暗闇に緑の光の海が広がる。ひとつひとつの光は興奮をした様に一度に立ち上がり、心臓の動く速度に比例するように揺れ始める。やがて世界の中心が真っ白に照らし出され二人の人間が浮かび上がる。眩いばかりの光に包まれた彼らの身体は、足の指先から地球のエネルギーを吸い上げ、綺麗な音色へと化学変化を起こし放出していく。音速や光速の概念を考える間も与えず、それは我々の目と耳に瞬く間に吸収されていく。体内に沈殿していく幸福の音色がやがて薄くなり消えてしまったとしても、いつでもあの感動を蘇らせることが出来るようここに記録しておく。
「テゴマス4thライブ テゴマスの青春」に行って来た。前回の3rdライブから2年余りの月日が流れ、今回はテゴマスとして大きな賭けに出た様に感じている。ジャニーズのアイドルグループNEWSの派生ユニットとして作られた“テゴマス”。デビューシングル「ミソスープ」には元々振りが付いていたところを本人たち自ら大人に頭を下げ、“踊らない”ユニットとしてスタートを切った。アイドルに必要不可欠な「歌」と「ダンス」から「ダンス」を除外し、「歌」のみで勝負をしていくことを決意して走り出した。「ジャニーズ=歌えない、という固定概念を覆したい」と言う手越さんの言葉通り、歌唱力において他に引けを取らない努力を積み重ねて来た二人。それは“テゴマス”を捉える世間一般の認識としても定着を見せ始めている。
もう一つ“テゴマス”というイメージを捉える際の共通認識があると考えている。それは彼らの原点がアイドルだからこそ創り出される“ファンタジーさ”だった。前作3rdライブはタイトルが「テゴマスのまほう」であったことも相まって、魔法使いを彷彿させる幻想的な衣装、愛らしい動物をモチーフにしたキャラクター、遊園地のアトラクションの様な舞台セット、見に来たお客さんを童心に還らせる要素で溢れていた。二人のマスコット的なキュートさが更にそのイメージを加速させ、プロフェッショナルな歌声を響かせながらそれと同時に大人になり過ぎないピーターパンの世界を魅せてくれていた。
しかし今作はそのイメージを脱ぎ捨てるように、「音楽を届ける者」としての姿勢に徹した。ジャニーズが得意とするフライングやクレーンやムービングステージ等の舞台装置はほとんど使わず、正面にあるメインステージのみで今回用意された曲の3分の2を披露する。ライブハウスやコンサートホールで歌手たちがただひたすら正面を向いて歌う様に、彼らはアリーナクラスの会場でも同じ様に歌を前に真っ直ぐ届け続けた。増田さんが事務所内外を問わず多くのアーティストのライブ会場に足を運んでいることは有名で、そこから自分たちのライブを創り上げる上で沢山のヒントを拾って来るため、増田さんの演出アイディアには信頼を寄せるファンも多い。しかし今回シンプルな形にまとまったのは、単純に手を抜いたのではなく、その多くのアイディアを眠らせてでもシンプルであることにこだわったということが想像出来る。「音楽を届ける」ということに華やかさは必要であるかが篩にかけられ、この度華麗度は最小限に抑えることになったのである。
マイクを通さず生声で届けられた「青いベンチ」
前作「テゴマスのまほう」でも一部生歌披露の楽曲があった。しかしそれは歌いだしのみであり、しかも彼らがその時に立っていた場所は会場の中心に作られたステージのセンター。よってお客さんに届けなければならない距離は、会場の中心から客席最後列まで。しかし今回彼らが挑戦したのは、「青いベンチ」丸々一曲。しかも場所はメインステージから。最後列のお客さんまでは前回の倍以上の距離がある。それだけでも随分とハードルが上がっているが、彼らは更に自分たちに負荷をかけ、椅子に腰をかけて歌った。前回は大きく足を広げ全身のエネルギーを使って声を生み出すことが出来たが、今回は下半身に入れられる力に限界がある。