同級生交歓 | 観光・体験 | 心の伊達市民 第一号 | 北海道洞爺湖周辺の情報共有サイト「むしゃなび」

心の伊達市民 第一号

同級生交歓

以前に見たことがあるが、文芸春秋の写真ページの中に「同級生交歓」があった。
世間的に有名人となった人が、その人の同級生で「まあまあ」の有名人と一緒に写真に納まる企画であった。私の同級生も「有名人」の方で、何人か出ていた。

でも私が「まあまあ」の有名人ではないので、私は出たことがない。
いまでは文芸春秋を買わなくなったので、「同級生交歓」があるかどうか知らない。


マンション前のアガパンサス(朝から雨だった)



毎月1回、暑い夏場だけ避けて、「都心を歩かない会」を開催している。
都心に住んでいるのは私だけなので、最初から今でも会長である。
始めた時は「都心を歩く会」だったが、メンバーの高齢化により本来は解散になるところを、「都心を歩かない会」で続けている。

多摩地区に住む友人達は引退してからは、滅多に都心に出て来ない。
都心の変化は激しいので、知らず知らずの内に「田舎者」になっている。


新橋までは「東京BRT」で



それを私が企画して、「田舎者」にならないようにしているのである。
しかし歩くなら色々な場所に行けるが、「歩かない」が条件となると難しい。
毎月、私は企画を出すのにとても苦労しているのだが、分かっているかなー?

6月の企画は「新橋」で纏めた。7人全員が参加出来るように、事前にみんなに都合を問い合わせる。私は手間を省きたいので、『都合の悪い日を知らせろ』とメールを出す。すると「いつでもいい」はいない。引退ジジイは病院予約などで、忙しくしていてはダメだ!


 待ち合わせ場所の「ゆりかもめ駅」入口



やっと決まったのが、6月28日だった。
企画内容は「新橋駅に集合」、「汐留でランチ」、「おーいお茶ミュージアム」、「鉄道歴史展示室」、「アド・ミュージアム東京」、「お茶」とした。
私の企画は「低予算」が売りなので、見物する3ヵ所は無料の場所である。

ランチは時間的にサラリーマンと一緒になるので、少し早目で高くない店である。
締めは「甘いもの好き」のYさんの希望を入れて、YATSUDOKIでソフトクリームを考えていた。


ランチの「炒飯」(800円)は侘しい。



しかし世の中というものは、何事も計画通りにはいかない。
約束の時間になってもOさんが来ない。
電話をしてみたら『忘れていた』で、欠席となり6名となった。
後から倉敷から上京するMさんが飛び入り参加することになっている。

11時30分という時間帯は、サラリーマンがランチに来るので、どこの店でも6人が一緒には入れない。やっと見付けた場所はフードコートのような場所で、そこは弁当を買って自分で温めて食べるようになっていた。今回はここで我慢してもらう。


「おーい お茶ミュージアム」



ランチを食べ終った時に、新幹線の車内からMさんが連絡して来た。
みんなを「おーい お茶ミュージアム」に案内して、私は新橋駅に戻った。
やっと全員が揃ったところで、いつものように記念撮影をする。

これは非常に大事な行事で、後になり写真を見ながら『Xさんはあの時が最後の参加だったなー』などと感傷に耽るためである。「病気で来られない」、「ボケて来られない」などが考えられるが、この年になると仕方ないのである。


旧新橋駅プラットホーム「鉄道歴史展示室」



記念撮影を終えてから「アド・ミュージアム東京」へ案内し、私の務めは終った。
アドミュージアムは新装オープンし、大勢の見学者で賑わっていた。
時代ごとに広告ポスターが展示してあり、私達には懐かしい。
若者には、昔のポスターは興味深いようだった。

雨が酷くなりそうなので、最後のソフトクリームは中止にした。
そしてみんなと別れ、Mさんだけが私の家に来たのだった。


「アドミュージアム東京」



(おまけの話)
「都心を歩かない会」の前日に、珍しく同じ中高の同級生で、倉敷に住んでいるMさんが来宅すると連絡があった。当日の約束の時間になっても、Mさんは現れなかった。
そこで私から電話をしたら、『いま倉敷だよ』と言われた。

メールで日にちも確認してあるので、彼の勘違いである。
翌日に上京すると言うので、「都心を歩かない会」に合流してもらうことにした。


昔は文字が逆書き「磨歯ンオイラ」



卒業後、彼とは途切れながら付き合いが続いていたが、いつしか彼は演歌歌手になっていた。この間の話はとても面白いのだが、今回は飛ばすが神楽坂に住んでいた。
ところが娘さん親子が「倉敷」に住んでいるので、思い切って彼等夫婦も移住した。
そして倉敷から上京して来たMさんと、何年ぶりかの再会となった。

しかし待ち合わせの新橋で、なかなかMさんに会えなかった。
電話で話しても、初めて上京する人のようにMさんは場所が分からないのである。
何回も電話をして、会うまでに40分くらい掛かった。


 懐かしいポスターがたくさんある。



Mさんの日の出時代のことが知りたくて、今回は色々と聞いてみた。
『どうやって学校まで来ていたの?』、『時間はどのくらい掛かったの?』、『なぜ演歌歌手になったの?』など、その頃は気にもしていなかったことである。

彼の母親が教育熱心でだったようで、彼は家から自転車で駅まで行き、五日市線に乗り五日市駅で青梅線に乗り換えて立川駅で降りる。そこから中央線に乗って国立駅で降りる。合計で1時間30分以上も掛かっていたそうだ。演歌歌手になった時は、5歳さばを読んで19歳としてデビューしたそうだ。この話は面白いので、またの機会に・・・。


「この頃からあった、あの商品」(味の素)、(仁丹)

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コメント

  1. Shinji

    Shinji

    返信

    いろいろと、人との待ち合わせに苦労しますね。
    都心を歩かない会、ですが、都心を歩かないかい?と誘っている様子が目に浮かびます。

  2. 「田舎者」(Y)

    「田舎者」(Y)

    返信

    高尾山にほど近い東京の別荘地の多摩地区に住んでいる。
    「田舎者」と笑うがH君も昔は小金井の田舎者であったのだが。。。
    JR中央線は何故か人身事故が多発しているから、信用できない乗り物である。時刻案内を確認して約束の到着時間よりも30分は前倒しで電車に乗る様に心掛けている。足腰に持病を持つ私は電車では座って行くことにしているから、空いている快速電車を使う事となる。途中駅で特別快速に追い抜かれても良いように時間を計算している。時折の事故で遅れた時には、座っていた快速電車から特別快速に乗り換えるが既に座席は満席である。痛い思いを我慢してやっとの思いで集合場所に着いた時には「疲労困憊」である。やれやれだぜ!

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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