(2023年 日本)
地方都市の水道局員を主人公にした異色のドラマで、主演の生田斗真は名演を見せる。ただし社会派っぽいのにリアリティの醸成には失敗していて、後半にかけて「んなことあるか」の連続になるので、ドラマとしての完成度は低い。
感想
芥川賞候補作品の映画化
アマプラで配信されていたのを鑑賞。
6月の劇場公開作が9月には無料配信って、アマプラの仕事の速さには相変わらず驚かされる。
原作は1990年に芥川賞候補にもなった同名小説らしいけど、私は未読。そもそも本を読む習慣がない人間なので、大半の映画の原作本は未読ではあるが…。
市の水道局で水道料金未納者への取り立てを担当している公務員 岩切(生田斗真)が、母親(門脇麦)に捨てられた姉妹を放っておけなくなるというのがざっくりとしたあらすじ。
wikiの該当記事によると原作者の河林満氏は市の非常勤職員として働いた経験があり、どうもその時の経験が本作の着想に繋がったっぽい。
映画化において年代設定は1990年から現代に置き換えられている。
冒頭、岩切とその後輩の木田(磯村勇斗)は水道料金未納者宅を回っているが、多くの者は「金を払っていない」ということに対する後ろめたさを感じておらず、二人は行く先々で口汚く罵られる。
明らかに払えそうなのに払っていないだけの連中もいて、そやつらは「水を停めますよ」と脅せば渋々ながらも料金の精算に応じる。
しかし中には本当に払えない家もあって、岩切はそうした本当に困っている家の水道に限って停めなければならない。
悪質な未納者はなんだかんだ野放しで、本当に救済されねばならない極貧層からは水という命の糧を奪わなければならないという不条理。
相棒の木田はそんな仕事に対して少なからず疑問を感じているし、精神に不調をきたして辞めていく同僚もいる。
そんな中でも岩切だけは「割とこの仕事は自分に合っている」と言って涼しい顔をしている。
生田斗真は名演
どうやら岩切の成育環境はよろしくなかったらしく、人とのリレーション構築を苦手としている様子。心の配線が何本か抜けたような状態で、他人への共感力に欠けたところがあるので、この仕事が苦ではないのだ。
ただしそれは「極貧層の水道を停める」という特殊な仕事でこそ生きてくる特性であり、日常生活では大いに支障が生じている。
元は奥さん(尾野真千子)と息子との3人暮らしだったが、奥さんは「実家の商売を手伝いに行かなきゃ」と言って息子と共に帰省したっきり、戻ってこない。
岩切から奥さんに電話をかければちゃんと出てくれるし、当たり障りのない簡単な会話には応じてくれる。しかし、まとまった話をしようとすると「今忙しいから」と言って逃げられる。
離婚や別居というはっきりとした形をとったわけでも、その過程でバチバチのやりとりがあったわけでもなく、何となく「この人とは一緒にいられない」と思われて、適当な理由をつけて逃げられたという生殺し感が切ない。
そして岩切自身も己の人格に欠けたところがあるということを自覚しているので、「まぁこんな俺とは付き合いきれんわな」くらいに達観し、関係改善の努力をするでもなく空虚な日々を送っている。
そんな岩切役に生田斗真は完全同化している。
終始虚ろな目をしており、目の前の事象に対しての感情の動きをまったく見せないので、何を考えているんだかさっぱり分からない。
なんだけど、彼には本当に感情がないわけでも、状況を完全に受け入れきっているわけでもなく、感情を封印しすぎて何を感じているのか自分でも分からなくなっているのだ。
そんな危さを生田斗真は見事に演じ切っている。
なお生田斗真自身は、家に帰れば清野菜名という美人にもほどがある奥さんがいて、小さなお子さんもいる。十代の頃から芸能の世界で成功し、これといったスランプもなくアイドルから俳優へと転身を遂げた順風満帆な人生を送っており、岩切とは正反対の人種と言ってもいいだろう。
それでも岩切の「渇き」というものを見事に表現しているのだから、これぞ役者の鑑と言える。
児童相談所に通報しろよ
そんな岩切の心を最終的に決壊させるに至ったのが、母(門脇麦)に捨てられた姉妹二人だ。
彼女らもまた岩切と同じような状況で、母との関係性が致命的に悪化していたわけでも、「出て行く」とはっきり宣告を受けたわけでもない。
「ちょっと出かけてくるね」と言って家を出たっきり戻ってこない状態なので、特に妹の方などは「お母さんは長いお出かけ中」程度に受け取っている。
ただし周囲の大人から見れば完全にネグレクトの被害者で、水道料金の徴収に家を訪れた岩切と木田は姉妹の状況を見て驚き、職務を逸脱しない程度には彼女らの世話を焼こうとする。
妻子に捨てられた岩切と、母に捨てられた姉妹の心の交流こそが本作のドラマの主軸と言えるのだが、どうしても「児童相談所案件だろ」という思いが沸き起こってくる。
原作が発表された1990年と現代では、ネグレクトに対する社会の受け取り方や、児相の介入方針にかなりの隔たりがあって、原作の年代ではギリギリ成立した設定が、映画化時点では全く成立しなくなっている。
これに対しては脚色段階で何かしらのテコ入れをすべきだったのだが、そうした工夫を怠ったがために、主たるドラマが説得力を失っている。
その結果、社会派っぽい作品であるにもかかわらず、岩切と姉妹の関わるパートだけはどこかファンタジーっぽくなっている。この違和感がすさまじかった。
最終的に岩切は姉妹と度を越した水遊びをして逮捕されるんだけど、彼らが水遊びを始めた途端にどこからともなく集まってくる水道局の同僚たちの謎の移動速度とか、公園の水を無駄遣いした程度で取り押さえられ、警察に逮捕されるという極端すぎる展開など、クライマックスは「んなわけあるか」という展開の連続だった。
公園での水遊びがきっかけで岩切は職を失うんだけど、ちょうどそのタイミングで妻子との関係は好転する。
何となくハッピーエンドっぽく終わるものの、旦那が無職ってことを知った時点で、奥さんは実家に帰ると思うな。
コメント