「ポンキッキーズ」がもたらした音楽への“目覚め” (後編) [バックナンバー]
番組スタッフが明かす「ポンキッキーズ」制作の裏側
大切なのは“子供を子供扱いしないこと”
2023年12月18日 8:08 47
今年10月で放送開始から30周年を迎えた子供番組「ポンキッキーズ」の音楽面を振り返る本記事。前編ではスチャダラパーBoseへのインタビューを掲載したが、後編では「ポンキッキーズ」放送開始当初よりゼネラルプロデューサーアシスタント / ブレーンというポジションで制作スタッフを務め、現在もガチャピン・ムックに関するプロジェクトに携わっているフジテレビの山田洋久氏に話を聞いた。「ポンキッキーズ」の発起人でもある小畑芳和氏へのメール取材の回答も交えつつ、番組の誕生秘話や制作の裏側を掘り下げていく。
取材・
「ポンキッキーズ」に大きな影響を与えたヒット曲
「『ポンキッキ』リニューアルのタイミングで小畑さんが加わったのは、やっぱりデカかったんじゃないかな」。前編でBoseがそう語ったように、ゼネラルプロデューサーとして制作現場で陣頭指揮を執っていた小畑氏は、「ポンキッキーズ」という番組を振り返るうえで忘れてはならない最重要人物だ。「ポンキッキーズ」以前から長年彼とともに歩んできた山田氏も「『ポンキッキーズ』は小畑が作り上げた部分が大きい」と証言する。「いきなり!フライデーナイト」「ライオンのいただきます」といったバラエティ番組のディレクターを経て、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」をプロデューサーとしてヒットに導いた小畑氏は、自身の番組にさまざまなアーティストや楽曲を取り入れてきた。“バラエティ”と“音楽”を掛け合わせる小畑氏特有の番組作りの背景には、局内での彼の特殊なポジションが影響していたと山田氏は語る。
「小畑はもともとフジテレビの中でも少し変わった位置にいたんです。当時はバラエティ班と音楽班がきれいに分かれていたけど、小畑はその両方に属していて。作っている番組自体はバラエティなんだけど、いろんなレコード会社とコミュニケーションを取りながら新しい情報をどんどん仕入れて、それを番組に反映させていた。もともと『いろんなミュージシャンと番組を作りたい』『テレビには出ないような人たちの面白さを視聴者に届けたい』という思いが強い人だったし、当時は“とにかくいいものをわがままにやる”という作り方ができたので、『いきなり!フライデーナイト』という深夜番組にBOØWYさんに出てもらったり、小畑もいろいろ面白いことをやっていましたね」
「ポンキッキーズ」の放送スタートからさかのぼること3年。1990年9月、“ポンキッキーズ前史”において重要な曲が発表される。それが「やまだかつてないテレビ」をきっかけに大ヒットした
「『愛は勝つ』のヒットはめちゃくちゃ大きかったと思います。『愛は勝つ』とその翌年の『それが大事』(大事MANブラザーズバンドによる『やまだかつてないテレビ』テーマソング)がどちらもミリオンを達成したことで、“バラエティからヒット曲が出る”という風潮がテレビ局全体にでき始めた。『やまかつ』自体は1992年に終わるんですけど、そのあとに小畑が始めたのがドリカム(
結果的に「決戦は金曜日」はドリカムにとってシングル初のミリオンヒットを記録。“バラエティからヒット曲が出る”というムードはますます強くなっていく。
「これらのヒットがあったことで、いろんなレコード会社から小畑のもとに情報が集まってくるようになった。そして、その情報をもとに生まれたのが『ポンキッキーズ』の楽曲の数々で。だから『ポンキッキーズ』は完全に『やまかつ』や『愛は勝つ』の延長線上にある番組なんですよね」
音楽が育む多種多様な価値観
「やまだかつてないテレビ」の終了後、小畑氏は「20年続いた『ひらけ!ポンキッキ』をリニューアルしたい」という話をフジテレビ上層部から受け、「ポンキッキーズ」を立ち上げることに。それまで幼児教育をメインとしていた「ポンキッキ」から視聴ターゲットやコンテンツを一新し、新たな番組へと生まれ変わらせる。そこで出てきたのが、教育とエンタテインメントをかけ合わせた「エデュテイメント」というコンセプト。このコンセプトは「これからは教育にも“ゆとり”が必要になる時代だから、エンタメ色を強くしよう」という考えから生まれたとのことだが、その“エンタメ色”の中心を担っていたのが、ほかでもない音楽だった。
