(※盛大にネタバレしてます)
ナイロン100℃『江戸時代の思い出』。私、KERAさんのお芝居の中ではナンセンスものがあまり得意ではない(「苦手」ではないけれど「得意ではない」)自覚があったのだけれど、すーーーんごくよかった!おもしろすぎて二度目もチケット取って観たぐらい!
ナイロン100℃ 49th SESSION『江戸時代の思い出』
作・演出:
ケラリーノ・サンドロヴィッチ出演:
三宅弘城 みのすけ 犬山イヌコ 峯村リエ 大倉孝二
松永玲子 安澤千草 藤田秀世 喜安浩平 眼 鏡太郎
猪俣三四郎 水野小論 伊与勢我無 木乃江祐希/
池田成志 坂井真紀 奥菜 恵 山西 惇
(※安澤千草さんは体調不良のため開幕直前に降板)日程・会場:
【東京公演】6月22日(土)~7月21日(日) 下北沢 本多劇場
【新潟公演】7月27日(土)~7月28日(日) りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
【兵庫公演】8月3日(土)~8月4日(日) 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
【北九州公演】8月10日(土)~8月11日(日) J:COM北九州芸術劇場 中劇場
劇団30周年記念公演の第二弾(第一弾は2023年の『Don't freak out』)。キューブの先行で取ったチケットで7/5に観たのだけれど(これが超良席だった)、そのときのおもしろさがどうしても忘れられず7/21東京千穐楽にもう一度観劇。なんとなくKERAさんのナンセンスものが得意ではないという意識があったので、二度目を観たいと思えるほど楽しめたのは意外なことだった。
(話は少しそれるけど)例えばこれまで、『デカメロン21』(2013年)や『ヒトラー、最後の20000年』(2016年)など、観てる最中は大笑いしていたような気もするものの、観た後に「観てよかったなあ」としみじみ思ったりできないせいで不安になってしまうようなところがあった(マジメ)。それこそが“ナンセンス”なのだろうけど、後に何も残らないことに罪悪感を感じてしまうというか。(あと個人的な問題として、芝居の観客としても今よりだいぶ未熟だったのかなあという気もする。)
さて『江戸時代の思い出』。まず時代劇という取っつきやすいフォーマットが、ナンセンスに対して身構えがちな私の観劇前のハードルをだいぶ下げてくれていたと思う。単純に、三宅弘城さんとか大倉孝二さんとかが時代劇の格好をしているところ「見てみたい!」って思うもんね。実際、第一幕の初っ端で武士之介(三宅さん)が小高い丘の上に登場し、下手から歩いてきた人良(大倉さん)にすれ違いざま声をかけるシーンだけで、もうおかしくておかしくて笑いがこみあげてくるようだった。裾をからげた着物から小学生みたいな膝小僧をまる出しにした三宅さんと、猫背でひょろっとした体躯に袴をつけ刀を差した大倉さん、小柄大柄なふたりが「~ござる」「~もうす」とかやりあってるの、江戸の浮世絵のような格式と漫画のようなバカバカしさが同居していていきなり最高すぎた。
(以下、順序立てて感想を書くのが難しかったので、特に印象に残ったところを脈絡なくダラダラ羅列する方式で!)
■3人のシーン
とにかく今回、観たあとの“しっかりした芝居を観たなあ…!”という満足感がすごかった。それがナンセンスコメディの見方として合ってるのかわからないけれど。もっとも心に残ったシーンのひとつが、チェス盤を挟む武士之介と人良、そして悪玉(池田成志さん)、3人の会話の場面。チェスの勝負をしている武士之介と人良の押し引きの問答に悪玉がひたすら茶々を入れるだけのやりとりが延々と続くのだけれど、三宅さん大倉さん成志さんといういずれ劣らぬ手練れの役者の、セリフの抑揚や間合い、声量の大小、視線の配り方、逡巡と言い募りのバランスやタイミング、表情にうかぶ機微、言葉やしぐさの端々から立ちのぼる人となり、発せられた文字列のおもしろさ…考えうる限りの演劇の幸福な果実が詰まっている数分間という気がした。そしてこの、切れ味のいい刀が交わるのを間近で見るような3人の会話は、随所で何度も繰り返されるし、さらには同じ体験が、構成する役者を変えて3時間のあいだひっきりなしに続く。なんという贅沢さ。
思うに、今のKERAさんがやりたい「ナンセンス」を現実の芝居として立ち上げるには、この錚々たる役者たちが持てる技術や経験を極限まで出し切るぐらいのパフォーマンスが必要で、それははからずも(いや必然的にかな)類を見ないぐらいの「質の高い芝居」に結実するのだと思う。いい役者のいい芝居を観たいと思ったらKERAさんのナンセンスものだ、というような、冗談のようなホントのことが成立するのかも。
