聖剣『乙女心』~勇者と聖騎士と女子力向上の呪い~
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聖剣『乙女心』~勇者と聖騎士と女子力向上の呪い~

【旅立ち】


「この王国一の剣士であり、聖霊に選ばれたおぬしならば、この聖剣を引き抜くことが可能なはずじゃ」


 王宮の奥、限られた時、限られた者しか入ることを許されない禁域にて、王は大仰な身振りでそう言った。

 王の言葉が向けられた先にいるのは、まだ年若い青年だ。服装からして平民である。しかし王の言うとおり、彼は確かに聖霊に選ばれた勇者だった。


「これが聖剣……。確かに、すごい力を感じる。これを……、僕が?」


 彼の名前は、レオニード・カスタニエール。勇者の末裔は体の震えを押さえながら、岩に深く突き刺さった聖剣の柄に手を伸ばした。


「おお!」


 大神官長や大臣、居合わせた者たちの口からどよめきが沸き起こる。誰が挑戦しても引き抜くことができなかった聖剣が、するりと、いとも簡単に岩から抜けたのだ。


「決まりじゃ! 今日からおぬしが真の勇者! その聖剣を携え、悪しき魔王を討伐するのじゃ! そしてその暁には、我が一人娘をそなたに娶せよう!」


救世主の登場を告げる王の言葉に、人々は歓喜の声を上げる。

しかしその光景をただ一人、心に闇を抱えながら眺めている男がいた。マグナーニ王国の聖騎士、ラインハルト・へスラーこそその男だ。


 ――なぜ、なぜお前が勇者なのだ!


 今しがた勇者となったレオニードとラインハルトは、いわゆる竹馬の友だ。幼い頃から、二人は兄弟のようにして育ってきた。

 しかしレオニードは平民であり、ラインハルトは貴族。ラインハルトの心の奥底には、レオニードを見下す心が、彼自身でも気付かないほど密かに存在していたのだ。

 その心が、レオニードが勇者と認められた今、ラインハルトの中で急速に大きくなり、彼の胸を突き破ろうとしている。


 ――ああ、姫様……!


 ラインハルトが目をやった先で、リリアナ姫はその白い面をわずかに赤らめ、慎ましく目を伏せている。王は宣言した。勇者が魔王を討伐した暁には、姫を勇者にくれてやる、と。


