2012年 05月 30日
長崎にて~
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長崎観光の様子 ⑤
目的の興福寺に到着しました。
寺町通りのなかほどに有ります。南方風の境内をもつ興福寺は、かつて日本のなかの中国だったのです。
雄大な朱色の山門により「あか寺」と言われた。興福寺は、我が国最初の黄檗禅宗の唐寺です。
開祖隠元(いんげん)禅師が、中国より初めて日本に渡海され住持した宝地であり、眼鏡橋を架けた黙子如定(もくすにょじょう)禅師、近世漢画の祖逸然(いつねん)禅師など、そうそうたる中国高僧が住持したことでも知られます。
このように、日本黄檗宗発祥の地、隠元禅師初登の聖地というユニークな歴史を記した全境内は、現在、県の史跡として保護されています。
この時代は、キリスト教禁令が厳しくなり、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかかったため、仏教徒であることを誇示するためにも、つぎつぎと唐寺が建てられたともいわれます。
朱色の門の所に大きなサインボードが吊られて居ました。
正門です。入館料は300円でした。
朱色の山門から見える景色。
斎藤茂吉の歌碑です。
「長崎の昼しづかなる唐寺や 思ひいづれば白きさるすべりの花」
山門を入るとすぐ木立の中にたつ歌碑は、茂吉が、人けも絶えた夏の午後の静かな唐寺の趣きを歌ったもの。茂吉は、長崎医専(医大)教授として大正六年(1917)冬から三年三ヶ月長崎に住んだ。長崎へは与謝野寛・晶子夫妻、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、若山牧水など多くの歌人が訪れ、その旅情を歌に残している。・・ 興福寺のホームページより
中島聖堂遺構大学門(長崎市所有) 県有形文化財
大雄宝殿(本堂)
鐘鼓楼 ① 県有形文化財です。
鐘鼓楼 ②
三江会所門(さんこうかいしょもん)
山門二間三戸八脚の入母屋造単層屋根・総朱丹塗りの豪壮雄大な山門は長崎で第一の大きさを誇る。
巨大蘇鉄 ①
巨大蘇鉄 ②
巨大蘇鉄 ③ 樹齢400年と言われています。1メートル育つのにおおよそ100年かかるのだそうです。
この蘇鉄の実がハート型をしているところから、この実の落ちているのを偶然見つければ良縁、子宝に恵まれるとか。そこで、興福寺の御守りや「こうふくまんじゅう」は、「ハート」の形になっているのです。・・・ホームページより
巨大蘇鉄 ④ 黄檗宗祖隠元禅師東渡三百五十周年記念碑
巨大蘇鉄 ⑤ 蘇鉄の幹です。
魚板(鰍魚)です。2対の片方です。
氷烈式組子の丸窓、氷を砕いた様な文様で大変珍しい物。
氷烈式組子の丸窓の説明文です。
虚子・蘭花の句碑が有りました。
きんかちゃ (金花茶)です。まだ咲いていてラッキーでした。
金花茶は、中国原産の椿。原種は中国広西壮族自治区からベトナムにかけて分布。
約50種ほどあり、そのうちの15種類が日本へ渡来しているとのことです。
黄色の椿というのは大変珍しいです。 初めて見ました。
きんかちゃ (金花茶)
1980 年に中国から導入されたとのことで,黄色いツバキとしてもてはやされたそうです。
シラユキゲシ(白雪芥子) 別名:スノーポピー
目的の興福寺に到着しました。
寺町通りのなかほどに有ります。南方風の境内をもつ興福寺は、かつて日本のなかの中国だったのです。
雄大な朱色の山門により「あか寺」と言われた。興福寺は、我が国最初の黄檗禅宗の唐寺です。
開祖隠元(いんげん)禅師が、中国より初めて日本に渡海され住持した宝地であり、眼鏡橋を架けた黙子如定(もくすにょじょう)禅師、近世漢画の祖逸然(いつねん)禅師など、そうそうたる中国高僧が住持したことでも知られます。
このように、日本黄檗宗発祥の地、隠元禅師初登の聖地というユニークな歴史を記した全境内は、現在、県の史跡として保護されています。
この時代は、キリスト教禁令が厳しくなり、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかかったため、仏教徒であることを誇示するためにも、つぎつぎと唐寺が建てられたともいわれます。
「長崎の昼しづかなる唐寺や 思ひいづれば白きさるすべりの花」
山門を入るとすぐ木立の中にたつ歌碑は、茂吉が、人けも絶えた夏の午後の静かな唐寺の趣きを歌ったもの。茂吉は、長崎医専(医大)教授として大正六年(1917)冬から三年三ヶ月長崎に住んだ。長崎へは与謝野寛・晶子夫妻、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、若山牧水など多くの歌人が訪れ、その旅情を歌に残している。・・ 興福寺のホームページより
この蘇鉄の実がハート型をしているところから、この実の落ちているのを偶然見つければ良縁、子宝に恵まれるとか。そこで、興福寺の御守りや「こうふくまんじゅう」は、「ハート」の形になっているのです。・・・ホームページより
金花茶は、中国原産の椿。原種は中国広西壮族自治区からベトナムにかけて分布。
約50種ほどあり、そのうちの15種類が日本へ渡来しているとのことです。
黄色の椿というのは大変珍しいです。 初めて見ました。
1980 年に中国から導入されたとのことで,黄色いツバキとしてもてはやされたそうです。
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by nendo_doll
| 2012-05-30 11:05
| 神戸・長崎にて