片岡の茶園堂 - 戦国時代、14代片岡光綱によって設けられる
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[ 高知県高岡郡越知町片岡 ... ]
場所は、以前に御紹介しちょりますが同じ越知町片岡にある片岡の沈下橋の直ぐ傍の、県道18号・伊野仁淀線の道路脇に、この茶園堂はあるがです。
片岡沈下橋 - 仁淀川 2012.02.15
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茶園堂と盆踊り
寺野城(黒岩郷)城主13代片岡茂光は、善政を施し城下に茶園堂を設けて、領民をして湯茶の接待をさせ、通行する旅人を慰労した。
そして、茶園堂に領民を集わせ、盛大な盆踊り会を催した。
14代片岡光綱は、片岡・法巌の2城を築き、片岡に移り住み、茶園堂も建てて接待を続けた。
永禄3(1560)年茂光の死後、その妻(長宗我部国親の妹)理春尼は、夫と兄の死を悼み、供養に明け暮れると共に村の幼童を集めて読み書きを教え、夫・茂光が遺愛の盆踊りを育成し、ここ茶園堂の庭、瑞応寺(黒岩郷)、天忠寺(黒岩郷)で毎年盛大な盆踊り会を催した。
片岡氏滅亡後も村人たちは絶やすことなく続けた。
後年、土佐藩執政野中兼山は、毎年供養の灯油3升を永代下賜として助成した。
これが現在も続けられている片岡茶園堂や瑞応寺の盆踊りである。
2004年8月
越知町教育委員会
越知史談会
【 参考・引用 】 説明板より
長宗我部国親の妹・理春尼と「瑞応の盆踊り」に関しても、以前に下記の記事で御紹介しちょりますき・・・・・。
理春尼 - 片岡茂光の妻で長宗我部国親の妹、菩提を弔い盆踊りを 2016.06.22
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