思考の断片:2017前半
色彩というのは、あれは光が苦しんでいる姿なのだ、という考えと、
私たちはなぜ、この世で目覚めれば目覚めるほど、
分かり合えなくなっていくのか、という考えは、
どこかで必ず繋がっている。
一なるものが離散し、ゆくゆくは再統合される。
再統合が帰還ではない、というのはようやく実感できるようになってきたが、
再統合後も、孤独は果てしなく深まっていくものなのかもしれない。
(あるいは、少し、違うのかもしれない)
------------------------
タロットカードの「隠者」が持つランプ、
ゲーテ「緑の姫」に出てくるランプの老人、
あのランプは、何だろう。
新約聖書の「荒野の誘惑」で、
イエスが悪魔に対して「書いてある」と反論している、
あの「書いてある何か」と、関係があるのだろうか。
或いは、この胸に灯った、信じられないほど弱々しい、
この頼りない光と、何か関係があるのだろうか。
------------------------
奪われたものは計り知れないが、
いただきものも計り知れない人生だ。
そう思うことが多くなってきた。
奪われたものと、贈られたものとの間には、
何か、関係があるのだろうか。
(奪われたものを取り返そうとしたら、
奪われたものとの関係を到底見通すことができない、
あまたの贈り物もまた、失われてしまうのだろうか。)
------------------------
近年私をしばしば襲う、
「ああ、そうであったのか」
という悲しみを伴う判断は、
錬金術で言う「赤化」に近い何かだろう、と感じる。
この判断は、ある種の、非常に低次の「悟り」なのか、
或いは「今生では悟れなかったのだ」、という悟りなのか。
ブレンターノの言う意味での「判断」、
少なくともその端緒にはついたのかもしれない、という考えと、
弱々しい老賢者のランプのイメージを重ねると、
もろもろ近いような気もするし、それぞれ全く別なような気もする。
切断の残滓としての極限の自我。その覚醒からの、統合。
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体系化されそうになったら、
ニーチェ的リセット。
星座を読むには、まだ、星が、揃っていない。
私たちはなぜ、この世で目覚めれば目覚めるほど、
分かり合えなくなっていくのか、という考えは、
どこかで必ず繋がっている。
一なるものが離散し、ゆくゆくは再統合される。
再統合が帰還ではない、というのはようやく実感できるようになってきたが、
再統合後も、孤独は果てしなく深まっていくものなのかもしれない。
(あるいは、少し、違うのかもしれない)
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タロットカードの「隠者」が持つランプ、
ゲーテ「緑の姫」に出てくるランプの老人、
あのランプは、何だろう。
新約聖書の「荒野の誘惑」で、
イエスが悪魔に対して「書いてある」と反論している、
あの「書いてある何か」と、関係があるのだろうか。
或いは、この胸に灯った、信じられないほど弱々しい、
この頼りない光と、何か関係があるのだろうか。
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奪われたものは計り知れないが、
いただきものも計り知れない人生だ。
そう思うことが多くなってきた。
奪われたものと、贈られたものとの間には、
何か、関係があるのだろうか。
(奪われたものを取り返そうとしたら、
奪われたものとの関係を到底見通すことができない、
あまたの贈り物もまた、失われてしまうのだろうか。)
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近年私をしばしば襲う、
「ああ、そうであったのか」
という悲しみを伴う判断は、
錬金術で言う「赤化」に近い何かだろう、と感じる。
この判断は、ある種の、非常に低次の「悟り」なのか、
或いは「今生では悟れなかったのだ」、という悟りなのか。
ブレンターノの言う意味での「判断」、
少なくともその端緒にはついたのかもしれない、という考えと、
弱々しい老賢者のランプのイメージを重ねると、
もろもろ近いような気もするし、それぞれ全く別なような気もする。
切断の残滓としての極限の自我。その覚醒からの、統合。
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体系化されそうになったら、
ニーチェ的リセット。
星座を読むには、まだ、星が、揃っていない。
- [2017/07/06 23:26]
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