「分かりました、王様。僕が必ず魔王を討伐して参ります」


 親友の中で渦巻くどす黒い感情に気付かずに、レオニードは快活にそう答え、さらに続けた。


「しかし、僕一人では不安です。仲間として、親友のラインハルトについてきてもらいたいのですが、どうでしょうか?」

「――なっ!」

「よかろう。聖騎士ラインハルトよ。そなた程の騎士が勇者を助けるならば、魔王とて恐るるに足らぬ。我が軍を代表して、勇者と共に魔王討伐に赴くがよい!」

「――っ。かしこまりました」


 王命である。ラインハルトに拒む余地は無い。いや、王も勇者も、彼が拒むとすら思っていないのだろう。


「ところで王様、この聖剣には名前があるのでしょうか」

「おお、そうか。それを伝えるのを忘れておった」


 だから彼らは、のんきにそんなことを話している。ラインハルトは必死に、自分の中の邪悪な感情を抑え込もうとした。


「『乙女心』じゃ」

「――は?」


 王の告げた聖剣の名前に、レオニードが素っ頓狂な声を出す。


「その聖剣の名は、『乙女心』じゃ」

「……それには、何か深い由来があるのですか?」

「ある」

「どんな?」

「実はその聖剣は、振るう者に絶大な力を授ける代わりに、ある副作用を備えているのじゃ」

「副作用? どんな副作用ですか?」

「何、気にしなくて良い。軽いもんじゃよ。大したこと無いって」

「いいから教えて下さい」

「聞きたいの? どうしても? その剣を抜いた者は、一年と経たず、身も心も乙女になってしまうという副作用じゃ」

「ふ~ん、確かに大したことないですね。――って、え? 何? 乙女?」

「では行くが良い! 勇者よ! 必ずや魔王を倒して戻ってくるのじゃ!」

「え、ちょっと、僕の話聞いてます? 王様?」


 ラインハルトは、王の命にただうなずく。しかし彼の心の闇は、確実にその大きさを拡げていくのだった。


「ラインハルト!! お前もなんか言え!!」


 勇者と墜ちた聖騎士、そして聖剣『乙女心』にまつわる伝説が、今始まる。


「おい!!」



【一の月】


「え~っと? なになに? 『この聖剣の副作用はごく単純です。この聖剣を抜いた者は例外なく、十の月を数える前に可憐な乙女になってしまいます』」


 半ば追い出されるようにして城を出てきてからの、初めての野営だ。レオニードはたき火の灯りで、聖剣の説明書を読んでいる。なぜ聖剣に説明書があるのか? それは誰にも分からない。


「『身も心もです。繰り返しますが、身も心もです。聖剣を抜いたあなた。あなたはだんだんと乙女系男子になっていき、やがて本当の乙女になるでしょう』って、呪いの剣じゃねーか! これ!」

「落ち着くんだ、レオ。今更言っても始まらない」

「逆にどうしてお前はそんなに落ち着いてるの!?」

「俺たちはもう、魔王を倒すまで引き返せないんだ」

「いいじゃん! 引き返してもいいじゃん! こんな呪いの剣なんか叩き返して、普通の剣で戦えばいいじゃん!」


 勇者は地団駄を踏んでいる。しかし王の命令には逆らえない、それに――


「伝説の通りなら、魔王はその聖剣でなくては倒せない」

「誰が作ったの? その伝説」

「それに見ろ、説明書のこの部分には、一度聖剣を引き抜いた場合、魔王を倒すまで女子力向上は止まらない、とある」


 『女子力向上』って、そのバッドステータスはどうなん? と、勇者はつぶやいた。


「『身も心も』って本当に? 僕の体も女の子になるの?」


 勇者の背筋に寒気が走った。

 もともと男としては細身で小柄なレオニードだが、その体は間違いなく男のものだった。


「らしいな」

「らしいなってお前、人ごとみたいに……」

「要は十月以内に、魔王を倒せばいいだけの話だ。違うか?」


 ラインハルトの言葉はどこまでも真っ直ぐだ。身分は違えども、レオニードはこの親友に絶対の信頼を置いていた。


「……そうだな。お前の言うとおりだ。皆のために、魔王を倒さなきゃならないのは変わらないもんな。愚痴っても仕方ないな」

「安心しろ、お前がどうなっても、俺たちは親友だ」

「……ラインハルト」


 友の言葉に、勇者の胸の鼓動が、少しだけ速さを増す。


「――え? ちょっ、ちょ! ちょっと待った」

「どうしたんだ? レオ」

「え? 何今の。早速この剣の呪い?」


 今まで感じた事のない感覚に、レオニードは戸惑った。まさか一日目から聖剣の呪いの効果が出ているのだろうか。


「大丈夫だ。俺が、お前を守る。必ずだ」

「だから今、そういうイケメンなこと言うなって! ヤバい、ヤバいよこの剣……。ラインハルト! 明日から速攻で魔王を倒しに行くぞ!」


 そうだ、ラインハルトの言葉は正しい。要は聖剣の呪いが自分を乙女にしてしまう前に、魔王をぶちのめしてしまえばいい話ではないか。

 半ばやけくそで、勇者は星空に吠えた。



【二の月】


「ラインハルト。なんか最近、すれ違う子供とか赤ん坊が、無性に可愛く見えるんだ」


 二人は順調に魔王城への旅を続けていたが、ある夜、勇者は深刻な顔で、聖騎士に悩みを打ち明けた。


「……良いことだろう、レオ。民を愛するのは勇者として必要な資質だ」

「そう! そうだよな、ラインハルト! 別に僕、乙女化なんかしてないよな!?」

「ああ、大丈夫だ」


 ラインハルトはそう言ったが、この一月で、勇者の乙女化は確実に進行していた。

 まず、何を見てもとりあえず「かわいい」と言うことが増えた。道具屋などで女子好きがしそうな小物に対してそう言うのは百歩譲って理解できるが、先日武器屋にて袖を引かれ、「ラインハルト、この鉄の剣かわいくない?」と言われた時は、流石のラインハルトも答えに詰まった。

