エンジンの分解組み立てまで行うサンデーメカニックは相当手練れなのは間違いありません。そんなベテランでも、シリンダーにピストンを組み込む際は緊張し、注意が必要です。なぜならピストンリング破損のリスクがあるからです。そんな危険を回避する頼れる工具が「ピストンリングコンプレッサー」です。普段のメンテナンスではまずお目に掛かることのない専用工具ですが、その有用性を知ることで将来役に立つかもしれません。
高圧、高温の燃焼ガスをしっかり受け止めているピストンリング
シリンダー内で混合気を燃焼させて作動するのが内燃機関=エンジンです。もう少し詳しく言えば、混合気が爆発的に燃焼した際に発生する圧力でピストンを押し下げ、その力でクランクシャフトを回転させてクラッチ→ミッション→ドライブチェーン→タイヤと動力を伝達することで走行します。
シリンダーとピストンの間には金属素材同士が焼き付かず、ガタが出ないような適度な隙間=クリアランスが必要です。そして両者の隙間をさらに小さくするためにあるのがピストンリングです。
一般的な4ストロークエンジンの場合、ピストンリングは3本1セットで機能します。トップリングとセカンドリングは、シリンダー内で発生する高圧の燃焼圧力がピストンとシリンダーの隙間からクランクケース内に吹き抜けて逃げることを防止します。オイルリングはシリンダー壁面に付着するエンジンオイルをかき落として燃焼室内への混入を防ぎます。いずれのリングもピストンのリング溝に収まりながら、外向き=シリンダー内壁に密着するよう張力が与えられています。
ピストンリングが受け止めているのは燃焼圧力だけではありません。ピストンは燃焼時に発生する高温を受け続けながらシリンダー内を往復しています。その中で、リング溝に収まりながらシリンダー壁面と接するピストンリングはピストンが受けた熱をシリンダーに伝達する役割も担っているのです。
ピストンと一緒にシリンダー内部を往復しているピストンリングは、気密性と放熱性(オイルリングについてはオイルコントロール性)を両立しながら、さらにフリクションロスを減少させるという重要な役割もあります。近年のピストンリングは、接触面積の減少によるフリクション減少と面圧上昇により気密性向上を両立するため。旧車や絶版車用と比べて格段に薄くなっています。
ピストンリングが経年劣化や張力低下するとどうなる?
どんな部品にも経年劣化はつきものです。ピストンリングの場合、シリンダー壁面に押しつけられ続けることで、リング表面の摩耗が進行することがあり得ます。それを防ぐため、トップリングの外周面には硬質クロームメッキや窒化クロム処理といった表面処理が施されています。
そのため、燃焼圧力の保持や燃焼熱の伝導は長期間に渡って維持されます。大半のバイクは、乗り換え時までピストンリングの劣化が問題になることはないというのが実態です。しかし走行距離が数十万キロに及ぶほどの過走行車や、高回転を維持し続けるレースやモータースポーツで使用される車両の中にはピストンリングが摩耗、劣化するものもあります。
ではピストンリングが劣化するとどのような症状が現れるのでしょうか。
最も顕著な症状は圧縮圧力の低下です。外向きの張力でピストンとシリンダーの隙間から逃げようとする圧縮圧力を封じ込めていることは先に述べた通りで、経年劣化などで張力が低下すると圧力が逃げ、その分ピストンを押し下げる力が減少してしまいエンジンのパワー不足の一因になります。
圧縮圧力を測定するにはコンプレッションゲージを使用します。プラグホールにゲージを取り付けてセルモーターでエンジンを回した時に発生する圧力が、サービスマニュアルに記載されている規定値を下回った場合、圧縮圧力の低下と判断します。圧縮圧力の低下は吸排気バルブの密閉度も大きな要素となるので、一概にピストンリングの摩耗だけが原因とは断言できませんが、走行距離が多くなるほどリング摩耗の可能性が高くなるのは事実です。
摩耗したり破損したピストンリングは交換によって機能を回復することができますが、交換時の難関となるのがシリンダー組み付け時のリング圧縮です。ピストンリングはアルファベットの「C」のように一部が切れたリング状になっていて、そのままではシリンダー内径よりリング外径の方が大きいため、切断部分(合い口)を縮めてシリンダーに挿入します。
