バケツを引っくり返したような2016年の話 - インターネットもぐもぐ

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バケツを引っくり返したような2016年の話

もう2017年1月が終わってしまった。早い。1年の12分の1じゃん。ヤバいな。

いまさら2016年を振り返っている場合なのか?と思わなくもないのだけど毎年ゆるゆると書いていて、なんだかんだ1年後の自分にとってはわりとおもしろいので今年も書く。

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2016年は、激動だった。

自分でもよくわからないスイッチが入ってしまって、オセロが白から黒にパタパタ変わっていくみたいに一気にかたをつけていった。バケツを引っくり返して全部空にして、石鹸をつけたスポンジでごしごしこすってから日に干して、もう1回蛇口をひねって水をためはじめるみたいな1年だった。引っ越しして転職して恋人ができた。

例年通り、だいたいいつも幸せだった。幸せでいるために必要なのは自分が幸せになれるトリガーを把握しておくことなので、それがわかってしまえばずっと幸せでいられます。ライフハックね。



いざ振り返ればいろいろあったような気もする。最愛の永尾まりやさんがAKB48を卒業したのも去年だった。

あまりに思いが強まってしまって当時はまとまった文章を書けなかったけど(後悔している)(大事な感情はなんとかして書いておかないとダメだ)卒業コンサートをまさかやることになるとは思わなくてそれだけで夢みたいだったし、そのコンサートが、3時間が、本当によくて成仏した。魂のステージが上がった。だんだん怪しい言動になってきた。

「どこにいても私を見つけてくれて、何百人もいる女の子の中から私を選んでくれてありがとう」。東京ドームのステージに100人以上の女の子がズラッと並んでいても、ファンは自分の好きな子が光ってるみたいにわかるんですよ。本当に。

こんなに浮かばれる言葉ってあるでしょうか。この瞬間のために自分はAKBを好きになったんだなってその時思った。今あの情景思い出すだけで泣きそうだ。ああ、よかった。最後に美しい言葉を紡げる永尾さんも好きだし、永尾さんを好きになった過去のわたしは偉い。

島崎遥香さんからの手紙もすごくよかった。「こんなの柄じゃない」「もうやりません」「会場のみなさんじゃなくてまりやだけのために読みます」って、客席に少しも目もくれずに読んだ。ぱるちゃんはそういう仁義のひとなんだ。テレビで「塩対応」を見ているとわからないけれど。

わたしがAKBを好きになってよかったと思うのは「自分の好きなものを無条件に嫌う、叩く、貶めてくる人がいる」状況を知ったことだ。結構キツい。平気で暴言を浴びさせられる。失笑される。支持する人がこの世に存在することを根本的に想定していない物言いをする。

ので、ずっと突きつけられる。わたしは誰かが「ありえない」と嘲笑うものにどうしてこんなに心揺さぶられてるのか、ずっとずっと考えて言葉を探す。別にわかってほしいとかじゃない。嫌いな人はそれはそれでいい。もちろん悪意を向けられるのは嫌だしよくないと思うけど、もうひとつ前の段階として、好みはあって当然だ。選んだのだから、誠意を尽くさなきゃって思う。自分の気持ちにも彼女たちの人生の一部にも。

かくして、1月22日にわたしのアイドルオタクとしての第1章は幕を閉じた。頭の中でエンドロールが流れた。正確には永尾さんの卒業日はもう少し後なのだが、わたしの中ではこの日に区切りがついた。これは結構大事な日だった。


もうひとつ、その意味で大きな事件があった。山本彩さんと一緒にNMB48をひっぱってきた渡辺美優紀さんの卒業。

このひとは、本当に、めちゃくちゃに、賢い人だった。最後の瞬間まで何度も何度も見せつけられた。凄さを。今言うことではないけれど、美しい卒業だったのだけど、それでもわたしはみるきーさんに天下をとってほしかった。彼女が本当にすごいアイドルだってことをもっともっとたくさんの人に知らしめたかった。

みるきーさんがすごかったのは、誰もが卒業をうっすら予期していて、むしろ匂わせるようなことを積極的にしていて、それでもなお心をガンガンに揺さぶってきたことだ。わかってたよ~、なんて余裕は砕け散った。

それはひとえに言葉の力だった。最後に残した言葉だけで、みるきーさんの才能がわかる。アイドルの天才だってことがわかる。


当時、みるきーさんの言葉に触発された人たちが熱にうなされたように感情を吐露し始めて熱かった。多分、アイドルって、人をポエマーにする仕事なんだよね。誰かの言葉を感情を引き出すためのトリガー。その点でも渡辺美優紀さんは悪魔のように才能がありました。

