華麗なるサファイアは悪役令嬢の汚名を着ない
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華麗なるサファイアは悪役令嬢の汚名を着ない

華麗なるサファイアは悪役令嬢の汚名を着ない

作者: 知見夜空

・サファイアの家名をアルジェントに変更しました。

 今から1週間前。王立学園の階段から女生徒が転落した。命は無事だったけど、全身打撲の他に足を骨折するほどの大怪我だった。


 それだけなら、ただの不運な事故だけど


「私は自分で足をすべらせたんじゃありません。ある方に突き落とされたんです」


 よりにもよって王立学園の全校集会で、被害者が告発した犯人は、私の親友のサファイアだった。


 サファイアは王族に次ぐ権力を持つ御三家の1つ、アルジェント家の令嬢だ。


 彼女は家柄がよいだけでなく文武両道で、女性でありながら生徒会長も務めている。


 輝く銀のロングヘアに、透き通るような白い肌。名前の由来となった瞳の色は、サファイアのような深い青。女神のごとき美貌に加えて、人柄と能力まで優れたサファイアは、淑女 (しゅくじょ)の中の淑女として全校生徒の憧れだった。


 そんなサファイアが人を突き落としたなんて、私には信じられない。


 ただ被害者であるライアさんは、実際に骨折や打撲をしていた。本来なら魔法ですぐに治癒できたそうだけど


「怪我を治したら事件自体を無かったことにされてしまうと、痛みに耐えてそのままにしておきました」


 骨折した足に添え木と包帯をし、松葉杖をついて立つ姿は痛々しかった。


 ライアさんは目に涙を溜めて声を震わせながら


「私は何もサファイア様を罰したいわけじゃありません。サファイア様がお怒りのように、もともとは人の婚約者に想いを寄せて、浅ましくもお近づきになろうとした私が悪いんですもの」


 サファイアにはアルベール様という婚約者が居る。御三家では無いが、アルベール様も名家の生まれで、サファイアに負けず劣らず優秀な生徒だ。


 ライアさんは、そんなアルベール様に横恋慕し、婚約者が居ると知りながら付きまとっていた。


 ライアさんが言うには、サファイアはその件で


『いい加減、アルベールにつきまとうのはやめて』


 と注意しに来たらしい。けれどライアさんが


『私は純粋にアルベール様をお慕いしているだけです。あなたから奪おうとしているわけでも、誘惑しているわけでもないのに、ふしだらな女のように咎められたくありません』


 など言い返したそうだ。


 本人的には健気なつもりかもしれない。ただ自分の婚約者を純粋に慕われるほうは (たま)ったものではない。


 そのせいでサファイアはカッとなって、彼女を突き飛ばしたのだと言う。


 わざと階段から突き落としたのではなく、つい突き飛ばした先に階段があった。故意ではなく事故だったとのことだが


「でも、いくら勢いで突き飛ばしたとしても、骨折までさせておきながら謝罪もしてくださらないなんて、あんまりです」


 ライアさんによると事故の翌日。彼女はサファイアに謝罪を求める手紙を出したそうだ。


 自分にも非があることだし、わざとじゃないのも分かっている。ただこれほどの怪我をさせたのだから、謝って欲しい。そうすれば、この件は誰にも言わないからと。


 けれどサファイアは、ライアさんの要求を無視したと言う。


「しょせん私は魔法の才が認められて、入学を許されただけの庶民です。自分よりも遥かに格上の方に無体を働かれても、庇ってくれるような後ろ盾はありません」


 ライアさんはどこか芝居がかった調子で


「ですからサファイア様の名声に泥を塗ってしまうとしても、あなたがご自分の意思で謝罪してくださらないなら、皆の前で罪を明らかにするしかないと思ったんです」


 と、この公開処刑に踏み切った経緯を語った。


 王立学園の生徒は、ほとんどが貴族だ。そんな彼らの前で罪を告発されれば、サファイアは学園だけでなく貴族社会でも信用を無くす。


 嫉妬にかられて過ちを犯した愚かな女。そんなレッテルを貼られたら、ただの女として生きるだけならともかく、責任のある立場に就くことは難しくなる。


 今回の告発は分かりやすい罰ではないが、サファイアの将来を潰すに等しい攻撃だった。


 私がいきなりこんな 冤罪(えんざい)をかけられたら、思いきり無様 (ぶざま)に取り乱していただろう。


 けれどサファイアは、冷ややかにライアさんを見返すと


「罪も何も全てあなたの作りごとでしょう。あなたが階段から落ちたと言う日。わたくしはあなたに会ってもいませんし、謝罪を要求する手紙とやらも受け取っていませんわ」


 もしこれが1対1の論争なら、アルジェント家の令嬢にして生徒会長も務めるサファイアのほうが、人の婚約者にちょっかいを出していた平民のライアさんより信じられただろう。


