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旧魚梁瀬森林鉄道施設 立岡二号桟道 - 経済産業省の近代化産業遺産群
[ 高知県安芸郡田野町 ] 平成21年 6月に、国指定 重要文化財 (建造物)に指定された旧魚梁瀬森林鉄道施設の一つで、その遺構は高知県安芸郡 安田町、馬路村、北川村、田野町、奈半利町 の広範囲に分布しちょります 南側から見た10連のコンクリートガーダー橋で、近くから見たら奈半利の方に緩やかに左にカーブしちょります。 重要文化財 旧魚梁瀬森林鉄道施設 立岡二号桟道[建築年] 昭和8年[構造様式] 立岡高架:石積...
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真乗寺 - 土佐南学中興の祖・谷時中の生誕地
[ 高知県安芸郡東洋町甲浦中町 ] 脇道を入った突き当りに見える、黒白幕(鯨幕)を張った場所が、真乗寺と言う土佐南学中興の祖・谷時中の生誕地になるがです。門を入って直ぐ左側に「谷時中出生の地記念碑」が建立されちょるがですが、生憎この日は葬儀が行われていて、丁度、記念碑の前辺りに受付があり、数人の方が世話しなく動いていました。幾等何でも場違いな場所に突然不審者が現れた為、奇異な視線が注がれる中、不謹慎...
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中村山内家土居・幡多郡奉行所跡 - 山内一豊の弟・康豊が中村に入る
[ 高知県四万十市中村丸の内 ] 現在の中村拘置支所辺りが、土佐藩の中村支藩を治めちょった中村山内家の屋敷があった辺りになるがです。 中村山内家土居・幡多郡奉行所跡慶長6(1601)年6月、山内康豊は幡多に2万石の知行地を与えられ中村に入り、土居に入り居住しました。中村山内家は2代政豊(良豊)で絶え、代わって寛永7(1630)年山内忠直が新たに3万石を知行されて中村土居に入りましたが、明暦2(1656)年忠直の知行地...
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久礼田定祐夫妻の祠 - 秦氏第三代忠俊の弟・忠幸を祖とする久礼田城主
[ 高知県南国市久礼田 ] 久礼田小学校の北側にある久礼田城址(パシフィック・ゴルフクラブの駐車場の南の小山)の南東斜面の竹林の中に、久礼田定祐夫妻の祠があるがです。中ノ土居久礼田氏城館跡 - 久礼田氏は長宗我部三代・忠俊の弟・忠幸が祖 2021-11-30 祠の床下に、夫婦の墓標と思われる五輪の塔があると言う事ながです。 祠から500m程離れた県道31号線の脇に、説明板が建てられちょります。久礼田定祐公の祠ここから北...
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熊野神社 - 紀州熊野神社の御神体の一つが沖合の双子島に飛来
[ 高知県安芸郡東洋町甲浦 ] 甲浦漁港の西側の対岸から見た写真で、漁市場の直ぐ背後に甲山と言う小さな山があり熊野神社が鎮座しちょり、漁市場の上を覆うように楠が大きく枝を張り巡らしちょります。 熊野神社の下から見上げた写真御祭神は、速玉男命・伊弉冉命・事解男命・伊邪那美命勧請年月は未詳じゃけんど、伝承では806年(平安時代)、紀州熊野神社の御神体が12社に分かれ、その一つが金の鳥になって入り江の出口付近(...
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正覚寺 - 山内一豊、土佐入国時の御宿で、藩政初期の陸上参勤の際の宿泊所
[ 高知県安芸郡奈半利町乙1718-1 ] 正覚寺は高野山真言宗 高祷山自性院と号し、本尊弘法大師坐像。『南路志』所引の寺記によれば神亀元年(724)行基の開基と伝え、行基作の聖観音像を本尊としたが天正11年(1583)に焼失。古くは金剛頂寺(現・室戸市)の末であった。天正17年の奈和利庄地検帳には桑名丹後守の土居(奈半利城)のあった城村に寺地一反四六代が記され、うち堂床は五代とある。寺領も田畑二三筆二町三反が記さ...
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ジョン万次郎(中浜万次郎)像 - コンパスと三角定規を握って足摺岬に建つ
[ 高知県土佐清水市足摺岬 ]足摺岬の展望台への入口に建っちょりますジョン万次郎(中浜万次郎)さん。この銅像は、昭和43年(1968)に除幕式が行われたがじゃそうです。天保12年(1841)14歳の時、現在の土佐市宇佐から出航し、万次郎達はこの足摺岬の南東約15Kmの沖で操業中、嵐に合い船は航行不能となり難破するがです。ジョン万次郎出航の浦 - 宇佐 2009-07-06伊豆諸島の鳥島に漂着した万次郎達は何とか143日間を生き延び、ウ...