同時期、ふまけんも大変だった。まとめ…というほどでもないツイート集を作ってたけど読み返すとこのころの混乱を思い出す。わたしはシンメという概念の何にそんなに心揺さぶられているのか…って話も続きをもう少し書きたいのですが書けてない。
4月21日はさやみるの日、4月29日はふまけんの日 - ときめきマシンガン


舞台で今年一番よかったのは、やっぱり「キンキー・ブーツ」だなぁ。迷わず選べる。本当に幸せだった。ぼろぼろ泣いた。1回目観た後にあまりにヤバすぎて語彙を失ったし、1人で劇場に来たことがもどかしかった。ねえ!!すごかったねえ!!ってロビーで誰かを捕まえて話したいくらいだった。


海外のミュージカルを日本人キャストでやると文化の違いや実感の違いでリアリティを持って感じられない表現ってあるけど(人種の問題とか特に)、キンキー・ブーツの日本版は、悩みや葛藤を自分たちのものにしていてすごくよかった。上手く言えないけど。自分ごとにしていた。


三浦春馬さんのローラがマジで素晴らしかった。ドラァグクイーンは、女性になりたい男でも、男性性を捨てたい男でもないんだよね。それがきちんと体現されていて超超よかった。かっこよくて強くて美しくて気高い。

「1789」もよかったなあ。宝塚版がすごくすごく好きで東宝版も超好きだった。考えてみると私は小池徹平さんの出ているミュージカルを全部観ている。マネージャーさんと趣味があうんだと思う笑 2017年は2年前に熱狂したデスノートの再演があるので楽しみです。それまで死ねない。そう、「それまで死ねない」を日々積み重ねて生きていこうね。


小説は、ピアノに関する大傑作が2冊も読めてすごい年だった。本屋大賞の宮下奈都「鋼と羊の森」、直木賞恩田陸「蜜蜂と遠雷」(よく考えたら、考えなくても、こっちは賞とったのは2017年になってからですね…Kindleで買ったのは去年だから大目に見て)。

羊と鋼の森

羊と鋼の森

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

どちらも平たく言ってしまえば音楽と才能の話なんだけどアプローチが全然違う。でも仰ぎ見ているものは同じような、不思議な感じがする。

才能の有無にかかわらず執着してしまう、手放せないものってあって、そこまでいくともう業のようなものなんだろう。神に選ばれているから逃げても逃げられない人も、神に選ばれていないことがわかっててそれでも離れられない人もいる。

目印を探して歩いていけるということは、僕も神様を知っているということだ。見たことはない。どこにいるかもわからない。だけど、きっといるのだ、だから美しいものがわかるのだ。(「羊と鋼の森」)

もうすぐだ。もうすぐ、私たちはとてつもなく開けた場所に出る。

もはや後戻りはできない。昨日までの自分はもういない。

これまでとは比べ物にならないくらいの困難が待ち受けていることだろう。しかし、これまでとは比べ物にならないくらいの歓喜もまた、どこかで私たちを待っていてくれるはずなのだ。(「蜜蜂と遠雷」)

宮下奈都さんはこれもいいけど過去作の「スコーレNo.4」がとてつもなくいい。こういう文章を書けるようになりたいって思う。到底届かないけど。

スコーレNo.4 (光文社文庫)

スコーレNo.4 (光文社文庫)


ヨーロッパに2週間、九州に1週間行けて、この夏は正しくバカンスした。楽しかったなあ。幸せだった。プラハが超よかったのでまた行きたい。

mogmog.hateblo.jp


帰国後は毎日涼しい部屋でオリンピックを見まくったり、ぶらぶらと美術館を渡り歩いたり、長い長い夏休みを謳歌したあとに観念して(語弊)転職した。これまでも記者でしたが、またこれからも記者です。ものを書きます。この仕事は本当に毎日楽しくて面白くてハッピーハッピーです。仕事の話はまたあらためてしたためるかも。どうかな。言うだけならタダだね。書く書く詐欺。

今年はちまちまとやりたいことがあるのと、公私混同(いい意味ね!!)していきたいので、自分が好きなものやジャンルの取材仕事をしたいな。アイドルでも舞台でも本でも漫画でも映画でも、何かご一緒できそうなことがあれば個人の連絡先にでもご一報ください。


頑張れ、って言うのはプレッシャーになるからよした方がいいよ、って言説があって、まぁ意味はわからなくはないんだけど、わたしは自分で自分のためにこの言葉を唱えるのが好きだ。

なぜなら、それは心の持ちよう、精神の方向の話だと思うからです。とりあえず前を向きましょうね、そこからどうするかはわからないけどまず手始めにそこからね、って意味だと思っているからです。

今年も頑張ろう、頑張るぞ、頑張りましょう。