山崎育三郎

ミュージカル俳優の現在地 Vol. 4 [バックナンバー]

明日が来るかわからないから、山崎育三郎は今ここに全力を込める

人生の“シーズン2”開幕で感じた原点回帰

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ミュージカルの作り手となるアーティストやクリエイターたちはこれまで、どのような転機を迎えてきたのか。このコラムでは、その秘められた素顔をのぞくべく、彼らの軌跡を舞台になぞらえて幕ごとに紹介する。第4回に登場するのは、舞台から大きく羽ばたき、今やトークバラエティ番組のMCやテレビドラマの主演も務める山崎育三郎

シャイな子供だったという山崎は、12歳でミュージカルに出会い、「自分らしくいられる世界を知った」と話す。そして二十代までに「レ・ミゼラブル」「モーツァルト!」「ミス・サイゴン」「エリザベート」といったミュージカルの名作を経験し、近年はテレビ、映画、音楽活動、声優など活躍の幅を大きく広げている。37歳になった彼は「36歳で人生にひと区切りがついた」と言う。人生の“シーズン2”を歩み始めた山崎に、これまでのキャリアと、次回作となるミュージカル「ファインディング・ネバーランド」で感じている“原点回帰”の思いについて聞いた。

取材・/ 中川朋子

第1章、ミュージカル漬けだった生活が一変。エンタメ界の景色を変えたチャレンジ

──山崎さんが2016年に発表した自叙伝「シラナイヨ」や過去のインタビューによると、幼い頃の山崎さんはシャイで引っ込み思案だったそうですね。今の山崎さんは常に落ち着いていて堂々としている印象ですが、どのような経験を経てメンタリティが変化していったのですか?

やっぱり両親、特に母が僕のことを一切否定せず、常に受け入れてくれたことが大きいと思います。野球も歌もアメリカ留学も、興味を持ったことには何でもトライさせてもらいました。母が僕を全力で応援して励まして、自信を付けさせてくれたおかげで、シャイで人見知りな性格が前向きに変わっていったのかもしれません。根本に「親からすごく愛された」という記憶があるのは僕の強みになっている気がしますし、本当に感謝していますね。

野球少年だった頃の山崎育三郎(中央)。

野球少年だった頃の山崎育三郎(中央)。

僕は十代のときに、人生にとって大きな出来事をたくさん経験しました。中学3年生で変声期を迎えたときはオーディションに通らなくて悩みましたし、高校生のときのアメリカ留学中にはいじめを受けました。それに、僕にとってとても大切な家族がバラバラになってしまったのも、十代の頃でした。アメリカ留学から帰国したとき、母は岡山、父は北海道、長男はアメリカ、次男はニュージーランド、四男は香川にいて、僕は東京で祖父母を介護しながら暮らすことになったんです。当時はとても大変でしたが、十代のうちに「つらい、苦しい、押し潰されそうだ」という体験ができたことが、今の自分を作っている気もします。僕は人に優しく、前向きで、何でも幅広く受け入れられる人を素敵だなと思います。そういう人は苦しみを乗り越えているからこそ強いのだと感じますし、僕もそうありたい。僕自身、決してもとからメンタルが強いわけではないけど、いろいろな人生経験が自分を変えていったのかもしれません。

アメリカ留学時代の山崎育三郎(中央下)。

アメリカ留学時代の山崎育三郎(中央下)。

──さまざまな経験が今の山崎さんを作っているのですね。ご自身の初舞台からミュージカル界の新人時代までで、特に印象的だった舞台作品を教えてください。

12歳のときに初めて出たミュージカル「フラワー」です。あの体験がなければ今ミュージカルをやっていないかもしれない。「フラワー」は本当に楽しくて……当時の僕はまだシャイでしたが、初めて自分を解放することを知りました。「たくさん呼吸ができる」「自分らしくいられる」と感じて。劇中には僕のソロ曲があったのですが、地方公演の千秋楽のとき、本番でそのソロを歌いながら「これで『フラワー』が終わるんだ」と思って泣いちゃったんですよ。親に捨てられた少年が成長して愛を知る、という感動的なバラードだったのですが、僕は公演が終わる寂しさで泣いて、歌えなくなってしまった。でも僕が子供だったからか、客席から「がんばれー!」とか言われて。

──優しい!(笑)