 ところが学園の清掃係がオドオドしながら


「お、お言葉ですが、サファイア様。私はあなた様がライアさんを激しく(ののし)った末に、彼女を突き飛ばす姿を目撃しております」


 さらにライアさんとは無関係のはずの学園の男性教師も


「私は突き落とすところは見ていないが、いつも優雅で冷静な君が、青い顔で廊下を走っていく姿は見かけた」


 とどめにライアさんの友人だと言う女生徒が


「それに私はライアに頼まれて、確かにサファイア様に手紙を渡しました」


 畳みかけるようにサファイアの犯行を裏付ける証言をした。


 3人の証言者を味方につけたライアさんは


「これだけ証人が居るのに、まだしらを切るおつもりですか? それとも庶民ごときの訴え、御三家の力でもみ消せるとでも?」


 口では庶民ごときと自虐しているけど、すでに勝利を確信した笑みだ。


 本人が言うだけならともかく、3人も証人が居るならもしかして?


 口にはしないものの、生徒たちはお互いに顔を見合わせて、そんな戸惑いを浮かべていた。


 私はいよいよ黙って居られなくなり


「さ、サファイア様は激情に任せて人を突き飛ばすような 短慮(たんりょ)な方じゃありません。これは絶対に何かの間違いです」


 震える声で庇う私に、サファイアが「フラン」と呟いた。私、フラン・ノベルもいちおうは貴族だが、家の格は中の下で、魔法の才能も無い。


 自分では気に入っているけど、赤茶色の三つ編みお下げに眼鏡というスタイルは、誰の目から見ても学園一の美女であるサファイアには不釣り合いな冴えない女だった。


 それでも私とサファイアは、子どもの頃からいちばんの親友だった。大勢の前で話すのは苦手だけど、サファイアが危ないのに黙っていられない。


 でもサファイアを庇おうとするのは私だけじゃなかった。今度は背の高い黒髪の青年が、味方するようにサファイアの横に立って


「俺も彼女と同意見だ。サファイアは嫉妬にかられて、我を失うような愚か者じゃない。そもそも君はサファイアが嫉妬するような対象ではない」


 静かな憤りを発しながら言い放ったのは、サファイアの婚約者であるアルベール様だった。


 彼に一方的な執着を向けていたライアさんは、想い人からの敵意にビクッと身を震わせると


「……そう。確かにアルベール様は、私を歯牙(しが)にもかけてくださらなかった。それでも女なら誰しも、自分の愛する人に他の女が近付くのをよくは思わないものです」


 怒らせた自分にも非はあるけど、突き落としの犯人はあくまでサファイアだと主張した。そして自分が求めるのは、ただサファイアが自らの過ちを認めて謝ってくれることだけだと。


 狂言だとすれば、あまりに迫真の演技。


 それにライアさんは、原因は自分にあると認めている。一方的にサファイアを責めるわけではない論調が、観衆に公平な印象を与えた。


 アルベール様はライアさんと浮気していたわけではない。しかしライアさんの言うとおり、自分の婚約者に異性がしつこくまとわりついていたら、誰だって不愉快だろう。


 意図的に害することは無くても、発作的に突き飛ばすくらいはあるんじゃないか? そこがたまたま階段で、予想外に彼女がよろめき転落することも、わざとではなく不幸な事故だとすれば、あり得るかもしれない。


 何より向こうには犯行を裏付ける証人が3人も居る。貴族の娘ならともかく、被害者は魔法の才を買われて学園に来ただけの平民だ。ライアさんの狂言に手を貸して、得られる見返りなど無い。


 これらの要素が観衆に「もしや真実なのでは?」という疑惑を抱かせた。


 私よりもずっと聡いサファイアが、周囲の疑いの目に気付かなかったはずはない。


 けれどサファイアは恐怖や不安を微塵(みじん)も見せず、むしろ優雅に微笑んで


「残念ですが、わたくしにはあなたを憎む動機が全くありません。今この場でそれを証明することはできませんが、よろしければ明日にでも、この場に居る全員の前で、あなたの嘘を暴いてあげましょう」


