変わらぬ“ゴーン依存症”。株主や投資家も「NISSAN」と「日産」のギャップを感じ取っている。(敬称略)
「日産とNISSAN~ゴーン流8年の理想と現実(2)」
「ゼネラル・モーターズ(GM)はトヨタ自動車に対抗する緊急性を認識していない」。提携交渉が行き詰まりを見せる米GMと、フランスのルノー・日産自動車の両陣営。9月最終週にパリで、2カ月ぶりのトップ会談を控え、ルノー副社長のパトリック・ペラタは記者団に対してGMへの不満をあらわにした。ペラタは、日産時代からカルロス・ゴーンの腹心中の腹心。ペラタのコメントは、そのままゴーンのいら立ちを表している。
GMの苦境に端を発した今回の提携交渉。GMの大株主、カーク・カーコリアン率いる投資会社の米トラシンダが動いたことがそもそもの始まりだった。だからこそ提携の最大の目的はGMの経営再建にほかならない。しかし7月14日に最初のトップ会談が開かれ実際に交渉がスタートすると、なぜかゴーンの乗り気な姿勢ばかりがクローズアップされる。
本来なら助けを求めるはずのGM会長のリチャード・ワゴナーが慎重な姿勢に終始し、手をさしのべる役のゴーンは積極的な姿勢をとり続ける。先月27日のパリでの2度目のトップ会談では何ら具体的な成果を示せなかったが、それでもゴーンは「良い方向に向かっている」と言い切った。
まるで“親切の押し売り”。そう受け取られかねないほど、今回の提携への意気込みを見せるゴーンの狙いは何なのか。「大きなチャンスが到来した。そのタイミングは選べない。我々はつかむことを決めた」。ゴーンはGMとの提携交渉に乗り出した理由をこう説明する。しかしその「チャンス」をあえて今、つかみに行かなければならない理由は明らかにしていない。なぜ世界販売1500万台を超える巨大な3社連合を作り上げなければならないのか。
実はトヨタの躍進に焦っているのは、ワゴナーよりもゴーンの方なのかも知れない。1999年の最高執行責任者(COO)就任以来、日産を経営破たんの淵から業界トップクラスの好業績企業に蘇らせた経営手腕は誰も疑い得ない。ただ、そんな右肩上がりの復活劇に陰りが見えてきているのも隠せない事実だ。「(下期に新車投入が集中する)2006年度は上期の成長は難しい」と、日米欧での販売低迷はある程度想定済みとはいえ、成長のスピードではトヨタに水をあけられ始めている。
80年代前後に日産を率いた故石原俊は、永遠のライバル、トヨタ追撃に向けて急激な拡大路線へと打って出た。しかしその積極策の多くは失敗に帰し、結局は99年にルノーの軍門へ下る遠因となった。再びトヨタを“目の上のたんこぶ”と感じ始めた「NISSAN」。世界中のメディアに登場しGMとの提携の意義について饒舌(じょうぜつ)に語り続けるゴーンに対し、日本人幹部は「90日の間は本件についてはノーコメントにして頂きたい」(志賀俊之COO)と貝になるばかり。“ワンマンショー”と化した今回の提携劇は日産が世界的な業界再編をリードする道筋へとつながるのか。それともいつか来た道をたどることになるのだろうか。(敬称略)
※肩書きはすべて当時のもの
(後編は明日公開予定)
今から9年前の2006年。日刊工業新聞では5回に渡り「日産とNISSAN~ゴーン流8年の理想と現実」と題した連載を掲載。当時から“いびつな企業統治”は日産の成長の足かせになっていた。今回の国内生産の低迷についても、本質的な問題は連載当時から何も変わっていない。ゴーン社長は依然頂点に君臨するが、彼の周りから去っていった人間も多くいる。連載を2回に渡って再掲し、ゴーン流16年目の現実を考えるきっかけにしたい。
「日産とNISSAN~ゴーン流8年の理想と現実(1)」
日産自動車はどこへ向かおうとしているのか―。米ゼネラル・モーターズ(GM)と提携し、世界一の自動車グループを目指そうとする「NISSAN」。一方、国内に目を移すと、不振にあえぐ新車販売や旧系列の部品会社が苦悩する「日産」の現実が見えてくる。1999年、経営再建を使命に来日したカルロス・ゴーンは、瞬く間にスター経営者になった。そのカリスマ性が放つ光がまぶしいほど、コントラストも鮮明になる。
日産とルノーの社長を兼務するようになった昨年春以降、ゴーンは毎月の第3週を日本で過ごし、残りはフランスのルノー本社や全世界の生産・販売拠点をプライベートジェット機で飛び回るのが日常になった。
9月27日。パリで行われたGM会長、リック・ワゴナーとの2回目のトップ会談。交渉不調が伝えられる中、ゴーンは「3社の提携は自動車業界にとって正しい方向だ」と依然、強い意欲をにじませた。
2日前にさかのぼる。日本では日産が保有する日産ディーゼル工業の全株式をスウェーデンのボルボに売却すると発表した。ボルボは今年3月、日産ディ株13%分を取得。その時の会見でゴーンは「99年当時、(日産ディを)売ろうにも相手に金銭の支払いを求められた」と振り返った。
資産価値を高め売却益を手にするゴーン改革の真骨頂だ。しかし日産主導で進んだ提携話に、日産ディ社長の仲村巌に笑顔はなかった。それでもゴーンは「日産はトラックメーカーになるつもりはない」と意に介さない。