上半身と鍛えられた肺活量のみで勝負する彼らの歌声に耳を傾けるため、会場はしんと静まり返り、嘗てない緊張感に包まれていた。鼻をすする音や咳をする音だけでなく、私がこの情景を忘れないようにノートにペンを走らせるその音ですらも、この空間の中では騒々しく感じられ、呼吸をすることも忘れそうなくらいに会場全体が集中して彼らの声に聞き入っていた。ライブで会場全体が呼吸を合わせるのはけして手を振り上げて一斉にリズムを刻む様な曲ばかりではない、視線を一点に集め全員が同じ目的の為に声を押し殺す、そういう一体感の創り出し方もあったのだ。「この声が枯れるくらいに君に好きと言えば良かった」と本当に声が枯れてしまうのではないかと心配になる程の声量で届けようとする彼らの一生懸命な姿は、今回のライブの中で一番儚げだった。
「音色」「魔法のメロディ」のリユース
2ndライブのオープニングに披露された「音色」、3rdライブのオープニングに披露された「魔法のメロディ」、オープニングに使う楽曲はそのライブ全体の色を最初に植え付ける楽曲であるがゆえに、次のライブのセットリストの中に溶け込ませるには少し色が強すぎる。そのため「音色」は3rdライブでは登場することがなかった。しかし今回はその「音色」も「魔法のメロディ」も前回に続けてセットリストの中に組み込まれている。「音色」は歌い出しから「ようこそ虹色の世界へ 何もかも忘れて楽しもう」と音の世界へ誘う歌詞が含まれ、今回の4thライブの主旨と合致したため再度蘇らせることに成功している。また「魔法のメロディ」は3rdライブのオープニングとして記憶に新しく、赤と白の魔法使いの様な華やかな衣装に身を包んだファンタジーバージョンのテゴマスを容易に浮かび上がらせるが、今回は私服の延長線上の様な衣装を纏って、バックスクリーンにポップな映像と共に歌詞を流すことでお客さんの記憶を塗り替えている。同じ楽曲を使用しながらも別のアプローチで曲に新たな色を添える、生バンドで演奏しているからこそ、その時にしか聴くことが出来ない音のアレンジもあり、テゴマスは再利用される楽曲にも鮮度がある。
歌の主人公から語り手へ
1st「テゴマスのうた」、2nd「テゴマスのあい」、3rd「テゴマスのまほう」、とこれまでに表現されてきたものは「歌」「愛」「魔法」と、どれもテゴマス自身が届けようとしているものが「テゴマスの○○」の○○の部分に当てられてきた。「歌を歌う」のはテゴマスであり、「愛を囁く」のはテゴマスであり、「魔法をかける」のもテゴマスであった。しかし今回○○の部分に当てられたのは「青春」。もちろん「青春を謳歌する」のがテゴマスという捉え方も出来なくはないが、今回のアルバムに収録された楽曲を見ると「テゴマスではない誰かの青春」に焦点をあてたものが多く、今現在20代後半に差し掛かっている本人たちのリアルな物語とは結びつけ難い。10代後半から20代前半までをテゴマスとして走り続けてきた彼らが、少し遠い場所から自分たちよりも後ろを走っている男の子たち女の子たちにエールを送るように青春真っ只中の彼らを優しく撫でていく、そんな風に言葉をメロディに乗せているように感じる。これまでは歌の主人公だった彼らが、一歩下がって語り手となったのが今回の「テゴマスの青春」だと感じている。
届けっぱなしではなくレスポンスさせる巧さ
