MIYAVI「Found In Pain」インタビュー|矛盾とカオスを抱え、己の音楽を追求する表現者

MIYAVIのニューアルバム「Found In Pain」がリリースされた。本作は、「Duality(二面性)」をテーマに、前作「Lost In Love」と併せて、「Lost In Love, Found In Pain」として完成形となる2部作の後編にあたる。

サウンド面においては前作同様、多彩なプロデューサー、アーティスト、ソングライターが共同制作者として名を連ねており、P-ファンクの総帥、ジョージ・クリントンが1曲ゲスト参加している点もポイントだ。音楽ナタリーでは、前作に続いてMIYAVIにインタビュー。「自身のキャリアにおいて重要な2部作」と語る本作について語ってもらった。インタビューの冒頭では「今、中国でMIYAVIが活躍している」というホットなトピックにも触れているので、そちらも併せて楽しんでほしい。

取材・文 / 内田正樹撮影 / YOSHIHITO KOBA

「Call Me by Fire 4」出演で取り戻したハングリーな心

──MIYAVIさん、今中国でかなりバズっているらしいですね。

ははは。今、「Call Me by Fire 4」という番組に今年5月から参加していて。タイトルを漢字で書くと「披荆斩棘(ピージンジャンジー)」。何か痛そうな漢字でしょ?(笑)。実際に「茨の道を進む」みたいな意味。生活やステージを通していろんなことに挑戦していく番組で、撮影自体も毎日すごくハード。

──中国の動画配信サービス「Mango TV」で放送されている人気コンテンツで、アーティストが歌唱やダンス、演技など総合的にエンタテインメントの腕を競い合い、観客による投票で勝敗を決定するという趣向のリアリティ番組ですね。チーム分けされた出演者が観客にパフォーマンスを届けるための過程も放送されるという。

アーティストだけじゃなくて、ダンサーや俳優、20代のアイドルから5、60代のレジェンド級の歌手まで出ていて。いろんな人が集まって、毎エピソード、チームに分かれて異なる課題曲に臨んで競い合い、個人のポイントが低いと脱落していく。スタッフ総勢2000人以上、カメラ1000台以上。しかもリアリティショーだから、メシ食っているときも練習をしているときも、すべて番組で流れる。自分の部屋にもカメラが3つ入っているから、寝ているときも、チームメイトとケンカをしているときも、すべてダダ漏れ(笑)。今回EXILEのAKIRAくんも出ていて、僕は彼と一緒の部屋で暮らしていて。互いにすごく支え合っています。

MIYAVI
MIYAVI

──MIYAVIさんがバズった最初のきっかけは?

バズったというか、香港のアクション俳優の友人と揉めたとき。揉めたというか、彼が難しい演出に嫌気が差して途中で帰ったから、「待てよ、帰ってこいよ」みたく怒って、一瞬殴り合いになりそうになった場面が撮られていて。こういうのも含めて、けっこういろいろとそのまま出るし、ファンの子たちからしたら面白いよね。その人の人間性がストレートに出るから。今のところ順調に勝ち進んでいて、次が決勝(※本取材時点)。毎回、何が起こるかわからないけど、ベストを尽くして楽しみたいですね。

──面白さは間違いないものの、正直、よく出演することにしましたね。

正直、俺も最初はやらない、というか、やれないと思っていた。だって、まず中国語でのやりとりでしょ? まあ、不安だよね。それに、アーティストぶるわけじゃないけど、別に自分ががんばっているところをそんなに見せたくもないというか。しかも、1カ月の半分くらい中国にいなくちゃいけないし。アルバム発売も控えている中、スケジュール的にも難しいと思っていました。

──でも、引き受けた(笑)。

決め手になったのは、番組の圧倒的なスケール。毎回、ステージ演出がすごく凝っていて、クオリティがすごく高い。予算も規模も、正直、今の日本の番組では難しいかもしれない。舞台監督や制作チームも超気合いが入っていて、数々のトップクラスのアーティストを手がけているんだけど、俺の特性も熟知してくれていて、「次のステージではギターを弾かずにパフォーマンスをして」とか「ここのシーンで雨を降らせるから、泥の上で踊って」とか、ガンガンぶっ込んで挑戦してくる(笑)。でも実際、どれも面白い演出プランで、本当にギターを弾かずにミュージカルっぽいこともやれば、踊ることだってあります。

MIYAVI

──つまり、これまでMIYAVIさんが培ってきたスキルをすべて拾いにくるんですね。

けっこう引き出しを開けられまくってますね(笑)。夜中まで過酷なリハーサルを強いられたり、睡眠1時間のままステージが始まったり、ちょっと昭和マインドなところもあるんだけど、現場のスタッフはもっとがんばっているから文句も言えない(笑)。逆にアーティストとしては毎回燃えるし、クオリティの高いステージに臨めて光栄です。

──まあ、でもMIYAVIというアーティストはそういう逆境に追い込まれるのが……。

正直、大好き(笑)。慣れない環境や中国語のコミュニケーションの中、極限まで追い込まれるけれど、音楽はもとより、ファッションや演技も含めて今までやってきたことが役立っているし、ステージでその真価も問われる。自分のコアの部分が試される場ですね。

──言葉はどうしているんですか?