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名勝・天神ヶ嶽 - 水と五穀の神として天神さんを祀る
[ 高知県長岡郡大豊町東土居 ] JR豊永駅から、以前に御紹介しちょります定福寺への途中になるがですが、吉野川の支流・南小川沿いに約10分程歩いて行くと(駅からはバス・タクシー等の交通機関がありません)、天神ケ嶽と言う石碑の建っちょる場所があるがです。定福寺 - 夏は大賀ハスが咲き、秋は紅葉で有名な、僧・行基が開創 名勝 天神ヶ嶽東土居二十八町歩の田園を潤すため、眼下南小川に紫堰が築かれた昔より、このお社の天...
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兼山神社 - 高岡平野に仁淀川から灌漑用水を引き鎌田井筋を築く
[ 高知県土佐市高岡町丙 ] 鎌田井筋を挟んで、土佐市高岡の高岡第一小学校の東側に鎮座しちょります。御祭神は、土佐藩2代藩主・山内義忠に仕えた家老で、土佐の各地で土木工事、港湾の整備、産業の奨励、用水路の開発等、多岐に渡って功績を残した人ながです。県内各地に野中兼山公を祀る神社や祠がありますけんど、此処もその一つながです。野中兼山は、似淀川の東側に弘岡堰(現八田堰)を築き、春野平野に弘岡井筋を完成さ...
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古五六寺廃跡の碑 - 奈良時代後期から平安時代前期の古寺跡
[ 高知県安芸郡奈半利町 ] 石碑にゃ「古五六寺廃跡」と刻まれちょり、変わったネーミングなもんじゃき、何んじゃろーと思うてチックと調べてみたがですが、資料の多くは「コゴロク廃寺跡」となっちょりました。コゴロク廃寺跡の名の由来奈半利町中川原の水田の中に布目を持った古代の瓦の出土する土地がある。ときには蓮花文を持つ軒先を飾る、あぶみの瓦も出土する。二つのやや大きな水田で、これらの水田の中央に大きな石が立...
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窪川家老山内氏歴代の墓 - 山内一豊から家老職に任じられ一族に準ずる待遇を受ける
[ 高知県高岡郡四万十町窪川 ] 墓所は、窪川町にある四国八十八ヶ所霊場 第37番 岩本寺の南裏の山裾にあり、本堂脇から一旦寺を出て、土佐くろしお鉄道の線路を潜り、東に進むと墓所があるがです。窪川家老職 山内家六代の墓窪川初代家老林傳左衛門勝吉は織田信長の重鎮林佐渡守通勝の三男として美濃国(岐阜県)に生まれ慶長六年(1601年)土佐初代藩主山内一豊が土佐入国とともに家老職に任じ仁井田郷に於いて五千石を興えられ...
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佐田沈下橋 - 四万十川の最下流に架かる沈下橋
[ 高知県四万十市佐田 ] 四万十川右岸の佐田展望台から見た佐田沈下橋ながです。 看板にゃ此処から、以前御紹介した四万十川橋(赤鉄橋)までは4.6Km、佐田沈下橋までは1kmと書かれちょります。赤鉄橋 - 財界のナポレオンと呼ばれた鈴木商店大番頭・金子直吉の人脈で完成 2023-11-26 四万十川に架かる沈下橋で一番最下流(一番河口に近い)にあり、最寄りの土佐くろしお鉄道の中村駅からも一番近い沈下橋ですき、観光客も一番...
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花山神社 - 伝承ではNHK大河『光る君へ』の第65代・花山天皇を祀る
[ 高知県須崎市浦ノ内出見 ] ここは、浦ノ内湾宇佐大橋から波穏やかな浦ノ内湾北岸を須崎市方面(西方向)に7km程行くと、出見という地区が有るがです。川沿いに≒500m程行くと、鳥居があり、神社の名は花山神社(出見神社)と言うがです。今回も、伝・清少納言を祀る名護神社に続き、NHK大河『光る君へ』にも登場した花山天皇伝説のある神社の御紹介を。まず、地元に伝わる伝承を二つ【 出見の花山神社 】 むかし花山法...
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安田不動の滝 - 6月にゃ色鮮やかな紫陽花が見られます
[ 高知県安芸郡安田町不動 ] 高知側から安田川を渡り、約650m程東に行った山側に、不動堂はあるがです。 お堂の左側を上がって行くと、お不動さんをお祀しちゅう、こんまい(小さい)祠と、不動の滝があるがです。 滝と云うから大きな落差の滝をイメージするけんど、落差は10mあるかないか位の滝ながです。因みに、ここはアジサイでもちょっとは知られちゅう所ながです。毎年6月になると「あじさいまつり」も開かれ、境内周辺に...
