神々から最も遠い日々
大仰なタイトルですが、空き時間に書く駄文です。
------------------------
コロナ禍以降か、引っ越し以降かわかりませんが、最近、
いま私は、神々から最も遠ざかった日々を過ごしている
という実感を感じるようになりました。
今まで生きてきた中で、
神的なるもの、霊的なるものから、
最も遠ざかっている、
という実感です。
これがいいことかどうか、わかりません。
これがずっと続くのかどうか、わかりません。
これが、死の瞬間まで、
果てしなく遠ざかり続けるのか、
多少なりとも、別の形での“再会”があるのか、
それも、わかりません。
“帰っていく”、“再会する”、というような本は、
今まで沢山読んだはずなのですが。
ゲーテ「ファウスト」なんか、
若い頃にわけもわからず直観的に面白がり、
大人になってからは、晩年のファウストが
干拓事業のようなことをやっていることに対して、
何となく「そんなもんかな」程度に思っていたのですが。
神的なるもの・霊的なるものと、
認識を通して“再会”することが、
本人に意識されるものなのかどうか。
やはり、本人の実感としては、
果てしなく遠ざかっていくものではないのか。
結局、よくわからずにいます。
と同時に、不思議なことに、
いま私は、人生最良の時を過ごしている
とも、しばしば思うようにもなりました。
この二つが、自分の中で、
全く折り合いがつかずにいます。
一応、両方とも、「何故そう感じるのか」は、
自分に対しては、ある程度は説明できるのです。
引っ越しとリモートワークで孤立に近い状態になりましたし、
でも新居ですし、
他にもまあいろいろとあって、
自分の人生が、ある種の“日蝕”のような状態にあることと、
ある種の豊かさを享受しているということは、
両方、説明できます。
物質的な世界に、
人間は果てしなく、死の瞬間まで、下降し続けるのか。
どこかで、折り返し地点を通るのか。
その折り返し地点は、
自分で意識することができるものなのか。
晩年のヘルマン・ヘッセから晩年の種田山頭火まで、
その辺は書いてそうで書いてない、というか、
書いてあっても舟沢がうまく読めていないのかもしれませんが。
------------------------
と、ここまで書いて、ふと、
こういった事柄に対して日頃イメージしているのと、
別の“図”が思い浮かびました。
こういった事柄に対して、
日頃舟沢が思い浮かべているのは、
神秘学で多用する「周期」の円。
遠ざかっている二つの円が中央で交わり、
再び遠ざかりはじめ、やがて完全に遠ざかる。
(非常によく見る図であるにも関わらず、画像を検索できないのですが)
これに対して、上記を書いていて唐突に思い浮かんだのは、
やはり頻繁に用いられる、
何かが大地に下降し、衝突している図。
上方から滝のようなものが下降し、
下方で衝突し、しぶきをあげている図。
(これもしょっちゅう見かけるのですが、いざ検索すると画像が出てこないです)
要するに、インパルスが下降し続け、下降し切り、衝突し、
粉砕される、飛び散る、
そういう状態に自分がある、ということかもしれません。
私は、地上で粉砕された、その飛沫だろうか。
そう考えてみると、
そんな気もしますし、
ちょっと違うような気もします。
有名な「千と千尋の神隠し」の歌詞にも、
似たような文句が出てきますので、
なんだ、こいつはこんなこともわかってなかったのか、
今わかったのかよ、と言われれば、
恐れ入るしかないのですが。
ただ、このイメージと、
ニーチェの言う「永劫回帰」がどういう関係にあるのか。
こちらは、とんと、分からずにおります。
チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエバー」というのは、
ニーチェからの言葉でしょうけれど、
私(たち)は、こういう人生を歩んで、
生きているうちに、どこかに、
先祖返りも、退行もすることなく、
回帰していくのでしょうか。
この辺り、もうちょっと歳を取ったら、
多少なりとも分かったような気になれるのかもしれません。
なれないかも、しれません。
------------------------
コロナ禍以降か、引っ越し以降かわかりませんが、最近、
いま私は、神々から最も遠ざかった日々を過ごしている
という実感を感じるようになりました。
今まで生きてきた中で、
神的なるもの、霊的なるものから、
最も遠ざかっている、
という実感です。
これがいいことかどうか、わかりません。
