バランス感覚 2010-10-30T22:37:26+09:00 m-s-t-pink 白色の思考 Excite Blog 冷蔵庫の買い時 http://mstplus.exblog.jp/15376436/ 2010-10-30T22:37:15+09:00 2010-10-30T22:37:26+09:00 2010-10-30T22:37:26+09:00 m-s-t-pink あれから約ひと月。とても寒い。冬気分。昨夜なんかは鍋を食べながらくだらないテレビを観ていて、ファンヒーターの暖かさもあいまって、完全に正月気分。

次項で、と書いてしまっていたので、冷蔵庫の話。

現在使っている冷蔵庫は、2ドアの所謂一人暮らし用、ちょっと冷蔵庫の容量に詳しくないのだが、おそらく200L以下のもの。あまり入らないし古くなってきたので、買い替えようと思ったのが、今年の5月頃。ヨドバシカメラに行った。

大型のファミリータイプは必要ないが、少し大きくしたい。

ファミリータイプが13万からそこらへんで売っていて、欲しいと思うような中型のものー300Lくらいかーは7~8万円した。

店員さんを呼んで話を訊く。
すると、冷蔵庫は一年の中で価格の変動がかなりあると教えてくれる。

その夏前の時期は、中型はあまり安くないとのことだった。大型はその時期がかなり安くなっているらしく、13万で売っているものも冬には20万くらいになるそうだ。

中型が安くなるのは絶対に秋口だと言う。

5万くらいにはなるでしょう、と。

それならと、ひと夏乗り切って安くなった時に買いにこようと思った。
そんなこと言わずに売ってしまえばいいものを、大事な情報をくれる親切な店員さんだと感心して帰宅。

そして9月、意気揚々とヨドバシカメラへ。30円くらいになってないかな、と期待しながら。
見ると全然値段が変わっていない。

あれ? と思い、店員さんを探す。
ちょうど通りかかった店員さん、明らかに前と同じ人。

あのー、と、前回これこれこうで安くなるっていうようなことを聞いたんですけど、と。

そいつは言った。中型の冷蔵庫が安くなるのは1月2月くらいですね。今安いのは大型ですよ。

いやいや、と。お前が以前秋口に安くなると言ってたんだよ。

あ、そうなんですか。5万とかになります?

そんなには安くならないですね。1万くらいの変動だと思いますよ。

前言ってた情報はどうなった?

結局安くなっていることを期待して30円しか持っていなかった僕は泣く泣く家路に着いた。


今日も今までと同じ2ドア冷蔵庫が僕の為にビールを一生懸命冷やしている。ということでドアを開けて頂こうと思う。

今欲しいのは新しいダイニングテーブルだ。


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エンジェルの数 http://mstplus.exblog.jp/15218152/ 2010-10-01T21:30:04+09:00 2010-10-01T21:30:12+09:00 2010-10-01T21:30:12+09:00 m-s-t-pink
エビフライよりエビ天の季節である。

つまり衣替えの10月1日である。

今年も3/4が過ぎたと思うと泣きたいし、秋は寂しくて泣きたいしだが、9月中程から個人的にいろいろ頑張るようになってきたように思うのでそのままやっていく。

10月の目標だが、『節約』これに尽きる。貯金でもなく、収入を増やすでもなく、節約である。
で、なにを節約するかというと、食費だ。エンゲル係数を下げることに命懸けになろうと思う。

とは言っても、何も食べないと本当に命が危ないので、きちんと食べる。

無駄な外食をまず減らし、外に飲みに行く事もしないで、家できちんと作って食べようと思う。

最近、夕食に白いご飯を食べるようになった。
いや、べつに今までは黒いご飯を食べていたわけではもちろんなく、ご飯は白いのは当たり前だ。僕はその白いご飯を夕食に食べることが少なかった。

白いご飯を食べないと、お腹を満たすためにつまみも多くなるし、お酒も進んでしまう。

そういうところも変えていこうと、
昨日は豚キムチ炒め、今日は麻婆豆腐をおかずに白いご飯を食べたのだが、お米ってなんて美味しいんだろう。そういう食事だとわざわざビールもいらないので、夕食後もいろいろ出来る。


家飲みをする時も、出来合いのものを買ったりせず、作って食べる。食材をきちんと計画的に使い切る。そういう感じでエンゲル係数を下げていこうと思う。

たぶん、食に贅沢だから食費がかかるという人もいるが、面倒くさいという理由で結果的に外で食べたり飲んだりしてしまい食費はかかっている人も多いんではないだろうか。

さて、食材の管理の話から冷蔵庫を買いたかったという話になるのだが、また次項で。
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前2つの続き http://mstplus.exblog.jp/15085502/ 2010-09-08T00:21:00+09:00 2010-09-08T00:25:24+09:00 2010-09-08T00:21:29+09:00 m-s-t-pink
僕はいろいろと困っています。書く事について、音楽について。仕事について。

