エピローグ ~ エリスの新たな旅立ち 〜
馬車の外を流れる初夏の風景は、いつのまにか夕暮れに変わっていた。
遠くに見える山々は赤く染まり、日が暮れゆくことを私に教えてくれている。
ふと我に返って、すぐに視線を馬車の中に戻した。
どうやら私はずいぶんと長い時間、過去に思い耽っていたらしい。
隣に座っている初老の女性が、いつのまにか荷物を胸に抱いたままスヤスヤと眠っていた。
思い出していたのは、私が過ごしてきた激動の日々のことだ。
私が「天使」になる決断をするまでに過ごした、もはや戻ってくることのない濃密な時間。
あのときは、我ながら本当に無茶なことをしていたと思う。
今思い返しても、世間知らずで向こう見ずでわがままで、本当に恥ずかしい限りだ。
だけど、そういう日々を過ごすことで人は大人になっていくんだろうなぁって、最近思うようになった。
これも──私が少しは成長した証だろうか?
あの決断から、私の人生は文字通り一変した。
魔法の勉強から始まり、天使になる方法、それからお店のこと。
やることや覚えることがたくさんあった。
本当にいろいろあって、忙しくて、毎日がドタバタで──でも充実していて、なにより楽しかった。
インディジュナス家、つまり私の両親だった二人とは、あのあとも時々会っている。
ふたりとも寂しがってはいるけど、とっても元気そうだ。
私たちは、月に一度程度は外で一緒に食事をしている。
会合の場所は、もちろん愚者の夢亭だ。
「バレンシアのお父上は大変お料理が上手なのね」
初めてお店で食事会をしたとき、元お母さんはそう言って喜んでくれた。
根っからの貴族である彼女も、ここの料理には満足してくれたみたいだ。
バレンシアのお父さん──スラーフさんが、前の日から仕込みをして精一杯のもてなしをしてくれていたことはナイショだ。
「ずいぶん髪が伸びたんだな……」
最近会ったときに、元お父さんにそう言われて、私はあれから一度も髪を切っていないことに気付いた。
いけないいけない、どうしても忙しいと自分のことがおろそかになってしまう。
だけど、それだけ充実した生活を送っていることに、ふたりは安心したようだった。
私が出奔した後のインディジュナス家を取り巻く騒動については、私は詳しくは知らない。
なにがあったのか、ふたりが一切話してくれなかったからだ。
ただ、インディジュナス家の一人娘であるエリスは亡くなったことになっていたし、そのことで国王陛下からなにか咎められるようなことは、私の知る限りでは無かった。
きっと世間では、私は駆け落ちでもしたのだと思われているのだろう。
そうやって死んだことになってしまった貴族の子息の例を、私はいくつか知っていた。
もっとも私は、それはそれで別にかまわなかった。
この世にはもう、インディジュナス家の一人娘であったエリスは居ないのだから。
──家族といえば、このまえ突然自称「弟」がやってきたときは、本当にびっくりした。
だって…ねぇ?
私の血の繋がった弟っていったら、普通の人じゃないわけですからね?
急に「はじめまして、ねえさん。弟です!」って言われた日には、腰が抜けるほど驚いたものだ。
他にもたくさんの出来事があって、いろいろな経験をした。
本当に楽しい日々で、月日はあっという間に過ぎていった。
気がつくと、私の周りには夏の足音が近づいてきていた。
そして、時が過ぎていくとともに私たちの置かれた立場も少しずつ変わっていった。
実は──私たち三人は、今は離れて暮らしている。
ティーナは今、遠く離れた魔法学校に下宿していた。
先日さる方面から推薦があって、魔法学校に中途入学することになったのだ。
ティーナ本人は「一度ちゃんとしたところで勉強したいと思っていたから、渡りに船だ」と言って、喜んでこの申し出を受けた。
途中からの編入になるんだけど、そこは朴念仁のティーナ。ぜんぜん気にしてないようだ。
一生懸命お勉強がんばってるかな?
私たちの他に、お友達作れたかな?
ティーナのことだ。きっと一人で黙々と本を詠んでいることだろう。
バレンシアは、ティーナがいない魔法屋アンティークの主となって頑張っている。
イスパーン商会のフォア氏の後援もあって、経営はかなり軌道にのっているらしい。
しかも、今では私とは別のアルバイトの魔法使いを雇っていたりするのだ。
「あんたたちの帰る場所は、あたしがちゃんと残しておくからね!」
バレンシアはそう言って私を送り出してくれた。
──いつか三人で、またお店を切り盛りできるといいな。
そして私は──色々なご縁があって、今は隣国のハインツ公国に向かう馬車に乗っている。
なんと私は、どういうわけかハインツ公国の双子の王子と姫の家庭教師に迎えられることになったのだ!
もっとも、私なんかに教えられることはあまりないから、どちらかというと「お友達」として招へいされてるんだと思う。
不安でいっぱいだけど、私なりに出来ることを精一杯がんばりたいな。
なにより──双子の王子と姫と仲良くなれると良いな!
そして──年が明けて来年の春になったら、私はこの双子と一緒に魔法学校に入学する予定だ。
そしたら、ティーナにまた会えるかな!?
会えるよね!
その日を夢見て、私はハインツ公国でがんばります。
手に持っているハインツ行きの乗合馬車の切符。
そこには、ティーナから貰った私の新しい姓が書かれていた。
『発:イスパーン 【ブリガディア王国】
行:ハイデンブルグ 【ハインツ公国】
搭乗者名:エリス=・カリスマティック』
──ティーナやバレンシアとは離れ離れになってしまうけれど、私たちの絆が変わることはない。
なぜなら、私たちが一緒に過ごしたあの時間は本物で、永遠に変わることのないものなのだから。
【おしまい】
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
こちらは以前掲載していたもののリブート版となります。
楽しんでいただけたら嬉しいです!
それではまた、お会いできることを楽しみにしています!