西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を各回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。
第21回で取り上げるのは、2008年9月発表の
文
音楽ライターとして数々のレジェンドにインタビュー
EXILEにとって28枚目のシングル「The Birthday ~Ti Amo~」が発売されたのは2008年9月24日。今からもう14年前の曲なんですね。個人的には2000年代(ゼロ年代)に生まれたヒットソングで指折りに好きな曲が、松尾潔さんがプロデュース、作詞、作曲(作曲はJin Nakamuraさんとの共作)されたこの「Ti Amo」。揺らぐことはありません。
この曲が生まれる時期、6歳年上の先輩である松尾さんと僕は特に濃密な時間を過ごさせてもらっていました。今回のコラムは歴史的な名曲「Ti Amo」がどのようにして生まれたのか正確に書き残す意義を感じ、彼に直接インタビュー取材を依頼。快く引き受けてもらい構成したものです。
もともと学生時代から音楽ライターとして活躍され、海外取材を繰り返す中でジェームス・ブラウン、
90年代半ば以降、仕事の重心を音楽ライター、R&Bの紹介者という立場から音楽プロデュース、作詞の領域に移された松尾さんを待っていたのはさらなる飛躍でした。プロデュースを手がけた
「Ti Amo」で感じた心の奥底からの衝撃、「絶対に売れる」という確信
思い返せば僕が最初に松尾さんから仕事の依頼を受けたのは、韓国人シンガーソングライター・
この「シンボルず」のためのレコーディング作業が終わったあと、3人で川崎で食事してお酒を飲むのが恒例で。いつもはたいてい車やタクシー移動の僕と松尾さんが電車で待ち合わせして通うのが常でした。JR新宿駅から湘南新宿ラインのボックスシートに乗り、新川崎駅まで向かうちょっとした小旅行気分。その日は夏祭りと花火があったようで、浴衣を着た女子大生くらいの女の子が友だち同士でワクワクした様子で向かいの席に座っていて。それで「どこでお祭りがあるんですか?」なんて、僕と松尾さんで聞いたりして。対面式座席だったから僕らも自然に話しかけやすかったんだと思います。その後、車窓を眺め多摩川を越えながら聴かせてもらった「Ti Amo」は、「この曲をEXILEが歌えば絶対に売れる、目の前に座っている浴衣姿の女の子たちも皆、聴くことになるだろう」と心の奥底から感じる衝撃で。耳の中では初めて聴く楽曲が響いているのに、夜の歌でありながら、目を開くと映る日本の普通の街の景色、六本木や渋谷というよりも神奈川に向かう電車の中で日常生活を送る老若男女、すべての人々の何気ない温度感に最初から完全に混ざっていることが不思議でした。ああ、これがヒットする曲が持つパワーなのか、と……。その誕生のプロセスを垣間見たあの瞬間は忘れられません。
ヒントをもらった3つの曲
「Ti Amo」を生み出す前に、松尾さんの頭の中に浮かんだ曲が3つあったそう。まずスタジオミュージシャン13人で結成された企画バンド・Hi-Glossが1981年にリリースしたシングル「You'll Never Know」。1998年にリリースされた人気コンピレーション「FREE SOUL DREAM」にもセレクトされていたこの曲の“必要以上にびっしょり濡れた”哀愁サウンドは演歌的でグルーヴィなムード歌謡としても捉えられてさすがの審美眼。
そして2曲目が敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」(1977年)。懐かしいヒット曲ですが、この曲はメロディではなく日本人好みのラテンのリズム、“夜の世界のイメージ”がヒントになったとのこと。松尾さんによれば、2003年9月に筒美京平さん作曲、松尾さんによる作詞、プロデュースで
3曲目は、
つまり、松尾さんが10年近く重ねてきたプロデュースワークの中で「少し早かった。しかし間違ってはいない」という音楽スタイルを2008年のタイミングで凝縮し、彼曰く「もっとも“松尾潔”色が強い作品として完成した楽曲」が「Ti Amo」だったということがこれらの証言から伝わってきます。
繰り返される“脳内ボイス”
もう1つ。あくまでも“歌手ではない”松尾さんの作詞、作曲方法は、通常のシンガーソングライターとは違うと彼は言います。実は松尾さんが薫陶を受けた作曲家・筒美京平さんもそのタイプでしたが、彼らは自分でメロディを口ずさんだり仮歌をササッと歌ったりはしない。松尾さん曰く「ひたすら脳内で想定する。イメージする。依頼されたシンガーの声、歌唱法で歌ったらどうなるかと。何度も何度も“脳内ボイス”を再生しながら作ってゆく」と。この時期のEXILEワークスで言えば、松尾さんがプロデュース、作詞された「Lovers Again」(2007年1月発売)も名バラードとしてすでに大ヒットを記録していたのですが、この楽曲は
「もしもほかの歌手が歌うことを想定するなら、平井さんが歌う『Ti Amo』はピタッとハマるかもしれないね」と松尾さんがおっしゃったことは、彼のプロデュースワークの秘密に触れたようなインタビュアーとしての快感がありました。つまり、僕もそうなのですが“シンガー”がメロディを紡ぐ場合、どうしてもある種、歌い手としての本能的な心地よさで歌い切ることで簡単に満足してしまう危険性がある。達者なギタリストやピアニストが弾く流麗なソロも同じように思います。テクニカルでうまいからそれなりの形がナチュラルに流れるようにできてしまう。しかし、松尾さんは実際に歌わないからこそ“脳内ボイス”を想像することで、どこまでも作品と一定の距離を保ち冷徹に職人として最適な答えを探し出そうとする。
松尾さんの深い音楽愛、知識、経験と“脳内”で繰り返される緻密で客観的なクリエイション。何よりキャリアを重ねた百戦錬磨のメンバーと、新加入の若い世代の新鮮さが混じり合い完全なる上昇軌道に乗っていた2008年のEXILEが大人の男性の魅力を全方位的に振り撒けるグループであったことが最大のポイントだとは思いますが、パフォーマンスと楽曲、個々のパーソナリティの完璧なコンビネーション、愛と計算とフレッシュさの奇跡的な最高沸点がこの「Ti Amo」には存在する。
すでに「Ti Amo」はタイムレスなクラシックとなり、
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」、2021年9月にはバンドでアルバム「Discography」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などに出演し、現在はAmazon Musicでポッドキャスト「西寺郷太の最高!ファンクラブ」を配信中。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「
バックナンバー
NONA REEVESのほかの記事
リンク
- 西寺郷太 NONA REEVES もうすぐ小説「'90s ナインティーズ」最終回! (@Gota_NonaReeves) | Twitter
- NONA REEVES Official Website
- NONA REEVES Official (@NonaReeves_News) | Twitter
- しまおまほ (@mahomahowar) | Twitter
- shimao maho (@mahomahowar) | Instagram
- EXILE Official Website
- 松尾潔 (@kiyoshimatsuo) | Twitter
- EXILE / Ti Amo - YouTube
- 西寺郷太のPOP FOCUS #21 EXILE編 - Spotify
EXILE_FAMILY_NEWS @EXILE_FAMILY_
EXILE「Ti Amo」 | 西寺郷太のPOP FOCUS 第21回 - 音楽ナタリー https://t.co/TZjpdxotDm https://t.co/UCTFqJBEHy