あ、鈴木清順映画だ : 昔の映画を見ています
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あ、鈴木清順映画だ

 桜も、満開。
 フィルムセンターに行った帰りは、八重洲桜通り。街路樹の桜並木が、満開。
 神保町シアターの帰りは、九段下まで歩いて、千鳥が淵をぶらぶら。北の丸公園の入り口の、和風作りの大門越しに見る、桜の重ね咲きは、やはりいつ見ても、美しい。
 ただ、ここは見物客が多過ぎで。映画を見る前には、あまりに多くて、挫折。見終わった夕方にも回ったら、やや減ったが、それでも落ち着かない。
 もう、行かなくなってだいぶ経つが、黄金町のジャック&ベティ、あの小汚い町が年に一度だけ輝く、川沿いの桜並木。そのほか、阿佐ヶ谷、今は亡き中野武蔵野館の中野、名画座のある町には、桜が良く似合う、か?
 地元でも。
 船橋市の真ん中を貫く、海老川。二級河川ということで、川幅はせいぜい2メートル程度。
 両岸が高い土手と遊歩道になっていて、その両岸がえんえん桜並木。
 昼間ももちろんいいのだが、おすすめは夜ですかね。
 遠くの高層マンションや、店屋のビルの照明と、飛び飛びにある遊歩道の常夜灯だけの中、ほの暗い夜桜。
 もちろんライトアップはされていない。
 川面に反射した灯りですら、ここでは大照明だ。そういう桜並木、時には、桜トンネルの中を、えんえん、そぞろ歩き。おや、気がつくと、右手には、麦とホップのロング缶が。なぜ(笑)。
 薄暗い桜の花、花の向こうに、強烈なライトあり。
 そぞろ近づくと、海老川の遊歩道の真ん中あたりに集まって、十軒くらいの屋台、出店。自家発の強烈な屋台照明。焼そば、クレープ、カキ氷、じゃがバターにフライドチキン。
 花冷えの夜に、カキ氷は、まだだろ。でも、最近のカキ氷事情が進化?しているのは、あとで向こう岸を歩くと、わかった。十種類くらいのセルフ・シロップ・サーヴァーが並んでいて、「シロップは好きなだけ、かけてね」とのこと。ふーん。
 あたりが真っ暗なだけに、こっち岸の桜、あっち岸の桜、その向こうに、花越しに垣間見える。強烈な光ながら、何かかすんで、潤んで見える屋台。
 店の照明の中の売り手の明るさ、その外の買い手の後姿の暗さ、その人影の、ひっそりとした感じの、まるで映画のセットみたいな、よく出来たミニチュアみたいな、なんとなく現実離れしたノスタルジー。
 ここは、今は。明治か、大正か、昭和か。
「あんず飴」っていうのも、あるよ。日本て、変わらないとこは、変わっていないよね。 
 もちろん、昭和初期までの、屋台の照明なんて、せいぜいランプかぐらいか、盗電?した引き込み電球くらいか、あ、クセノン・ランプもありか。ここまで明るくはなかろうが、無数の夜桜と、小川と、暗闇のマジックで、屋台の灯りがうるみを帯びて、ああ、朧ろ月。その半月。
 まるで、映画みたい。なんて、通俗な、月並みな感想しか出てこない。あれ、月並み、って言うのは、太陽ほど輝いていない、月並みクラス、って言うことかしら。でも、月も充分に輝いているのがわかるのが、こういう暗闇の中でこそ。
 やがて、こちら岸にも屋台が。自家発の音が大きく、無作法。月並みねえ。
 でも、靖国神社でも、例年の屋台、出店の類はなく、菅さんとしていた。もとい、閑散としていた。テキヤの皆さんも、だいぶ収入が減っていることだろう。気の毒だ。
 しかし靖国神社の桜というのは、なぜか後景であるので、あまり華々しい存在ではない。座って宴会出来る、という一点のみで、にぎわっていたのが、今回丸わかり。隣の千鳥が淵では、宴会出来ないからねえ。
 ある意味、靖国神社と千鳥が淵は、桜の点でも、英霊慰霊の点でも、絶妙のコンビネーションだったのね、と、今年は、その裸の姿が露呈したのかもしれない。