でも本番中ですよ! 芝居は続いているのにワーッと拍手まで起きてしまって、ちょっととんでもなかったです(笑)。終演後、スタッフさんにすごく怒られて、「どんなことがあっても、役として舞台に立っていなくちゃいけないよ」と言われてハッとさせられました。あそこから僕のミュージカル人生がスタートしましたね。

振り返れば、カーテンコールでお客様の前に立って拍手を聞いたときの感覚は、電流が走るようでした。開演前には緊張感があった客席の雰囲気が、終演後にはガラリと変わっていて。1000人近いお客様が笑顔で僕たちに拍手してくれて、あのとき、人が幸せになる瞬間を目の当たりにしたんだなと思います。僕たちはお客様に何か物をプレゼントしたり、売ったりしたわけでもない。でもあの劇場空間を共有したことで、お客様を笑顔にすることができたんです。それを経験して、子供ながらに「こんなに美しい場所はない。ここにいたい」と思いました。

──大切な原体験ですね。

「フラワー」でお世話になったスタッフの方々とは、僕が大人になってからも一緒にお仕事しています。音楽監督だった甲斐正人さんは「モーツァルト!」「エリザベート」でご一緒しましたし、演出だった小川美也子さんは小池修一郎先生の演出助手をされていました。僕の次回作「ファインディング・ネバーランド」では、「フラワー」で脚本・作詞を務めた高橋亜子さんと再会できて本当にうれしいです。1998年から今までずっと皆さんとご縁がつながっていて、感慨深いですね。

ミュージカル「フラワー」に出演する山崎育三郎。

ミュージカル「フラワー」に出演する山崎育三郎。

──大人になった山崎さんは精力的に舞台出演を続け、29歳までに「レ・ミゼラブル」「モーツァルト!」「ミス・サイゴン」「エリザベート」などの名作ミュージカルに出演しました。しかし以降はテレビや映像作品など、舞台以外のジャンルで精力的に活動されています。ほかのジャンルにチャレンジしようと思ったのはなぜですか?

直接のきっかけは、当時の所属事務所が倒産したことです。二十代の僕はミュージカルを年間5本やっていて、ミュージカルにしか興味がなかった。でも倒産という予期せぬ事態に直面し、自分の人生を振り返ったときに「僕らの世代がもし新しい挑戦をしたら、ミュージカル界がもっと広がるんじゃないか?」と考えたんです。当時もミュージカルは盛り上がっていましたが、どこか孤立したジャンルだとも感じていました。29歳までの僕は一般の人と変わらない生活をしていたので、芸能人だという感覚はなくて。まあ銀座界隈を歩いていたら「あっ育三郎さん! レミゼ観ました」とお客様に声をかけてもらうことはありましたけど(笑)。

でも目標だった「レ・ミゼラブル」「モーツァルト!」「ミス・サイゴン」「エリザベート」に29歳までに出演できたし、「何か新しいことをやりたい」という次のステップが明確に見えた。ちょうどその頃に今の事務所との出会いがあり、「ミュージカルしかやらないと決めていたけど、自分の決めつけを全部やめてみよう」と決意して、映像の世界に足を踏み入れました。そこからテレビドラマ「下町ロケット」や、実写映画「美女と野獣」の吹き替えといったお仕事をさせていただき、活動のジャンルがバラエティ番組、ラジオなど、どんどん広がっていったんです。といっても、自分としては「今までと違うジャンルのお仕事をしている」という感覚は薄かった。ミュージカルに集中していた時期は、歌、ダンス、お芝居はもちろん、ファンの皆さんの前でトークをする機会もたくさんありました。だからテレビに出ながらも「もともとやっていたことを生かしている」という感じでしたし、ミュージカルのおかげで自然に幅広いチャレンジができたのだなと思っています。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」より、山崎育三郎扮するマリウス。(写真提供:東宝演劇部)

ミュージカル「レ・ミゼラブル」より、山崎育三郎扮するマリウス。(写真提供:東宝演劇部)

──山崎さんはどんどん活躍の場を広げ、2020年にはNHK連続テレビ小説「エール」に登場します。同作では山崎さん演じる佐藤久志と古川雄大さん演じる御手洗清太郎による、“プリンス”と“スター”の対決がお茶の間で話題になりました。「エール」にはお二人以外にもたくさんの舞台俳優、ミュージカル俳優の方々が出演されていましたね。山崎さん自身は、舞台俳優を取り巻くエンタテインメント界の変化をどのように感じていますか?