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津野孫次郎親忠公仮墓 - 人望厚く領民に慕われた領主の悲運を偲ぶ
[ 高知県須崎市吾井郷甲・為貞 ]場所は、前回の記事と同じ須崎市吾桑・為貞にあった正善寺跡ながです。弘法大師一夜建立の池 - 大師所縁の地で正善寺というお寺があった 2024-04-22津野孫次郎親忠公仮墓は高さ約90cmの自然石で、津野氏の家紋・丸に一文字が刻まれた墓碑にゃ「㊀ 考山寺殿雪庭宗筝大居士 慶長五年九月二十九日」と刻まれちょります。津野孫次郎親忠公の墓所は、香美市の神通寺にある津野神社が知られちょりま...
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弘法大師一夜建立の池 - 大師所縁の地で正善寺というお寺があった
[ 高知県須崎市吾井郷甲・為貞 ]弘法大師一夜建立の池のあるのは、須崎市吾桑・為貞にあった正善寺というお寺で、津野吾井郷地検帳にも載っちょり、また『南路志』に春日山蓮花院正善寺とあり、昔は大寺で真言宗大善寺末で本尊は先手観音だったそうですが、明治の廃仏毀釈で廃寺になり、現在は観音堂が地域の公民館となっちょるそうです。 正善寺跡にある池は、弘法大師が一夜で造ったと伝えられちょり、大師が急いで掘ったため...
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吉田市左衛門正重誕生地 - 曽祖父は吉田備後守重俊(大備後)、祖父は吉田伊賀介重康
[ 高知県安芸郡芸西村馬ノ上 ]永禄11年(1568)、長宗我部家臣・吉田俊政の子として誕生しちょります。曽祖父は吉田備後守重俊(大備後)、祖父は吉田伊賀介重康ながです。 金岡城址 - 安芸氏滅亡後は夜須城主・吉田備後守重俊が支配 2019-10-25吉田伊賀之介重康 - 父は通称・大備後事、吉田重俊 2014-05-07 碑の裏面にゃ、「長宗我部家臣 身長百八十八センチ 敵将・朴好仁を生け捕り 猛虎を退治」と刻まれちょります。 ...
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豊永城 - 長宗我部氏の配下・小笠原氏の居城
[ 高知県長岡郡大豊町 ]JR土讃線豊永駅の南に聳える標高496mの豊永山で、稜線の南西端にあるがです。此処が、豊永城で、粟井城、阿波井城、豊永下土居城等の別名があるようで、す。宮地森城 著の『土佐国古城略史 : 附・御城築記』じゃと、豊永下土居城で記載されちょります。築城時期は不明じゃけんど、小笠原氏によって築かれたと云われちょります。 戦国時代に豊永地方を支配した小笠原(豊永)氏の城と言われる。『南路志』...
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名護神社 - 伝承では「光る君へ」にも登場する清少納言を祀る神社
[ 高知県高知県南国市稲生 ]2016年にも一度ご紹介しちょりますが、現在NHKの大河ドラマ『光る君へ』にも清少納言が登場しちょるので思い出して、再度、御紹介します。これも以前御紹介しちょりますが、神社の由緒書にゃ【おなご様】について」明治初期に書かれた山内藩政を調べた上げた書物に『皆山集』があり、それによると、《(南国市の稲生に)”なご谷”というところあり、清少納言の終の棲家であったことから、なご谷といへ...
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徳右衛門丁石 - 四国八十八ヵ所霊場 第35番札所 清瀧寺境内
[ 高知県土佐市高岡町・清瀧寺 ]四国八十八ヵ所霊場 第35番札所 清瀧寺の本堂前の境内に、武田徳右衛門丁石(徳右衛門丁石)があるがです。角柱是より 青龍寺迄 弐里半施主 幡多郡中村町 宇和屋〇次郎願主 予州 徳右エ門清瀧寺から、次の第36番札所の青龍寺迄が、二里半(10Km)と記した、標柱ながです。 武田徳右衛門さんは、今の愛媛県今治市朝倉出身の人で、寛政6年(1794)~文化4年 (1807)頃に建てた現存する130基程の...
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間崎滄浪墓 - 間崎家の先祖の眠る地に建てられた分骨墓
[ 高知県宿毛市江ノ村 ] 青蓮院宮令旨事件で切腹させられた間崎滄浪(哲馬)の本墓は、高知市東久万にあり両親と娘と共に眠っちょりますが、宿毛市江ノ村の長法寺にも間崎滄浪(哲馬)の墓があるがです。 間崎哲馬(滄浪)の墓 2010-04-25間崎滄浪(哲馬)邸跡 - 青蓮院宮令旨事件で投獄 2010-04-19 間崎滄浪の父じゃった郷士の間崎房之介則忠はこの村(旧・間崎村)の出身で高知城下に出て医者をしよった。昭和41年12月に、先...