石仏石神を求めて

石仏石神を求めて

おもに石仏・石神などの石造物を探訪

津軽地方の庚申塔 #221(青森市駒込・路傍)

青森県青森市駒込字桐ノ沢の路傍(訪問日:2024年9月3日)f:id:nagatorowo2:20240913164135j:image県道44号線の幸畑橋北詰の交差点を南南東に進み、すぐの三叉路に茂みがあります。f:id:nagatorowo2:20240913164127j:imageその奥側に1基の石塔が置かれています。訪問当日は奇跡的に周りが草刈りされていたため分かりやすいですが、本来なら藪漕ぎ必至の場所です。f:id:nagatorowo2:20240913164123j:image石塔は庚申塔で、台石の上に置かれてコンクリートで固定されています。
f:id:nagatorowo2:20240913164131j:image文字庚申塔猿田彦大神塔)
f:id:nagatorowo2:20240913164139j:image刻銘「大正十三年旧六月八日(1924) / 庚申講中 / 発起人葛西曙(ほか4名略) / 猿田彦大神

自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)


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庚申塔の周辺にはいくつか御幣が刺さっていました。草取りもされていますし、まだ世話をされている方がいらっしゃるようです。

所在地

山形県の庚申塔 #16(飽海郡遊佐町遊佐・皇大神社)

山形県飽海郡遊佐町遊佐字倉ノ町の皇大神社(訪問日:2024年9月27日)f:id:nagatorowo2:20241017112328j:image字倉ノ町の中央部、油掛大黒天堂の向かいに鎮座している神社です。f:id:nagatorowo2:20241017112405j:image皇大神社」扁額
f:id:nagatorowo2:20241017112402j:image境内には庚申塔山岳信仰塔などの民間信仰塔が安置されています。順に掲載していきます。
f:id:nagatorowo2:20241017112324j:image文字庚申塔

刻銘「文化五辰年三月吉辰立(1808) / 庚申」

自然石型


f:id:nagatorowo2:20241017112350j:image金毘羅講供養塔

f:id:nagatorowo2:20241017113159j:image刻銘「弘化五年戊申二月日(1848) / 金毘羅大権現

自然石型


f:id:nagatorowo2:20241017112339j:image古峰ヶ原講供養塔

刻銘「明治廿八年旧九月建立(1895) / 世話方高橋与治郎(ほか人名略) / 南谷拝書 / 古峰神社」

自然石型


f:id:nagatorowo2:20241017112332j:image文字庚申塔

刻銘「元治元歳文月吉祥日(六月吉祥日?)(1864) / 村中安全願主(人名略) / 庚申」

自然石型f:id:nagatorowo2:20241017114251j:image背後に建つ庚申塔婆(庚申のツカ)。残念ながら墨書は風化により認められず。


f:id:nagatorowo2:20241017112354j:image鳥海講供養塔でしょうか。


f:id:nagatorowo2:20241017112346j:image出羽三山塔・鳥海講供養塔(出羽三山鳥海山併刻塔)

刻銘「(紀年銘不詳)(未確認) / 湯殿山山鳥海山羽黒山

自然石型

 

実は境内には2つ、町の指定文化財が安置されています。それぞれ令和五年十一月吉日に設置された解説板に説明があります。
f:id:nagatorowo2:20241017112357j:image八日町の石燈籠
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解説板① 八日町の石燈籠
皇大神社の境内にある。形や形式が、近隣に見ない特異なものである。
特に火袋の台や笠に蓮弁をつけたものは珍しく、元の観音堂(古くはここに観音堂社殿があった)のために、特に作られたものであろう。
円柱形竿石の向って左は一本の沈線、右は二本の沈線であるのは、陰場を表わしたものと見るべきであろう。「寛文九年(一六六九)己酉六月一六日」とあり、石燈籠では本町最古のものである。右側の火袋は後代の作であるが、忠実に作られている。
火袋は六角で、一つおきに窓がある。左右とも内側に日天、外側に月天、正面は角窓である。


f:id:nagatorowo2:20241017112409j:image八日町の享保梵字大日如来真言
f:id:nagatorowo2:20241017112342j:image

