カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
SYALALA そらいろ日記。 さんぽみち watasi +photo 【匠のデジタル工房・玄人専科】 NASA'S LIFE soraとかkaraとか... delusion 立呑屋 半端者の行方について。 Casa de NOVA... e_co's blog 月亮代表我的心 *un deux trois* 最新のトラックバック
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2007年 09月 23日
曇天の下、朝8時24分、新座の駅に降り立つ。
家から1時間少しかかった。電車を3本乗り継いだ。埼玉にあるその場所を訪れるのは初めてだ。サッカーの試合でいろいろな場所に行くことが多い。千葉、神奈川、埼玉など。 試合の出来るサッカーグラウンドがあるようなところなので、大概は辺鄙な場所だ。駅からさらにバスを利用したり、今日の場合はタクシーで980円の距離であった。 そのような場所に訪れたとき、もちろんサッカーをしに行くので、そのグラウンド状態への感想が主になる。いい芝だね、土だけどきれいだ、ぼこぼこだな。 そしてまた、駅前でコンビニの在処が気になる。ドリンクを買って行きたいので。 あとは、試合後に飯を食って行く場合や飲んでくる場合でも、その街で探すのであれば「おいおい、何もねーなー」ってことにもなるのだが、大抵は都内に戻り、メンバーの都合の良さげな場所になる。 つまりどんな場所であっても、その町自体に興味は全く持っていないのだ。 サッカーをしに行くのだから当たり前といえば当たり前だが、グラウンドに着いてしまえば約100m×60mの空間での存在となる。 例えば今、この文章を打っている僕の住むこの部屋、今この瞬間の最大目的はまさに文章を打つことなので、これがどこにあろうと構わない。実は空間移動が起きていて外が北海道になっていようと、構わない。 ある目的があってその限られた空間にいる時、地名や住所は意味を失う。 ディズニーランドがもし埼玉にあってもそのワンダーランドに入ってしまえばなんら問題はないだろう。それ以前に千葉にあるにも関わらず「東京ディズニーランド」だ。 バーで飲んでいればその空間を意識するし、それが銀座なのか新宿なのかを考えた時少し枠は広がり、国内旅行から帰ってくれば(僕の場合)東京という空間になり、ワールドカップやオリンピックとなれば国という枠で捉える(捉えてしまう)。 そしてまたそれ以上のグローバルな視点も求められる。 個人の居場所をどこに設定するのか。 僕の居場所はどこだろう? それはささやかな場所でいいと言ったら嘘になる。 愛する人のとなりと言ったらセンチメンタルに過ぎる。 帰るべき場所でも行きたい場所でもなく、自分の居場所、それを考えることは意義のあることだと思う。
by m-s-t-pink
| 2007-09-23 21:34
| 考
|
ファン申請 |
||