『愛』のステータスで回復魔法の効力が上下する世界で
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『愛』のステータスで回復魔法の効力が上下する世界で

「なあ武闘家。聖女様って、やっぱり俺のこと好きだよな……?」


 野営地で焚火を眺めながら、勇者はぽつりとつぶやいた。


「は? 何言ってんの、お前」


 武闘家には最初、勇者の言葉の意味が分からなかった。

 勇者が聖女様と言ったのは、王都の大聖堂に仕える聖女のことである。とんでもなく美人で、法服の上からでも分かるグラマラスなボディを持っている彼女は日夜、人々を回復魔法で治癒している。


「どうしよう。勇者と聖女様の交際って、世間的にはアリなのかな……」


 深刻な表情をしながら、勇者は続ける。勇者の向かいに座る武闘家は、阿呆を見る目で「お前バカなの?」と言った。


「いや、だってさ……」


 勇者は、聖女が自分に好意を寄せていると思うに至った理由を語りだした。


 先日、勇者たちの一行は、大聖堂で聖女によって傷を治療してもらった。流石は聖女というところで、彼女の回復魔法はたちどころに勇者たちの怪我を完治させた。さて、ここに勇者が思い悩む原因がある。それはすなわち、この世界の回復魔法は、相手に対する「愛」が無いと効果を発揮しないということだ。

 この世界の回復魔法の効果は、対象への愛の深さによって決まる。熱烈に愛し合っている恋人同士ならば初級魔法でも大怪我を癒せるが、憎み合っている相手なら、最上級魔法でもニキビ1つ治せるかどうか怪しい。魔法でなくても、子供を深く愛する母親が、「いたいのいたいのとんでけ」と言うだけで、軽いけがなら治る世界なのだ。


「聖女様の回復魔法、明らかに俺にだけ、効きが違ったじゃん……? 何か怪我だけじゃなくって、肩こりまで治った気がするし……。それってさ、聖女様は俺にだけ、特別な好意を持ってるってことじゃん……?」


 聖女の名誉のために言っておくが、これは勇者の勘違いである。少なくとも、勇者の意図している好意と、聖女が治癒の原動力としている好意とには、大きなズレがある。

 先ほど、恋人同士の愛でも、親子の愛でも効果はあると言った。つまり、愛にも色々あるのだ。友人や仲間を思う気持ちでだって、回復魔法は効果を発揮する。聖女の力の源は、明らかな「博愛」。聖女は誰でも平等に愛している。だから聖女なのだ。勇者でもその辺のバッタでも、彼女の魔法は同じように癒すだろう。「勇者様は人のためになる仕事をしていて偉いなぁ」という尊敬の気持ちが、若干魔法の威力を底上げしたということは、あるかもしれないが。


「え、お前バカなの?」


 武闘家はもう一度言った。

 勇者に限らず、この手の勘違いバカは大聖堂の周りに群れを成している。超絶美人が親身になって自分のために回復魔法をかけてくれるのだから、勘違いしても仕方ない部分はあったが。


「聖女様が好きなのは、俺に決まってるじゃんか」


 武闘家は言った。ここにも一人、勘違いバカがいた。


「魔法を唱えながら聖女様の俺を見つめる目がさ、ちょっと潤んでたのよ。俺には聖女様の心の声が聞こえたね。『危ないことをしないで』って。『あなたが怪我すると、私、心配で眠れないから』って。……どうしよう。武闘家と聖女様って、結婚していいのかな?」

「バカ、腸がはみ出て腕が一本取れた奴がいきなり運ばれてきたら、誰だって涙目になるわ。俺だってなるわ。お前こそ勘違いしてんじゃねぇよ、バカ」

「なんだと、このバカ」

「うるせぇバカ」


 そこからも、勇者と武闘家は、「どっちが聖女に好かれているか」というテーマで喧々囂々と議論した。魔法の効き具合の差に始まって、「俺の時だけ呪文の声が艶めいている気がする」、「回復の際に患部じゃない場所に触れられた」、「目が合った」など、まるで思春期の少年のように、彼らは中身の無い論争をした。


「バカ同士でバカバカ言い合ってんじゃないわよ」


 と、そこに、もう一人のパーティーメンバーが現れた。


「な、何だよ、魔法使い」


 冷たく自分を見下ろす視線を受けて、勇者はたじろいだ声を出した。


「別に……。もう見張りの交代の時間でしょ」

「え、もうそんな時間か」


 武闘家と交代する予定が、バカ話に花を咲かせて、次の交代時間にまでなってしまったようだ。


「じゃあ……、まあ……、寝るか」


 そわそわとした調子で勇者が言い、武闘家は「ああ」と頷いた。魔法使いはつんとした表情で、二人がテントの中に入っていくのを見送っている。


「……例えば、あいつがさ」


 寝袋に入ってから、勇者は小さくつぶやいた。

 例えばあいつが俺に回復魔法をかけたとしても、きっと効果は無いよなと。

 武闘家は、内心やれやれと思いながら、ランプを消した。






「しっかりしろ! 勇者!」

「目を閉じちゃダメよ!!」


 武闘家と魔法使いが、口々に励ましの言葉を送る。しかし勇者の傷は深手だった。右肩から左わき腹までざっくりと切り裂かれ、傷口からはとめどなく血が溢れている。目の光は儚く、手は細かく痙攣している。