「『ポンキッキーズ』では『ポンキッキ』のコンテンツはあまり引き継いでいないんです。ガチャピンとムックはそのままいたけど、それ以外では新しいことを始めたかった。特に音楽に関しては『大人でも楽しめるクオリティのものを』と思っていたので、オープニングは
オープニングとエンディング以外にも、番組ではジャンルやアーティストの世代・知名度を問わずさまざまな楽曲が使われてきた。
「とにかく新しいアーティストや楽曲の情報を定期的にレコード会社から集めていましたね。で、もらった音源を全部聴いて、その中からいいと思ったものをやる。それだけです。スタッフがそれぞれいいと思ったものを持ち寄って、会議室に集まって全員で聴くんですよ。その中から最終的に小畑がジャッジするんです」
当時「ポンキッキーズ」に携わっていたスタッフはディレクターやADを含めて20人ほど。それらすべてのスタッフがいいと思った曲を持ち寄り、そこからオンエア曲が選ばれる。そのセレクト方法を聞くと、上に書いたようなラインナップの雑多さも頷ける。そしてその雑多さは「子供たちに、とにかくいろんなジャンルの音楽を聴いてほしい」という思いの表れでもあっただろう。
「ポンキッキーズ」を制作するうえで一番大切にしていた意識は何か? そんな質問に小畑氏は「子供たちに多種多様な価値観を持ってほしいと思っていました。子供たちが最も受け入れやすいのが音楽だと思います。合わせて感受性の育成に寄与すると思っています」と答えてくれた。「多様な価値観を持ってほしい」という子供たちへの思いから、小畑氏はレコード会社から届いた音源をすべて聴き、気になったアーティストには直接会いに行き、「P-kiesメロディ」を作り上げていったのだ。
「子供を子供扱いしない」と決めていた
山田氏が「『ポンキッキーズ』は『やまかつ』の延長線上にある」と語る通り、確かに「ポンキッキーズ」はそれまで小畑氏が行ってきた“バラエティ”と“音楽”を掛け合わせた番組作りの方法論に則って制作されていたように思える。とは言え「ポンキッキーズ」は子供番組。視聴ターゲットの違いから、従来の制作方法とは異なる部分もあったのではないだろうか。
「いや、僕らは『子供を子供扱いしない』と決めていたんです。だからそこまで大きな違いはなかったと思いますよ。どういうものが子供向けかはメディアが決めることじゃないし、子供としてじゃなくて1人の人間として扱うべきだというのを、スタッフ全員が共通認識として持っていたので。例えば『これは子供向けじゃないから』と言って曲を変えたりとか、そういうことは絶対にしない。いい音楽に年齢は関係ないですから。もっと言うと人種も言語も関係ない。海外の曲だって、歌詞がわからなくてもいいものはいいと思えるし、クラシックなんかは曲名すら知らなくてもいいフレーズは頭に残る。それが音楽のすごさだと思うんです」
「子供を子供扱いしない」。そんな重要な価値観のほかに、「ポンキッキーズ」の制作陣が大切にしていたのは「自分たちがいいと思うものをやろう」という、シンプルかつ実直な姿勢だった。
「音楽に関しても映像に関しても、『自分たちがいいと思うものをやろう』というのは『ポンキッキーズ』スタッフにとって大きなテーマだったと思います。裏を返すと『自分がいいと思わないものは絶対にやっちゃダメ』ということでもあって、『自分が好きじゃなかったら誰も好きにならないよ』というのは小畑にも言われてました。その時代に自分たちが何をいいと思ったか、その感覚だけを頼りに作られた番組なんですよ、『ポンキッキーズ』って。だから『とにかくアンテナを張れ』とも言われてましたね。何が子供に受けそうかとかではなくて、『とにかく自分のアンテナに引っかかったものをピックアップしろ』って。中には単にスタッフが『この人と仕事をしてみたい』と思って決まったものもあるんです。僕で言うとさっき話した達郎さんの『パレード』がそうですし、EPOさんとか杏里さんとかもそう。そういうふうにある意味自分たちのわがままを叶えさせてもらっていた番組でもある。振り返ってみると、意外とただの音楽バカたちが作っていた番組なんですよ(笑)」
とにかくアンテナを張って、自分がいいと思ったアーティストを取り上げる。そんな純粋な姿勢が、ブレイク前の
「ポンキッキーズ」を象徴するあのフレーズ
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