 ただ容疑を否認するだけではなく、嘘を暴くという強気な発言に、私も周りも瞠目 (どうもく)した。


 しかし当のライアさんは怯むどころか、(あざけ)り笑いで


「たった1日の猶予(ゆうよ)を得たところで、彼らの証言はくつがえりませんよ。御三家の力で私を黙らせようとしても、疑われるのはかえってサファイア様ですからね」


 家の力を使って自分に何かしたら、それが有罪の証拠だと全校生徒の前で釘を刺した。



 あれから私とサファイアは、他の生徒の視線を避けるように女子寮に戻った。王立学園の女子寮は、寮費によって部屋の格や待遇 (たいぐう)が変わる。


 私は他の女の子と同室だけど、サファイアは1人部屋で、トイレと浴室とキッチンまで完備されている。また学園が雇ったスタッフではなく、自分の家の使用人が掃除や洗濯などをしてくれる。


 自室に戻ったサファイアは、ばあやさんにお茶の用意をしてもらうと


「悪いけど、フランと2人にしてもらえる?」


 と人払いした。


 ばあやさんが出て行った後。私はティーテーブルの向かいに座るサファイアに


「サファイア、大変なことになったね。大丈夫?」


 明らかに大丈夫じゃないのに、月並みな声かけをしてしまう。


 ところが、てっきり参っているだろうと思ったサファイアは


「何も問題ないわ。さっきも言ったとおり、明日には彼女の話が嘘だと証明できるはずよ」


 優雅に紅茶を飲む姿に、私は目を丸くして


「すごい自信だね。それが本当なら嬉しいけど、あの3人の証言がある限り、無実を証明することは難しいと思うんだけど」


 私は首を捻りながら話を続けて


「と言うか、そもそも、あの3人はなんでライアさんに協力して、サファイアを(おとしい)れるような嘘を吐いたんだろう? こう言っては悪いけど、ライアさんは人の婚約者に付きまとって非常識だと、学園ではあまり評判がよくなかったのに」


 サファイアの過激なファンは、ライアさんを「恥知らずの泥棒猫」と毛嫌いしていた。温厚な人でも「慎みが無い」と悪印象を抱くほど、ライアさんは学園で孤立していた。


「人望でなければ、なんらかの利得で動かしているのでしょう」


 サファイアの指摘に、私は腕組みしながら


「確かにそうとしか考えられないけど、ライアさんは平民の中でも貧しいご家庭だそうだよ。だからこそ彼女の持ち物が粗末で見っともないと、他の生徒に笑われているところをアルベール様に庇われて好きになったと言うし。人を買収できるほどのお金や権力は無いと思うけどな」

「けれど事実として、あの3人はライアさんに有利な証言をした。だとすれば、あの3人には何かしらの見返りがあったはずよ。しかしライアさん自身に、その見返りを用意できないとしたら?」


 サファイアのヒントに、私はハッと閃いて


「見返りを用意した人物が他に居るとか? つまりライアさんには協力者が居るの?」

「そう。それも人を動かせるだけの富と権力を持ち、御三家の人間であるわたくしの怒りを買うことを恐れない人物がね」


 ただの少女の横恋慕に資金提供するもの好きは居ない。だとすると、その人物はライアさんの狂言が成功すると、自分自身が何か得をするんだ。


 サファイアを陥れて得をする人物と言えば


「も、もしかして、それってサファイアのお兄様?」


 遠慮がちに口にすると、サファイアはふっと微笑んで


「やはりあなたは無邪気なようで鋭いわね。そう。恐らく女同士のくだらぬ争いに見せかけて、わたくしを失脚させようとしているのは、お兄様よ」


 サファイアには10歳上のお兄様が居る。お兄様はもともと自分と違って出来が良すぎる妹を、よく思っていなかったようだ。


 それでも以前は「だとしても女である以上、家督を継ぐのは男である自分だ」と思ってか、こんな悪質な足の引っ張りはしなかったのだが


「半年前に法律が改正されて、女でも家督を継げるようになったからね。お兄様の中でわたくしは目障りな妹から、排除すべきライバルに変わったのでしょう」

「でも酷いよ。ライアさんもお兄様も。自分の利益のために、無実の罪を着せようとするなんて」


 私は幼い頃から本の虫で、特に推理小説を好んでいた。その世界では今回のような蹴落とし合いはザラにあった。


 でもフィクションと現実は違う。被害者が自分の親友なら尚更。よくあることだなんて絶対に流せない。


 悔しさに泣きそうになる私に、サファイアは思いやりのある態度で


「心配してくれて、ありがとう。でも、わたくしのために悲しまないで。わたくし、本当にこれくらいの悪戯、何も気にしていないのよ」


 宥めるように優しく私の手を取った。サファイアは優雅で繊細な印象に反して、女性にしては手が大きい。それは彼女が子どもの頃から、剣や護身術を (たしな)んで来たせいかもしれない。