これがずっと続くのかどうか、わかりません。
これが、死の瞬間まで、
果てしなく遠ざかり続けるのか、
多少なりとも、別の形での“再会”があるのか、
それも、わかりません。
“帰っていく”、“再会する”、というような本は、
今まで沢山読んだはずなのですが。
ゲーテ「ファウスト」なんか、
若い頃にわけもわからず直観的に面白がり、
大人になってからは、晩年のファウストが
干拓事業のようなことをやっていることに対して、
何となく「そんなもんかな」程度に思っていたのですが。
神的なるもの・霊的なるものと、
認識を通して“再会”することが、
本人に意識されるものなのかどうか。
やはり、本人の実感としては、
果てしなく遠ざかっていくものではないのか。
結局、よくわからずにいます。
と同時に、不思議なことに、
いま私は、人生最良の時を過ごしている
とも、しばしば思うようにもなりました。
この二つが、自分の中で、
全く折り合いがつかずにいます。
一応、両方とも、「何故そう感じるのか」は、
自分に対しては、ある程度は説明できるのです。
引っ越しとリモートワークで孤立に近い状態になりましたし、
でも新居ですし、
他にもまあいろいろとあって、
自分の人生が、ある種の“日蝕”のような状態にあることと、
ある種の豊かさを享受しているということは、
両方、説明できます。
物質的な世界に、
人間は果てしなく、死の瞬間まで、下降し続けるのか。
どこかで、折り返し地点を通るのか。
その折り返し地点は、
自分で意識することができるものなのか。
晩年のヘルマン・ヘッセから晩年の種田山頭火まで、
その辺は書いてそうで書いてない、というか、
書いてあっても舟沢がうまく読めていないのかもしれませんが。
------------------------
と、ここまで書いて、ふと、
こういった事柄に対して日頃イメージしているのと、
別の“図”が思い浮かびました。
こういった事柄に対して、
日頃舟沢が思い浮かべているのは、
神秘学で多用する「周期」の円。
遠ざかっている二つの円が中央で交わり、
再び遠ざかりはじめ、やがて完全に遠ざかる。
(非常によく見る図であるにも関わらず、画像を検索できないのですが)
これに対して、上記を書いていて唐突に思い浮かんだのは、
やはり頻繁に用いられる、
何かが大地に下降し、衝突している図。
上方から滝のようなものが下降し、
下方で衝突し、しぶきをあげている図。
(これもしょっちゅう見かけるのですが、いざ検索すると画像が出てこないです)
要するに、インパルスが下降し続け、下降し切り、衝突し、
粉砕される、飛び散る、
そういう状態に自分がある、ということかもしれません。
私は、地上で粉砕された、その飛沫だろうか。
そう考えてみると、
そんな気もしますし、
ちょっと違うような気もします。
有名な「千と千尋の神隠し」の歌詞にも、
似たような文句が出てきますので、
なんだ、こいつはこんなこともわかってなかったのか、
今わかったのかよ、と言われれば、
恐れ入るしかないのですが。
ただ、このイメージと、
ニーチェの言う「永劫回帰」がどういう関係にあるのか。
こちらは、とんと、分からずにおります。
チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエバー」というのは、
ニーチェからの言葉でしょうけれど、
私(たち)は、こういう人生を歩んで、
生きているうちに、どこかに、
先祖返りも、退行もすることなく、
回帰していくのでしょうか。
この辺り、もうちょっと歳を取ったら、
多少なりとも分かったような気になれるのかもしれません。
なれないかも、しれません。
- [2022/08/28 10:01]
- Weblog |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
次回ライブ10/16
次回ライブは、
10/16(日) となります。
詳細近日。
10/16(日) となります。
詳細近日。
- [2022/08/13 17:45]
- お知らせ |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
漂流(或いは切断された側について)
突然の 孤立 からの 長い 時間
とても 長い 時間
- [2022/08/08 18:04]
- 写真詩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
- | HOME |