きっかけは、昨夜放送の「嵐にしやがれ」だった。ゲストで登場したジャニーズ事務所の先輩である少年隊・東山紀之さんが嵐に問う。「自分たちが盛り上がってきたなって瞬間があるじゃん、それは何かあったの?国立(コンサート)なんてまさにそうなんだけど」と。それに対して嵐はこう答えた。
松本潤:凄い真面目な話、もっと前なんですよね、自分たちが感じるのって。タイミング的には2006年なんですけど、アリーナツアーをやってる時に、いつもと同じ公演数をやろうとしたら、チケットを取れない人がいますみたいな話になって、でもコンサートの日数を増やすスケジュールはありません、どうしますかって言われた時に、『じゃあそれだったら、1日2回やってるのを3回にするってことは出来るんですか』って話をして、出来るってなって。その日本のツアーを回った後に、アジアに初めて行ったんですよ。そのへんから、色んな事がちょっとずつ次に繋がっていくみたいなことがあって、日本に帰って来てそのアジアでやったのが好評だったから、日本にそれを持って帰って来てやりましょうってやったら、そこでもお客さんが入り切らず、それだったらドームでやろうって。で、次の年気がついたら五大ドームやって、国立やって、次に全部繋がって。なんかでも不思議でしたね。今なお不思議です。
(2015年1月10日放送「嵐にしやがれ」より)
「嵐がいつブレイクしたのか」ということが私はずっと気になっていた。というのも、私はジャニヲタ沼に長年溺れておきながら、嵐を自分のジャニヲタ生活の中心に置いたことが一度も無かった。中学生の時に相葉さんのことが大好きなクラスメイトが居たが、その頃は誰も彼女の嵐好きに同調することは無く、当時NEWSが好きだった私は「今はNEWSの時代だよ」等と彼女と冗談で張り合ったりしていた。もう10年以上前の話である。そこからあれよあれよと言う間に、嵐の人気は膨らみ、気がついた時にはジャニヲタではない友人たちが気軽に嵐で誰が好きかトークをするようになった。そして「嵐のコンサートなら行きたいから、チケット余ったら教えて」と、ジャニヲタのチケット戦争の苦悩も知らずに軽率に頼んで来るようになった。但し私は嵐のFCには入っていない為、彼女たちにそのチケットを握らせることは出来ないのだが。残念だったな、はっはっは。おっと突然キャラブレした。すまない。そういう訳で、私が他のジャニーズを見ている間に、嵐はどんどん勢力を上げ、知らない間に、ジャニーズ事務所の稼ぎ頭になっていた。何処が分岐点になっていたのか、他の庭を覗いていた私は知る由もない。
そもそも何故今頃になって突然「嵐がいつブレイクしたのか」「起爆剤は何だったのか」という疑問を抱いたのかと言えば、先日2015年1月6日放送のNEWSのラジオで、嵐の話題が出たからだった。そのラジオではNEWSが全員30歳を超えた頃(約3年後)、どうなっていたいか展望を語り合っていて、そこで手越さんの口から自分たちの理想像として嵐の名前が挙がった。恐らく今、目標として嵐の名前を挙げる後輩グループは、NEWSだけではないはず。彼らが嵐に近づき追い越すには、何をすればいいのか。それを考えている内に、そもそも嵐が何故人気者になったのか、そこから探らなければならない気がした。
昨夜の「嵐にしやがれ」の放送終了後、私はこんなツイートをした。
嵐に勢いがついてきたことを実感したのがいつなのかって最近気になってたことで誰か嵐担の人が現象としていつからどうだったのか詳細にブログ書いてくれないかななんて思っていたところだったので本人たちの口から2006年頃という明確な答えを聞き出せたのは今日の嵐にしやがれで一番の収穫。
— あやや (@hraom) 2015年1月10日
私が自分の肌感覚で嵐の人気を感じたのはドラマ「花より男子」だった。そもそも人気コミックの実写化だったこともあり、周りの友人が揃ってこのドラマを見ていた。高校の昼休みにお弁当を食べながら道明寺司を演じる松本潤派と花沢類を演じる小栗旬派の女子が互いに今週の萌えポイントを語り合い、どちらがよりかっこよかったのかを競い合った。そのドラマをきっかけに一気に「松潤」という松本さんの愛称を周りが口にする機会が増えた気がしていた。
個人的には周りが嵐のことを騒ぎ始めたのは「花より男子」のイメージが強くて第1シリーズが2005年秋クールなのでそこで興味を持った人がドッと増えて松本さんの言ってた2006年の実感に繋がったのではないかと思ってるんだけどその時期「花より男子」以外にも起爆剤はあったのだろうか。
— あやや (@hraom) 2015年1月10日
そういう訳でこう呟いてみたのだが、このツイートに対して非常に多くの反応を頂いた。朝起きたらメンション欄がとんでもないことになっていた。さすが、嵐ファンは母数が違う。私の呟きをひとつの叩き台として、色んな考察に触れることができて、無知を満たしてもらった。「そんなことも知らねえのかよ馬鹿」とか言われることはなく、皆様丁寧に教えて下さった。せっかく沢山の話を伺えたので、私だけが独り占めするのも勿体無いと思い、今回頂いたリプライをここで紹介させて頂きたい。あくまで皆さんの“実感としてどうだったか”という話を伺ったので、どれが正解でどれが不正解という線引きをするつもりはない。むしろ、何も知らない私にその権利はない。私の分かる範囲でブレイクポイントを時系列に並べている。