 いや、ナニ、言ってんだかの、麦とホップ2本目で。
 ところどころの、遊歩道街灯が、ユニークかつ、なんとなくクラシカルな、縦型ロング缶。
 たいていは白色灯だが、なかにほのかな青色灯が混じり、そこでは桜の花の色が変化する。
 まるで清順映画そのもの。美しい。
 そういえば、この海老川、向こう岸の桜の花と花の影に、教会が見える。屋根の十字架が、赤い電飾で輝くのがナニだが、なにそれだって、なんでもありの清順が撮れば、リアル「けんかえれじい」ではあるまいか。
 こっち岸の彼方には、東武野田線の高架線があり、夜目には、明るい車窓の列が光り輝く。
 屋台の非現実性も含めて、なにから何まで、そのまま、清順に撮って貰いたかった、と妄想は膨らむ。
 もっとも、桜と清順が結びついたのは「けんかえれじい」、イースター祭の教会帰りの夜の、土手の桜並木。
 しかも、あれはリアル桜ではなく、花は紙で作った造花の、ニセモノ。美術・キムタケの勝利。
 桜も数本しか作る予算がなかったから、えんえん使い回しで、土手の桜並木を作った。
 白黒映像の、夜桜の、ニセモノで、あまりに美しい、場面を、作った。
 そこで、桜といえば清順、清順といえば桜ということになった。
 ところが「悲愁物語」~「ツィゴイネルワイゼン」~「桜ジャパネスク」~「オペレッタ狸御殿」にいたる、後期清順映画の桜は、カラーで、昼間で、実写の桜。なんとなく、ずれてはいないか。
 いや、ずれ、こそは、清順映画のキモだが、ぼくたち映画ファンが、「けんかえれじい」の、桜の圧倒的な素晴らしさに感動したのは、<白黒映像の、夜桜の、ニセモノ>だったからではないか。枝を番長が杖で叩けば、ジャストのタイミングで、これまたそれ以外ありえない適量の花片が、はらはら散っていく。
 つまり撮影所のシステムが効率的に働いていれば、紙で作った造花の桜、その咲きほころんだ花の造花の量は、膨大なもの、それを何本も作る手間、何とはなしに出来てしまったのだ。
 そのシステムが崩壊してしまったら。
「何も、一コ一コの花びら、作る手間ひまいらなくね、無駄なんじゃね。実写で桜撮ったら、一発じゃね」
 そりゃ、そのほうが、安上がりだわな。
 だから<白黒映像の、夜桜の、ニセモノの桜>で評判をとった後、なぜか<カラーで、昼間で、実写の桜>に<窯変>してしまう。安上がりだから。
 でも、それ、あまり、きれいでも、目覚しくもない、なんだか現実に薄汚れた<実写の桜>で。
 どうしたって、きっぱりはっきりくっきりの、<白黒映像の、夜桜の、ニセモノの桜>に、及ばないのだ、実写の桜は。
 日活以後の、鈴木清順の不幸。撮影所のスタジオ映画で真価を発揮した彼の、低予算弱小プロダクションで撮らざるをえなかった不幸。しかし、にもかかわらず、「悲愁物語」~「ツィゴイネルワイゼン」以降の諸作を、見られたことの、幸運。特に「ツィゴイネルワイゼン」「オペレッタ狸御殿」の奇跡。
 現実の、八重洲桜通りの、千鳥が淵の、海老川遊歩道の、桜たちは、あいまいで、ほのかで、美しく、うるんでいる。清順映画ほどには、きっぱり、はっきりしないのだが、それこそ現実の、桜。
 ここで、それ以後の清順映画の桜も、あいまいだぜ、なんてことは、言いたくてもいえないよね(笑)。

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by mukashinoeiga | 2011-04-13 23:09 | 清順の光と影すべって狂ってる | Comments(0)

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