この作業では3本のリングの合い口を同時に縮めなくてはなりませんが、それぞれのリングはそれぞれ外に開こうとするので足並みを揃えるのが大変です。シリンダーを無理に押しつければ、リングが曲がったり折れたりして使い物にならなくなります。ひとりで作業を行う場合、片手でピストンを持ちながら指でピストンリングを縮めて、もう一方の手でシリンダーを挿入することになりますが、近年のエンジンになるほど薄いリングから伝わる張力を感じづらく、その分ミスをする=充分に縮まっていないリングにシリンダーを押しつけて損傷するリスクが高まります。
このような状況で頼りになるのが「ピストンリングコンプレッサー」です。原理としては3本のピストンリングをまとめて縮める=一時的にピストンと同径にする「タガ」のような専用工具です。
工具としてさまざまな形状のものがあり、ネット上で検索すればDIYで製作した自作品を使用しているユーザーも数多くいるようです。いずれの場合でも、ピストンリングを圧縮することでシリンダー挿入時のトラブルを回避できます。
シリンダー挿入後にコンプレッサー自体が外れることが重要
ここでは250cc単気筒のスクーター用エンジン組立時にピストンリングコンプレッサーを活用した例を紹介します。4気筒エンジンに比べて難易度は低いものの、ピストン径はφ70mm以上あってリング自体が薄いので、合い口を縮めても他の部分がリング溝からはみ出した状態でシリンダーを挿入すればリングが曲がったりシリンダーを傷つけるリスクがあります。
使用したピストンリングコンプレッサーはスチール製のベルトタイプで、3本のリングを同時に縮めることができます。ベルトは規則的に波型の突起があり、突起部分の上辺は斜めにカットしてあります。
このベルトはハンドルを回すことで直径が狭まるので、ピストンリングにセットして3本のリングをピストンリング溝に収めます。
次にシリンダースリーブの下縁でピストンリングコンプレッサーのベルトを押し下げながら挿入すると、ピストンリングはリング溝からはみ出すことなくシリンダーに収まるため、実にスムーズに組み立てることができました。
ホームセンターなどで売っているステンレス製のホースバンドを流用して、コンプレッサーを自作する例もありますが、その際はリングを圧縮する部分の上縁をリングとぴったり合わせることが重要です。リングの上縁とシリンダースリーブの接触部分に隙間があると、シリンダーの下縁で押し下げる際に隙間からはみ出したリングが破損する恐れがあります。
もうひとつピストンリングコンプレッサーで大切なことは、シリンダーをセットした後でコンプレッサー自体が外れるようにしておくことです。ここで使用している製品もピストンリングを縮めるベルトとハンドルは分割式で、シリンダーが3本のピストンリングの下まで入ったら、ベルトを外して取り外すことができます。
ピストンリングコンプレッサーの中には、主に自動車用エンジンを想定した筒型の製品もあります。自動車用エンジンの場合、ピストンはシリンダー上面から挿入するのが一般的なので筒状でも問題ありませんが、バイクのエンジンはピストンに対してシリンダーを挿入するのがポピュラーなので、筒状の工具では後から外せなくなる場合もあるのです。
多くのライダーにとってエンジンのオーバーホールという重整備はほぼ無関係でしょう。しかしバイクいじりに興味のあるサンデーメカニックにとって、ピストンリング組み付けの緊張感は理解できるはずです。そこで失敗して泣きを見ないためにも、ピストンリングコンプレッサーの価値を知っておくことは重要です。
- ポイント1・ピストンリングはレシプロエンジンの性能を左右する重要なパーツである
- ポイント2・修理やメンテナンスでピストンリングを交換する際、リングの張力に負けない力で押し縮めながらシリンダーに挿入するのは難しく、トラブルの原因になることが多い
- ポイント3・ピストンリングコンプレッサーを使用することでピストンリングにダメージを与えることなくシリンダーを装着できる
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