2022/3/22
【真相】なぜ電子カルテでは医療DXは進まないのか
NTTコミュニケーションズ | NewsPicks Brand Design
依然として終わりの見えない、新型コロナウイルスの感染拡大。その渦中にある医療・ヘルスケア業界にこそ、今まさにDXによる変革が求められているが、思うように進んではいない。
医療DXを阻む「壁」はどこにあり、どのような仕組みが求められているのか。
千葉大学医学部附属病院で、次世代医療構想センターのセンター長を務める吉村健佑氏と、NTTコミュニケーションズの櫻井陽一氏が挑む、“診察室の外”からの医療DXとは?
INDEX
- 日本の医療DXは、まだ「フェーズ1」
- 診察室で得られる情報が、患者のすべてではない
- 医療DXを前進させる「Smart PRO」と「秘密計算」
- 患者の「冷静な判断」を助ける医療DXを
日本の医療DXは、まだ「フェーズ1」
──コロナ禍で、さまざまな業界のDXが加速したといわれます。まさにその最前線たる医療業界のDXは、現在どこまで進んでいるのでしょうか?
吉村 そもそもデータ活用には、3つのフェーズがあります。第1段階は「デジタル化」。次に「ネットワーク化」。そして最後に「ビッグデータ化」です。
日本の医療DXの現在地は、残念ながら多くがまだフェーズ1「デジタル化」の段階にとどまっていると言えます。
──デジタルへの置き換え以上のことは、まだ進んでいないのですね。
櫻井 一部では、次なるフェーズの取り組みも進んでいます。
たとえば第2フェーズのネットワーク化については、診療情報を地域の医療機関で共有する「地域医療連携ネットワーク」という仕組みを構築している地域も、すでに存在します。
ビッグデータ化についても、「NDB(National Data Base ※)」の情報をオープンデータとして利活用促進する試みを厚生労働省が始めています。
※レセプト情報・特定健診等情報データベース。診療報酬の明細書や、メタボリックシンドロームに着目した健診と保健指導のデータを匿名化して収集したもの
吉村 日本の医療現場は、長らくアナログの世界でした。診察は対面が原則で、カルテは手書きが当たり前。90年代より始まった遠隔診療も、なかなか普及には至りませんでした。
そうしたなか、2つの側面からデジタル化へと風向きが変わっていきます。
一つは、医療の進歩によって、治療のニーズが急性疾患から慢性疾患にシフトしてきたこと。
生活習慣病やガンといった慢性疾患は、場合によっては一生付き合うことになる病気です。医師は患者の日々の情報を収集し、ときには主治医をバトンタッチしながら治療に当たる。
紙での管理には限界が訪れ、現在は大病院の基準となる400床以上の病院のうち、8割以上が電子カルテを導入しています(※)。
※厚生労働省「平成29年度版 医療施設調査」
もう一つが、オンライン診療の普及です。
2018年の診療報酬改定で、新たに「オンライン診療料」が設定され、医療機関が積極的にオンラインに対応し始めました。そこにコロナ禍がやって来た。
2020年4月より規制が時限的に緩和され、初診からオンラインで受診可能になっています。ただし、これは「過去の診療情報があれば」という条件付き。患者本人から医師へ、おくすり手帳の写真やPDF化した診断書を送らねばなりません。
つまり、コロナ禍は“医療情報を電子化して共有する”というニーズを急激に高めたと言えます。
──電子カルテなど、すでにITの仕組みは整っているように感じるのですが、何が医療DXの阻害要因となっているのでしょうか?
櫻井 最大のネックは、“データフォーマットの不統一”です。
診療報酬の請求に用いる書式は、国によって統一されているのですが、電子カルテの内容は医療機関によって千差万別。病名や薬剤を示すコードもベンダー間で異なります。
吉村 まったく同じ病気でも、そもそも医師によって診断の表現が異なるケースは少なくありません。さらに薬剤も、製薬会社が買収されるなどして名称変更が起こります。
カルテに使う用語やコードの標準化については、厚生労働省が20年ほど前から提唱していますが、そもそも医療機関を超えてカルテをやり取りしないので、不統一でも困ることがなかった。
限られた病院の予算では、メンテナンスのコストを理由に、後回しになってしまっているのが現状です。
診察室で得られる情報が、患者のすべてではない
──これまで収集・蓄積されているデータはあれど、活用が進まない背景が理解できました。この他にも、“医療DXの壁”はありますか?