 貴族の令嬢で魔法の才もあるサファイアが、なぜ男性のように武術の特訓をするのか。幼い頃は謎だったけど


『だって絶対に裏切らないのは自分だけでしょう?』


 サファイアは私や他の女性のように、父や男兄弟や将来の伴侶の庇護をあてにしていなかった。


 いま思えば、こうして実の兄に足をすくわれる家庭に生まれたせいだったのかもしれない。


 ともかくサファイアは何があっても困らないように、もともと高い能力を妥協なく磨いて来た。


 だけど、いくら有能なサファイアでも


「でもどうやって無実を証明するつもりなの? 皆の前で今の推理を話したって、先にサファイアの無実を証明しなければ、きっと苦し紛れの嘘だと言い返されるよ」


 冤罪(えんざい)は、かけられた時点で被害者が圧倒的に不利になる。いくら誤解を解こうとしても、何も知らない周囲には、罪を逃れるための言い訳にしか聞こえなくなるからだ。


 ネガティブな発言で、サファイアを不安にさせたくなかった。でも相手が大事な人であるほど、根拠もなく大丈夫とは言えない。


 本人よりも深刻になる私に、サファイアはまるで子どもに物語を聞かせるような穏やかさで


「明日になれば分かるわ。わたくしを嵌めた者たちが、逆に自らの首を絞めたことが」


 優しい声音に反して、まるで魔女のように不吉な予言。目を丸くする私に、サファイアは悪戯っぽく笑って


「だから、あなたはわたくしを心配するよりも、今日のこの滑稽(こっけい)な冤罪劇を、新作のネタにでもしたらいいわ」


 思いもよらぬ提案に、私はちょっと狼狽(うろた)えながら


「さ、サファイア。いくら私でも親友のピンチを小説のネタにはできないよ」

「とにかく今日はもう帰って? 今日の苦難を明日の笑い話にするためにも、少し準備が必要なの」

「わ、分かった。でも」


 「でも?」と首を傾げるサファイアに、私は遠慮がちに言葉を続けて


「縁起でも無いかもしれないけど、もしサファイアがこの国で居場所を失うことになったら、私も一緒に出て行くから」


 もしこのまま無実を証明できなければ、サファイアはライアさんを突き落とした犯人にされる。ただの事故ならまだいい。しかしサファイアは皆の前で容疑を否認した。


 サファイアのお父様は厳しい方で、罪や失敗よりも卑怯や見苦しい振る舞いを嫌う。最悪、家名を汚したとして勘当(かんどう)される恐れもあった。


 サファイアは優秀なので、1人でも生きていける。でも物質的には大丈夫でも、全てに見放されて独りになることに、悲しみを感じない人は居ない。


 だから、もしもの時。サファイアが独りぼっちにならないように


「もしそうなったら2人で旅をしながら、本物の冒険小説を書こうよ」


 わざと明るく笑って見せると、サファイアは頬を染めながら目を細めて


「……そんな素敵なお誘いをされたら、うっかり濡れ衣を着てしまいそうね」


 私は淑女の中の淑女と呼ばれるサファイアが、実は自由や冒険に憧れているのを知っているので


「いやいや! もしもの話だから! ご両親に心配をかけないためにも、しっかり無実を証明して!」

「ええ」


 話が済んだので、サファイアの部屋を出ようとすると


「フラン」

「何?」


 呼びかけに振り向くと、いつも静かな自信に満ちたサファイアには珍しく、不安そうに瞳を揺らしながら


「明日どんな結果になっても、わたくしを嫌わないと約束してくれる? わたくし、悪意も危険も怖くないけど、あなたを失うことだけは耐えられないの」

「それは私も同じだよ。サファイアは私に夢をくれた人で、この世にただ1人の大事な相棒だもの」


 私は子どもの頃から本の虫だった。それも女の子には珍しく、推理や冒険やホラーなど少々物騒なジャンルを好んでいた。


 年齢を重ねればまた違うだろうけど、子どもの頃だと特に女の子は、お姫様や可愛い動物の話を好む。だから私は他の女の子たちからすれば、変で、理解できなくて、気持ち悪い子だった。


 周りに馴染みたいなら本を読むのをやめて、おままごとやお人形遊びでもすればいい。でも私は生身の人間よりも、物語のほうがずっと好きで


(いいもん。女の子と遊ぶより、こっちのほうがずっと面白いもん)


