私は、那須平成の森を開園するに当たって、那須平成の森は学校のような形態が良いのではないだろうかと考えていました。優秀なスタッフを固定化させ強力な組織を作り上げることも方針としては考えられました。しかし私は、一定のレベルまで達したスタッフには自分で卒業する時期を決めさせ、彼らにはその経験を活かして環境教育を全国に普及してもらうことが那須平成の森の役割ではないかと考えたのです。もちろん、先生として残ってくれるスタッフは必要です。例えば、現在は9名のスタッフで運営していますが、先生役のスタッフが4名、その他が学ぶ側のスタッフという形になっています。スタッフは入ったり抜けたりを繰り返しながら10年目を迎えている訳ですが、これまでプログラムの満足度はアンケート結果で「90%以上が満足」と維持できていて、その理由の一つは、核となる人たちが中心となって新人教育を進めていることが大きな要因といえるでしょう。もちろん、憲法的位置づけの「インタープリテーション計画」の存在も外せません。
なぜ、スタッフ自らが先生役となって若手を育てる仕組みにしたのか。端的に言うなら、「教えることで人は成長する、人を見る確かな目を養うことができる」ということになるでしょうか。教える側もまだ若く苦労の連続ですが、那須平成の森に在籍している間に培った力を発揮できる恰好の場ともなるのです。ここでは一応先生と表現するものの、彼ら自身もまたインタープリターとしての成長途中でもあります。一方、教わる側は、先輩たちの経験が直伝される形で教授されるので、漫然と聞いているだけでは血肉となりません。積極的に学んで吸収しようとする姿勢がないと他の新人と大きく差を付けられてしまいます。
難しいのは、価値観の問題です。私たちは、多かれ少なかれ、自分の家族や近しい人々の考え方に大きく影響されて育ってきたはずです。自らもそれを自分の価値観として捉えていくでしょう。それはそれで良いのです。問題は、その人がその価値観と違った人の集合体である環境「社会」に入った時、自分の価値観と他者の価値観にどう向き合うことができるかということです。他者の価値観に共感できる人と、自分の価値観に(意識する意識しないに関係なく)固執してしまう人では、職場仲間との関係性はどのようになっていくでしょうか。この問題に直面した時、対応できるのはベテランスタッフで、根気よくその人と向き合っていくこととなります。那須平成の森は、個人個人の個性を尊重しつつも、全員が船団を組んで目標に向かっていくタイプの組織です。チームワークが取れないことには、目標に向かうことができませんから、自分の価値観に固執する人には「他者への共感」について辛抱強く面談を続けていきます。
さて、教わる側も教えられる側も、若い職員にとっては自ら考え判断することが求められます。昨今の学校教育の中で育った人たちは、「自ら論理的に考え答えを導き出す」ということを、体験として学んでこなかったように見受けられることが多いので、少々厳しい役回りかもしれません。しかし、オン・ザ・ジョブ・トレーニング(仕事をしながらの訓練)を繰り返すうちに、人によってそのスピードに違いはありますが、徐々に考える頭脳を鍛えていけるようになり、体験が経験となっていきます。仕事全般についても、凡そ3年で一通りのことがこなせるようになり、4年目以降はより個性を発揮し、また人を育てられるように成長していきます。
この9年間で36名のスタッフが那須平成の森の運営に関わってきました。卒業したスタッフたちの進路は様々です。農業の道に進む人、看護師としての経験を活かしながら自然体験活動を続ける人、幼児教育に取り組む人、家庭に戻り地域の子供たちの居場所として提供する人、小笠原に移住してクジラの保護活動をする人、などなど。那須平成の森のような自然学校を次の職場として選んでくれたらそれはそれで嬉しいですが、たとえどのような仕事に就くにせよ、それぞれの場所で那須平成の森での経験を活かし、環境教育の普及啓発に取り組んでくれていたら幸いなことです。
那須平成の森は、これからもスタッフの入替りを繰り返しながら、人材輩出の場としての役割を果たしていければと考えています。