おそらくもっときちんと音楽をした方がいいのだろう。

誰でも出来そうな音編集の仕事でも、僕の(フリーランスの)経済基盤を支えるには必要なことです。
経済基盤がある以上、また逆にやりたい事を経済基盤にしていきたい以上、音楽をきちんと描いてまた発表していくことは大事なことであり、ビジネスの観点を抜きにしてでも、やるべきだと考えます。

幼い頃は良かった。前提である作品まで辿り着けるためのモチベーションが、ただやりたいかどうかだったから。

文脈を繋げる事が今の僕には困難なので、先に結論を書きますが、僕は少なくとも発信した意味を知りたいし、リアクションが欲しい。
需要に対する供給というビジネスではなく、勝手に需要を産み出すビジネスが先行している現在の中で、供給がどうであったかを知りたい。また供給に対する需要を産み出していきたい。

僕は何をすれば良いですか? 教えてください。

ただ、貴方の話でも聞かせてくだい。

僕は猫が好きです。


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与太話② http://mstplus.exblog.jp/15085345/ 2010-09-07T23:55:15+09:00 2010-09-07T23:55:23+09:00 2010-09-07T23:55:23+09:00 m-s-t-pink
ごめん、ごめん、で何だっけ? 

そうそう、おれ本読むじゃん、うん。で、いろいろ読むんだけど、くだらないのも多いんだよ。というかくだらない描写とかさ。その1文必要だった? みたいなさ、でもまあいいんだよ。1作品仕上げたとこだけでも評価出来るさ。まず完成させないとさ、そこが前提ってことだよ。

聞いてる?

そう、聞いてる? って話なんだけど、いや確かにおれも自分の話ばっかし過ぎるとこあるんだけど、もっとなんか言ってよ。

まあいいや、それ後で話すわ。

そう作品を仕上げるってことで言うとさ、おれもいろいろ曲作ってるんだけどね、まあ今はブログの話だよ。そうブログね。Twitterでもいいんだけどさ。いや、ネットでどうこうの話はしてない。それ難しくなるから。少なくともネット世界の中にブログってあるわけでしょ? つまり誰でも皆自分ってものを発信出来るんだよ。ここではね。それで、おれもしてるわけだろうけどさ、発信のツールとしては良いと思うんだよ、個人にとってね。で、やっぱビジネスに利用してる人たちもいるわけさ。おれはたぶん、正しいビジネスと正しくないビジネスを自分の中で分けちゃってるのね。だから、あんまくだらないことはやりたくないんだと思うよ。そうおれはね。

その中でね、でもやっぱ気になるわけさ、話をしてる以上聞いてもらいたいしさ。そうそう、確かに話し手と聞き手と分かれるとは思うんだ。もちろん。そん時にさ、ネットだと誰でもコメントとか、RTとかできるわけでしょ? その馴れ合いみたいなのはおれは嫌いっぽくしてきたけどさ、嫌いなんだけどね、わがまま言えば、やっぱ相づちとか、もしなんなら反論でも良いんだけど、貴方どう考えてる? ってのは欲しいわけよ。

そう。さっき後で話すわって言ったことなんだけど。

孤独が好きなフリして寂しがりやって人いるでしょ? それ。それじゃないけどそれに近い。というかオレはそれ。そういうの嫌いだけど。

ねえ、猫って可愛いよね? おれ、猫大好き。

なにが? 話が? 変わった?

もういいよ。おれの話は。おまえ話せよ。

え? 酒? うん、まだ飲むよ。
まだ寝ないよ、話聞くからさ。いいよなんでも、話してよ。


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与太話① http://mstplus.exblog.jp/15084787/ 2010-09-07T22:46:42+09:00 2010-09-07T22:46:49+09:00 2010-09-07T22:46:49+09:00 m-s-t-pink
実際、話すことと書くことというのは違うように思う。ここで言う話すように書くというのは言わば瞬発性の問題なのかも知れない。もちろん上手く話せる人というのは思考を瞬時にいろいろと分析して話せるので瞬発性は問題ではないのかも知れないが。ただ僕にとって話すことと書くことはやはり瞬発性において違う。なので、それにこだわって書いていこうと思う。つまりタイプする手をあまり止めずにということだ。

