2011年、震災当日から3月末まで、東京下町。
普通ならば「大変ご迷惑をおかけいたします」の後に「が、ご理解いただけますようお願いいたします」とか「申し訳ありません」とかの文句が続くものだが、貼り紙のテープのちぎり方から察せられるように、いろいろ急に多忙になってしまい大慌てで文面を作成する羽目になったんだろう。
区のバスのほうの掲示? 「日立自動車交通」とある理由は知らないのだけれど。
トイレットペーパーの入手難、ホントに困ったのだった。
これは3.11ゆえというわけではないけれど、この折まで全然気づいていなかった。迂闊だわね。
橋の手前両側の大きな石灯籠、その後結局撤去されることになったのだった。今はどうなっているのかしらね。
実際には3.11を機に中国へ引き揚げちゃった店員さんも多かったみたい。その他、通っていた安食堂の類も臨時休業が増えて、これも結構困ったのだった。
「自粛ムード」で外食産業が困っている、景気良く外食でもなんでもしたほうが世間に金が回っていいんだぞ、というような、それはそれでもっともな話にもなっていたのだけれど、貧乏人としては日常的に利用していた店が利用したくとも出来ない有様で、お金があれば利用できる喰いもの屋があるとは羨ましい話だわいな、と捻くれた気分にならないでもなかったなぁ\(^o^)/。
震災とは関係なかったみたいだけれど、ことのついでに。
若手芸人さんたちも大変だわね。
水道工事が震災に伴うものかどうかは不明。
水道工事の貼り紙もそうだったけれど、これもスペルがところどころ怪しい^^;
ときどき開店することもあったりはしたのだけれど、しかし24時間営業復活とはなかなかならなかったのだった。
ひょっとしたら、全然違ってテプコ浅草館だったかも。テプコ浅草は長い休館の後、結局閉館してしまったのだった。
もうこの頃には桜も開花していたような記憶あり。