世界で活発化する「量子技術」の研究開発、スイスに注目すべき理由|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

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世界で活発化する「量子技術」の研究開発、スイスに注目すべき理由

世界で活発化する「量子技術」の研究開発、スイスに注目すべき理由

スイスは九州ほどの面積で、その中に多くの大学や研究機関、大手企業の研究所が集積している

世界の主要国が量子技術に関する研究開発を活発化している。米国の成果創出が目立つが、注目国の一つがスイスだ。世界ランキングで上位につける大学や有力企業の研究機関、研究に必要な装置を供給する企業などが集積しており、世界中から優秀な人材が集まり研究を進める。エンジェル投資家による寄付も研究開発力の底上げに貢献している。量子技術に関しては、日本政府は国家戦略の一つに位置付ける。スイスの取り組みはヒントになるはずだ。(飯田真美子)

産学連携、最先端装置強み

スイスは科学技術の発展を目指すに当たり、特に量子分野を強化している。2022年に設立した政府のスイス量子委員会(SQC)を中心に量子技術の開発を後押しする体制を構築し、研究資金の調整や国際連携の強化などを進めている。

スイスには米IBMや米マイクロソフトといったIT企業が研究所を置いている。スイスが量子技術を強化する意義として、同技術が将来の科学技術発展のカギになることはもちろん、有力研究所の存在により他国より技術発展が見込みやすい環境が整っていることも挙げられる。

スイスは企業と大学の連携が研究力強化につながるとみている。チューリヒ工科大学のアンドレアス・ワルラフ教授は「近隣のIBMとの連携は強く、大学への量子コンピューターの導入が早い。所有台数も多い」と話す。実際に同大の量子センターには、数年前に導入した最新型から数十年前の初期モデルまで数多く並んでいる。これらを活用して量子誤り訂正や新材料の開発といった量子コンピューターの実現につながる成果を生み出してきた。

チューリヒ・インスツルメンツは量子ビットの測定や周波数の制御に使う増幅器を取り扱う(製品に使われる部品について説明するハフゾビッチCEO)

また基礎研究を加速するためには装置やシステムが重要であり、これらを開発・販売する企業が大学の近くに多く見られる。チューリヒ・インスツルメンツは、絶対零度で2個以上の量子が特殊な関係を持つ「量子ビット」の測定や周波数の制御に使う増幅器を取り扱っている。同装置を使うことでノイズを減らし、精度の高いデータを取得できる。スイスの大学や研究機関といった学術界に限らず、日本の京都大学理化学研究所も顧客という。

スイスの教育・研究・イノベーション庁(SERI)イノベーション部門のダニエル・エグロフ責任者は「大学と企業の連携がイノベーション創出のカギ。大学は基礎研究に力を入れており、企業が応用研究や製品化を進める。こうした点は日本と似ている」と強調した。

「センシング技術」に注力

キューナミが開発した量子顕微鏡システム。原子レベルで磁性素材を観察できる

量子技術の中でもスイス産業界が注目して開発を手がける分野がある。量子コンピューターはもちろんだが、力学を活用した「量子センシング技術」は小さくて見えないモノの観察技術を向上できる。キューナミは原子レベルで磁性素材を観察できる量子顕微鏡システムや探針などを開発・製造する。同社の探針は原子レベルで一部の構造をわざと欠損させ、センサーの感度を上げた。半導体などの材料開発に活用できる。

さまざまなインフラへの活用が期待されるのは量子暗号通信だ。安全保障の面でも重要であり、国際的な金融機関の多いスイスには必須の技術だ。IDQは高い安全性を確保した上でデータ通信を行えるシステムを開発し、政府や企業、通信事業者などに提供している。未来の超高速で安全な「量子インターネット」で使える基盤技術にもなるという。

スイスの量子関連の企業に日本で顧客や競合相手となり得る存在を聞くと、研究開発力に優れた「東芝」と回答する経営者が多かった。IDQのグレゴワール・リボルディ最高経営責任者(CEO)は「量子技術による新産業創出協議会(Q―STAR)の代表理事を東芝の島田太郎社長が務めているのが印象的。本格的に量子分野に参入している」と説明。日本企業が量子技術の開発に力を入れていることが海外にも伝わっている。

環境整備、海外から人材呼ぶ

研究者を引きつける環境が整っている点もスイスの強みだ。九州ほどの面積の中に多くの大学や研究機関、大手企業の研究所が集積している。このように充実したインフラを土台として優秀な人材の確保に動く。

具体的には最新機器の導入や研究所の新設といった研究者が憧れる環境を整え、世界中から優秀な人材を呼び込む。取り組みは成果を上げており、学生や研究者、教員の半数以上を外国人が占めている。その一人であるローザンヌ工科大学の河野信吾研究員は「最先端の研究環境が整っており、日本の国立大学の教授より年収が高い。生活面で困ることはない」と語る。日本で博士人材が減少する中、スイスのように海外から研究者を引きつける仕組みが必要だろう。

人材や研究環境への投資は政府予算だけでなく、事業に成功したエンジェル投資家による多額の寄付でまかなうことが多い。例えば、チューリヒ工科大に建設中の量子分野の研究を後押しする研究棟は、同大の卒業生で名誉評議員のマーティン・ヘフナー氏の寄付金が充てられる。地下6階・地上7階の全13階の建物で、地下には外部の振動や電磁波を最小限に抑える量子技術の研究に最適な環境が整う見込みだ。

チューリヒ工科大の量子コンピューター

スイス初となる民間の量子センター「クォンタム・バーゼル」もエンジェル投資家による寄付で設立された。7万平方メートルの敷地に量子技術・人工知能(AI)開発やスタートアップの創出に必要な最先端装置や空間が備わっている。24年には量子コンピューターを導入して従来のコンピューターと連携して使えるシステムを構築する予定だ。

同センターのダミール・ボクダンCEOは「量子コンピューターが実現すれば未来は大きく変わる」と目を輝かせる。膨大な寄付で最先端の装置がそろい、施設が建設されるなど日本にはない文化がスイスの研究力強化につながっている。

日刊工業新聞 2023年12月04日

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