(2023年 アメリカ)
アクションの量こそ少ないが、キレ味とゴア描写が強烈なインパクトだし、忍従を重ねた末の猛反撃という抜群のタイミングには監督と主演の円熟を感じた。
感想
仕事が休みになったので平日の昼間っから映画館に行けた。時間帯もあってか映画館は中高年男性ばかりで、40代前半の私が最年少と言えるほどの物凄い鑑賞環境だったけど、これはこれで貴重な経験で楽しめた。
デンゼルが悪党を秒で殺す「イコライザー」シリーズの第3弾で、イタリア編。
シチリア島のマフィアがシリアのテロ組織から覚せい剤を輸入しており、何やらテロにも関与しているっぽいという壮大な国際的謀略を、ご存じロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)と新米CIA局員エマ・コリンズ(ダコタ・ファニング)が追いかけるというお話がひとつ。
そして上記のパートで負傷したマッコールが南イタリアの田舎街で世話になっていたところ、地上げ目的のマフィアが地元民に対して度を越した迷惑をかけ始めたものだから、マッコールが三度処刑人として立ち上がるというお話が、もう一方にある。
はっきり言って、前段パートはまったく面白くなかった。デンゼルとダコタ・ファニングは『マイ・ボディガード』(2004年)以来の顔合わせであり、当時子役だったダコタ・ファニングが大人の役柄で再共演という点は感慨深かったものの、残念なことに今回は二人の間で化学反応が起こっていない。
エマ捜査官というキャラクターに興味を持てなかったからだろうか。彼女に興味を持てる要素は最後の最後に付加されるのだが(ネタバレになるので詳細は自粛)、あれは最初に持ってきた方がよかったかな。
一方、メインプロットと言えるのは後段パートなのだが、こちらはとてつもなく素晴らしかった。
殺し屋人生に疲れ切っていたマッコールが、南イタリアの純朴な人々とのふれあいの中で生きがいを取り戻し、この街で生きていきたいと心の底から思い始めるというほのぼのパートがとにかくいいのだ。
この辺りはオスカー俳優デンゼルの独壇場だし、地中海の風景を美しく捉えたアントワン・フークア監督の腕前も光る。私が見たのはIMAX上映だったからか、映像美は本当に素晴らしかった。
「このまま何も起こらないでくれ。なんならアクションなんて無くてもよし」と思ってしまったほどだ。
しかしどの街にも不埒な野郎はいるもので、入れ墨&ごっついバイクで統一された、いかにもな見てくれの奴らが、善良な人々からみかじめ料をぶんどっている。
最初は「暴力沙汰を起こしたら起こしたで地元民に迷惑がかかるだろう」という判断から行動を起こさなかったマッコールだが、みかじめ料を払わなかった魚屋への放火や、地元警察官への白昼堂々の脅迫等やることが度を越してきたので、いよいよ立ち上がる。
忍従を重ねた末の猛反撃。このビジランテものの醍醐味を容赦なく味わわせてくれる。
絡んできたヤンキーを返り討ちに遭わせて吠え面かかせる場面なんて、座席から立ち上がりそうになるほど興奮した。そうそう、映画とはこういうものなんだよ。
ただし正直にお知らせしておくと、脚本は穴だらけだ。
序盤、死にかけているマッコールを地元警察官が保護し、病院ではなく医者の個人宅で手術がなされるのだが、銃創を負った外国人なんて普通なら一大事なのに、この二人はどこにも報告せず黙って匿うことにする。
また地元民たちも突如現れたオーラ全開の外国人に対して当然抱くであろう疑問を抱かず、素性の確認もないままアッサリ受け入れてしまう。
またマフィアの暴れっぷりは度を越しており、もはや法など無きに等しいほどの振る舞いを繰り返す。
リアリティという点では、本作はまったくダメダメだ。これと比べれば『コマンドー』(1985年)ですら、随分と筋の通った話に感じられるほどだ。
だから序盤はなかなか話に入り込めなかったのも事実だが、映画がある程度進んでくると、「これは西部劇をやりたいんだな」ということに気づく。
舞台は純朴な人々の住む田舎街で、地元保安官は孤軍奮闘しているが、それでも力及ばずで悪党どもに蹂躙されている。そこに風来坊が現れて、悪党どもを始末して街は平和を取り戻す。
本作は西部劇、特にマカロニウェスタンのテンプレに当てはめて作られているので、現代劇としてみると随分と歪だが、アクション映画としてのフレームはしっかりと整っているので、「そういうものだ」と割り切って見れば物凄く楽しめる。
クライマックス、「後日、絶対に復讐に来るからな」と言って退散したマフィアの親分の反撃を待つまでもなく、親分宅に奇襲をかけるマッコールなんて、最高以外の何物でもなかった。
マッコールの殺人技があまりにも華麗すぎて、ほとんどの見せ場が秒で完結してしまうことは玉に瑕だったけど、デンゼルももう70前。あまりに要求しすぎるのもよろしくないだろう。
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