もし声に出せるならそうして話しを聴いて欲しいし、もし一緒に飲みにでも行けるなら尚更良しだけれど。まあ、僕は今飲んでいるので、そういうテンションではある。

プラス、書くことと違うとすれば、正直さという点だろう。失言、暴言を取り消せないようにさ、瞬間的発言だとどうしても正直になるものだ。

さて、どうだろう。
そういえば、今日リハビリに言って待ち合い室というかロビーで待っていた時に、隣に女の子が座った。膝だか腿だかを怪我してるらしい。ちょっと個性的な服装をした若い子だった。その子が待ちながら取り出したものは一冊のノート、普通のノートだ。覗く気はなかったのだけれど目に入った。脚本的なものだった。
A:・・・さすがは残虐王、やるな目がぁ・・目がぁ!!!
みたいなとこが見えて、
王が姫の目を見て、
なんと美しい瞳、流れるほどに美しい赤のよう、それは血・・・
とかよくわかんないけどそういうやつ。

つまりよくある将来、厨二病ノート発見した類いになりそうなもの。

しかし、ここでその子を否定したくはないんだ、僕は。
おそらくその子はイラストとかも書いていたから、漫画家になりたいんだと思う。

僕は思うのだけれど、作品において厨二病だろうがなんだろうが、描き切ること、仕上げることが大事だと思っていて、瞬間素に戻ればこの思うが続くとこあたりが話し言葉なんだけどそれは無視して、そう別にいいんだよ、寒くてもなんでも。

そういえば、最近チャリに乗ってて思ったんだけどってチャリはどうでもいいんだけど、作品に昇華してしまえばなんとかなるのが厨二設定であり、ノートに書き留めてるだけのものは恥ずかしいんだけど、面白くなるんだよ、厨二設定は。逆に言ったら、影響の部分であるから、名台詞とかかっこいいでしょってものでいいんだ。人名とかも。「かぐや」って名前だけだと微妙なんだけど、やっぱかっこいいじゃん、「かぐや」が月に祈る姿とか。いや、こうやって言葉にすると寒いけどさ、漫画とか映像になってたらどうよ? だって田中が月に祈ってても駄目だろ? って言う時に結局田中さんごめんってなるんだけど。

でね、ヒップホップ的なものは、駄目なんだよ、作品に昇華しても。ノートに書き留めてんのかわからないけど、「悪さでいっぱい泣かした母親、今では一杯やって語ろうや。」って知らねーよ。
ワル的な設定は駄目なんだよ。どうしたって寒いんだよ。

まあとにかく描き切ったもの勝ちというか、まあ勝たないにしても前提だよね。
だからおれもこうして文章にしてんだけど、というか話してるんだけど。

ゴメン、ちょっとトイレ行って来る。

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期限付きの恋 http://mstplus.exblog.jp/15044240/ 2010-08-31T19:36:00+09:00 2010-08-31T19:45:49+09:00 2010-08-31T19:36:53+09:00 m-s-t-pink
たとえば小学校時代、8月の終わりは当然夏休みの終わりを意味していて寂しかった。
もしかしたら嬉しさもあったかもしれない。また学校で会える人たち。

ただ8月が完全に夏休みを意味していて、それは僕らの心に深く植え付けられ、それらの想い出をちょっと思い出そうとするだけで、今では切なさを覚える。楽しかった想い出であっても。それは郷愁と呼ばれる感情だ。


数年前に夏を描いた曲を作った。
曲を作り歌詞を書きアレンジをし、知り合いの女の子に仮歌を入れてもらった。

つまり曲のデモと呼ばれるものだ。クオリティへの言い訳です。
曲としては気に入っているので聴いて下さい。Popです。


上にPlayMenuが出てない場合は→http://bit.ly/c8E5P0 で聴けます。


『期限付きの恋』

走り出す鼓動より速く 想いよ届け
目指した海をそこに感じた瞳には 強い力が宿るから

これからまた始まる恋の歌 
たった3度目の出会いだけれど

おととしの夏に君と出会い
去年の夏には恋に気がついた
今年もまた君に会えるね この季節が来たよ だから

走り出す鼓動より速く 想いよ届け
恋した僕をここに感じた気持ちには 強い力が宿る
君を守りたいから

いつかは鳴り終わる恋の歌
ならば愛に変え永遠に響かそう

星も見えないこの街を出て
ママの生まれた海の見える町で
過ごす夏休みが終われば君とまた離ればなれで

味わう孤独より深く 想いよ届け
恋した僕をここに感じた気持ちには強い力が宿る
君を守るべき夏がいつか来る

「雨の匂いがするね」と君
晴れた空見上げ笑ってた僕
不意に降り出した夕立ちが木々を揺らしリズムを刻む

合図もなしにふたり 同時に駆け出した
森の奥の小屋まで辿り着いた後に言うべき言葉も知らず
少し背伸びをしなければ届かない唇に
くちづけをした僕に微笑みをくれた君
少しの沈黙の後、また駆け出すふたり
季節さえ追い越すように