 と独りの世界に閉じこもっていた。そんな私に興味を持って、話しかけてくれたのがサファイアだった。


 サファイアもまた、その年頃の女の子には珍しく


『悪趣味だと思われそうだけど、人が死なない話はどうも退屈で読む気がしないの』


 虫も殺さなそうな顔で、サラッと物騒なことを言う彼女に


『分かる! どうせ架空のお話なら、思いきりハラハラするものが読みたいよね!』


 目を輝かせて全力で同意すると


『どうやら、わたくしたち悪趣味同士みたいね』


 そうやって笑い合って、そこから本を通じてドンドン仲よくなった。


 私とサファイアは不思議なくらい好みがピッタリ合った。作りごとなら過激で残酷なほど面白いけど、弱者や善人がただいたぶられる話は、創作でも好まないこと。実際の事件や誰かの不幸を面白がるのは嫌なこと。


 だから話していて嫌だと思うことは一度も無くて、家族よりもなんでも話せた。


 そうして楽しく本の話をするうちに


『……あの、私、自分でも書いてみたんだけど』


 今度は私が書いた(つたな)い物語を、サファイアが読んでくれるようになった。サファイアはただ褒めるばかりじゃなくて、説明不足や矛盾を指摘し、展開に詰まった時は「こうしてみたら?」とアドバイスしてくれた。


 色んなお話を書いたけど、中でも盛り上がったのは、私とサファイアをモデルにした冒険推理小説だった。


 私たち男の子に置き換えるだけで、推理ものの典型的なコンビみたいになるね、って。


 ちょっと抜けていてお人よしの少年作家と、有能でカリスマ性のある探偵ポジションの美少年に、めいっぱい冒険させるのが、とても楽しかった。


 あくまで創作は趣味で、誰にも見せるつもりは無かったけど


『こんなにワクワクする話、わたくしたちだけで楽しむんじゃもったいないわ。出版して皆に読んでもらったらどう?』


 最初は「えっ!?」って思ったし、もし私とサファイアの大事な作品を否定されたらと怖かった。


 でもサファイアは知っていたのだと思う。自分には偉大な作家たちのような才能は無いと勝手に諦めていたけど、本当は私が書いた物語で、たくさんの人を楽しませてみたかった。


 その夢をサファイアが見つけて応援してくれた結果、今は周りに内緒で覆面作家をしている。『フランツ・ノベル』というペンネームで、フランツとサファイア少年が活躍する例のシリーズをすでに3作も。


 この奇跡がいつまで続くか分からない。でも1タイトルだけでも、この世に自分の物語を送り出せたのは、私には本当にすごい経験だった。


 だから私は現実でも本の中でも、いちばんの相棒であるサファイアが本当に大事なので


「何があっても私だけは、絶対にあなたを裏切らないし、離れない。約束する」


 彼女の白い手を握って強く誓うと、サファイアはその言葉を噛みしめるように


「ありがとう。これで明日、何も恐れずに戦えるわ」


 その呟きを最後に、私たちは別れた。


 明日、彼女が無事に無実を証明できますように。それが無理でも絶対にサファイアを独りにしないで済みますようにと、その日は何度も神様に願った。



 翌日の放課後。生徒会からの呼びかけで、全校生徒は再び講堂に集められた。


 サファイアの登場を待つ間。生徒たちはライアさんをチラチラと見つつ


「サファイア様は無実を証明すると言っていたけど、いったいどうするおつもりだろう?」

「あの聡明で美しいサファイア様が、激情に任せて恋敵を階段から突き落としたばかりか、しらばくれようとしているなんて信じたく無いけど……」


 3人の証言のせいで揺れているものの、ほとんどの生徒がサファイアの無実を願っているようだ。


 ただサファイアへの好意はあっても、今日この場でライアさんの嘘を証明できなければ、憧れは失望に変わるだろう。


 信じたいけど、信じ切れず、不穏にざわめく生徒たちの前に、やがてサファイアは現れた。


 しかし婚約者であるアルベール様を伴って登場した彼女の姿は


「えっ!? な、なんですか、その恰好!?」

「どうして男装なんか!?」


 生徒たちの言うとおり、サファイアは長かった銀髪をバッサリと切って、男子の制服に身を包んでいた。何かで乳房を潰しているのか胸も平らで、もともと女性にしては長身なのもあり、完全に男性にしか見えない。