もしかすると僕が一番、エンタメ界の変化を強く感じているかもしれませんね。以前はミュージカル界とテレビの世界は、完全に別物だったと思います。例えば、音楽番組でミュージカル俳優がミュージカルの楽曲を歌うという流れはまったくなかった。あの頃は“扉”を開ける作業を1人でしていた感じで、バラエティでもドラマでも音楽番組でも孤独でしたね。もちろん市村正親さんや石丸幹二さんのような先輩方はいらっしゃいましたが、僕らの世代のミュージカル俳優には「テレビでもがんばる」という人はなかなかいなかったなと。僕は年5本出ていたミュージカルを年1本に減らしてテレビの世界に入りましたが、周囲の反応は「大丈夫なの?」という感じ(笑)。当時はもちろん恐怖心もありましたが、誰かが新しい一歩を踏み出さないと変わらないと思ったんです。

ラッキーなことに、僕はテレビドラマ「下町ロケット」を含めてビッグタイトルに恵まれました。幅広く認知していただけたことで状況が変わり、いろいろなチャンスをもらえるようになって。それで音楽番組でディズニーの楽曲を歌ったりしながらも、番組関係者の方々には「自分はいつかこの番組に、ミュージカルカンパニーみんなで出たい」と伝え続けました。今では朝ドラに大勢のミュージカル俳優が出たり、「FNS歌謡祭」でミュージカルコーナーが恒例になったりと、本当に状況が変わった。テレビ局の皆さんに感謝ですね。これは僕が見たかった景色ですし、「ここまで来られて良かったなあ」と感動しています。

第2章、こだわりは“原キー”!楽しかったトートから原点回帰のジェームズ・バリへ

──近年の舞台のお仕事についてもお伺いします。山崎さんは2015年から2019年までミュージカル「エリザベート」でルイジ・ルキーニ役を演じていましたが、昨年は初めてトート役に挑み、話題を呼びました。トート役に決まったときのお気持ちはいかがでしたか?

単純に「挑戦してみたいな」と思いました。ルキーニをやってからトートもやった方は東宝版「エリザベート」にはいなかったので、チャレンジできることがうれしかったです。僕はルキーニを演じながら、間近でずっとトートを見ていた。だから自分なりのトート像もどこかにありましたし、「このイメージを実際にやってみたら面白いかも」と思えましたね。

ミュージカル「エリザベート」より、山崎育三郎扮するルイジ・ルキーニ(皇后暗殺者)。(写真提供:東宝演劇部)

ミュージカル「エリザベート」より、山崎育三郎扮するルイジ・ルキーニ(皇后暗殺者)。(写真提供:東宝演劇部)

──実際にトートとして「エリザベート」の舞台に立ってみてどうでしたか?

めちゃくちゃ楽しかったです! 井上芳雄さんはいつも「楽しい、楽しい!」と言いながら演じていましたが、城田優くんは「つらい、緊張する」と言っていて「対極だなあ」と思っていたんですけど……僕自身は芳雄さんと同じで、楽しくて仕方なかったですね。トートはある意味、正解のない役です。“死”の概念であるトートを、自分なりに作り上げなくてはならない。自分が演じる前にたくさんのトートがいるから、どう演じても「○○さんっぽい」とお客様は感じるかもしれません。でも僕がやるからには前例に当てはまらないトートを演じたいという思いがずっとあった。自分の“色”を考えながら役作りして演じるのが楽しかったです。

僕がトートを演じるにあたってこだわったのは、歌のキーです。これは絶対にやりたかった! 実はこれまでの東宝版「エリザベート」では、「最後のダンス」のキーがオリジナル版より低かったんです。でも今回は「最後のダンス」を原曲のキーで歌いました。作曲家は楽曲の調にも役柄への思いを込めているはず。だから僕は“ミュージカルをやるうえでは、極力オリジナルキーで演奏するべき”派。今回キーにもこだわれたのはうれしかったですし、そういった面でものびのびとトートを演じられたと思います。

ミュージカル「エリザベート」より、山崎育三郎扮するトート(黄泉の帝王)。(写真提供:東宝演劇部)

ミュージカル「エリザベート」より、山崎育三郎扮するトート(黄泉の帝王)。(写真提供:東宝演劇部)

──次回作はミュージカル「ファインディング・ネバーランド」です。作品をご覧になった印象はいかがでしたか?