櫻井 やはり、医療にまつわる個人情報を扱う上で“情報の機微性の高さ”は避けて通れない問題でしょう。収集にあたって、合意形成や倫理審査など、安全かつ厳格な扱いが求められます。
これはすなわち、ビッグデータ解析などへの利活用が非常に難しいことを意味します。
個人情報が含まれたデータを分析する際は、プライバシー保護を考慮して「匿名加工」を行ったりします。データをそのままの形で使わず、大まかな傾向をつかむために、個人を特定できない形にデータを“丸める”わけです。
しかしそれでは、何十万人に1人といった希少症例が漏れてしまう可能性もある。医療情報を分析し、正確に読み解くには、“機微性を保ちながらデータを活用する”という、一見矛盾した処理をせねばなりません。
吉村 活用できずに眠っているデータも問題です。
ただ私は、病院で得られるデータだけでは、圧倒的に情報量が足りないと思っています。
──病院のデータでは不十分……。どういうことでしょうか?
吉村 わかりやすい例が慢性疾患です。
たとえば高血圧の場合、患者さんに毎日血圧を計測してもらい、その記録から医師が治療の方針を見定めます。つまり“病院の外で得られたデータ”が重要になるわけです。
診察室で得る情報だけでは、その病気の全体像はつかめません。病院にかかるのは年に1度あるかないか、という方もたくさんいます。そんな患者さんに「前回からの変化は?」と聞いても、答えられない場合がほとんどでしょう。
長く付き合う病気が増えてきたからこそ、患者さんご自身による日々の記録が、ますます重要になっているんです。
櫻井 実は、患者さん自身に提供してもらう情報の重要性は、臨床試験や新薬の開発でも高まっているんです。
その一つに「PRO(患者報告アウトカム)」があります。
PROは主観的であることに大きな意味があります。診察や検査の客観的・定量的なデータだけでは、患者さん本人のつらさまでは評価できませんから。
吉村 つらさは、症状に関するものだけではありません。病気に付随して、外出や食事が自由にできないつらさを感じているなら、その解消こそが医療の真の目的であるはずです。
最近の臨床研究では、客観的な情報に加え、「日常生活にどれほどの影響があるか」といった主観的な評価も参照することが、当たり前になってきました。
本人が感じる“つらさ”に目を向けなければ、医療が目指す本当のゴールにはたどり着けません。
医療DXを前進させる「Smart PRO」と「秘密計算」
──お話に挙がった医療DXの課題に対して、NTTコミュニケーションズではどのような取り組みを行っているのでしょうか。
櫻井 私たちはヘルスケアに特化したデータプラットフォームとして「Smart Data Platform for Healthcare」を提供しています。
このプラットフォームは、データの安全な収集や保管、患者本人の動的な同意取得管理、外部機関とのAPI連携など、医療データの安全な利活用に必要なさまざまな機能を有しています。
それらの機能のうち、「データを収集する手段」にあたるのが「SmartPRO」、「データを安全に扱う手段」にあたるのが「秘密計算」です。
この2つは、2020年から開始した千葉大学医学部附属病院との共同研究でも活用しています。
SmartPROは、2022年2月にローンチしたばかりのサービスで、紙が主体だったPROを電子化したePROと呼ばれるシステムです。
患者さんにご自分のスマートフォンから直接入力してもらうので、医療機関のデータ集計が効率化されます。
──他社のePROとの違いはどこにあるのでしょうか?
櫻井 直感的な操作性にこだわりました。
患者さんが日々入力するハードルが下がるように、初期設定からシンプルでわかりやすいUIを追求しています。
医療機関にとってのサービス導入のハードルを下げたのも、SmartPROの特徴です。
システムを簡素化し、段階的な料金設定にすることで、従来ネックになりやすかった導入コストやランニングコストを、必要最小限まで抑えることを目指しました。
集計したデータは患者さんとのコミュニケーションだけでなく、統計情報としての活用も可能です。医療機関はもちろん、製薬会社の新薬開発や市場調査にも役立ちます。
──先ほど課題として挙げていた「情報の機微性」はどう解決しているのでしょうか?