派手な舞台装置を封印し、メインステージのみを使用したことによって、客席には多少の戸惑いもあったかと思われる。テゴマスを支えているファンの多くは元々アイドルとしての彼らに惚れ、ジャニーズ事務所が得意とする華々しいステージを望んで見に来ている人も少なくはない。普段、一つの公演の中であらゆる方向に視点を動かされ、飽きさせないステージングに慣れてしまっているファンの目は、メインステージの一点にだけ集中させられることに抵抗がないとは言えない。身体の向きを変えないことだけでも飽きの速度は速くなってしまう。しかしテゴマスはただひたすら自分たちの歌を聴かせるだけでなく、お客さんを“参加”させることにも巧みだった。「サヨナラにさよなら」ではイントロに合わせてペンライトのウェーブを作って欲しいとお客さんにお願いし、「キッス~帰り道のラブソング~」では大サビを丸々お客さんに歌わせ、「色鮮やかな君が描く明日の絵」や「月の友達」では簡単なワンフレーズを、会場を席ごとに分割して何度も歌わせたり、一方的に「自分たちの歌を聞いてもらう楽しさ」だけでなく、実際に客席にも声を出させて「一緒に歌うことの楽しさ」を共有している。ここから進化したのかどうかは分からないが、3rdライブではライブ後に流れるエンドロールのオルゴール音に合わせて、そういった指示はどこにも出ていないにも関わらず、お客さんが自主的にもうテゴマスのいないステージを眺めながらみんなで歌ってから帰る、という文化が生じていた。残念ながら今回はエンドロールが流れる演出がなかったため、その文化を再体験出来なかったが、ライブ中にすっかり声を出して歌う楽しみを覚えたお客さんたちが、最後に自分たちだけで歌ってから帰る光景は宗教的ではあるが、とても気持ちが良い空間だった。
NEWSとの差別化、テゴマスを続けていく意味
テゴマスを語る上で切っても切り離せないのが「NEWS」との両立についてであり、同じ人間が二つのグループで活動を続けている限り、永遠に付きまとう課題である。しかも「NEWS」がここまでに一筋縄でいかなかった経緯から、「テゴマス」を続けることに対する風当たりは未だに弱くはならない。しかし今回の4thライブではこれまで以上に「NEWS」との差別化に大きく一歩踏み出した感じが取れる。“アイドルの王道”でありたいとアイドル街道のど真ん中を突っ走っていく「NEWS」に対して、今回「テゴマス」は演出面でアイドル要素をぐっと抑え、アーティストとしての面を強く叩き出した。NEWSとテゴマスの間で曖昧に混ざり合っていた部分を一旦綺麗に洗い流し、「絶対にテゴマスでないと出来ないもの」でライブを組み立てている。本人たちは全くの別物と認識していて、また「NEWSとしてはテゴマスに負ける訳にはいかない」「テゴマスとしてはNEWSに負ける訳にはいかない」とどちらの立場に立ってももう一つの側をライバル視していることを語っている。継続するという選択にも、辞めるという選択にも、必ず起こる摩擦があり、今回は「継続していく」ことに対する納得せざるを得ない回答が、テゴマスに出来上がった様に感じる。
手越祐也というテゴマスの音楽プロデューサー
NEWSの中にいると末っ子で悪戯っ子な面が全開になる手越さんだが、テゴマスになると性質は一転し、年下でありながら増田さんやテゴマスバンドを従えて、先頭に立ち勇み進んでいくリーダーの様な存在となる。「音」に対するこだわりも深く、増田さんの知らないところでバンドメンバーと緻密に打ち合わせを重ね、細部まで理想の「音」を追求していく。器用にギターを演奏していたかと思えば、打楽器に持ち替えて客席と一緒に楽しむリズムの見本となったり、彼の身体の中には綺麗な音色を創りだす機能もあれば、正確にリズムを刻むカウンターもあり、耳から入ってくる音を敏感に感じ取って調整を行えるセンスある脳も備わっている。しかしそのどれもが天性の才能である可能性よりも、努力で手に入れた技術である可能性が高いのがミソである。私たちがテゴマスの音楽に酔いしれる時、聴覚を刺激しているのは手越さんがこだわり抜いた努力の賜物である。
増田貴久というテゴマスの演出プロデューサー