ゴーンは結果を得るためなら困難な決断もためらわない。100万台の増販を目標にした「日産180」(2005年9月末終了)。同計画策定に深くかかわった日産の元幹部は「80万台程度が今の実力。反動が出る」と進言したが、ゴーンは取り合わなかったという。計画はやり遂げた。そこからは彼の飽くなき“成長への渇望”が感じられる。
GMとの交渉が決裂した場合、次は米フォードモーターが相手になるとの観測も浮上する。ゴーンは合理主義者として知られるが、「巨大提携に動くゴーンさんの真意を日本人の幹部は測りかねている」(日産関係者)という声も聞こえる。
「1億台。この数字に歴史の重みを感じている」―。9月13日。横浜工場内で開かれたグローバル生産1億台の記念式典で、最高執行責任者(COO)の志賀俊之は歴代の名車「ダットサン」のパレードをみながらいつになく上機嫌だった。式典には多くのサプライヤーも参加。協力会「日翔会」の会長を務めるニッパツ社長の天木武彦は「いろんなことがあったが、ウイン―ウインの関係を築きたい」とエールを送った。
8月は恒例の都市対抗野球の季節。宿敵トヨタ自動車との対戦では、日翔会の専用席に、志賀と共同会長の小枝至が並んで座り応援する光景がみられた。点が入るごとに大声援が沸き起こる風景からは、古き良き日産の姿も残る。
しかし“日産”の現実はそう甘くはない。日本プラストなど旧日産系部品メーカーの他社系列入りが相次いでいる。トリム専業の河西工業は、資本関係はなくなったがまだ日産向けの仕事が6割ある。遅々と進まない日産のタイの増産計画に投資を迷っていたが、このほど進出を決断した。社長の渡邊邦幸は、日産の労務担当常務からの転出組だが、「今後はトヨタやホンダの仕事を増やしたい」と話す。
国内販売はより悲壮感が漂う。ある有力販社の社長は今年に入って日産本社に駆け込み、小枝らに直談判した。「表層だけの数字で評価しないで欲しい。現場はもっとウェットな世界だ」―。
今年の株主総会でのこと。ゴーン社長の経営手腕をたたえる意見が大半を占める中、「日本の経営陣の顔が見えない」という厳しい質問も飛んだ。変わらぬ“ゴーン依存症”。株主や投資家も「NISSAN」と「日産」のギャップを感じ取っている。(敬称略)
「日産とNISSAN~ゴーン流8年の理想と現実(2)」
「ゼネラル・モーターズ(GM)はトヨタ自動車に対抗する緊急性を認識していない」。提携交渉が行き詰まりを見せる米GMと、フランスのルノー・日産自動車の両陣営。9月最終週にパリで、2カ月ぶりのトップ会談を控え、ルノー副社長のパトリック・ペラタは記者団に対してGMへの不満をあらわにした。ペラタは、日産時代からカルロス・ゴーンの腹心中の腹心。ペラタのコメントは、そのままゴーンのいら立ちを表している。
GMの苦境に端を発した今回の提携交渉。GMの大株主、カーク・カーコリアン率いる投資会社の米トラシンダが動いたことがそもそもの始まりだった。だからこそ提携の最大の目的はGMの経営再建にほかならない。しかし7月14日に最初のトップ会談が開かれ実際に交渉がスタートすると、なぜかゴーンの乗り気な姿勢ばかりがクローズアップされる。
本来なら助けを求めるはずのGM会長のリチャード・ワゴナーが慎重な姿勢に終始し、手をさしのべる役のゴーンは積極的な姿勢をとり続ける。先月27日のパリでの2度目のトップ会談では何ら具体的な成果を示せなかったが、それでもゴーンは「良い方向に向かっている」と言い切った。
まるで“親切の押し売り”。そう受け取られかねないほど、今回の提携への意気込みを見せるゴーンの狙いは何なのか。「大きなチャンスが到来した。そのタイミングは選べない。我々はつかむことを決めた」。ゴーンはGMとの提携交渉に乗り出した理由をこう説明する。しかしその「チャンス」をあえて今、つかみに行かなければならない理由は明らかにしていない。なぜ世界販売1500万台を超える巨大な3社連合を作り上げなければならないのか。
実はトヨタの躍進に焦っているのは、ワゴナーよりもゴーンの方なのかも知れない。1999年の最高執行責任者(COO)就任以来、日産を経営破たんの淵から業界トップクラスの好業績企業に蘇らせた経営手腕は誰も疑い得ない。ただ、そんな右肩上がりの復活劇に陰りが見えてきているのも隠せない事実だ。「(下期に新車投入が集中する)2006年度は上期の成長は難しい」と、日米欧での販売低迷はある程度想定済みとはいえ、成長のスピードではトヨタに水をあけられ始めている。
80年代前後に日産を率いた故石原俊は、永遠のライバル、トヨタ追撃に向けて急激な拡大路線へと打って出た。しかしその積極策の多くは失敗に帰し、結局は99年にルノーの軍門へ下る遠因となった。再びトヨタを“目の上のたんこぶ”と感じ始めた「NISSAN」。世界中のメディアに登場しGMとの提携の意義について饒舌(じょうぜつ)に語り続けるゴーンに対し、日本人幹部は「90日の間は本件についてはノーコメントにして頂きたい」(志賀俊之COO)と貝になるばかり。“ワンマンショー”と化した今回の提携劇は日産が世界的な業界再編をリードする道筋へとつながるのか。それともいつか来た道をたどることになるのだろうか。(敬称略)
※肩書きはすべて当時のもの
(後編は明日公開予定)
日刊工業新聞2006年10月2―6日の連載を元に一部加筆・修正