 魔王軍四天王との闘いによって、勇者は致命傷を負ったのだ。


 何とか打ち倒したものの、四天王ナルシッサは手強かった。その強さの源は、強烈な自己愛。己を強く愛しているナルシッサは、驚異的な自己再生能力を保持していたのだ。

「血を流しても、ボクは美しい!」とかなんとか言いながら、斬っても恐ろしい勢いで回復する魔剣士は、あらゆる意味で恐ろしい敵だった。


「ひ、ひいじいちゃん! 一昨年の夏に死んだはずじゃあ……! ちょっと、手招きすんのやめてよ!」


 勇者はうわごとを口走る。致命傷を受けたようでいて、意外とまだ余裕がありそうな勇者には、見えてはいけないものが見えている。彼は天国の入口に立っているようだ。


「さっき倒した四天王までいるじゃねぇか! え? ボクは死んでも美しい? ってやかましいわ!」


 いや、天国ではなく、地獄の入口かもしれない。


「ええ……。レベル上げのために倒してきたスライムたちまでいるぞ……。まあ、そりゃ恨んでるよね……。ごめんて……」


 元気なうわごとも、徐々に弱々しくなっていく。この深手を治療するには奇跡レベルの回復魔法が必要だが、王国で唯一それを使える聖女は、ここから遠く離れた大聖堂にいる。


「やだ……! やだ……! やめてよ……! 止まってよぉ……!」


 魔法使いは、滂沱の涙を流しながら、無意味に勇者の傷口を抑えている。その手は肘まで、勇者の血に染まっていた。


「魔法使い……、俺たちにできることは、あと一つだ」


 武闘家は、錯乱状態の魔法使いに言った。


 簡単な回復魔法でいい、勇者にかけてやってくれ、と。


「でも、でも私……! もし効かなかったら、そうしたら私……!」


 魔法使いは絶望の表情で首を横に振った。絶対効かない、そんなの効かないから、と。

 そもそも魔法使いは、初級の回復魔法しか使えない。しかも自分は、勇者をこれっぽっちも愛していない。あの聖女のような、奇跡なんか起こせない。

 勇者がこの傷を負ったのは、魔法使いをかばったためだ。あんなに憎まれ口ばかり叩き合ってきた自分を、どうしてか、命の危険を省みずにかばったためだ。だから彼は死んでいく。自分には何もできずに、このまま――


「しっかりしろ!」

「――!!」


 武闘家の喝によって、魔法使いの震えは止まった。


「俺たちじゃダメだ! だから、お前しかいないだろうが!」


 魔法使いは、ごくりとつばを飲み込んだ。血の気の失せた唇から、見習い聖職者でも使える、初等の回復呪文が紡がれる。こんなもので癒せるのは、どんなに相手を愛していても、せいぜい擦り傷ぐらいのものだ。

 でも、彼に死んで欲しくないからと。魔法使いは心からの祈りをささげた。




「あれ? ひいじいちゃんが消えた!」


 そして勇者は、あっさり一瞬で完治した。彼が最近悩んでいた、水虫までもが治っている。



 はいはいやれやれ、めでたしめでたしと、武闘家は尻を手で払いながら、二人を置いてどこかに行く。

 こうなることは、武闘家には分かっていたのだ。

 この世界では、相手に対する愛の大きさが回復魔法の効力を左右するため、時に、特定の相手に回復魔法をかけられなくなる者がいる。魔法を唱えて相手の傷が治らなかったら、自分が相手を愛していないと証明されてしまうからだ。

 夫婦などでも、余計な喧嘩を避けるため、暗黙の了解で回復魔法をかけあわないことにしている者も多い。そもそも、「相手が自分を愛しているかどうか」より、「自分が相手を愛しているかどうか」に自信が持てない者もいる。そういうことだ。