 そういう時、レオニードの手は腕の前で握りしめられて、なんかきゃぴっとした感じにポーズを作っている。


 次に、朝起きた時の支度が長くなった。以前は寝癖なども気にせず、起床して三分で出発などということも珍しくなかったのに、今はやたらと鏡の前で前髪を気にする。

 上手く髪型が決まった時は一日中機嫌が良いし、そうでない時はやたら不機嫌になり、すぐにむくれる。


 そしてもう一つ、レオニードは最近、確実に料理の腕前を上げた。


「大丈夫だよな! あ~安心した。それはそうと、ご飯だから」


 今日の野営はレオニードが料理当番だ。

 ラインハルトは勇者がよそってくれた手料理を口に運ぶ。見た目は普通のシチューのようだ。


相も変わらぬ男同士の冴えない野営料理……、のはずだが畜生! それが何でこんなに美味いんだ!

 まるでこれは、アパートの隣の部屋のお姉さんが「作り過ぎちゃったから、キミも食べる?」って持ってきてくれるシチューの味じゃないか! そんなものを食べたことは無いが。

いけませんお姉さん! そんな無防備な姿で! お姉さん、お姉さん、僕はあなたのことが、ずっと前から好きでした!!


――そう叫びださないのは、ひとえにラインハルトが聖騎士としての厳しい訓練をくぐり抜けてきたからだ。そうで無ければ、とっくにやられている。


「おいしい?」


 勇者がこっちを見つめながら、こてんと首を傾げて聞いてくる。なんだそれは。その仕草は。


「ああ、美味いよ」

「本当? 良かった!」


 花が咲いたようなまぶしい笑顔に、ラインハルトはむせた。これが聖剣『乙女心』の恐るべき魔力だ。勇者は確実に乙女化している。


 ――だが、これでいい。


 ラインハルトは心の中でほくそ笑んだ。

 このまま乙女化が進行すれば、勇者は取り返しのつかない所まで行く。

 やがて彼は、白いワンピースと麦わら帽子の似合う、完璧な乙女になるだろう。


 ――そうすれば、姫も……。


 聖騎士の心を、闇は確実にむしばんでいた。



【三の月】


「きゃあ!」


 戦闘中、勇者が出した悲鳴に、場の全員が固まった。

 レオニードとラインハルトが戦っていた野盗の首領は、ぽりぽりと頭をかきながら、レオニードに声をかけた。


「今、誰か『きゃあ』って言わなかった?」

「言ってない」


 勇者はふるふると首を振る。


「でも、確かに……」

「言ってない!!」

「……そうか。……じゃあ、再開するか。げへへへへ! あの村を襲って、若い娘は全員人買いに売り飛ばしてやるぜ! 俺たちは好きなように生きるんだ。勇者サマなんぞが首を突っ込むんじゃねぇ!」


 切替え早っ! と思いながら、レオニードは野盗の首領に正義の怒りをぶつける。


「お前たちのような奴らがいるから、この国はいつまでも平和にならない! 人々にとっては、魔王もお前たちも変わら――きゃあ!」


 その可愛らしい悲鳴が勇者の口から漏れたことを、今度は誰もが認識した。


「あのさあ」


 野盗の首領はまたしても、頭をかきながら苦情を言う。


「今、真面目にやってるんだよね。そういう気の抜ける声、出さないでくれるかな」

「う、うるさい! お前たちのねぐらが不潔だから悪いんじゃないか! 虫が――ひっ!」


 足下に這いずっていたムカデに気付いて、勇者は隣にいた聖騎士に飛びついてしまった。

 レオニードは昔から腕白で、虫など平気なはずだったのに、反射的に体が動いてしまうのだ。


「……レオ、離れてくれ」

「あ、ああ、すまないラインハルト」


 野盗のねぐらになっていた洞窟に、微妙な空気が流れる。野盗の首領は大きくため息をついた。


(勇者って、男だよな)

(ああ、そのはずだ。え? 女なの? どっち? なんか可愛くない?)

