2019年 07月 22日
一か月 |
6/20に旅立ち、6/22に葬儀を行ったむぎ。葬儀の日からちょうど一か月たった。
おとといかな、むぎがいなくなってから初めて撮った犬の写真。散歩コースの近所のお花畑で、気節ごとのお花が咲く。春には菜の花が綺麗で、むぎ14歳のお誕生日会に家族で写真を撮った。
2年前の初秋、同じ場所で同じ花が咲いているときにむっくるを撮った写真。
もうむぎの写真を撮れないのが悲しい。
むぎの最後の日々のことを少し書いておこうと思う。
去年の春から腎臓の薬は飲んでいたが暮れまでは元気だった。今年に入ってから徐々に歩かなくなってきていたが、食欲は旺盛で、年をとってきたのかなあ、と思っていた。
3月からは少しふらついたりするようになり、足が弱ったのかと思っていたが、4月の血液検査で腎臓の数値がとても悪く、普通なら吐いて食べられない状態のはず、と先生に言われた。
この日(4/16)から毎日500mlの皮下点滴を行うことに。点滴は初めの何日かは病院で、その後は父ちゃんがやり方を覚えて家で行った。
点滴を行い始めて数日後から元気が良くなり、数値も健康な時よりは相当悪いが、かなり回復した。歩く距離も増えた。このあと5月いっぱいくらいは元気に過ごすことができ、公園のお散歩や旅行もできたし、参加を危ぶみつつも楽しみにしていたランドスケープの集まりにも出かけることができた。この一か月半の時間は本当に特別な、神様からの贈り物だったように思う。
が、6月になってから再び元気が無くなってくる。でも食欲はあったので、それほど悪化しているとは思わなかったのだが、6/11の血液検査で4月よりも数値が悪化し、先生から入院して24時間の点滴を行うことを勧められた。
前回もはじめは入院しての点滴を勧められたが、むぎの精神的ダメージを考えて家での点滴を選んだ。が、今回はあまりにも悪かったので、入院させることに(6/11)。
この日は火曜日で、入院は週末までくらいを予定していた。
ところが病院から連絡があり、むぎがごはんを食べないし(家では問題なく食べていた)、動き回るのでしばしば点滴が止まり、思ったように効果が出ない、とのこと。数値は若干下がってきたが、食べないのは致命的。そこで先生と相談の結果、6/13木曜夜、家での点滴を1日2回に増やし、むぎを家に連れて帰ることにした。
家に戻ってからも、病院で出されたフードなどは全く食べなくなった。入院前と同じフードなのに。退院した日は、病院に入れられたダメージで不機嫌だったこともあり、そのためかと思ったが、その後も同じ。でもおかゆとか、別なものは食べてくれた。
先生とも相談し、お肉などおいしく食べられるものはなんでも上げることにした。はじめはおいもなどの野菜やおかゆ、豚肉なども食べてくれたが、だんだん食べなくなり、牛肉とレバー、最後はレバーのみになった。
むぎは6/17(月)くらいまではそこそこ食べ、動いてくれていたが、18日くらいからはレバーしか食べなくなった。動くのもトイレをさせなければならないので外に連れ出す、そのときだけになった。
6/19(水)、母は会社を休んでむぎの介護をしていた。
むぎはほとんど眠った状態。点滴をしているのにトイレにも起きない。なんとか午後起こしてトイレをさせた。
食べる気もあまりなさそうだったが、この数日食べてくれていたレバーをゆでてあげたら、夕方200グラムくらい食べてくれた。
そして、夜、病院へ。血液検査を行い、むくんできていたので、先生と相談して点滴の量を減らすことにした。
6/20(木)、父ちゃん休み、母は仕事へ。
昼過ぎ、父ちゃんからむぎが旅立ったと連絡があった。ちょっと出かけた父ちゃんが帰宅した直後、待っていたように旅立ったと。
前日レバーをぱくぱく食べたので、まさか今日逝くとはこれっぽっちも思っていなかった・・・
私たちに心配かけないように、最後まで頑張って生きてくれたんだと思う。
夕方はなママが駆けつけてくれた。
6/22(土)午後葬儀。BMSお母さん、プー両親が列席してくれた。
お花もたくさんいただいた。インスタでもコメントをいただいた。
この場で再度皆様にお礼をお伝えしたいと思います。
むぎの幸せのために尽力していただいたハピラブの方々、預かり親兼実家としてむぎを愛してくれたご家族、駆けつけてくれたはなママ、葬儀に列席していただいたBMSお母さん、プー両親、お花をいただいた方々、ブログやSNSでメッセージをいただいた方々、そしてむぎを可愛がってくださった皆様、本当にありがとうございました。
(去年の今頃の写真)
この一か月間、ヒトにもいろいろなことがあり、ブログもSNSも更新していなかったが、日々むぎのいない寂しさを感じている。一番感じているのはこいつか??