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音像 http://mstplus.exblog.jp/15016277/ 2010-08-26T18:57:00+09:00 2010-08-26T23:49:43+09:00 2010-08-26T18:57:50+09:00 m-s-t-pink
曲を書くというより音を積み重ねて曲にする感じ。絵でいうところのデッサンなしで色を塗っていくようなものか。

出来たらupします。

できた。
なんかambientっぽくなった。作業時間3時間弱。


最近、仕事以外で、つまりギャランティが発生しない時に、自分自身の曲を書くモチベーションが低い。音楽に対してお金云々というのは綺麗ごとかどうかはわからないが、どうであっても音楽を作りたい人間はお金云々でなくとも作るべきだと思う。

けれどそれが出来ていなかったので、こうして「今から作る」と公言してしまうことによって作らざるを得ない状況にしてみた。そういうふうに利用するのもなにかと思うが、作れたことは良かったし、もし聴いて頂けたら嬉しい。

また時間をかけて練ってないのでクオリティは低いが、「作る」と言ってからの時間の経過が現れること、音楽のスケッチという意味で楽しんで頂けたらと思います。

上にPlayMenuが出ていると思いますが、もし聴けないという方は、http://bit.ly/dfn30Nで聴けると思います。

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「う」嘘 http://mstplus.exblog.jp/15007712/ 2010-08-25T01:18:21+09:00 2010-08-25T01:18:27+09:00 2010-08-25T01:18:27+09:00 m-s-t-pink
次のような作文があったとしよう。

「嘘にもいろいろな嘘があります。子どもがつくような言い逃れのための嘘、言い訳としての嘘、人間関係を円滑にするための嘘、交渉術としての嘘。

嘘をつくことは必ずしも悪いことではありません。もちろん誰かを貶めたり、自分が非から逃げるような嘘はいけないことです。しかしながら、我々は嘘が必要な世界に生きています。嘘も方便という言葉もあります。

何事も馬鹿正直に本当のことを言う必要はないと考えています。社会に必要な人間関係、それを上手くこなしていくことも社会人の努めですし、ビジネスの世界では交渉事が大事なのは言うまでもありません。嘘は交渉術のひとつです。

私は嘘をつくことに非常に長けている人間です。私が今あるのもその能力が私を助けてくれたからです。私はその能力を今後御社の為に活かしていきたい所存であります。」

こんな奴を雇いたいと思うだろうか?

こいつの交渉術が本当に優れていたとしよう。人間関係も円滑に進めていく。女性に太ったとも言わないし、上司に対してのおだても上手だ。

しかしながらこいつは嘘をつく。そしてその嘘が上手いときている。
そんな人間を信用できるだろうか。

遅刻をした時の言い訳も本当っぽいし筋が通っている。しかし、それは嘘なんじゃないか?

こいつの急用は本当に急用なのか?


おそらく嘘をつくのが得意ということは上手く生きていく為に必要なことではある。

相手の話が長くつまらない、その時、「つまらないし長いよ。帰ります。」と帰っては駄目だろう。そろそろ次の約束がとか、電話がなっているフリをしながらとか、いろいろある。

飲み会に行きたくない言い訳も考えなくてはならない。


また真実と違うことをいうのが嘘だが、真実の一部を隠すこともひとつの手である。
「昨夜あまり寝てなくて・・・(遅くまで飲んでいたので)」

「上司の誘いで断りきれなくて焼き肉屋で飲んでた。(2軒目はキャバクラ)」


そしてまた、嘘の達人ともなれば、時に正直な方が得なことを知っている。
「ごめんなさい、グラス割っちゃいました。」(割れてもいいグラスの場合)

「正直言って売れるとは思いません。」(本心)
「ただ発想は素晴らしいと思うのでそれを活かして改良しましょう。」(嘘-最初に正直に言っているので信用される)