解説板② 八日町の享保梵字大日如来真言
 この碑は、もと性能坊にあったものを移したものであるという。俗に性能坊の石碑という。
 享保一四年(一七二九)七月吉日とあり、遊佐では古いもので、密教修験が大日如来を崇拝の対象としたものでおる。
 なお、水上の日枝神社境内にも宝暦六年(一七五六)のものが一基見られ、上部の梵字大日如来がすえられている。

遊佐町八日町皇大神社

 

皇大神社の所在地

神奈川県の庚申塔 #61(川崎市高津区梶ケ谷6丁目・西福寺境外墓地)

神奈川県川崎市高津区梶ケ谷6丁目の西福寺境外墓地(訪問日:2022年6月21日)

西福寺の東方に位置する墓地。駐車場もあります。

墓地へ続く階段を上り切ると右手に立派な庚申塔がお見え。銘文によると再建塔だそうです。

f:id:nagatorowo2:20241125110200j:image青面金剛庚申塔(再建塔)


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f:id:nagatorowo2:20241125110153j:image

刻銘「安政二卯年正月初七日(1855) / 元禄三庚午天十月廿七日建(1690) / 武州橘樹郡梶ヶ谷邑再建願主世話人田村庄左エ門吉原安五郎(ほか8名略)」f:id:nagatorowo2:20241125110207j:image御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型、笠付角柱型(唐破風))、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)
f:id:nagatorowo2:20241125110146j:image二鶏像、一邪鬼像、三猿像
おまけf:id:nagatorowo2:20241125110156j:image階段脇に置かれたキリーク種子を刻む卵形の石f:id:nagatorowo2:20241125110142j:image天保十四年銘の巡拝塔。右に「奉拝禮神社佛閣」と刻みます。

西福寺境外墓地の所在地

東京都23区の庚申塔 #166(大田区本羽田3丁目・正蔵院)

東京都大田区本羽田3丁目の正蔵院(訪問日:2024年1月28日)f:id:nagatorowo2:20240201152334j:image山門の左手前に石仏の納められた覆屋が建てられています。f:id:nagatorowo2:20240201152339j:image向かって右から載せます。f:id:nagatorowo2:20240201152343j:image青面金剛庚申塔

刻銘「貞享元甲子年十二月吉日(1684) / 武刕六江領羽田村」f:id:nagatorowo2:20240201152347j:image御尊容(立像、一面六臂、合掌型、舟形光背型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240201152350j:image三猿像


f:id:nagatorowo2:20240201152355j:image青面金剛庚申塔

刻銘「享保十乙巳年三月吉日(1725)」

御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型、駒型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240201152359j:image一邪鬼像と三猿像


f:id:nagatorowo2:20240201152403j:image三界万霊塔。天和三年銘(1683)。

正蔵院の所在地

東京都23区の庚申塔 #165(北区赤羽台4丁目・赤羽八幡神社)

東京都北区赤羽台4丁目の赤羽八幡神社(訪問日:2024年2月2日)f:id:nagatorowo2:20240305180050j:image社殿の左側、境内社がまとまって鎮座しているエリアがあります。f:id:nagatorowo2:20240305180054j:imageその中に計4基の庚申塔が社殿改築記念碑とともに置かれています。これらは最近になって当神社に移設されたらしく、敷き詰められた小石はまだ新しめです。
解説板もありました。f:id:nagatorowo2:20240305180044j:image

解説板 猿田彦庚申塔
 猿田彦日本書紀天照大御神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神として記載されていたことから道の神、旅人の神として祀られ、近世期には庚申塔に多く彫られるようになりました。
 旧板橋街道近辺(現在の区道 北一五五五号線付近)には庚申信仰の本尊として青面金剛が彫られた庚申塔のほか猿田彦神が彫られた庚申塔が江戸時代から多く設置されていましたが、明治時代から大正時代にかけて、旧板橋街道を含む一帯に陸軍被服本廠が設置されると、本廠周辺にあった庚申塔は本廠敷地内に集約されました。
 戦後、被服本廠の敷地は進駐軍による接収を経て、日本住宅公団(現UR都市機構)の赤羽台団地となりました。団地建設に伴い、昭和三七年に庚申塔は旧赤羽台団地四九号棟付近に移設されました。
 移設後は、「赤羽台猿田彦神社」として赤羽台団地の住民のみならず地域の守り神として長年崇められてきましたが、赤羽台団地の建替に伴い、本神社に平成二九年四月に移設されました。

