『有り、触れた、未来』 『とべない風船』 『ケイコ 目を澄ませて』第9ラウンド - necojazz’s diary

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『有り、触れた、未来』 『とべない風船』 『ケイコ 目を澄ませて』第9ラウンド

 

2023.4.2 刈谷日劇

山本透 監督  『有り、触れた、未来』 

宮川博至 監督 『とべない風船』 

三宅唱 監督     『ケイコ 目を澄ませて』第9ラウンド

 

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東日本大震災発生後の北野武さんの言葉。

今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

 

 

東日本大震災のその後を描いた作品で、亡くなられた方々のそれまでの人生も、残された遺族のお気持ちも、他とは比べることのできないたった一つのもので、その一つ一つが繋がって「生きてさえいればいい」という強烈なメッセージが胸に迫り、バンドの演奏と演劇の台詞と和太鼓の鼓動がシンクロするシーンは圧巻で、生きていることの尊さを心に響かせてくれる。

 

 

コロナ禍によって山本監督のお仲間が自ら命を落とし、自殺者も増えている状況で、「生きる力を届ける」という思いで脚本を書きあげられたそうで、おそらく商業的なことからだと思われるが、何処の映画会社からも良い返事はなく、監督の気持ちに賛同した俳優たちと資金集めから始めて自主映画として撮られたとのこと。

私がこの作品を知ったのは、日比遊一監督の『名も無い日』のことをブログに書いた際にご出演されていた松代大介さんからメッセージいただいて、松代さんのTwitterをフォローしていたからで、もしフォローしていなかったら見逃がしていたかも知れない。

自主映画の問題として上映する場所と宣伝があり、東海3県では刈谷日劇の他は愛知県の3か所で上映されただけで、作品の公開を知っておられた方も少ないのではないかと思う。

自主映画は口コミが命。

子供たちに向けた無料上映会もあるそうだが、また何処かの映画館で上映されることを心より熱望する。

 

 

『有り、触れた、未来』が東日本大震災のその後なら『とべない風船』は西日本豪雨のその後の物語。

甚大な被害を受けた広島県出身の宮川監督が広島で生活している者の使命感として撮られた長編第1作目で、こちらも地方発信の自主制作である。

 

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どちらの作品にもご出演されている原日出子さんが、豪雨で妻と子を亡くして生きる気力を喪失した東出昌大さん演じる憲二に向かって「生き続けろ」と語る。

共通するテーマを扱いながらも、感情をぶつけ合う『有り、触れた、未来』が動とするならば『とべない風船』は静であり、悲しみは消えなくともいつか向き合える時が来るまで生き続けなければならないことをじっくりと語っている。

 

 

飯田市での舞台挨拶のあと車で移動されて、東出さんの運転で刈谷に到着されたそうだ。

お疲れであろうと思うが、パンフレットの販売ではみなさん丁寧に応対して下さり、ひとりずつじっくりと話を聞かれてのリアクションも神対応

 

 

 

これまでにご出演された全作品に囲まれてうれし気な東出さん。

現在公開中の『Winny』を先日伏見ミリオン座で鑑賞して、天才プログラマー金子勇さんを演じるために増量した姿となりきり度に驚いたが、『とべない風船』で減量して、『天上の花』ではさらに減量されたそうだ。

「仕事ですから」と、さらりと言う姿がカッコイイ。

 

 

『ケイコ 目を澄ませて』第9ラウンド。

再、再、再延長の上映で、また、また、また鑑賞することができた。

トレーナー役の松浦慎一郎さんが『有り、触れた、未来』ではランキング下位の中年ボクサーとしてリングにあがり、打たれても前進する姿はケイコと重なり、ジムの会長を看病する奥さん役の仙道敦子さんは『有り、触れた、未来』では離婚した元夫に看病され、病院での前向きに生きるシーンが重なった。

もうこれ以上の延長はなさそうだが、またどこかの劇場で公開していただきたい。

ネット配信やブルーレイなどで観られると思うが、『有り、触れた、未来』の大空を泳ぐ青い鯉のぼりの壮観さも、『とべない風船』の大小の島と輝く海が織りなす多島美も、『ケイコ 目を澄ませて』の16ミリフィルムの優しい光とミットを叩く魂の音も、劇場で鑑賞することを前提にして撮られたものである。

まだ劇場で鑑賞可能な方は、ぜひ劇場で。