櫻井 ここで用いるのが「秘密計算」です。
データを暗号化したまま計算する技術で、言わば“データの中身を見ない”で、分析などの処理を可能にします。秘匿性を保ったまま、ビッグデータ解析やディープラーニングができるのです。
吉村 秘密計算が価値を発揮する場の一つが、複数の医療機関が参加する「多施設共同研究」です。
特定の疾患について、治療内容や経過などを協力して追跡調査するのですが、各医療機関が持つ患者データを共有するには、秘匿性の観点から多くの制限がありました。
ここに秘密計算を用いれば、分析結果のみを参照できる。作業が非常に楽になりましたね。
現在、千葉大学医学部附属病院でも、いくつかの診療科で秘密計算の技術を活用できないか、模索を続けているところです。
患者の「冷静な判断」を助ける医療DXを
──公益性を求められる医療業界では、マネタイズしてビジネスを大きく拡大するのが難しそうです。
吉村 事業者の医療サービス参入の難しさにはいくつかの段階があると思っています。
最も厳しいのは「保険診療」。
保険が適用される診療行為は法律や行政のルールが厳しく、国家資格保有者である医師のみしか実施できない。ここだけ見れば、医療は参入障壁がとても高い産業と言えます。
ですが、その手前には医師が行う保険が適用されない「自由診療」、さらにその手前には「保健活動」もあります。本人の同意に基づいて、保健師や看護師、心理職などが行うアドバイスです。
さらに参入障壁を低くしたところにあるのが、ウェアラブルデバイスや睡眠アプリなど、IoTを活用した「ヘルスケア」領域です。
マネタイズを考えるなら、これらの参入障壁の低いところから始めて、徐々に高い山に登っていくのが一般的なアプローチでしょう。
ところが今回のSmartPROは、最も難しい保険診療に関わるもの。NTTコミュニケーションズは一番高い地点から実績を作り、市場に出ていこうという、志の高いアプローチを選んでいると言えます。
櫻井 ありがとうございます。せっかく千葉大学医学部附属病院と手を取り合うからには、ハイエンドなものを生み出したいですし、臨床研究の現場で有益であることを証明したいと考えました。
実際に現場に通い、臨床の先生方とお話しすると、まだまだ欠けている視点に気づかされますが、そうした積み重ねがなければ、サービスにも深みが生まれません。
クオリティを追求した果てに、「医療の世界で安全だと認められている」という評価を得られれば、ビジネスの裾野を拡げていくのも難しくないのではと思います。
──SmartPROのような医療DXの先に何を目指されていますか?
櫻井 「SmartPRO」は治療や臨床研究、治験などに活用していただくのが前提ですが、症状が改善して治療をやめることも当然あります。その先も、患者さんの人生は続いていく。
であれば、蓄積したデータは継続的に活用されるべきだと思うのです。
ウェアラブルデバイスなどと連携すれば、自動的にデータを蓄積できますし、過去の自分との比較評価も容易になります。再び体調が悪くなったとしても、データからわかることも多いでしょう。
継続的なケアが可能な世界を実現するために、データがさらに蓄積・活用されるようなスキームを構築できればと考えています。
吉村 コロナ禍では医療の誤情報をはじめ、エビデンスに基づかない情報もたくさん出回りました。
健康に関する情報は、時に受け手の冷静さを失わせ、正常な判断を阻害します。市場原理だけが先行すれば、世の中が誤った方向に進みかねません。
NTTコミュニケーションズはSmartPROをはじめ、専門家と一緒に医療DXに取り組まれています。常に専門家と対話を重ねながら、指さし確認をしつつ進めている。
これはヘルスケアの情報化において、とても重要であり、大切にしたい姿勢です。
データの利活用に終始せず、「正確な情報を伝える」「冷静な判断ができる環境を設ける」という観点も併せもった医療DXが、新たに生まれることを期待しています。
執筆:井上マサキ
撮影:西田香織
デザイン:ソートアウト
編集:中道薫
撮影:西田香織
デザイン:ソートアウト
編集:中道薫
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