「特に用事はないんだけど声が聴きたくて電話してみた。」


話を戻せば、嘘をつくことが得意なことは得かもしれない。けれど、それを人に知られた時点でその相手には信用されなくなる。諸刃の剣である。

いつでも涙を流せる女優は素晴らしいかもしれないが、プライベートの涙が嘘と思われる可能性がある。


僕自身の話で言えば、嘘をつくのが本当に苦手で困っている。

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「い」インプット http://mstplus.exblog.jp/14973242/ 2010-08-18T22:48:31+09:00 2010-08-18T22:48:36+09:00 2010-08-18T22:48:36+09:00 m-s-t-pink
アウトプットときたらインプット。

情報の取捨選択や、自分の中にどう取り込むかというのは大事なんだけれど、いったん無視して、単純にインプットということ。つまり、見る、観る、聞く、聴く、読むということ。

食べるというインプットを考えると、何をどう食べてどう運動するかで筋肉の付き方は変わってくるし効果的な食べ方もあるだろうが、それでもまず何を食べたかということだけも身体には重要だろう。

同じように、何を聴き、何を見て、何を読んだかだけでも重要だと思う。
どう感じたか、どう理解したかはそのあとでいい。

多少その方向で良いのか、自分でも疑問は残るがそういうこととしよう。

情報や考え方、生き方と考えるとやはり読むというインプットが大切になってくる。人の話を聴くというのももちろんだが。

何を読むか? 僕自身でいうと本は読む方だと思うが、ほとんど小説、といっても幅広くなってしまうがさほどエンターテインメント寄りではないもので好きなものを読む。佐藤正午、中村文則が好きだ。学術書はたまに興味のありそうなものを読む。

最近というか、ここ数年、自己啓発本の平積みが多くないか?

僕はそういうものは一切読まない。読まないことを自慢してるわけでも斜に構えてるわけでもない。ただしかし売れてるらしいことに「あたまおかしいんじゃないか?」と思う。

自己啓発をしてくれる素晴らしい本はフィクションの小説であってもノンフィクションであってもたくさんあるし、そういうものは否定しないどころか肯定している。

しかし「上手く生きるために〜」とか「思考を整理が云々」とか「仕事が出来る人の〜」とか、そういうものは100%読む必要はないと思う。

デザインやツール、ソフト系の本でいうと、やはり入門書が一番売り上げを上げると聞く。それはしょうがないことだと思う。少しでも齧った人間が読めばくだらないことが書いてあったとしてもー背景をぼかしたいときは絞りを解放に云々ー初心者は入門書が解りやすいし読みたくもなる。

しかし生きてくことに対して入門書を読んでどうする。

確かに、例えば外資系に勤めてる人や、Googleの社員など、いやそうでなくともいろいろな素晴らしい参考になる意見を持っている人は多い。ただそういう人は商売で自己啓発本なんか出さない。普通に無料のブログで意見を述べている。そういうのを読むのは好きだ。

どんな肩書きを持っていようと自己啓発本で商売しようとする人間の書くものを読んでもしょうがない。

考えればわかることしか書いてないのだから。

逆に考えればわかることを考えずに本から得ようとする感覚が理解できない。

自分を高めてくれるもの、高めてくれそうなものを読もうとすることは大切だ。それなら書店で平積みされている自己啓発本コーナーに行くのはまずやめることだ。

そういう本はおそらくあなたに勇気をくれるだろう。そして気持ちを楽にしてくれる。それは単純にあなたも知っていたけれど実践できていないことを夢を含めて教えてくれているからだ。もしくは読んだだけで何か出来そうな気にさせられているだけだ。

周りの人に訊いたり、ちょっと調べてみれば本当の意味で自分を高めてくれる本は見つかるはずだ。平積みコーナーで自分に合いそうな本を探してる場合ではない。

なんだかただ自己啓発本批判になってしまったが、インプットというとなんだかそこらへんを連想したので。

僕はメッセージ性の強くない、けれど何か得るものがある小説として佐藤正午、中村文則の作品が好きだよ。やっぱり。
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「あ」アイディアとアウトプット http://mstplus.exblog.jp/14967010/ 2010-08-17T21:59:36+09:00 2010-08-17T21:59:38+09:00 2010-08-17T21:59:38+09:00 m-s-t-pink
というところからスタートしようと思う。

発想力で勝負する。そういうふうに感じていたことが無かっただろうか?
あった。


アイディアはやはり大切なものだ。映画インセプションでも言っている。非常に面白い映画だった。まあ、それはいい。
本当に独創的なアイディアであってもそれをアウトプットしなければ意味はないだろう。そういう意味でアイディアを実行する力は大事だ。
アイディアを実行する力と言う時、当然実行する力だけでは成り立たずアイディアが必要となる。