 さらにサファイアは普段より低いものの、無理のない自然な発声で


「これが先日お話しした彼女の発言を嘘だとする根拠です」


 まるで本の中のサファイア少年がそのまま現れたように、上品ながら堂々とした立ち姿で


「彼女はわたくしが突き落とした動機を、女なら誰もが抱く嫉妬だと言いましたが、このとおり、わたくし、サファイア・アルジェントは女性ではなく男です」


 衝撃の告白に、しばし場が凍りついた。しかし生徒たちはすぐに騒然となって


「う、嘘だ! サファイア様が実は男だなんて!」


 サファイアに片想いしていたらしい男子たちが、悲鳴のような声で否定する。


 さらにライアさんも動揺した様子で


「そ、そうよ。いくら追い詰められたからって、そんな馬鹿みたいな嘘」


 けれど彼女の言葉を遮るように


「いや、事実だ。サファイアは男だ」


 アルベール様は、いつもの真顔で淡々と


「俺は訳あって女性として育てられたサファイアの嘘を補強するために、婚約者のふりをしていた。当然ながら俺たちの間に、友情はあっても恋情は無いのだから嫉妬などあり得ない」


 性別なんて服を脱がせれば、すぐに確認できる。そんなすぐにバレる嘘をサファイアだけでなくアルベール様までが、わざわざ吐くはずがない。


 だとすれば、この信じがたい告白は真実なのだと、この場に居た全ての者が理解した。


 そしてサファイアが男で、アルベール様との婚約も偽装だったなら


「なっ、なっ……」


 ライアさんたちの証言は明らかに嘘になる。男のサファイアが偽りの婚約者のことで、ライアさんに嫉妬するなど、あり得ないのだから。


 サファイアの告白によって立場は逆転し、今度はライアさんが追い詰められる側になった。


 サファイアは今にも崩れ落ちそうなライアさんに


「そんなに青い顔をしなくても、君のように無力な民をいちいち叩き潰すほど僕は激情家ではない。その代わり君を()きつけて僕を陥れるために、3人の協力者を与えてくれた支援者のことは教えて欲しいな」


 あくまで優雅なのに有無を言わせぬ微笑で


「君だけが首謀者として裁かれるのは嫌だろう? 本当に悪いのは誰か、しかるべき場所で証言してくれるね?」

「ひゃ、ひゃい……」


 その後。サファイアはアルベール様とともに、ライアさんと3人の証言者を尋問した。そこから芋づる式に、やはり黒幕はサファイアのお兄様だったことが判明した。


 サファイアの見立てどおり、お兄様は法律の改正により、女性も跡を継げるようになったことで


『我が家はサファイアに継がせたほうがいいかもしれん。幸い婚約者のアルベールは次男だし、向こうに婿入りしてもらえないでもない』


 現在の当主であるサファイアの父が、そう考えているのを知ると


(俺は側室の子ではあっても、れっきとしたこの家の長男だぞ!? 10歳も下の妹に、当主の座を奪われて堪るか!)


 お兄様は父親の決定をくつがえすために、サファイアの名誉を穢そうとした。


 そして学園にスパイを送り込み、サファイアの身辺を調べさせた。しかし残念ながらサファイアには、実は男であるという以外に、なんの弱みも無かった。


 その代わりライアさんが、サファイアの婚約者に付きまとっているという噂を知った。


 それでサファイアが男の取り合いで、恋敵のライアさんを階段から突き落とし、怪我させたという筋書きを作った。



 突き落とし事件は完全なでっちあげだった。ただしライアさんは、もし怪我を調べられてもいいように、本当に階段から転落して骨折したらしい。


 打ちどころが悪ければ、死んでいたかもしれないのに。なぜライアさんが、そこまでアルベール様に執着したのかと言うと


「どうせあなたたちには分からないでしょうけど、私はこの世界のヒロインなのよ」


 彼女は前世の記憶を持つ『転生者』で、『転生者』はこの世界のヒロインらしい。庶民でありながら魔法の才を認められて、王立学園への入学を許可されたことがヒロインである証拠だそうだ。