毎日、現場で必至に覚えている最中。もちろんまだまだだけど、日本人にとっては、もともと知っている漢字も多いから、思っていたよりも早く覚えられる。もう、簡単なインタビューなら中国語で受け答えしています。あと、やっぱり英語でもかなりコミュニケーションがとれるので、正直そこはめちゃめちゃ助かっていますね。

──中国のエンタテインメントシーンに飛び込んでみての印象は?

当たり前だけど、日本ともアメリカとも違う。進んでいる部分はすごく先進的。驚いたのは、音楽番組で歌詞やストーリーをとても大事に扱うところ。あと、中国の伝統楽器をすごく取り入れている。音楽に対する愛情の深さに、学ばされることが多いですね。番組を通じて得た経験で、俺も変わったと思う。コロナ禍でバタバタしていた中、ちょっと忘れてかけていたハングリーな気持ちを取り戻せたような気もするし。

MIYAVI

「矛盾してていいじゃん」「矛盾があって当たり前じゃん」

──そんな中リリースされた2部作アルバムの後編ですが、収録曲は前作の時点でそろっていたのですか?

そうですね。むしろ、それ以前から存在していたものもあります。本当は去年出そうと思っていたんだけど、倍以上あったデモ楽曲候補の中から選びに選び抜いてこの形にしました。

──完成した今どんな気持ちですか?

そもそも、「Duality(二面性)」というテーマや、「Lost In Love, Found In Pain」というタイトルに行き着いたのは、簡単に言うと、自分の音楽表現の中にある強くて輝くものと弱くて繊細なもの、ダークなものと明るいもの、きれいなものと汚いものといったすべてを含めて自由に、大きなキャンバスの上で表現したかったから。そういった二面性は誰しもあるし、その対比やギャップこそが“人”というか。よく交わらないものの比喩で「水と油」って言い方をするけど、人間にとって、水と油分は両方とも欠かせないもの。「清濁併せ呑む」じゃないけど、相反する要素や矛盾をどう共存させながら生きていくのか。今回は、それを追求するためのテーマとストーリー性を設けて、2枚のアルバムで表現した。大きく分けると、「Lost In Love」は迷い、葛藤、自己嫌悪。「Found In Pain」は夜明け、希望、自己肯定。人間は自己嫌悪と自己肯定の繰り返しでできている。朝、自分のことがすごく嫌いでも、夜になるとやっぱり好き、というか、嫌いになれない自分がいたりする。その矛盾こそが人間じゃない?って。矛盾を抱える中で、表面的な幸せではなく、ある種の痛みがあっても、そこから本当の自分を見出せればいい。その「矛盾=パラドックスの包括」がこの2部作の根幹。今の自分なりのベストな形で表現できたんじゃないかと思っています。

「Lost In Love」ジャケット

「Lost In Love」ジャケット

「Found In Pain」ジャケット

「Found In Pain」ジャケット

──例えば1曲目の「Found In Pain」では、ピアノと聖歌隊のような美しいコーラスからバンド的なグルーヴ、EDMのビートを経て不死鳥としての復活を宣言していますよね。ここは前作のフィナーレ「Last Breath」からの再起の歌だと思うし、孤独な魂の共闘を歌う「You Already Know」や「I'm So Amazing」では、MIYAVI自身が抱えるアーティスト、セレブリティとしての光と影や、世界の舞台でアジア人として抱えてきた孤独と渇望も歌われていて。

うん。前作でも歌ってはいたけど、より自分の中のカオスを突き詰めたと思います。特に「I'm So Amazing」と「You Already Know」はこのアルバムの根幹とも言える楽曲。「本当はわかってんだろう? 自分がどっちに行きたいのか。自分の心の声に従って、そこに行けばいい」と、リスナーだけじゃなく、自分自身も鼓舞するような楽曲ですね。

MIYAVI
MIYAVI

──そうしたカオスを、かつてのMIYAVIさんだったらギターのコードの響きやソロのニュアンスで表現していた部分も多かったと思うんですが、ディスコっぽいEDMのトラックとか、「I'm So Amazing」での口笛とか、よりアプローチの幅が広がったし、何よりも、より一層楽曲至上主義になった気がします。

自分もそう思います。今回、俺がギターを弾いてない曲があるし、なんかやっと「どうでもよくなった」感じがする。これは決して雑な意味ではなくって、何が来ても、何があっても、何をやっても大丈夫という境地の入り口にようやく立てたのかな、という感じ。これはね、特に俺みたいな細かい性格だと、本当に難しいことだった。だって本当はどうでもよくないんだから(笑)。「どうでもいい」って、すごいパワーワードだと思うんだよね。あと、そう思える機会にも恵まれるようになってきた。例えば楽曲のコライトでも、AとBとCがあって、全部興味がないからどうでもいいのと、AとBとCの全部がどれもいいからどれでもいいのとでは、まったく違うじゃない?

──つまり、余裕が生まれるようになってきた?

まあそこまで余裕ではないし、今も必死に作ってはいるけど、かなりの数の楽曲を作ってきて、ようやく少しは遊びの部分が出てきたのかな、と。今回のアルバムジャケットのポーズじゃないけど、ノーガード戦法というか。