「町中華」を食べに行く  | 食べる | 心の伊達市民 第一号 | 北海道洞爺湖周辺の情報共有サイト「むしゃなび」

心の伊達市民 第一号

「町中華」を食べに行く 


夕方のテレビニュースの中で、時々、下町の安い飲食店や惣菜店などを紹介している。
ある時に「町中華」が取り上げられていたが、そもそも「町中華」とはどんな定義なんだろう?

自分ではなんとなく分かるが、ネット情報だと「昭和の古き良き時代から続く、昔ながらの個人経営の中華料理店。安くて、美味しく、ボリュームがあって、気軽に通える町の中華屋さん」とあった。この説明は的確で、私も納得である。


都営地下鉄・浅草線「浅草橋駅」は人形の町



そこでテレビで紹介された、浅草橋の「水新菜館」に行ってみることにした。
浅草橋は「都営地下鉄」浅草線の「東銀座」から4駅で8分で着く。
女房はコロナ前は布地を買いに浅草橋に行っていたそうで、かなり詳しいようだ。

目的の「水新菜館」は交差点の角にあるので、その信号で道路を渡る彼女はいつも見ていたそうである。『昼時はいつも行列が出来ているが、店内はあまり綺麗そうではない』と思っていたそうだ。


「水新菜館」に3人が並んでいた。



11時30分の開店の10分前に店の前に着いたら、すでに並んでいる人がいて4番目だった。少し経ったら店主らしいオヤジが出て来て、「お手を拝借」と言ってお客の手の消毒をして廻っていた。

店の前の貼り紙を見たら、『テレビ朝日「帰れマンデー見つけ隊」撮影させて頂いております。映り込みNGの方はお声をかけて下さい』と書いてあった。私達は『NGだね』と言いながら店に入ったが、撮影などしていなかった。
多分、宣伝の為に、以前にテレビ取材があった時のままにしているのだろう。 


 店の前に張り出されたメニューの下に「TV撮影中」の紙が・・・。



オヤジがオーダーを取りに来た。我々は来る前から決っていた。テレビで見た「あんかけ焼きそば」である。
『私の店のお勧め1番は・・・』とオヤジが言ったので、私は『あんかけ焼きそば3つと、小龍包6個』と言ったらオヤジは喜んでいた。

このオヤジのファッションが、町中華屋のオヤジらしくないのである。
白地に赤の格子柄のシャツに蝶ネクタイ、ズボンはチェックで左右が色違いと、強烈な個性である。そしてめちゃくちゃ愛想が良いのである。


人気No.1の「あんかけ焼きそば」(900円)



「あんかけ焼きそば」はすぐに出て来た。どうもみんなが注文するので、開店前から作っていたようだ。食べてみたら、少し「ぬるい」。
そばは炒めるのではなく焼いているようで、表面が焦げている。これが美味しく感じる。
あんかけの具は野菜がほとんどで、うずらの卵が1個、小さな海老が1匹、肉は探せばあるというものだった。

値段は900円で、まあまあだろう。小龍包を持って来たオヤジが、食べ方を説明し出した。『まん中に箸を立てて皿に取る。15秒待つ。それから箸でつまんで、口で饅頭の端を齧ってスープを吸う』と言った。
なんか品の無い食べ方である。普通の店はレンゲを出すが、ここでは出さない。
オヤジは陽気な男で、ファッションとパフォーマンスも人気のある理由かもしれない。


 布地屋「COTTON FAMILY}



店を出て江戸通りを渡り隅田川の方向へ歩いて行くと、左側に彼女の行く布地屋があった。私は店には入らず、近所を散策することにした。
ここは柳橋1丁目で、昔の花街である。

1928年には料理屋、待合を合わせて62軒、芸妓が366人もいた。
明治時代の客筋は商5割、髭3割、雑2割と言われていたそうだ。
「商は実業家、相場師、銀行家などで、髭は政治家、軍人、弁護士など、雑は俳優、力士、芸人など」だそうだ。


 料理屋風の佇まいの家(看板は無い)



そんな時代の面影も所々に残っていて、今でも昔風の家を見ることが出来る。
私は路地に入って、それらを見て廻った。
表札の出ていない昔風の家は、いまはなにをしているのだろうか?

有名な洋食屋の「大吉」があり、この店は池波正太郎の「食卓のつぶやき」にも登場していて、表のショーケースの中には、本のそのページが開かれている。他にも寿司屋、蕎麦屋、ギャラリー、料理屋など趣のある店があった。
そして女房達と合流して「コメダ」でお茶をしてから、彼女達と別れて私だけ先に帰ったのである。


洋食屋「大吉」に飾られている「食卓のつぶやき」のサイン本



(おまけの話)
私が1人だけ先に帰ったのには理由がある。その理由は帆船「日本丸」である。
この日の2日前(28日)に日本丸が晴海埠頭に午前11時に着岸すると分かり、私はわざわざ撮影の為に「豊洲ぐるり公園」の先端に行って日本丸を待った。しかし11時になっても日本丸は現れず、私はガッカリして戻って行ったのである。

翌日になり海技教育機構のfacebookを見たら28日の投稿で、『本日午前、東京湾仮泊地を抜錨し、(晴海H-2)に入港しました』と投稿していた。


 「晴海H-2」に着岸していた帆船「日本丸」



私は現地にいたのだから「そんなはずはない!」と思ったが、facebookに嘘は書かないだろうと思い確認に行ったのである。
都バスで終点の「晴海ふ頭」まで行き、いつもの停泊地を見たがやはり日本丸は見えない。(晴海H-2)というのがどこか分からないので、もしかしていつもと違う場所なのだろうと思った。

そして新しくオープンした「晴海埠頭公園」に行ってみた。
すると遠くから見ても分かる「4本のマスト」が見えた。ここが(晴海H-2)で、今回からここに着岸したのだった。


 「日本丸」は遅刻して来ていた。



多分、日本丸はなにかの事情で、11時よりかなり遅れて着岸したのだろうと思う。
私がもう少し我慢して待っていれば見られたのだあろうが、その日は非常に寒く無理だった。日本丸が晴海埠頭を離岸するのは、12月3日(土)午後2時である。

この日の私は東京工芸大学で公開講座を受講することになっているので、残念だが撮影には行けない。次回に晴海埠頭にやって来るのは、2ヵ月くらい先のことだと思う。
その時にまた来よう!


晴海埠頭公園に接して「海技機構専用桟橋」が出来ていた。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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