山村總「沙羅の花の峠」山村聰南田洋子宍戸錠芦川いづみ浜村純東山千栄子
京橋にて。「よみがえる日本映画~映画保存のための特別事業費による」特集。55年、日活。
見るのは二回目だが、改めて素晴らしいのを、再確認。
2時からの回の清水宏「霧の音」が本命で、本作を前座代わりと再見したのだが、食事して、ちんたらとフィルムセンターに戻ったら、なんと上映20分前に、満員札止め。本命、見られず。
本末転倒。
本来は平日に見る予定が、震災による上映中止で、やむを得ず日曜にアタックしたが、予想が甘すぎた。フィルムセンターは、上映中止分をいずれ、追加上映するべきだ。
さて、「沙羅の花の峠」の素晴らしさを語る前に、本作のきわめて特異な点を、先に。
これはぼくもたびたび言っていることだが、いわゆるOLD映画三大お宝?映像。
豊田四郎「雁」53年、大映東京。★浦辺粂子、巨乳バスト全開。
成沢昌茂「裸体」62年、松竹大船。★浪花千栄子、乳首全開
山村總「沙羅の花の峠」55年、日活。★東山千栄子、巨乳バスト全開。
これが、果たしてお宝映像かどうかは、全身全霊で疑問だが、特に浪花千栄子の超痩せぎすボディでは、乳首はあるが、乳房が、まるきり全然、ない。東山千栄子も巨乳は巨乳だが、たるみにたるんでいる。なかでは、意外にも浦辺粂子の巨乳は、まあ、美乳といっていいだろう。ま、この三人のなかでは、というエクスキューズつきで。
東山は小津安二郎「東京物語」53年、松竹大船の、2年後。息子役でもあった、山村總が、かつて母親役であった東山を、脱がせたの図。
草深い山奥の村、病人が出ると、もちろん無医村、頼みは、祈祷師のばあさん。安静にすべき、苦しむ病人の枕元で、があがあ、祈り倒す。それが東山千栄子。
頑迷で無知、反近代、反知性、反都会、その象徴みたいな存在。そして、時は真夏。
汗も噴き出す季節。しかも、東山は、肥満体質。
「で、あるから」いかにも理路整然と山村總。「草深い田舎の、ばあさんは、当然、もろ肌脱いで、人前で乳を出し、平然と大笑いする。それが、リアリズムというものでは、ありませんか、ねぇ、東山先生、そうじゃありませんか」
山村總に、理路整然、しかも熱情を込めて諄々と説かれたら(推測)、東山先生も、ぐうの音も出ないだろう(推定)。
映画 沙羅の花の峠(山村聰 南田洋子 宍戸錠 芦川いづみ)
監督山村聰 (日活作品データベースHPより)
無医村に展開される心温まる挿話を、素朴な人間愛を中心に描きながら、無医村の実態を広く社会に提示しようとする山村聰脚本・監督の野心作
キャスト榊原軍之進=山村聰 竹中俊子=南田洋子 野口三郎=宍戸錠 清二=牧真介 ナミ=河上敬子 岡本房子=芦川いづみ 幸助=畑中蓼坡 井上医師=武田正憲 岡野=大森義夫 権三=小笠原章二郎 部落会長=浜村純 八字髭=平田未喜三 岡本茂=中西清二 林英五郎=田口計 林邦夫=野口一雄 新家の喜三=久松晃 清一郎=河野弘 中野伝吉=黒田剛 イシ=利根司郎 柴田のオッカァ=田中筆子 お種=紅沢葉子 伝吉の母=三好久子 キヌ=谷和子 お咲=利根はる恵 おろく婆=東山千栄子
脚本山村聰 音楽音楽/土肥泰
その他スタッフ原作/原案=三好十郎 撮影/中尾駿一郎 照明/河野愛三 録音/沼倉範夫 美術/高田一郎 編集/辻井正則 助監督/中平康 製作主任/中井景 スクリプター/君塚みね子
配給:日活 製作年:1955公開年月日:1955/10/11 上映時間ほか:モノクロ/113分/スタンダード・サイズ/12巻/3533m
しかしモンダイは、50年代~60年代初期は、邦画メジャーの一般映画では、女性のバストは、ご法度だったこと。バストトップはおろか、胸の谷間すら。なのに、なぜ。
もちろん、例外はあった。いわゆる、南洋の原住民女性なら、バスト全開もオーケー。実際の原住民女性だけではなく、その役を演じる日本人女優でも、オーケー。佐藤武「スラバヤ殿下」55年、日活でも、確かジプシーローズが、南洋の土人の酋長の娘(♪い~ろ~は黒いが~南洋じゃー美人ー)を演じ、バストを出しても、オーケーだった。
南洋では、それが事実だったし、南洋の土人なら、劣情は、催さないよな、という、公然たる差別意識。
で、次の段階としては、若い女優のヌードはまだまだ無理だが、おばあちゃんなら、劣情は、催さないよね、<対象外>だから、オーケーだよね、というエクスキューズ。
かくて、おそらく監督たちは<必然性のあるヌード>を、戦前からのキャリアのヴェテラン女優たちに要求した。
ただし「裸体」浪花千栄子だけは、ちと事情が異なる(と、思う)。
溝口映画で、新人女優の所作教育係でもあった、溝口映画新人女優担当鬼軍曹であった浪花は、「裸体」というタイトルの映画で、ひとつも裸体が出ないのはまずい、しかし主演のサガミチは、もちろん、脱がせられない。映倫が許可しないし。じゃ、おなじ溝口組の仲じゃないですか、ここはひとつ、浪花さんが・・・・、と監督はもちろん言わないが・・・・言わないが・・・・よく言えば阿吽の呼吸、悪く言えば同調圧力、新人女優サガミチの盾となって、ない胸をさらした(推測)。
まあ、銭湯のシーンだから、一応必然性はあるわけだ。死せる溝口、生きる浪花を脱がす。
で、浪花は、おそらく、狂った。
銭湯の脱衣所のシーンの、激しい身振り手振りの異常さ。クサい。クサ過ぎる。信じられない。
浪花千栄子は、どんなときでも、たとえどんなえげつない役柄を演じるときも、過度に走らない、たおやかな、品のある、節度ある演技が、その味で。あれだけ品があって、しかもスピード感があって、圧倒的な演技。
その浪花が、一時的にせよ、狂った。溝口映画の思い出のために脱いで、結果、溝口なら絶対にオーケーしない演技をした。皮肉。
いっぽう「沙羅の花の峠」の東山は、がははと、余裕のヌード。
「カントクぅ、これでい~い。ホントに、あたしみたいなおばあちゃん、脱がせて、ナニが楽しいのかしら。じゃ、あたし、舞台があるから、これで、帰るね」
「いやあ、東山先生、リアリズムですよ、リアリズム。ぼくは、ねえ、こう思うんですよ」
以下、延々と演劇理論を語るも、東山先生は、とっくに帰ってしまっている(推定)。
それをひたすら拝聴しているのは、新人女優の南田洋子、芦川いづみ。東山先生から「あんたたち、あたしの代わりに山村理論、聞いておくのよ」といわれたもので(妄想)。
同じく新人の宍戸錠は、「リアリズムゥ? イカさねぇな。それより、ババアの裸の口直しといこうぜ、そっちのほうが、おれらのリアリズムだぜ」と、ロケ地の村娘のナンパ(たぶん)。
長くなったので、「沙羅の花の峠」その美質については、また後日。
by mukashinoeiga | 2011-03-31 23:35 | 芦川いづみ:青春快談いづみ晴れるか | Comments(1)