 そしてヒロインは、その学園でいちばん優れた男と結ばれる運命なのだと言う。


「だからアルベール様が運命の人だと思ったんだけど、この様子だと違ったみたい。きっと私は追放された先で、もっと強くて美しい男に愛されるのね」


 転生だの異世界だのヒロインだの、ライアさんの言うことは、確かに私たちには意味不明だった。


 とにかくライアさんは、自分が強烈に信じている運命に基づいて行動していたらしい。


 サファイアとの婚約が白紙になれば、自由になったアルベール様は、ヒロインである自分を好きになると考えたそうだ。


 子どもの頃から母に「あんまり本にばかり夢中になると、そのうち妄想と現実の区別がつかなくなるわよ」と何度も注意された。


 その時は「失礼なことを言うなぁ」と腹が立ったけど、実際に妄想と現実の区別がつかなくなっている人を見て、こんなことが起こり得るのかと、かなり恐ろしくなった。



 逆転劇から最初の休日。サファイアは私をアルジェント家に招くと


「僕が女として育てられた理由を、君にだけは話しておこうと思って」


 と詳しい事情を教えてくれた。


 この国では王族だけでなく貴族も、正室の他に側室を持てる。側室を持つのは確実に跡継ぎを作るため。だから正室に男児が居なければ、側室の子が跡取りになる。


 サファイアのお母様は正室で、お兄様の母は側室だった。側室からすれば、それは正室に男児が生まれたら、我が子の継承権が奪われるということ。


 サファイアのお母様は二度男児を産んだ。しかしそのどちらも原因不明の高熱と不慮の事故で、幼くして命を落とした。


 サファイアのお母様は側室を怪しんだ。しかし殺人の証拠は掴めなかった。運よく3人目の子どもを身ごもったものの、もし男だったらこの子も殺されてしまうかもしれない。


 サファイアのお母様は賢者に助言を求めた。


『もし子どもが男だったら、家を継げる年齢になるまで女として育てなさい。当主になっても命を狙われる危険はありますが、その頃には自衛できるだけの力を得ているはずです』


 お母様は助言に従って、サファイアは女だと夫にすら嘘を吐いた。


 すでに2人の子どもが不審死している中、3人目も殺すのはリスクが高すぎる。


 だから側室は、女なら息子の継承権を脅かさないとサファイアを見逃したようだった。


 でも今回、お兄様が自分の手でサファイアを失墜させるべく動いた。その事件が明るみになると、サファイアの兄2人の不審死についても再び調べられた。


 サファイアの父は、当時は非人道的だと躊躇した自白剤を側室に使った。


 その結果、過去の事件についても有罪が明らかになり


「サファイアのお兄様と側室さんはどうなったの?」

「母子ともに国外に追放されたよ。兄はともかく母親のほうは、我が子を2人も殺したのに。それでも事件を公にして極刑にできない程度には、父はあの人にも情があるらしい」


 当然ながらサファイアは複雑そうな顔だった。自分の実の兄2人が、ほんの赤ちゃんの頃に暗殺された。サファイアが生まれる前の話だけど、お母様はまだ生きている。我が子を2人も殺されたお母様の苦しみ。サファイア自身も暗殺に怯えながら生きて来た。


 それを考えれば、今回のお父様の決断。どちらの味方だと苦々しい想いだろう。


「……なんかゴメンね」

「なぜ君が謝るの?」


 首を傾げるサファイアに、私は肩を落としながら


「私あなたの前ではしょっちゅう、恐ろしい事件や企みの話ばかりしていたでしょう? お兄様を2人も殺されて、自分自身も命を狙われているサファイアに、あまりに無神経だったなって」

「フィクションと現実の事件は違うよ。君が夢中になって話すのは本の中の事件であって、実際にあった誰かの不幸や惨劇を面白がるようなことは一度も無かった」


 サファイアは「それに僕だってフィクションなら、残酷な話のほうが刺激的で好きだよ」とニッコリ笑った。


 しかし、ふとすまなそうな顔をして


「それより僕のほうこそゴメン。ずっと君を騙していて」

「ううん。言わないでくれて、むしろ良かった。もし打ち明けられても私は絶対にアルベール様みたいに、うまく秘密を守れなかったもの」


 サファイアも恐らく、秘密を明かせば嘘が苦手な私の負担になると、巻き込まないでくれたのだろう。


「でも嘘を吐いていたことはいいんだけど、これからは男性として暮らすなら、私たちはもう、これまでみたいに一緒には居られないのかな?」


 私とサファイアはこれまでクラスが別の時でさえ、お昼や休み時間はいつも一緒だった。寮の部屋にもしょっちゅう遊びに行っていた。


 でも絶対にお泊りは許してくれなかったの、今思えばサファイアが男性だったからなんだな。女性のフリをしていた時でさえ、密かに一線を引いていたサファイアは


「そうだね。年頃の男女が親密にしていると、周りは色々と疑うものだからね」

「そ、そうだよね……。もう前みたいに、2人で夜まで小説の話とかはできないよね……」

「僕と話せなくなるのは寂しい?」


 もうサファイアは男性に戻ってしまった。甘えた態度を取ってはいけないのかもしれないけど、目に涙が浮かぶのは止められない。泣きそうになりながらコクンと頷くと


「だったら僕と結婚する? そうすれば、2人でどれだけ夜更かししても誰にも咎められないよ?」


 予想外すぎる提案に目が点になる。しかし本気のはずが無いので


「さ、サファイア。いくら私が子どもっぽいからって、あなたと夜まで話したいからなんて理由で「じゃあ、結婚する」なんて言わないよ」


 からかわれているのかなと、赤くなりながら返すと


「……じゃあ、どんな理由なら結婚してくれる?」

「えっ、えっ? どういう意味?」


 サファイアは私の手を取ると、真剣な目でこちらを見つめて


「君にとって僕は同性の友人だったろうけど、僕からすればフランは出会った頃からずっと、一緒に居て誰よりも楽しい特別な女の子だった」


 サファイアと出会うまで、私はずっと友だちが居なかった。でもそれはサファイアも同じだったようだ。外見的には誰よりも美少女でありながら、実は男のサファイアも


(女の子の話って、オシャレかお菓子か恋愛か、そうでなければ誰かの悪口か褒め合いばかりで退屈だな)