そう考えるとアイディアと実行力、どちらが重要か? というのは解らなくなる。

しかし、アウトプットされず実行されることのない素晴らしいアイディアは無意味だ。
一方、そんなに大したことのないアイディアでもアウトプットされ実行されればそれなりの価値を産むことがある。

いま世の中に出ているものの全てが完全に独創的で素晴らしいアイディアが元になったものではないからだ。というより、その必要はないのだ。

サンドウィッチ伯が考えたというサンドウィッチは言うまでもないが、電話にしてもその装置を作ったことが重要であり、さらに特許の申請の時間差でベルの発明になったことは有名な話だ。

どんなアイディアであっても誰かが思いついているものだ。
アウトプットした方がいいし、実行した方がいい。

くだらないアイディアをさも天才的ひらめきのようにアウトプットするのは恥ずかしいことだ。だから一度自分の中で吟味してみることは必要だ。だが、アウトプット無しには進まない。そういうわけで、僕はいまこういう当たり前のことを文章にしている。

以前、ひな祭りの時期に、娘さんのいる知り合いと話をした。
「ひな人形買わなきゃいけないだけど、結構高いんだよ。」
それを聞いて僕は言った。
「レンタルとか無いんですか?」大事なお祝い事だというのもわかるが、一生使うものでもないので(もちろん子から子へ引き継いでいく場合もあるだろうが)。

するとその人はいろいろネットで「ひな人形」検索しているがレンタルは見ないなと言った。そしてあったら儲かりそうだと。それを聞いて僕は自分のアイディアを嬉しく思ったし、なんで無いのだろうと。絶対儲かりそうなのにと思った。

家に帰り検索をかけてみた。「ひな人形 レンタル」と。なんのことはない、たくさんの業者がヒットした。試しに「ひな人形」とだけ検索すると確かに販売の業者ばかりでレンタル業者まではなかなか辿り着かない。

人が思いつくことは他の誰かも思いついている。

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スパイラル http://mstplus.exblog.jp/14940852/ 2010-08-12T23:38:57+09:00 2010-08-12T23:39:00+09:00 2010-08-12T23:39:00+09:00 m-s-t-pink サッカーの練習試合中に起こったその怪我は、その瞬間はさほど酷くないように思えた。Tは痛がりその日の後の練習試合は欠場したが。そして後日聞いてみると、右膝靭帯損傷ということだった。手術は必要ないが絶対安静で何ヶ月かが過ぎることになる。

2月のある練習試合で、Mが接触プレーで右手の薬指と小指を突き指した。非常に痛そうだった。結果薬指は骨折ということだった。

そのMは「今年はなんかついていない」と言っていた。私生活を含めいろいろと不運に見舞われると。ある日曜日にはお祓いに行くということだった。その日曜日の前日土曜の夜、Mと飲んだ。実際そこで聞けたMの話は確かについてなく、その夜なんとなく、その不運が僕に移りそうな気がすると思ったのは事実だ。冗談めかしてMにも言ったが、取り憑かれているようなMと飲むのは不安だった。

その1週間後の土曜の練習で、僕は左肘の骨を折り手術の為2週間入院することになった。

僕の所属するサッカーチームの話である。今年はうちのチームはなにかヤバいという雰囲気が流れていた。けれど僕の怪我が重症だったので、これで打ち止めじゃないかという気もしていた。

しかし僕が入院していた頃、キーパーをしていたHが左手中指と薬指を負傷。中指は剥離骨折ということだった。

その時、僕は言った。まだ終わらないのかよ、この連鎖は。

7月に入り、もうひとり。
Kがクモ膜下出血で倒れたというニュースがチームに飛び込んできた。そのことはチームで普段保険会社で働いている者から知らされた。Kは結婚を機にその保険会社に加入していたのでそいつは知ったのだった。しかし手術が無事済んだ後知らせた方が良いだろうという判断をし、その通り無事成功した後に僕たちは聞いた。

1ヶ月以上は入院しているということで、今日チームの友達2人とお見舞いに行って来た。ちょうど夕食を終えたところで、元気そうであった。

心臓の弁が細菌に感染し、それが脳の血管の一部にも移り、瘤(こぶ)が出来てしまったということだった。Kはまだ35歳と若いといえば若い。

非常に大きく、綺麗な病院で、部屋も8階で見晴らしが良く、Kも非常に饒舌で元気そうであった。
Kは東大出身のロボット研究者で、今年の春は論文にも追われ忙しくあまりサッカーの練習にも来られていなかった。その最中、酷い頭痛に苦しめられていたのだが、忙しさのあまり病院にも行かず一段落ついてから町医者に行くと大病院での検査を勧められた。倒れて運ばれたのではなかった。