(女だったらアリだな)

(アリ寄りのアリ)

(俺は別に男でもいいよ)


 首領の後ろでは、雑魚たちがひそひそと会話をしている。


「僕は男だ!」


 顔を真っ赤にして、レオニードは聖剣を振るった。光の波動に、野盗たちが吹き飛ばされていく。呪いはともかく、聖剣の力は本物だった。



【四の月】


 深夜、野営中のテントの中で、聖騎士ラインハルトは苦しそうにうなされていた。

 魔王城に近づき、魔王が発する瘴気が濃くなるにつれ、彼の中にある勇者に対する黒い感情が刺激され、それが悪夢となって彼をさいなんでいるのだ。


 悪夢の中でラインハルトに呼びかける声がする。その声はラインハルト自身のものであった。


 ――勇者を殺せ。お前ならばできる。


 ――聖剣に選ばれた者だからと、それが何だというのだ?


 ――このままでは、姫は勇者に奪われるぞ。


 ――勇者を殺して、姫を我が物にするのだ。


 最初に悪夢を見たのはいつだったろうか。はじめは夢の中の自分が何を言っているか判然としなかったが、声は徐々に明瞭になり、やがてはっきとそう囁いてきた。

確かに、ラインハルトは勇者が乙女化することで姫から見限られる事を望んでいた。

しかしその望みですら、心の奥底に秘められ、彼自身もはっきりとは自覚していないものであった。ましてや親友である勇者を殺そうなどとは、ラインハルトは考えていなかったはずだ。


