机の抽斗の片隅に、「こんなモノが何故?」と首を傾げてしまうような、入手等の経過が思い出し難くなってしまっている「妙なモノ」が入っている場合も在る。
↓こういうモノが出て来て驚いた。
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↑<КАФЕ №1>(カフェ ノーミェル アディーン)というのは、ユジノサハリンスクのレーニン通に在ったカフェだ。思った程に利益が上がらなかったという噂で、経営者は素早く店を畳み、跡が同じ経営者の
スーパーになった。2019年頃に未だスーパーであったのを見た記憶が在るのだが、最近の様子は承知していない。
樺太時代、街が「豊原」と呼ばれた時代には「大通」と呼ばれた場所がレーニン通だ。ソ連がロシアになって以降もレーニン通は改称されていない。序でに言えば、サハリン州ではソ連時代に建立のレーニン像が文化財扱いになっている例が多々見受けられた。
そのレーニン通の、鉄道駅やユジノサハリンスク市行政府の本庁舎―ユジノサハリンスク市行政府の様々な部局は方々の建物に入っているらしいが、本庁舎には一部の部局と市長や副市長の執務室や種々の会議室が在る―に近い辺りの建物に<КАФЕ №1>(カフェ ノーミェル アディーン)は在った。真中の出入口から入って左が喫煙席で、右が禁煙席だったと記憶している。自身は左に入って寛ぐのが気に入っていた。
彼の地では、カフェの珈琲はマシーンで淹れるというのが主流だった。ハンドドリップの珈琲を供する喫茶店というようなモノの経過を吹き飛ばし、いきなりマシーンを使うカフェが隆盛になって行ったという経過だ。<КАФЕ №1>(カフェ ノーミェル アディーン)にその例に洩れない。「普通なブラック」という感覚で、エスプレッソを少し薄める「アメリカーノ」を頼んだものだった。いきなりマシーンを使うカフェが隆盛な中なので、店員さんに向かって「Кофе...」(コーフェ)(珈琲)とでも頼もうとすれば、往年の特撮ドラマの『宇宙刑事ギャバン』が「蒸着!」と変身する場面のナレーションに在る「1ミリ秒」というような速さで「Какой?」(カコイ?)(どの珈琲でしょうか?)と返事が在る。カプチーノ、カフェラテ、エスプレッソ、アメリカーノ、その他諸々が「在るのが当然=選択するのが当たり前」ということになっていたのだ。そういうユジノサハリンスク辺りの人が稚内にやって来て、珈琲を供する御店に寄れば「当然」というように「カプチーノ」を所望する。稚内では供している御店が限られる。御店の人が「無いのですが…」と応じれば、「それは残念…ごきげんよう…」と立ち去ってしまう。そういう場面を見掛けた記憶も在る。
↓かなり懐かしいので饒舌になってしまった。<КАФЕ №1>(カフェ ノーミェル アディーン)で珈琲を頼むと、この包装紙の小さなチョコレートがカップを載せた皿の隅に在ったのだ。
![14-02-2025 X100F (9)](https://live.staticflickr.com/65535/54327005879_3f118fe466.jpg)
↑如何したものか、そのチョコレートの包装紙を何となく持ち帰り、何処かから出て来たのを机の隅に入れて、それが何となく残って、席を替えた時にも残り続けたのであろう。
こういう些細なモノが色々な事を思い出させてくれる。