本当に元気そうであったが、血液中の菌を殲滅するためまだ時間がかかること、心臓の弁の問題も残っていること、手術をした頭にはチタンのプレートが入っていること、血管の一部をバイパスで繋いでいるため頭に衝撃を受けてはいけないことといろいろ大変そうである。


サッカーチームに起こった一連の怪我や病気は偶然なのかもしれない。偶然なのだろう。けれど今年は多かった。そして今年はまだ終わっていない。サッカーに怪我は付き物だ、それを恐れて中途半端にプレーするわけにはいかないし、そんなことをしたらより怪我に繋がるかもしれない。

病院をあとにし、3人で楽しく夕飯を食べた。

いつ起こるかという不幸を恐れてシェルターに隠れているわけにもいかない。
ただ今を明るく生きていくしかない。



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右手で右手は洗えない。 http://mstplus.exblog.jp/14912627/ 2010-08-07T23:16:51+09:00 2010-08-07T23:16:54+09:00 2010-08-07T23:16:54+09:00 m-s-t-pink
肘の骨折を機にtwitterを始めたのだが、その骨折の現状について書いていこうと思う。

3/13、サッカーの最中に左肘を骨折した。上腕顆上骨折であるが、肘の関節もやってしまったので重傷。骨折の場合、保存療法というのか手術をしないでギブスなどで患部を固めて骨が自然に修復するのを待つパターンもあるが、僕の場合は手術が必要だった。折れた骨を金属のプレートやネジ、ワイヤーで固定する手術。その手術は3/18に無事終わった。

術後、通常であれば半年から1年くらいでそのプレートなりを取る手術をする。僕の場合、プレートが神経を傷めたことやリハビリが進んでいないこともあり、骨が固まり次第早めにプレートを抜きましょうとの主治医の判断であった。

手術から3ヶ月でレントゲン上は骨は順調にくっついており、4ヶ月で撮ったCTスキャンでも内部まで完全にくっついていた。これはかなり早い方。

そこで8/3にプレートを取る手術か決まる。

前日の2日から入院し、3日に無事手術を終え(今回も全身麻酔)、4日はいち日様子を見て5日に退院できた。

7日の今日現在まだ当然その傷口は塞がっていないので包帯が巻かれておりシャワーを浴びる時もビニール袋で濡らさないようにしないといけないのでメンドくさい。

10日後くらいに傷口を留めてあるホチキスを取る。そこからまたリハビリの勝負である。

つまり全治半年以上とかなり重い怪我であった。薬指と小指の尺骨神経麻痺についてはそれ以上かかりそうだし。

けれど。
本当に自分にとって良い経験であった。いろいろな意味で僕を変えてくれた。こんなことで人生観が変わったと言ったらあれだが、まあ変わった。それも初期段階に思った健康であることの有り難みということでは無く、リハビリを頑張っている時に思った強くなれたことでも無く、他の患者さんを見てきて思ったことが一番大きいのかもしれないが、そしてその出会いが教えてくれたことかもしれないが、なんというか、優しさを思い出したことが大きい。他人の優しさももちろんそうだが自分が持っていたはずの優しさだ。それだけじゃないし、上手くは言えないけれど、生きていきたい生き方についても考えることは多かった。

実際問題として出来ること出来ないことははっきりしたし(後遺症は残るだろう)、生き方のルートは変わった。そしてそれは僕が持っているものであった。

なにもかもをプラスに考えていくというようなポジティブシンキングではなく、おそらく本当に必要なことだったのだろうと今思える。逆に言えば、骨折の前の3月の僕は本当に傲慢だったのだろう。

僕は人の為になりたいと考えている。けれど出来ることは限られていて、それは結局その誰かが僕を必要としてくれているかにかかっている。そういうことを傲慢と言われてしまったら反論はあるが、そうではなくて本当に必要としてくれるのであれば、僕はそれを満たしていきたいと思う。

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例えば、猫が与えてくれるもの。 http://mstplus.exblog.jp/14821442/ 2010-07-23T02:12:34+09:00 2010-07-23T02:12:29+09:00 2010-07-23T02:12:29+09:00 m-s-t-pink
ああ、俺はそれだった。

