2015年 10月 25日
鎌倉にて~
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鎌倉散策 ①
仲間の集まりにて鎌倉に行きました。その時の画像にします。
まず会食は「古我邸」です。
「古我邸」は、1916年(大正5年)三菱合資会社(後の三菱財閥)の専務理事兼管事をしていた荘清次郎の別荘として、実に15年の歳月を費やして完成しました。
外国人が日本国内を自由に活動できる範囲は、開港場から半径十里(約40キロ)四方まで。その範囲にあった鎌倉は、避寒、避暑、海水浴ができるリゾート地として居留地の外国人たちに注目されていきました。
1889年(明治22年)に横須賀線が開通すると、さらに皇族や華族、富裕層が競うように西洋建築の別荘を建て、鎌倉に一気に別荘文化が開花します。

鎌倉駅東口は綺麗です。

鎌倉駅西口です。 電線が多くて鎌倉のイメージが無いですネ~~ 歩いて古我邸に向かいます。

こんなお店も~

お家?教会?

古我邸が見えてきました。

さすがに~ 古風で重厚です。

門の所の名称の文字です。

古我邸の前庭です。

このガラスは波打って建造当時の物で雰囲気が良い

愈々会食です。まず、ナプキンを~

スープはむらさきいもだった?

前菜

メイン料理 お肉 私はこちらでした。

メイン料理 お魚は隣の人のを失礼してパチリ🎶

ワゴンデザート

コーヒーは、 illy(イリー)です。

鎌倉ビールを頂きました。鎌倉生まれ、鎌倉育ちのクラフトビールです。

鎌倉ビールは苦味が強い?

前庭から~

正面入口です。
「古我邸」は1916年(大正5年)三菱合資会社(後の三菱財閥)の専務理事兼管事をしていた荘清次郎の別荘として、実に15年の歳月を費やして完成しました。
設計は、旧三菱銀行本店や旧丸ノ内ビルディングの設計を行った桜井小太郎。
桜井小太郎は、ジョサイア・コンドル(1877年(明治10年)に来日、日本の近代建築家を数多く育成し、鹿鳴館なども設計)の弟子として、丸ノ内のオフィス街開発に尽力した建築家です。

シンプルで上品な建築です。

「古我邸」のホームページの絵地図です。
仲間の集まりにて鎌倉に行きました。その時の画像にします。
まず会食は「古我邸」です。
「古我邸」は、1916年(大正5年)三菱合資会社(後の三菱財閥)の専務理事兼管事をしていた荘清次郎の別荘として、実に15年の歳月を費やして完成しました。
外国人が日本国内を自由に活動できる範囲は、開港場から半径十里(約40キロ)四方まで。その範囲にあった鎌倉は、避寒、避暑、海水浴ができるリゾート地として居留地の外国人たちに注目されていきました。
1889年(明治22年)に横須賀線が開通すると、さらに皇族や華族、富裕層が競うように西洋建築の別荘を建て、鎌倉に一気に別荘文化が開花します。




















「古我邸」は1916年(大正5年)三菱合資会社(後の三菱財閥)の専務理事兼管事をしていた荘清次郎の別荘として、実に15年の歳月を費やして完成しました。
設計は、旧三菱銀行本店や旧丸ノ内ビルディングの設計を行った桜井小太郎。
桜井小太郎は、ジョサイア・コンドル(1877年(明治10年)に来日、日本の近代建築家を数多く育成し、鹿鳴館なども設計)の弟子として、丸ノ内のオフィス街開発に尽力した建築家です。


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by nendo_doll
| 2015-10-25 09:06
| 東京&近郊の景色