 と女の子の輪に馴染めずにいた。庶民ならともかく貴族だと、まだ子どもでも異性とばかり遊んでいると、はしたないと叱られる。そのせいで自分が男だと知るアルベール様とも、気軽に話せなかったそうだ。


 同性の友だちの居ないサファイアも、また本の世界に慰めを求めるようになった。そして同じように、1人で本を読んでいた私を見つけた。


(皆から本の虫だと言われている子だ。そう言えば、あの子は女の子なのに王子や姫よりも、怪物や殺人鬼が出て来る話が好きなんだっけ)


 この子となら話が合うかもと、サファイアは私に声をかけた。


「『人の死ぬ話以外は退屈』なんて、貴族の令嬢には許されない発言。なぜか君にはサラッと言えて、しかも「私も!」と笑ってくれた」


 サファイアは懐かしそうに目を細めながら


「そのうちフランが自分で物語を書くようになって、僕も一緒に展開や解決策を考えて、2人で空想の世界を旅するようで、もっと楽しくなった」


 2人で一緒に過ごした時間を、私と同じように大事に想っていてくれて


「現実の僕には義務を放棄して、国や家を捨てることはできない。ただ生涯を共にする女性だけは、絶対に妥協したくない。君がいいんだ、フラン」


 熱く大きな手で、私の手を強く握り直すと


「だから返事は今じゃなくていいけど、少しずつでいいから僕を男として見て欲しい。これからも、ずっと僕の隣に居て欲しいんだ」


 サファイアが本当は男性だったこと。頭ではとっくに知っていたはずなのに、今はじめて実感した。それと同時に自分が女性であることも、生まれてはじめて強く意識する。


 なんだか妙に気恥ずかしくなりながら


「あの、私これが恋愛感情かは分からないんだけど」


 何せ普通の女の子とは真逆に恋愛ものは避けて来たので、こっち方面の知識はさっぱりだった。それでも確かなのは


「私もサファイアと2人で過ごす時間が、いちばん楽しかった。この時間がもうすぐ終わって、いつかお互いの横に違う人が立つのが、すごく嫌だった。小説の中の私たちみたいに、ずっと一緒に居られたらって、私もずっと思っていた」


 口にすれば思わず涙が(にじ)むくらい


「だからダメかな? これが恋かはまだ分からないけど、これからもずっと一緒に居たいから。あなたが望んでくれるなら、私もサファイアと結婚したい」


 私にとってもサファイアは、決して失いたくない人だから


「ずっとそばに居て。サファイア」


 涙に声を震わせながら手を握り返すと


「君が僕と同じ気持ちで嬉しい」


 サファイアは頬を染めて幸福そうに笑った。とても綺麗な笑顔だったけど、もう女性には見えなかった。


 サファイアは席を立つと、私のこともそっと立たせて真正面から抱きしめた。11、2歳までは、よく私から手を繋いだり、抱き着いたりしていたけど


『もう子どもじゃないのだから、そういうじゃれ合いは控えましょう』


 「淑女の振る舞いじゃないわ」と、いつしか拒まれるようになった。でも私はサファイアが大好きでくっつきたかったから、はじめて向こうから抱きしめてくれて嬉しい。


 けれど喜んだのも束の間。サファイアは私の前髪をよけると、額に優しく口づけた。「っ!?」と瞠目する私に、サファイアは少し照れたように微笑みながらも、慈しむような温かい眼差しで私を見下ろして


「いつか君がこの気持ちを恋だと思えたら、その時は唇にキスさせて」

「は、はぅ……」


 多分その時はサファイアの予想より、ずっと早く来るだろうと、私は真っ赤になりながら思った。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


本作を10月15日に『悪役令嬢として破滅フラグは全てへし折ってあげますわ!~いろんな手段であらゆる不幸に「ざまぁ」します~』に収録していただくことになりました。


単話版はコミックシーモアで先行配信中です。


コミカライズを担当してくださった山神尋様のカラーイラストがとても綺麗で素敵でしたので、表紙だけでもご覧いただけましたら幸いです。


最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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