「う……! ぐ……!」


聖騎士の中で、正義の心と悪の心が激しく戦っている。彼がうなされているのはそのためである。


「――がはっ!」


 目を覚まし、上半身を起こしたラインハルトの総身が冷たい汗で濡れている。


「どうした? ラインハルト」


 テントの中の異常を感じ取ったのだろう。見張りをしていた勇者が外から怪訝な声をかけてきた。


「い、いや、何でもない」


 そう言ったが、彼の精神は既に、自分では制御出来なくなりつつあったのだ。



【五の月】


「……体型が、変わってきた気がする」


 レオニードは、鏡の前でつぶやいた。

 気のせいか、腰回りもふっくらしてきている。それに、鍛えているはずなのに、余分な脂肪がなかなか落ちない。心なしか胸の辺りも――


「レオ」

「ひゃいっ!」


 突然部屋に入ってきた来客に、勇者は奇声を上げて飛び上がった。


「ば、バカ! ラインハルト、ノックしてよ!」

「……す、すまない」


 聖騎士の顔には、勇者的反応速度で投擲された花瓶が突き刺さっている。


「部屋は、やはりこの一つしか空いてないそうだ」

「え。――え、そうなの?」

「ああ、しょうが無いな」

「ベッド、一つしかないよ?」

「それなりに大きいし、充分だろう?」

「え……、あ、いや、そうだよな! 男同士だし! 全然OK!」


 翌朝、宿の主人がにやついた顔で、「昨夜はお楽しみでしたね」と言ってきたので、勇者はすごい顔で宿の主人をにらみつけた。



【六の月】


「魔王様の手を煩わせるまでもない! この魔王三将軍が一人、豪将ガムダライが貴様たちを倒してくれる!」

「僕たちは負けない! あなたたちのように、他人から奪うことしか考えない人なんかに、絶対に負けないんだから!」

「……よく吠える! 貴様ら人間とて、我々魔族から奪い続けてきたのだ! その歴史から目を背けている貴様らに言われたくはない!」

「――それでも、それでも僕は人間を信じたいの! あなたにだって、愛する心は――」

「ストップ」


 鎧を着た巨大なミノタウロスが、熱弁を振るう勇者を片手で制止した。

 こいつは魔王軍の幹部の一人で、今勇者たちの前に立ちはだかっている。


「え?」

「ちょっと待て」

「ど、どうして」

「なんか、違う」


 ミノタウロスは、眉間に皺を寄せて目をつぶり、真剣な様子で考え込んでいる。勇者は聞いた。


「何が?」

「なんかこう、勇者の台詞が、違う」

「だから、何が」

「なぁんかこう……、全体的に、なよっとした感じじゃないか?」

「そんなことないもん!」

「それな。何? その『もん!』って」


 勇者のくせにかわいこぶってんじゃないよと、ミノタウロスは激しくダメ出しする。それに取り合わず、勇者の脇から出てきたラインハルトが、ミノタウロスに剣を突きつけて反論した。


「ガムダライ! 詭弁を弄するのはやめろ! 貴様も悪行の報いを受ける時がきたのだ!」

「そう、こんな感じの荒々しい、男らしい台詞を求めてるの、俺は」

「僕だって男らしいだろう!」

「全然ダメだ。まず声が可愛いしな」


 聖剣『乙女心』は、既に勇者の精神・肉体の両面に大きな影響を与えている。元々男としては高かった勇者の声は、更に女声になっていた。言うこともなんだか乙女ナイズされている。


「ガムダライ! 楽に死ねると思うな! 貴様には、今まで苦しめた人々の痛みを、存分に味わってもらう!」

「そう、いいね。こっちの聖騎士の方はアリだな。俺を力ずくで屈服させようって気迫が伝わってくるよ。ゾクゾクするね」

「お前、なんか危ないヤツだな。キモいよ」

「お! 今の台詞は良かったぞ勇者。次はもっと蔑んだ目で言ってみようか!」


 こんな敵も多かったが、勇者と聖騎士は着実に魔王の城へと近づいていた。



【七の月】

 ラインハルトは、その夜もテントの中で呻いていた。

 魔王城が近づくにつれ増していく瘴気は、確実に正騎士の心を蝕み、今や悪夢は毎夜のことであった。

 さらにその内容は、日ごとに恐ろしさを増している。


 ――勇者を押し倒せ。お前ならばできる。


 ――元は男だったからと、それが何だというのだ?


 ――このままでは、勇者は姫に奪われるぞ。


 ――勇者を押し倒して、勇者を我が物にするのだ。


 こうなっていた。

もはや末期である。


 ラインハルトの強靱な精神力をもってすら、魔王の瘴気と勇者の女子力には逆らえないのだ。


 勇者が聖剣『乙女心』を引き抜いてから七か月、勇者――「彼」はもうすでに70%程度は「彼女」だった。旅の途中のちょっとしたハプニングで、ラインハルトにはそれが分かるのだ。


 ――ちょっと鎧がきつくなってきて……。そ、その、胸のあたりが。ちょ――じろじろ見ないでよ! ……恥ずかしいじゃん。


 ――きゃあ! ご、ごめん。ラインハルトが先に入ってるって気づかなくって……。……お風呂、僕も一緒に入っていい?


 他にも、男なら嬉しいイベントが旅には盛沢山だった。さらに、今も勇者はテントの外で見張りをしているが、テント内には妙に女の子っぽいいい匂いが残っている。この匂いが、寝ていてもラインハルトの正気を削っていくのだ。


「ぐっ、があぁ!」


 それはラインハルトの記憶にすら影響を与える。

 親友として幼い頃から育ってきたレオニードの姿は、すでに隣家に住んでいる可愛らしい幼馴染みの少女に改変されていた。


 ――ラインハルト! 起きて! もう、ラインハルトは私がいないとダメなんだから!


 ――ラインハルト! 一緒に学校行こ!