おとといかな、むぎがいなくなってから初めて撮った犬の写真。散歩コースの近所のお花畑で、気節ごとのお花が咲く。春には菜の花が綺麗で、むぎ14歳のお誕生日会に家族で写真を撮った。
2年前の初秋、同じ場所で同じ花が咲いているときにむっくるを撮った写真。
むぎの最後の日々のことを少し書いておこうと思う。
去年の春から腎臓の薬は飲んでいたが暮れまでは元気だった。今年に入ってから徐々に歩かなくなってきていたが、食欲は旺盛で、年をとってきたのかなあ、と思っていた。
3月からは少しふらついたりするようになり、足が弱ったのかと思っていたが、4月の血液検査で腎臓の数値がとても悪く、普通なら吐いて食べられない状態のはず、と先生に言われた。
この日(4/16)から毎日500mlの皮下点滴を行うことに。点滴は初めの何日かは病院で、その後は父ちゃんがやり方を覚えて家で行った。
点滴を行い始めて数日後から元気が良くなり、数値も健康な時よりは相当悪いが、かなり回復した。歩く距離も増えた。このあと5月いっぱいくらいは元気に過ごすことができ、公園のお散歩や旅行もできたし、参加を危ぶみつつも楽しみにしていたランドスケープの集まりにも出かけることができた。この一か月半の時間は本当に特別な、神様からの贈り物だったように思う。
が、6月になってから再び元気が無くなってくる。でも食欲はあったので、それほど悪化しているとは思わなかったのだが、6/11の血液検査で4月よりも数値が悪化し、先生から入院して24時間の点滴を行うことを勧められた。
前回もはじめは入院しての点滴を勧められたが、むぎの精神的ダメージを考えて家での点滴を選んだ。が、今回はあまりにも悪かったので、入院させることに(6/11)。
この日は火曜日で、入院は週末までくらいを予定していた。
ところが病院から連絡があり、むぎがごはんを食べないし(家では問題なく食べていた)、動き回るのでしばしば点滴が止まり、思ったように効果が出ない、とのこと。数値は若干下がってきたが、食べないのは致命的。そこで先生と相談の結果、6/13木曜夜、家での点滴を1日2回に増やし、むぎを家に連れて帰ることにした。
家に戻ってからも、病院で出されたフードなどは全く食べなくなった。入院前と同じフードなのに。退院した日は、病院に入れられたダメージで不機嫌だったこともあり、そのためかと思ったが、その後も同じ。でもおかゆとか、別なものは食べてくれた。
先生とも相談し、お肉などおいしく食べられるものはなんでも上げることにした。はじめはおいもなどの野菜やおかゆ、豚肉なども食べてくれたが、だんだん食べなくなり、牛肉とレバー、最後はレバーのみになった。
むぎは6/17(月)くらいまではそこそこ食べ、動いてくれていたが、18日くらいからはレバーしか食べなくなった。動くのもトイレをさせなければならないので外に連れ出す、そのときだけになった。
6/19(水)、母は会社を休んでむぎの介護をしていた。
むぎはほとんど眠った状態。点滴をしているのにトイレにも起きない。なんとか午後起こしてトイレをさせた。
食べる気もあまりなさそうだったが、この数日食べてくれていたレバーをゆでてあげたら、夕方200グラムくらい食べてくれた。
そして、夜、病院へ。血液検査を行い、むくんできていたので、先生と相談して点滴の量を減らすことにした。
6/20(木)、父ちゃん休み、母は仕事へ。
昼過ぎ、父ちゃんからむぎが旅立ったと連絡があった。ちょっと出かけた父ちゃんが帰宅した直後、待っていたように旅立ったと。
前日レバーをぱくぱく食べたので、まさか今日逝くとはこれっぽっちも思っていなかった・・・
私たちに心配かけないように、最後まで頑張って生きてくれたんだと思う。
夕方はなママが駆けつけてくれた。
6/22(土)午後葬儀。BMSお母さん、プー両親が列席してくれた。
お花もたくさんいただいた。インスタでもコメントをいただいた。
この場で再度皆様にお礼をお伝えしたいと思います。
むぎの幸せのために尽力していただいたハピラブの方々、預かり親兼実家としてむぎを愛してくれたご家族、駆けつけてくれたはなママ、葬儀に列席していただいたBMSお母さん、プー両親、お花をいただいた方々、ブログやSNSでメッセージをいただいた方々、そしてむぎを可愛がってくださった皆様、本当にありがとうございました。
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by momoankae
| 2019-07-22 11:36
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