2002年頃から良い緊張感が生まれていた
@hraom ブログ更新楽しみです!わたしは2002年頃から嵐内に良い緊張感が生まれ始めたように思います。5人で初の映画ピカ☆ンチが公開、そしてゆるっゆるラジオ嵐音が終わった年です。茶の間だったので現場の空気は解りませんが、花男前に学園モノとして人気を博したごくせんもこの年です。
— はなな (@kmiyayaf2) 2015, 1月 11
日テレで深夜番組を長年続けていたおかげ
@hraom 初めまして、ふえと申します!ツイートに興味を持ったのでリプさせていただきます。当時の嵐は爆発的な人気を持つ前から日テレで深夜番組を何年も続けていたおかげで本当に世間的にビッグになったあたりの10周年は日テレで大きな番組をやらせてもらえたように思います。そしてそれが→
— ふえ (@sssbbb922) 2015, 1月 10
@hraom ゴールデンのバラエティのきっかけになり、いまの嵐の安定した状態に繋がっているように思います。NEWSに今一番必要なのはじぶんたちのレギュラーの冠番組、しかも長く続くもの…なのかな、と考えたりもします。どこのグループにも言えることですが…!突然長々と失礼致しました!
— ふえ (@sssbbb922) 2015, 1月 10
相葉さんの「Aの嵐」(2003年~2005年)
@hraom 花男以降ファンが増えたのは確かだと思いますが
ファンクラブの人数も25万人程度だったので
女子が増えたのは花男でも
子供や大人まで彼らを認識したのは
相葉さんのAの嵐なんじゃないかって
いうのをよく話します
— みかん (@mikanguruguru) 2015, 1月 11
松本さん出演ドラマ「君はペット」(2003年)でも客層が変わっていた
@hraom 私は客層変わったなぁ~と実感したのは、「君はペット」の後のコンサートからでした。
歓声の色が変わって驚きました。
— マコリン (@yattuketyae) 2015, 1月 10
松本さん出演ドラマ「花より男子」(2005年)
@hraom
嵐の火がついたのは花より男子だとおもいますね。主題歌は嵐の代表曲としても紹介されるくらいですし。あとはアジアツアーをしたりで実感してきたんじゃないですかね?あややさん前述のとうり本人は未だに人気については謙虚すぎるほどの低姿勢ですけども。。
— ゆいたん*.♡♬ (@arsxx125) 2015, 1月 10
松本さん出演ドラマ「花より男子」(2005年)、二宮さん出演映画「硫黄島からの手紙」(2006年)、櫻井さん「NEWS ZERO」出演開始(2006年)が重なった時期
@hraom いきなりのリプすみません、以前翔さんが「松本のドラマ、ニノの映画(おそらく硫黄島)、僕のキャスターと、いろいろなことが重なった時期」と仰っていた記憶があります
— トモ (@tomo13a) 2015, 1月 10
@hraom にのちゃんの硫黄島で一般の人に嵐すごいって大きく広まったことが重なったのも一つの要因でした。でもやっぱり当時は松潤道明寺が新規ホイホイでしたよ。
— maki (@LOMtwittou) 2015, 1月 10
@hraom 自分が思うに、2005年の花男よりも、先ほど出ていた「硫黄島」「ZERO」で周りの見る目が変わった感じがします。で、2007年に「やまたろ」主題歌でみんなに親しめる「Happiness」出したので決定打!のような。2007年の終わりから舞台とかとりにくくなったので。
— ゆなクロ (@caramelpop680) 2015, 1月 11
@hraom こんにちは。2006年は、櫻井さんの『NEWS ZERO』が始まり、二宮さんの『硫黄島からの手紙』が公開された年です。これらが一般に広く嵐が認知された要因のひとつかと思います。続きます。
— freshgreen (@freshgreen7) 2015, 1月 11
@hraom 続きです。2005年の花男時は特に人気が低迷していた時期で、主題歌の売り上げが低く、急遽土日に千葉幕張と大阪で握手会という名のCD即売会が催されました。なので、2005年の花男がブレイクのきっかけというのは、間違っていると思います。あくまで私の個人的な意見ですが。
— freshgreen (@freshgreen7) 2015, 1月 11
松本さん出演ドラマ「花より男子」は第1シリーズ(2005年)よりも第2シリーズ(2007年)が起爆剤
@hraom 突然すみません。いつもあややさんのTweet楽しみにしています。花男が起爆剤の一つであることは間違いないですが、1ではなく2のほうだと思います。