そして音楽が好きだった。

ああ、俺の生活はそれだった。

それは嘘ではなかった。

ああ、幸せよ。ああ、俺はこのまま幸せに飲まれてゆくのか。

ああ、孤独よ。嫌だ。孤独は嫌だ。

あの日々に感じていた孤独よ。

その孤独は、まるで友達のようにそこにあり、それを満たす術も知っていた。

その術が繋がる世界を、僕は見ていた。

ああ、世界よ。


錆び付いたのではない。折れてしまったのでもない。

でも。触れただけで切れるようでは危険ではないか。
それ故、柔らかくしてしまうのが普通ではないか。


ああ、想い出よ。ああ、そこにいた君よ。ああそれは俺だ。

ああ、もう一度。

少なくとも、それは僕に向けて刃を立てることは、もうなかった。
つまり心をえぐってくれることもなかった。

果たして。


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キャベツとトマト http://mstplus.exblog.jp/14815136/ 2010-07-22T00:09:42+09:00 2010-07-22T00:09:42+09:00 2010-07-22T00:09:42+09:00 m-s-t-pink
これを安いと知れる程に、僕は生活的になってしまった。良くも悪くも。

もちろんアーティスティックの反対に生活があるのではない(またその逆も)と今は知っているし、生きていく以上、食べて寝て、排泄だって必要だ。

トマトジュースと酒と、少しの睡眠と多大な思考と、感性だけで生きていくわけにはいかない。残念ながら。残念ながらと言える程には僕はまた戻ってきている。何に戻ってきているかはうまく説明できないが、なにかそういうものだ。

演出とギャップと、どちらにしても同じことだが、それを考えるとキリがない。

しかしながら、現実として今日僕は一玉158円のキャベツを買い、それを豚肉と一緒にバターと醤油で炒め夕食とした。明日の朝食用にキャベツを千切りにしておいた。それにハムの千切りを合わせドレッシングをかけ、フランスパンと一緒に食べる予定だ。

作品の方向性が見えていないのは、今も昔も変わっていないように思えるが、さらに昔に近づいたことがある。どう生きていきたいかという感覚である。

他人が自分を規定する。規定された自分に僕は今満足しているが、自分が規定した自分もまた必要な気がする。

僕はそれを取り戻す。]]>
食材は言葉、脳は鍋。 http://mstplus.exblog.jp/14676337/ 2010-06-28T22:15:16+09:00 2010-06-28T22:15:14+09:00 2010-06-28T22:15:14+09:00 m-s-t-pink そしてその継続というものが大切であるのも、おそらく本当だ。

僕はどちらかというとそれを実行出来ていた方だと思う。

人は結果を求める生き物だし、それが短期で出せれば尚更良しだ。だからギャンブルに嵌る人が多いらしい。すぐに結果が出るから。

継続は力なりという時、それは当然ある程度長期的なものだ。
そして、日々の中で、ひとつひとつの中で結果が見えにくいものだ。

いや、そんなのは当たり前だ。とにかく何かを成し遂げる時に、継続は大きな力になり、たいてい必要なことだ。一応断っておくと、もちろん意味の無い継続だってあるだろう。

ブログを書き続けることが、意味のあることなのか、無いことなのか、それはどちらともわからない。ひとつ言えるのは僕がブログをあまり書かなくなっているということだ。このブログに対して何かの結果を期待しているわけではないし、その継続は無意味なことかもしれないが、やはりやるからには継続しないと駄目だろう。

もしかしたらブログなんてものには集積としての意味はないのかもしれない。そして書いた側からすれば消したい文章は多々ある。つまりひとつひとつの文章がその時の結果に過ぎずーおそらくそうだろうーそうであるならば例えば料理のように、毎回なくては困るが、食べてしまえば当然消えてゆくものとしての存在でありたいような気がする。食べずに残してしまった何日か前の料理が腐って食べられなくなるのと同様、何日か前の文章はもう意味を持たず、それが意味を持つのは出されたその瞬間だけである。そして実は料理が身体に何らかの影響を与えるように、ブログという文章もそうであればよい。

こういうことを書くつもりはなくて、本当はリハビリの継続性について書こうと着地しようと思っていたのだが、まあいい。料理のようだという発想が書いていて出来たことに自分で満足している。

その満足はつまり、自分が何かを作っていく時、作らなくとも仕事をするなり、会話での発言なり、サッカーのプレイなりそういうものが料理と同様の意味を持つといいと考えることが、なるほどということだ。

繰り返すが、料理は残らない。残せば腐る。出されたその時に食べた者にだけ少なくとも腹を満たすという意味があり、栄養として身体に良ともなるし、ジャンクな毒ともなる。

文章にしろ音楽にしろ、少なくともそこに到達できれば僕は満足だ。

という考え方の提示もこの瞬間のものであり、今日の料理だから明日になればレシピは変わるかもしれない。

召し上がれ。


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