■怪女優ふたり
今回劇団員以外のゲストが4人いるうちの、奥菜恵さんと坂井真紀さん。この美しいふたりがそれぞれに、怪女優ともいうべき存在感を放っていて感嘆した。
奥菜恵さんが演じるのは茶屋の三姉妹の一番下の妹で、武士之介の片恋の相手でもあるおにくちゃん。とても可愛らしい娘さんでありながら武士之介や姉たちや周りの人間に対する「意地悪」が度を越す酷さで(武士之介を井戸に突き落としたり、姉の分まで食料(人肉)を食べ尽くして悪びれもしなかったり)、なのにそれがめちゃめちゃキュートで憎めない。凶暴さをくるむ愛らしさのパワーが圧倒的すぎて、観ている誰もが武士之介のように「仕方がないでござるな」とどこまでも許しちゃう感じ。奥菜恵さんが演じる以外ちょっと成り立たないのではないかと思うような役柄だったなあ、いや凄かった。
そして、現代人の(たぶんあまり売れていない)ミュージカル女優・ヒエダ、弟のケツ侍をかばう姉、疫病に侵された姿でふらふらと町をうろつくおえき、3役を演じていた坂井真紀さん。KERA作品の常連ながらナンセンスものは初めてだったそうだけど、どの役にもイキイキとした生命力を吹き込んでいて本当におもしろかった。いずれの役柄も、本人はマジメなんだけど他人から見るとちょっとネジが外れちゃってる感じが絶妙だったなあ。そして奥菜恵さんも坂井真紀さんもしみじみ、声がいい。いつも書いているけれどKERAさんて声のいい役者が好きなんだなあとまたしても思う。
(ところで直前に体調不良で残念ながら降板した劇団員の安澤千草さんは、パンフなどの情報からすると本当はおえき役をやるはずだったのかな。安澤さんだったらきっとより哀しさの色濃いおえきだったのではと思われ、それはそれで見てみたかったなーと夢想する。)
■イラッとさせる人
わりといつもイラッとさせる役の多いみのすけさんの、今回のイラッとさせ度がメーター振り切れててすごかった。現代人パートで自称「ホーケイだよ」とだけ言い張って本当の名を頑として明かさない、誰の記憶にもない元担任教師。クラスメートたち4人の会話に無理やり割って入り、相手からの投げかけをすべて10倍ぐらいの強さであさっての方向に打ち返して、あげくのはてには幼児のようにムキになって石を投げつけてくるという手のつけられなさ。あるいはもう一役の、後半で唐突に現れてまわりを呆れ返らせるキューセイシュ。論理や筋道を端からねじ伏せてまわる、暴力的なほどのナンセンスのパワーを具現化する役者さんなんだなあとあらためて思った。自らがナンセンスの重力にちっとも負けないのがすごい、へこたれなさナンバーワンではないだろうか。武士之介の脳(=みそ吉)が移植されたことでどうも未来の武士之介になったようだった車椅子の老みのすけも、わけのわからない説得力があってオモシロこわかった。理屈で太刀打ちできない存在はこうも恐ろしいのかと…。
あともうひとつ、小さくイラッとさせられるのが髪の毛のふさふさした(役柄を演じる)山西さん。なぜか髪のある山西さんは小さくイラッとする(笑)。『百年の秘密』のときもそう思ったのを覚えている(笑)。
■本多劇場の人
ありとあらゆる仕掛けが用意されていた今回の芝居の中で、もっとも大がかりだったのが一幕終わりに劇場通路で繰り広げられたやりとり。最前列端に座っていた観客カップルが芝居のあまりのくだらなさに腹を立てて途中で出ていこうとする(これがじつは猪俣三四郎さんと水野小論さんだった!)のを、本多劇場の従業員だという落ち武者(眼鏡太郎さん)が止めにかかるというハチャメチャなくだりなのだけれど、このメタな仕掛けが開幕前から周到に準備されていたことに“してやられた!”と思ったし、眼さんの落ち武者の見た目がえぐすぎて会場中がどよめいたし、イマドキの観客であるところの水野さんがやたら「野田秀樹が」「高橋一生が」と口走るのも超おかしかった。何より、通路に面したE列に座っていてこの3人のやりとりを目の前で観た(冒頭に記した「超良席」の所以…ある意味A列以上の特等席だった)私としては、『ナイロン、若手の役者も素晴らしいな…』という感慨にふけることになった(若手と言っても先輩団員よりは若手、ぐらいだけど)。江戸の落ち武者と令和の観客が芝居中に通路で会話するこの脚本も、アイデアに乗っかっただけではたぶんさほどおもしろくなく、やはり巧みな演技やセリフのコントロールあっての爆笑なんだなと納得させられた。劇団の隅々までそれが行き届いているのがナイロンの底力なのだと。しかし、眼鏡太郎さんの落ち武者姿、めちゃめちゃ似合ってたなあ…(眼さんはその後別の役もやっていたのに、カーテンコールでは再び矢の刺さった鎧つけてげっそりメイクして落ち武者として出てきてた。このしちめんどくさを厭わないのも『江戸時代の思い出』のすごかったところ)。