— さとたま (@310tam) 2015, 1月 11
@hraom ZERO・硫黄島のあたりで増え始め、花男2が起爆剤、魔王(truth)で爆発…みたいな感じですかね。
— さとたま (@310tam) 2015, 1月 11
@hraom はじめまして。あややさんの仰る通り「花より男子」で嵐が騒がれ始めた事も事実だと思いますが、それは第2シリーズ(2007年)だと思います。2006年の映画や報道番組で認知度を上げてきたところに花男が更なる起爆剤となったのではと個人的に思います。失礼致しました。
— イナ (@ina_kanj) 2015, 1月 11
全員出演の映画「黄色い涙」、アジアツアー(2007年)
@hraom いつも拝見しております。私は、アジアツアー、黄色い涙と記念年ではないにも関わらず5人での大きな仕事が続いた事も要因だと思います。アジアツアーはSARSの影響で延期されていたものが実現し、「アジアツアーをする程人気なのか」と一般人のベクトルとタイミングが合った印象です
— じゃが子 (@jagaximox) 2015, 1月 11
@hraom 黄色い涙では、犬童一心が監督し、あくまでアイドル映画ではない撮り方をした結果、当時宣伝活動で出た雑誌もHやSWICHなどスタイリッシュなものに挑戦していました。そこでライターに「今、嵐がきてる」と新しいサブカル的に捉えられ、語られたのも要因だと感じました。
— じゃが子 (@jagaximox) 2015, 1月 11
@hraom しかし、当時彼らもブレイクを感じて、それに乗って更に進もうという意識はあったと思います。それを当時のアルバム、コンサートで披露された『ARASHIC』の『COOL&SOUL』で感じました。謙虚さも備えながら、いい意味で欲望も感じました。特に櫻井さんから。
— じゃが子 (@jagaximox) 2015, 1月 11
@hraom こんにちは!リプライ失礼致します。やっぱり初めてアジアツアーを行った06年がひとつの節目だったのかなぁと思っています。そこから花男だったり08年のアジアツアーだったり順調に認知されていって、10周年の09年で爆発的に人気が出たのかなぁと思います!
— ぱωこ。@脳外ピンク (@a5_actor) 2015, 1月 11
@hraom @a5_actor と言っても私は09年組あらしっく(おそらく新規ファンが一番多くなった年)なので推測ですが。。。(´・_・`)
あとこれはステマですけど、『COOL & SOUL』、『Re(mark)able』の二つの楽曲が嵐の野心的な?一面が見れていいと思います
— ぱωこ。@脳外ピンク (@a5_actor) 2015, 1月 11
大野さん主演ドラマ「魔王」とシングル「truth」(共に2008年)
@hraom 確かにその当時嵐担だった方達は2006年の硫黄島とZERO辺りからの上げ度が実感になっているのかもですが、当時ジャニーズにさほど興味もなく日常を過ごしていた身としましては、やはり花男のイメージは強いです。で嵐人気凄いかもと……
— サマンサ (@saco68) 2015, 1月 11
@hraom …と実感したのが2008年に大野さんが魔王で主演した時。周りの主婦が一斉に大野さんファンになってゆくのにびっくりした記憶があります。
あー嵐って凄いわ!と認知しました。
— サマンサ (@saco68) 2015, 1月 11
@hraom あややさんのドラマの主演とタイアップという面で見ると花男2でかなり知名度と人気はどんどんあがっていって、既出ですが魔王とtruthでその中でも茶の間だった人達がどっぷりはまり始めたのかなと個人的に思います。
CMも2008年からauか決まったりもしたり、実験の特番
— りか (@rikarikamnos) 2015, 1月 11
@hraom も始まって人の目にふれることも多くなりましたし。
本人達も変わり始めたのは2006年からと言ってますが、まさに一気に変わっていったのは2008年だと感じました。ファンの私達すら何が起こってるのかわからなかった記憶があります。
勝手にお返事失礼しました💦
— りか (@rikarikamnos) 2015, 1月 11
@hraom 既出ですが一意見として。私もブレイクを感じたきっかけはtruthだったように思います。個人的に「やばい嵐こんなん歌えるんや!?かっけー!これ嵐で一番好きかも」と思ってたら確かその年のシングル1位になってたんですよ。それで「そう思ってたの私だけじゃなかったのか」と。→
— smile :-) ◆ (@smily_8) 2015, 1月 11
@hraom →私の感覚では、AKBで言うポニシュシュ(後で振り返ればブレイクのきっかけ)が花男2、ヘビロテ(売上など数字として分かりやすい結果が出たもの)がtruthだったのかなと。。…あややさんの分析楽しみにしております!