まず楽曲の素晴らしさに惹かれました。「歌いたい」と思えるナンバーがあることは、僕にとってすごく大事。それにこの作品では、初舞台を踏んだ頃に自分が感じたミュージカルの良さや演じる楽しさ、歌う喜びを再確認できました。大きく言えば「何のために生きているのか」「何を大事にして生きるのか」という、自分の根本を考えさせられたというか……僕が演じるジェームズ・バリ、濱田めぐみさん演じるシルヴィア・デイヴィスとその子供たちの人生を見ていると、自分自身を振り返る瞬間が何度もありました。今の僕の状況や年齢、家族がいることなど、いろいろリンクした感じで。もっと若かったらこの役を演じられないと思いますし、“今”の僕に深く刺さりましたね。

──「ファインディング・ネバーランド」の制作発表でも、「原点に帰るような気持ちになった」と話されていました。

稽古している子供たちが本当に楽しそうで、まるで僕の子供時代のようなんです(笑)。「ファインディング・ネバーランド」の中には「お芝居とは“プレイ”、つまりごっこ遊びから来ている」と示されるシーンがある。子供たちを見ていると「こういう、『演じるのが楽しい!』という気持ちからスタートしたな」と思います。それに「ファインディング・ネバーランド」では、訳詞の高橋亜子さんが譜面に日本語で歌詞を書いてくださったのですが、その文字がすごく懐かしい。僕が12歳のときに初舞台「フラワー」で見たのと同じ筆跡なんです。そういう意味でも原点回帰を感じていますね。

今37歳ですが、昨年36歳で人生にひと区切り付いた気がします。僕は寅年生まれで、初舞台を踏んだ12歳のときも寅年、24歳で「モーツァルト!」に出たときも寅年だったので、以前から12年ごとに節目が来ている感じでした。29歳でテレビの世界に入ろうと決めてからは7・8年、ほぼ休みなく駆け抜けてきて。「テレビでこんなことができたら良いな」と考えていた目標を、昨年までにひと通り実現させてもらった気がします。37歳になった今は「一度立ち止まりたいな」と思っているんです。もう一度新たなスタートを切りたいと思っていたタイミングで「ファインディング・ネバーランド」に出演できるので、運命的なものを感じますね。

ミュージカル「ファインディング・ネバーランド」チラシ表

ミュージカル「ファインディング・ネバーランド」チラシ表

──「ファインディング・ネバーランド」には、未亡人シルヴィアの息子たちである、ジョージ、ジャック、ピーター、マイケルという4兄弟が出てきます。山崎さん演じるバリは、父親を亡くしたことで純粋な心を閉ざしてしまった3男ピーターと交流するという役どころです。山崎さん自身も4兄弟の3番目ですが、ピーターとご自分に共通点を感じることはありますか?

そうですね、僕にもピーターみたいなところがあったなと。一般的に考えても、4兄弟の上の2人に対しては、親も緊張感を持って厳しくしつけると思います。だけど3人目、4人目になると力が抜けてきて、妥協点を見つけ始めるというか(笑)。だから4兄弟の3男は、お兄ちゃん気質と末っ子気質を併せ持った、繊細な子になりやすいんじゃないかな。僕も幼児期は甘えん坊でしたが、「自分はお兄ちゃんなんだ」とも思っていたから葛藤があって、兄弟の中で一番デリケートだったと思います。「ファインディング・ネバーランド」の4兄弟を見ていると懐かしいし、ピーターと自分が重なってしまいますね。

幼少期の山崎4兄弟。右端が山崎育三郎。

幼少期の山崎4兄弟。右端が山崎育三郎。

第3章、形に残らない舞台ほど美しいものはない。瞬間の“プレイ”に全力投球

──近年多彩なジャンルで活動されている山崎さんですが、今改めて舞台芸術にどんな魅力を感じますか?