 ――……え? 私の将来の夢? ……お嫁さん。誰のって……ふふ、知ってるくせに。


 もちろんこんな過去は彼らに無い。レオニードが毎朝ラインハルトを起こしに来ていたという事実は無いし、一緒に手を繋いで登校したということも無い。というかこの世界に学校など無い。


 だが、聖騎士の心は既に、十分に闇に染まっていたのだ。



【八の月】


「この聖なるほこらの結界は、清らかな乙女しか通ることができんのじゃ……。男のお前たちでは……。……ん? いや、その勇者は通れそうじゃな。うん、いけるわ」


 実際にいけた。



【九の月】


 長かった戦いも、ついにここまで来た。魔王城は目前である。もう何度目になるか覚えていない野営中に、毛布代わりに体にかけたマントの下から、レオニードはラインハルトに声をかけた。


「……ねえ、ラインハルト」

「……どうした、レオ」


「……いよいよだね」

「……ああ、いよいよだ」


 レオニードは少し迷ってから、ラインハルトに聞いた。


「ラインハルトはさ……」

「うん?」

「どうして私に付いて来てくれたの?」


 レオニードはナチュラルに「私」と言ったが、それは気にしてはならない。


「そうだな……。……約束を、守るためかな」

「約束?」


 レオニードは半身を起こした。シャツの隙間から、見えてはいけないものが見えそうで見えない、絶妙な角度だ。


「ああ、お前との約束だ」

「約束……。あ」


 レオニードはラインハルトの言葉に思い当たった。昔幼かったころ、二人でかわしたあの約束。


「大人になったら、一緒に――」


 冒険の旅に出かけよう。二人はそう約束したのだ。


「そうだ。大人になったら、一緒になろう」

「そうそう。え? は? ……聞き間違いかな? もう一回ね。リテイク」


 幼い日のあの約束。


「大人になったら、一緒にぼうけ――」

「一緒になろう」


 レオニードは大分早口で言ったのだが。ラインハルトはそれを遮った。

 レオニードは親友の顔を見る。本気だ。しかし彼は一応聞いた。


「一緒になるってどういう意味?」

「結婚しよう」

「聞くんじゃ無かったよ……」


 とりあえず、魔王を倒せばこの呪いともおさらばだ。親友も正気に戻るだろう。レオニードはそう考えて顔を覆った。



【十の月】


 そしていよいよ、聖剣「乙女心」の呪いが回りきる直前に、彼らは魔王の城にたどり着いた。


「魔王! 今までの悪行の報いを受けろ!」


 戦いはなんやかんやありつつそれなり順調に進行していた。そろそろとどめを刺そうかという時に、魔王は急に笑い出した


「ふっふっふ、吠えるな勇者よ。余にはまだ切り札がある。それを見てもまだ虚勢を張り続けることができるかな?」

「何!?」

「惑わされるなレオ!」


 ラインハルトがそう叫ぶと、魔王は彼を指さした。


「フハハハハハ、聖騎士ラインハルトよ、余の切り札とは貴様のことだ! 貴様が勇者に対して抱いていた劣等感、余は見抜いておるぞ!」

「何だと!」

「クククク、こやつは姫に惚れておったのだ。だが姫の関心は常に、勇者であるお前に向けられていた。正直に言うがいい、聖騎士よ、本当はずっと心の底で、勇者を殺し、姫を我が物にしたいと思っていたのではないか?」

「そ、そんな……、こいつがそんなことを考えるはずが……」


 信じてきた仲間の隠されていた本心を聞かされ、勇者は激しく動揺する。


「ち、違うレオ! 俺を信じてくれ! 俺は姫なんかにはこれっぽっちも興味はない! 今はお前だけだ!」

「いやお前それ、弁解の方向が違うくない?」

「今なら間に合うぞ、聖騎士よ。余の配下になるのだ。そうすれば姫と王国をお前にやろう」

「断る!!」


 即座に否定するラインハルト。なんだ、やっぱりコイツは正義感に満ちた、熱いやつなんだ。疑った自分が馬鹿だった。勇者は心の中で反省する。


「では勇者をやろう」

「ぐぅ! 卑怯だぞ……! 魔王!」

「なんでお前はそれで迷うんだよ! 魔王も魔王で、柔軟に提案を変化させるんじゃないよ!」


 すると突然ラインハルトは苦しみだし、その身体が黒いオーラに包まれた。


「う、ぐ、うわあああああ!!」

「ラ、ラインハルト! どうしたんだ!」

「ふふふはははははは! 勇者よ、余の狙いはこれだったのだ! 今、聖騎士の中で抑えられていた闇の心は限界を超えた! これで奴は、闇の力に魅入られた暗黒騎士に生まれ変わるのだ!」