ほかにも管理者有志によって作られた赤羽台猿田彦神社内に掲示されていた看板、赤羽台団地時代の赤羽台猿田彦神社、赤羽台猿田彦神社があった場所などの写真や図が示されています。

庚申塔の掲載は向かって右から。

f:id:nagatorowo2:20240305180058j:image文字庚申塔猿田彦大神塔)
f:id:nagatorowo2:20240305180047j:image刻銘「惟時嘉永四辛亥年四月初申之日建之(1851) / 當所講中廿七人 / 猿田彦大神

自然石型


f:id:nagatorowo2:20240305180101j:image青面金剛庚申塔

f:id:nagatorowo2:20240305180610j:image刻銘「享保七年壬寅十一月(1722)」f:id:nagatorowo2:20240305180113j:image御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型、駒型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240305180109j:image二鶏像と一邪鬼像f:id:nagatorowo2:20240305180105j:image三猿像(埋没)


f:id:nagatorowo2:20240305180116j:image青面金剛庚申塔

享保五庚子年十一月吉日(1720)」f:id:nagatorowo2:20240305180120j:image御尊容(立像、一面六臂、宝鈴・ショケラ型、駒型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、蛇、三叉戟、矢、宝輪、弓)f:id:nagatorowo2:20240305180124j:image二鶏像と一邪鬼像


f:id:nagatorowo2:20240305180127j:image青面金剛庚申塔

刻銘「(銘不詳)(未確認)」

御尊容(立像、一面六臂、合掌型、角柱型(?))、その他像容・彫像(戟、矢、宝輪、弓)

赤羽八幡神社の所在地

山形県の庚申塔 #15(酒田市相生町1丁目・路傍)

山形県酒田市相生町1丁目の路傍(訪問日:2024年9月27日)

▼以前の記事

nagatorowo2.hatenablog.com

 

f:id:nagatorowo2:20241017153744j:image鷹町稲荷神社のギリギリ境内に当たるであろう角地に石柵が回らされており、その中に2基の庚申塔が安置されています。柵には「昭和四年四月十四日」と刻まれています。

向かって右のものから掲載します。
f:id:nagatorowo2:20241017153739j:image文字庚申塔
f:id:nagatorowo2:20241017153747j:image刻銘「寛政四壬子年三月吉日(1792) / 庚申」

自然石型


f:id:nagatorowo2:20241017153732j:image文字庚申塔
f:id:nagatorowo2:20241017153735j:image刻銘「宝暦十二年午(1762) / 庚申」

自然石型

所在地

津軽地方の庚申塔 #220(弘前市豊田1丁目・豊田神明宮)

東京都弘前市豊田1丁目の豊田神明宮(訪問日:2024年9月2日)f:id:nagatorowo2:20241119152536j:image神明宮の一の鳥居をくぐってすぐ左手の空間に庚申塔3基が並んでいます。その背後にはツカ上げ(庚申のツカ)もあります。f:id:nagatorowo2:20241119152553j:image中央の猿田彦大神塔が山なりの形なので3基並ぶと三角形に見えます。向かって左から掲載します。
f:id:nagatorowo2:20241119152528j:image文字庚申塔猿田彦大神塔)①
f:id:nagatorowo2:20241119152532j:image刻銘「寛政九丁巳年八月二十四日(1797) / 板垣藤十良(ほか6名略) / 猿田彦大神

山状角柱型


f:id:nagatorowo2:20241119152540j:image文字庚申塔猿田彦大神塔)②

刻銘「文政五壬午年八月十九日(1822) / 村中 / 奈良田丹十郎(ほか14名略) / 猿田彦大神

自然石型、彫像(日天月天、瑞雲)


f:id:nagatorowo2:20241119152548j:image文字庚申塔
f:id:nagatorowo2:20241119152544j:image刻銘「安永四乙未天九月廿五日(1775) / (人名略) / 庚申神」

角柱型、彫像(日天月天、瑞雲)

碑の正面の大部分を占める歪な凹みですが、これは青面金剛図像を意図的に削りとったものと思われます。

頂部には笠をはめ込むための突起もありますので元は笠付角柱型の青面金剛庚申塔であったのでしょう。

豊田神明宮の所在地