 魔法使いが勇者に好意を寄せているなんて、傍から見ればまるわかりだったのだ。

 魔法使いは真っ赤になって、きょろきょろと辺りを見回す勇者の前でうつむいている。これであいつも、自分の気持ちに自信を持つことができるだろう。


 これであと素直になるべきなのは、勇者一人だけなのだが――。


「え、あれ? 俺、死んだんじゃなかったの? あれ? 傷は? あれ?」

「……」


 死の淵から生還した勇者は、まだ状況が呑み込めていないようだ。彼がきょろきょろするたびに、魔法使いの顔はますます赤くなっていく。


「あれ? 回復魔法……? こんなところで…………誰が?」


 そこで勇者は、目の前に座っている娘に気が付いた。


「ま、魔法使い……」


 もしかして、お前が。勇者がそう言うと、魔法使いはこくりと頷いた。


「あ……」


 自分が負った傷の深さを理解していた勇者は、魔法使いと同じように赤くなった。深い傷を癒すには、それに対抗する愛情も、同等かそれ以上に深くなければならない。


「あ、あいつらはどこに――」


 照れ隠しに立ち上がろうとした勇者の袖を、魔法使いの指がつまんでいる。

 かつてない気まずさが、勇者を襲う。

 かすれ声で、魔法使いが何かを言った。


「わ、私も……、怪我、したの」

「え……?」


 見れば、勇者の袖をつまんでいる魔法使いの右手の甲に、小さな切り傷があった。


「あなたには……、治せますか……?」


 最後の方は、ほとんど消え入りそうな声だった。

 勇者は言った。俺には、回復魔法は使えないよと。


「つ、使えたって、もし、もし効かなかったら――」


 ――もし効かなかったら、俺の気持ちは、偽物だってことだろう? そんなことになったら――


「効かなかったら、それでいいから。魔法じゃなくても、いいから」


 うろたえる勇者とは逆に、彼女は腹を決めたらしい。魔法使いの声が、強くなった。


「魔法じゃなかったら、何を……」

「あれで、いいから」

「あれ……?」

「『いたいの、いたいの』ってやつ……」

「あ……、や……、いや、お前、お前ガキかよ~! バッカで~。そんなもん、意味無いし……。効くわけ、ないし……」


 魔法使いの瞳は、勇者を真っ直ぐ見据えている。勇者もまたごまかすのを止め、ごくりとつばを飲み込んでから、彼女を見た。


「い、いたいの、いたいの」


 彼女の右手を取った勇者は、慎重に唱えはじめた。極大呪文を唱える時だって、彼がこれほど慎重になったことは無い。絶対に、この呪文を失敗するわけにはいかないから。


「いたいの、いたいの、とんでいけ……!」


 勇者が唱え終わった時、魔法使いの手の甲にあった切り傷は、跡形も無く消え去っていた。






 まったくハラハラさせやがる。やっぱり愛は偉大だぜ。

 初心な二人の様子を物陰から見守っていた武闘家は、満足げに頷いてから、ふふんと笑った。

 勇者と魔法使いは向かい合って座ったまま、首まで真っ赤にしてうつむいている。あれが再び動き出すまでには、相当時間がかかるだろう。


「ま、これで聖女様を狙うライバルが、一人減ったってところかな」


 ここは二人きりにしておいてやろう。クールに去ろうとする武闘家の背中に、声を掛けた者がいる。


「終わったようですね」

「お、忍者。ああ、終わったよ」

「やきもきさせる二人でしたが……、これで一件落着ですな」


 パーティーメンバーの最後の一人、忍者だ。彼は暗闇に同化して、同じように二人の恋の成り行きを見守っていたらしい。


「それはそうと、武闘家殿。貴殿も手傷を負われたのでは?」

「ん? 分かるか」


 実はそうなのだ。大したことは無いものの、さっきの四天王に、武闘家も尻を浅く刺された。さっき手で尻を払った時に、鈍い痛みがして困ったものだ。


「拙者も、初歩の魔術くらいなら使え申す。よろしければ」

「ああ、じゃあ頼むかな」


 あいつらの様にはいかないが、仲間同士、友人同士、忍者の魔法も武闘家に効果があるはずだ。痛みが引くくらいでもありがたい。お願いするよと、武闘家はズボンを下ろし、尻を出した。


「何か、間抜けな感じだな」


 あいつらとはえらい違いだ。武闘家は、はっはっはと快活に笑った。その背後から、忍者はそっと武闘家に近づき、尻に触れた。


「では」


 真剣な顔でそう言うと、忍者は呪文を唱えた。尻から流し込まれた魔力が、武闘家の全身に行き渡る。

 自分の身体に起こった異変を感じた武闘家は、蒼白になった。


 尻の傷は消え去り、それどころか、全身の古傷まで治っている。長年悩まされてきた痔も、きれいさっぱり完治した。


 武闘家は振り向いて、「仲間としての愛だよな?」とぎこちなくつぶやいた。


 忍者は答える代わりに、武闘家の尻にそえた手に、ぎゅっと力を入れたとさ。



fin

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