■地下シティ
これはもう、観た人にしかわからないと思うのだけど、ほぼラストに差し掛かるあたりでクヌギ(山西さん)が言う「地下シティ」という言葉が、驚くぐらいの爆笑をもたらすんだよね。私の体感だと、客席の沸きがその日一番っていうぐらい。そのあとミタライ(峯村さん)も地の文で「地下シティ」を使うんだけど、それも笑いが止まらなくなるほどおもしろい。特に凝ったギャグとかじゃないのに、何なんだろうあれ。クヌギのキャラとかそこまでのストーリー運びの緩急とか観客の疲労とかもちろん山西さんの技術とか、何か独特なダイナミズムがあるのだろうね。めちゃ笑いながら興味深く思ったことのひとつだった。
■エネルギー
最初に書いたことの繰り返しになるけれど、優れた役者たちが持てる演技力の限りを尽くして、空っぽの神輿をA地点からA地点に運ぶような、エネルギーの無駄遣いが終始すさまじく、よくこんなことできるな…と畏怖と怪訝が混じったような思いがした。演出家と役者たちはジェンガのブロックを積むようにミリ単位の注意力で演技をひとつひとつ正確に組み上げ、美しく組み上がったところを容赦なくぶっ壊しにかかり、また一から組み上げ…と、その繰り返しを厭わない。
例えば、武士之介が未来の思い出を語り始めるときに下手から登場する現代人5人がその入りを何度もやり直すくだりや、瓦版が欲しい武士之介たちと瓦版売り(藤田秀世さん)が「瓦版をくれ」だの「餃子を売る」だのちぐはぐなやりとりを繰り返す場面。どうせあとで壊すことになる芝居を、手を抜くことなく段取りを省略することもなく手間をかけて丁寧に仕上げてくる。あるいは、懸賞金のかかった弟を姉(坂井さん)が献身的に守る姿は人情物のように涙を誘うし、祭りで迷子になった子どもを必死で探す母親(峯村さん)の切羽詰まった様子は胸を打つ。かばっているのが顔がお尻のケツ侍でなければ、連れているのがアホ顔をしたイヌコさんでなければ、格調高い作品かと見まごうほどの素晴らしい芝居。
でも、どうせ中味がないんだから、どうせ壊すんだから、そこそこのクオリティでいいんじゃない、めんどくさいしもったいないし、とはならないのだ。想像するだに着替えるのが大変な和の衣装も、先述の落ち武者しかり、みんな「たったそれだけのために」何度着替えているだろう?あとで「なんちゃってね」となることがわかっていて、膨大なエネルギーをそこまでの過程に注ぎ込める狂気が恐ろしい。この舞台上にいるのは、こうした「至高の芝居の無駄遣い」を許せる、ある意味アナーキーな表現者(衣装や美術や音響や照明などのスタッフワークも含めて)だけなのだと思う。そして、(“ナンセンス”ものに“意味”づけをするなんて無粋と思いつつあえて言うけれど、)この無為で無駄な営みを真剣に希求するバカバカしさこそが、ひたすら「有益」と「効率」を押しつけてくる今のグロテスクな社会へのカウンターになっているとも感じて、勝手にちょっと勇気づけられたりもするのだ。
■行列
ラストシーン、よかったな。「時代劇」という器のおかげもあるのか、はたまた関係ないのかもしれないけれど、今回のお芝居、登場人物がみな人懐っこく魅力的に描かれていて、特に三宅さんの武士之介と大倉さんの人良に対しては3時間のあいだに並々ならぬ親近感が生まれてしまう。そう、ちょうどシリーズ物の時代劇の主役のふたりを見るように。だから、大名行列からはぐれてしまった人良のために武士之介がその場ごしらえの行列を作ってあげて数人で行進していくというバカバカしいラストに、とても心温まる気持ちになり、そんな風に感じる自分に笑ってしまったりもした。
武士之介と人良は最後にまたすれ違うのだけれど、今度はいつの時代の思い出を語りあうのだろう。またあのふたりに会いたいなと思わせる、観る前には思ってもみなかった後味を残すお芝居だった。
3時間の中にちょっと常識では考えられない量の笑いが詰まっていて、感想を書ききれないのがどうにももどかしい。あれもこれも、本当におもしろかった!KERAさんの頭の中には普通の地図には載っていない島や海や大陸がたくさん存在しているんだなあと思うし、未知の場所が眼前にあったら分け入って行くのをやめられない人なんだなあとも思う。KERAさんが手を伸ばさない限り世の中に発見されないような発想やデキゴトにこれからも驚かされ続けたいし、世界は広くて想像力は無限だとこれからも思わされ続けたい。
『江戸時代の思い出』ナイロンでしか観られないステキなお芝居でした。ありがとうございました!
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【2024/07/27記】