— smile :-) ◆ (@smily_8) 2015, 1月 11
10周年(2009年)が分岐点
@hraom あややさん的嵐まとめ楽しみにしています!10周年の際にテレビの露出が増えてお茶の間にも知られるようになったのかな、と思います。ファンやライブの雰囲気が変わったのも'10頃かなと。ライブの申込み方法が変わったり会員数が激増したのもその頃なのでそこも分岐点だと思います。
— つな (@1025tn) 2015, 1月 11
ブレイクのきっかけは一段階ではなく数段階に分けてあった
@hraom ブレイクのきっかけは数段階かけてだと思います。硫黄島と報道の2006、2007年の花男2と初めてのドームツアー、2008春には一気に冠番組が2つはじまって、夏に国立公演。オリンピック、花男映画、24時間テレビ、魔王など目白押し、一段階ではないと思います。
— メトロ55 (@metro_tram) 2015, 1月 11
という訳で、2002年~2009年辺りについての言及を多く頂いた。最後に紹介したメトロ55さんが書かれている通り、これだけ長きに渡って人気が続いている嵐のブレイクのきっかけが一段階ではないのは確かである。またファンによってもそれぞれ客層が変わったと感じた瞬間、彼らの意識が変わったと感じた瞬間、ブレイクしたと感じた瞬間、が様々なのも興味深い。
また私はこれだけ自分たちが売れているにも関わらず、本人たちが「今なお不思議」という謙虚な姿勢でいるところが嵐の憎くて大好きなところだなと思っている。これだけ売れたのであれば、櫻井さんあたりに「嵐のように売れるには何をすればよいのか」という後輩たちに向けた指南書を書いて欲しいくらいなのに、彼らは自分たちの置かれている状況について、必然ではなく偶然の産物であるかのように話す。日経エンターテイメント2015年1月号においても、「ハワイで何日も一緒に居て飲みながら語ったけど今後の展望みたいな話は一切してないそういうグループだからね(笑)」という発言をしていた。私はそれを見て、テストの日の朝に「昨日寝ちゃってて全然勉強出来なかったんだ」と言ってたくせにテストで満点取る奴を思い出してしまった。テスト勉強週間という特別な時間を設けなくても、普段からコツコツと勉強しているタイプは、テスト前夜に徹夜したりしないのだ。嵐からはそんな「余裕」とも取れてしまう発言をよく耳にする。その度に徹夜派だった自分は地団駄を踏む。悔しいけどかっこいい、抜かりなくかっこいい。そんな彼らが売れているのはやっぱり必然だと思う。彼らが「今なお不思議」と言おうと私は必然的結果だと言いたい。
今回「嵐はいつブレイクしたのか、起爆剤は何だったのか」という疑問を投げかけてTwitterで様々な考えに触れることが出来てとても楽しかった。リプライにて無知野郎にご教示頂いた皆様、本当にありがとうございました。一人一人に返信することが出来なかった為、この場でお礼申し上げます。さて、嵐のブレイクポイントを知ったところで、後輩グループが嵐に追いつき追い越すにはどうすればよいのか、自分が彼らの仕事を取って来れる訳でもないのに、真剣に考えるターンがこれから始まるのである。ジャニヲタって、楽しいね。
【追記】
私の記事を受けてぷりっつさんが体感記事を書いて下さいました。