形に残らないということに大きな魅力を感じます。舞台は僕にとって、最も美しくて価値ある場所。舞台以外の場所に触れれば触れるほど、「生のステージってすごい場所だな」と実感します。舞台は人間の想像力が奇跡を生み出す空間。でも今この瞬間がすべてだから、公演が終わればパッと消えてしまう。シンデレラの魔法ではないですが、これほどはかなくて潔いものはほかにないと思います。形が残らないものほど美しいものはありませんし、だからこそ強くお客様の心に刺さるのではないでしょうか。今僕は改めて、生でパフォーマンスをすることの価値を強く感じています。でも舞台には、アスリートのように努力を続けたわずかな人しか立てない。だから生のステージにいつでも立てる自分でいることが、僕の目標であり続けています。

ミュージカル「モーツァルト!」より、山崎育三郎扮するヴォルフガング・モーツァルト。(写真提供:東宝演劇部)

ミュージカル「モーツァルト!」より、山崎育三郎扮するヴォルフガング・モーツァルト。(写真提供:東宝演劇部)

──先ほど「36歳で人生にひと区切りついた」というお話がありました。37歳から人生のシーズン2に踏み出した山崎さんは、今後どのような方向を目指して活動していくのでしょうか?

長期的には「日本のオリジナルミュージカルを作りたい」とか「子供たちがミュージカルをやりたいと思える場所を作りたい」という夢があります。ただ自分自身の仕事に関して言うと、実はあまり「この先こうなりたい」みたいな気持ちがないんです。もちろん若い頃は「あの作品をやりたい」「この役をやりたい」とかいろいろ考えていました。でも今僕が一番大切にしているのは、与えられたこの瞬間にどれだけ自分を出し切れるかということ。僕には昔から「明日が来る」と思っていないところがあるようで、「なんで当たり前に明日が来ると思ってるの? もし明日がなかったら、今日クヨクヨしてる暇、なくない?」と自分に問いながら、今この瞬間に全力を出そうとしています。僕が日々ポジティブに過ごせるのは、その感覚のおかげかもしれない。もし今日しかなかったら、今ここに全部を懸けるしかないですよね。その積み重ねこそが未来につながると思うし、気付けば今「ああ、こんなとこまで来られたな」という感じです。

だからふとした瞬間に我に返って、自分の状況にびっくりすることがあります。僕のコンサート「THIS IS IKU」では子供の頃から好きだったCHEMISTRYさん木梨憲武さんに出ていただいたり、NHKのテレビ番組「SONGS」では森山直太朗さんと一緒に歌ったり……本当にすごい体験をしています。でもどうしてそんなことができたのかというと、やっぱり瞬間、瞬間を必死でやってきたから。今ここに強い思いと熱量で臨むからこそ、その先に自分でも驚くような景色が待っているのだと思いますね。

──全力で一瞬一瞬を積み重ねてきたことが、今の山崎さんにつながっているのですね。

そうですね。それに「これやめたほうが良いんじゃないかな」とか「みんな反対するだろうな」ということをあえて探してトライしています。なぜなら、そういう場所にしか活路がないと思うから。僕がテレビの世界に飛び込んだときも、ミュージカル界の知り合いからは反対の声がありました。でも僕は、どうなるかわからない世界だからこそ果敢に踏み込むことが必要だと思っています。明日が来るかどうか、わからないですから(笑)。“山崎育三郎”を客観的に見ているもう1人の自分に、いつも「行け!」と言われているような気がします。あとは何より、楽しむことが大事。やっぱりどんなエンタテインメントでも、心から楽しんでいる人にはつい目が奪われてしまいます。やっぱり“プレイ”、ごっこ遊びに楽しく取り組む気持ちを大切にしたいですし、何事も面白がりながらやっていきたいですね。

山崎育三郎 プロフィール

1986年1月18日、東京都生まれ。1998年にアルゴミュージカル「フラワー」で主演を務め、初舞台を踏む。大学在学中にオーディションでミュージカル「レ・ミゼラブル」マリウス役に選ばれ、2007年に同公演に出演した。その後は「モーツァルト!」「ミス・サイゴン」「エリザベート」など数々のミュージカルに出演。近年ではTBS系テレビドラマ「下町ロケット」、NHK連続テレビ小説「エール」、大河ドラマ「青天を衝け」など映像作品にも多数出演し、テレビ朝日系「あいの結婚相談所」テレビ朝日系「リエゾン -こどものこころ診療所-」では主演を務めた。

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