手越さんが増田さんの知らないところで「音」へのこだわりを追求している時、増田さんは手越さんの知らないところで「光」へのこだわりを追求している。移動式の舞台装置を多く使わないテゴマスの舞台上で、客席の視覚を楽しませるのが照明になる。今回も曲の一瞬一瞬に合わせて照明の切り替えが巧妙で、バックにいたテゴマスバンドの姿を消してステージに二人だけを浮かび上がらせる手法に何度も感嘆の声を漏らした。派手な装置を仕掛けない分、増田さんの蓄えてきたアイディアはここで発揮されているのではないだろうか。また毎度毎度ライブの度に出来上がるマスコットキャラクターの制作とそれに合わせて作られた楽曲の作詞も増田さんが担当している。これまでのテゴマスの“ファンタジーさ”は増田さんが産んでいたものの影響が多い。またグッズ制作においても、ライブ後にもうっすら付いているけれど翌朝になったら消えてしまうサイリウムの美学を提唱し、今回のペンライトがサイリウム型になったり、アイディアマンとしての増田さんのセンスにはやはり信頼しかない。私たちがテゴマスの音楽に酔いしれる時、視覚を刺激しているのは増田さんがこだわり抜いたセンスの塊である。
テゴマスという「バディ」
最後の挨拶で増田さんは手越さんをこう紹介する「俺の友達を紹介します、手越です」。またある時はこう紹介していた「俺の相方、手越です」。ジャニーズにはシンメトリー制度が根強くあり、ジャニーズJr.時代からセットにされてきた二人を指すことが多い。背格好やシルエットが似ていたり、同じ時期に事務所に入っている、運命共同体の様な二人がセットにされることが多い。しかしテゴマスにおいては、シルエットも似ているとは言い難く、事務所に入った時期もバラバラで、「シンメトリー」と呼ぶには例外要素の方が多い気がしていた。プライベートでも遊びに行く小山さんと加藤さんの様な親友関係でも無ければ、お互いがお互いに依存していて一人では生きていけないというべったりとした関係性でもない。けれどもけして不仲説が流れるような緊張感もなく、仕事においてはお互いの能力を評価し信頼し合っているように見える。そういった関係をこれまで何と呼ぶのが相応しいか考えていたが今回「バディ」という単語が最も適当だと思った。近過ぎず遠過ぎない距離感が、二人が馴れ合いにならない切磋琢磨し合う関係を保持している。
変革と呼べる4thライブを経て、5thライブへ
最後の挨拶で手越さんが「今回のライブは僕らにとっても挑戦のツアー」「音楽を大切にしたツアーがやりたくて」「客席のみんなの表情や仕草が愛しくて、(今回の挑戦が)間違いじゃないと認識出来た」という旨の内容を語っていた。今まで守り温めて来たものを手放して、テゴマスの新しいスタイルを生み出したことに対して、恐らく賛否の声はあがるだろうけど、否が生じることは変わっていく上で防ぐことが出来ないものと捉え、否を恐れず自分たちの信じたスタイルを今後も貫いていって欲しい。手越さんが掲げていた「ジャニーズ=歌えない、という固定概念を覆したい」という野望も、自分たちのファンではなく外の人間を意識した考え方であり、外側から見てもらうにはまず内壁を壊すことから始めていかなければならない。今回の4thライブはその内壁を壊していく作業の一つだったように思う。これまではテゴマス側がこちらの求めているものに寄って来てくれていたが、今回はテゴマスが理想とするものに我々が寄っていくべき良い機会だったと感じた。増田さんが「僕らの夢ももっと叶うかな」と挨拶に添えていたけれど、まだまだ夢を追い続ける気でいるテゴマスの青春に便乗していきたい。最後「ヒカリ」という楽曲の「これからも僕は歩いていく 笑って泣いて歩いていく」という歌詞と共に、ステージの向こうへ歩いて消えていく二人の背中を、これからも追いかけていくしかないと思った。