
オートバイと関わることで生まれる、せつなくも熱いドラマ
バイク雑誌やウェブメディアなど様々な媒体でバイク小説を掲載する執筆家武田宗徳による、どこにでもいる一人のライダーの物語。
Webikeにて販売中の書籍・短編集より、その収録作の一部をWebikeプラスで掲載していく。
朝、走る
結婚二年目の冬
早朝に目が覚めた。
普段なら再び眠りに落ちるところなのだが、今日は目が冴えてしまっていて、眠れそうにない。出勤まで二時間、妻が起きだすまであと一時間ある。
私は布団から起き上がり、着替え始めた。皮パンツの中にはタイツをはき、セーターの上から革ジャンを羽織った。厚手の革グローブにはインナーグローブもするつもりだ。
十二月の早朝はさすがにもう冷え込みが激しい。ましてやその時間にオートバイで走るとなると、それ相応の防寒対策が必要だ。私はヘルメットを抱えてアパートの外へ出た。
駐輪場から少しバイクを移動させてから、エンジンに火を入れる。暖気している間に、ヘルメットのあご紐を締め、グローブを手にはめる。オートバイに跨り、シフトペダルを一速に落として、私は静かに走り出した。
ピンと張り詰めた冷たい空気がシールドの下から入り込んでくる。薄暗い中、ほとんど車通りのない片側一車線の道路を、ひたすら北上する。凛とした空気を顔に感じながら静かな通りをただ走り続けていると、頭の中が少しずつ整理されていくような気がした。
昨晩、仕事で疲れていた私が妻より先に寝ようと寝室に入ろうとした時、妻は私を呼び止めてうれしそうにこう言った。
「妊娠したよ」
結婚二年目の冬だった。
「そうか、よかった」
私はたったその一言だけ言って、そのまま寝室に入ったのだ。何か気の利いたことを言ってやればよかったのかもしれない。しかし、そうするにはあまりにも頭の中が整理されていなかった。言うべきことはたくさんあるのかもしれない。ただ、そのためには少しだけ時間が必要だった。
風景が建物より畑や田んぼの割合が多くなってきた。道幅も狭くなったが対向車線を走る車の数もさらに減った。道路は少しずつカーブが多くなってくる。少しアクセルを開けて左カーブに進入してみる。速度が上がったオートバイを腰で倒しこむ。カーブを抜けると登り坂。更にアクセルを開ける。下り坂の右カーブを気持ちのよい速度で走り抜ける。その速さのまま短いトンネルを潜った。
父親になるということ
子供ができる喜び、子供ができる不安、子供に対する責任、父親になるということ。「妊娠したよ」の一言で頭の中を駆け巡った思いが、オートバイで走りながら整理されていく。
子供ができるということは、ただ手放しで喜べることではないと思う。少なくとも家族を養う男にとってはそうだ。喜びと同時にその責任に対する不安がどこかにある。以前まで将来に向かう道の先にあった分かれ道が、少なくなっていくという心細さもある。
この辺りで唯一あるコンビニが見えてきた。車が一台もいない駐車場にオートバイを滑り込ませた。エンジンを切り、ヘルメットを脱ぐ。店内でホットの缶コーヒーを買う。
駐車場の車止めに腰かけて、ホットの缶コーヒーを飲む。かじかんだ手が幸せを感じている。エンジンがカンカンと音をさせている。
帰ったら、暖かいシャワーを浴びてまたパジャマに着替えよう。妻が起きてくるときには食卓の椅子に腰掛けて新聞を読んでいよう。何事もなかったように「おはよう」と言うのだ。
そして、「生まれてくる子供が男の子だったらオートバイに乗せてもいいかな」と聞こう。妻はなんて言うだろう。「だめよ、危ないから」などと言うかもしれない。
小さな夢
私はオートバイで自宅に向かっている。対向車線を走る車も少しずつ増えてきた。辺りもすっかり明るくなっている。
私が妻に言いたいセリフをヘルメットの中で口に出してみる。
「生まれてくる子供が男の子だったらオートバイに乗せてもいいかな」
私の中に小さな夢が生まれた。子供ができることで増える将来の選択肢もある、と今気づいた。
東の空から眩しい太陽の光が差し込んでくる。
やわらかくなった風を顔に受けながら、私は交差点をゆっくりと曲がっていった。
<おわり>
出典:『バイク小説短編集 Rider's Story 僕は、オートバイを選んだ』収録作
著:武田宗徳
出版:オートバイブックス(https://autobikebooks.wixsite.com/story/)
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