「いや、とっくに闇に飲まれてたと思うけど――、それはともかく! しっかりしろラインハルト! 一応聖騎士だろ! 頑張って!」


 ――頑張って?


 勇者の言葉が、暗黒に堕ちようとしていた聖騎士の耳に届いた。


 ――そう、そうだ。俺は、耐えなければならない。レオの愛に応えるためにも!


 いや、愛は無いよと勇者が叫んでいる。その言葉は、聖騎士の耳には都合良く届かなかった。


「うおおおおおおおおお!!」


 ラインハルトの叫びと共に黒いオーラはかき消され、反対にまばゆい光が放たれる。


「な、なんだこの力は!!」

「魔王! これがお前が気付かなかった人間の力! それは愛だ!」

「いやだから、愛は無いって」


 レオニードはもう半ば割り込むことを諦めて、瓦礫に腰掛けてその茶番を眺めていた。


「食らええええ!!」


 そして聖騎士の渾身の一撃が、魔王を肩から切り裂く。この聖剣要らないじゃんと勇者はつぶやいた。

 玉座の間を覆った光が消えた後、そこには力を失った魔王が、柱にもたれかかるように倒れていた。


「フッフフフフ……、まさか本当に余を倒すとはな……。誉めてやろう、勇者よ……」

「私は何にもしてないけどね」

「早く止めを刺すんだ! レオ! こいつが死ねば、地上に平和が訪れるんだ!」


 そうなのだ。ここまで何の活躍もしてこなかったが、聖剣「乙女心」でなければ魔王の息の根を止めることはできない。


「殺すがいい。命乞いなどせぬ。余が死ねば、聖剣にかけられた呪いも消える……。お前も、元の身体に戻れるだろう」

「待て! やめるんだ、レオ! こいつを殺したからと言って、それは本当の解決にはならない! 争いを終わらせるために敵を殺すしかできないなんて、それは人間の傲慢じゃないのか!?」

「うるさいよ!」


 そして、案外さっくりと勇者にとどめを刺された魔王は、塵となって消えていくのであった……。



 魔王が死ぬと、レオニードにかかっていた女子力向上の呪いは解けた。

 彼は十ヶ月前に旅を始めた時の、少年の姿に戻っている。


「疲れた……」


 色んな意味で疲労困憊したレオニードは、頭を振りながら近づいてくるラインハルトに気がついた。聖剣の呪いが解け、彼もようやく正気を取り戻したようだ。


「ラインハルト、大丈夫か?」

「ああ、俺はずっと、悪い夢を見ていたようだ……。すまないレオ、俺はどうかしていた」

「うん、ほんとにどうかしてたよな」


 でも、お前が正気に戻ってくれてよかったよと、レオニードはラインハルトに笑顔を向けた。


「そう、どうかしてたんだ。重要なのは性別じゃない」

「……は?」

「お前が男に戻っても、俺のこの想いは変わらないさ!」


 ラインハルトは高らかに叫び、レオニードはそれを無視して家路に就いた。





 彼らの冒険について、後日談がある。


 魔王を討伐して帰還した勇者に対して、国王は約束通り、姫を褒美に与えようと言った。

 しかし、なぜか聖騎士がそれを固辞し、勇者と自分は冒険中に愛を誓い合ったのだと宣言した。


 勇者は固まり、国王たちはドン引きした。


 一方姫は、「それはアリね」とつぶやいたそうな。



HAPPY END

お蔵入りにしようと思ったのですが、折角書いたので。

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