日本画家・小村大雲|徹底的に追求されたリアルな歴史画

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小村大雲は歴史画を得意とした日本画家です。深く綿密に時代考証を行い、卓越した写実性によって描かれた歴史画は、いまでも高い評価を受けています。今回は小村大雲の生い立ちや文展・帝展での活躍、作風や代表作について解説します。

小村大雲の生い立ちとその名が知られるまで

小村大雲は1883年に島根県楯縫郡平田町に生まれました。
幼い頃より画家になりたいと夢見ていた大雲ですが、穀物荒物商を営んでいた父・豊兵衛からは反対を受けます。しかし夢を諦めきれなかった大雲は1890年に高等小学校を退校し、翌年親元を飛び出して上京。橋本雅邦や川端玉章の門をたたくも断られてしまいます。その後、親族会議が行われて承認を得たうえで広島の画家・宮田英春に師事することになりました。
1903年の19歳で第五回内国勧業博覧会「順逆離合」を出品しました。そしてその後、生涯の師となる日本画家・山元春挙の門をたたいたのです。
1912年、第6回文展に出品した「釣日和」が三等賞となり、その名が知られていくようになりました。

文展にて連続特選を果たす

「釣日和」の後も続けて、文展第7回出品の「放ち飼」で三等賞文展第8回出品の「憩ひ」で三等賞文展第9回出品の「東へ」で三等賞を獲得します。さらに文展第10回出品の「畫舫」で特選文展第11回出品の「神風」で特選と、毎年のように受賞したことで一気に名声を得るようになります。
1920年以降は帝展にて永久無鑑査となり出品を続けつつ、審査員も務めるようになります。明治神宮絵画館の壁画や久邇宮家の襖絵の製作も行うなど、日本画家として重要な人物になっていったのです。
しかし1938年、実家に帰省中に急逝、54歳という若さでその生涯を閉じることになりました。

綿密で深い時代考証をして描かれる歴史画

小村大雲は作域が広かったことで知られ、山水画・人物画・動物画などさまざまな作品を残しています。そんな大雲の中で特に評価が高かったのは歴史画であり、高い技術力はもちろん深く綿密に時代考証を行ったうえで製作される作品には確かな説得力があります。
大雲は1935年に早苗会展に「大楠公」を出品しました。歴史画の中でも武者絵を得意としており、大雲の代表作の一つです。武者絵を描くにあたって、大雲は博物館への取材や、古武具収集、鎧の模造にまで着手し、2年がかりで大鎧を組み立てるなど徹底していたとされます。
ちなみに「大楠公」を製作した1935年には母校である平田小学校にて鷹狩りの実演も行っています。このように、大雲は歴史の中にある精神や文化を実体験によって感じ取り、作品に反映させていたようです。
また、生涯の師である山元春挙門下生の中でも特に名をはせた人物の一人であり、春挙四天王の一角に名を連ねる人物でもあります。

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小村大雲は歴史画や武者絵、動物画などを得意とした日本画家です。深く綿密な研究と、実体験にもとづいた説得力ある歴史画は、多くの人々の心をつかみ、いまでもファンがたくさんいます。
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